11.
涙を浮かべ優しく微笑むマリエッタは何を思い出しているのだろう……。義妹に受けた仕打ちか、それとも実母の面影か、俺はマリエッタを抱き締めた。
「悲しい事を思い出させてしまってすまない、これまで」
「義妹が。今でも持っていてくれているといいのですが、わかりません」
「そうか………。なぁマリエッタ、明日街へ行かないか? 一緒に街へ行き買い物をしよう! 刺繍道具や欲しい物を全部買おう!」
「え?え? 閣下? 刺繍道具はナタリーが準備してくれたのがありますよ?」
「テオバルトだ! いや、テオと呼んでくれてもいい! 君は油断するとすぐに閣下と呼ぶからな」
「え?あ、申し訳ありませんテオ......バルト様」
「フフッまぁ今はそれでいい、しかし慣れてくれ」
頬を赤らめ俯くマリエッタ、俺は自分の腕の中で啜り泣いている彼女が愛おしくなり優しく頭を撫でていると、横からナタリーに小声で注意される。
「徐々にですよ! 徐、々、に!奥様は免疫がありませんので、負担をかけないでください!」
マリエッタはナタリーを始め、使用人達に過保護に守られている。勿論その事に異論はないので、たとえいい雰囲気を邪魔されたとて俺は寛大に目をつむるのだった。
「少し仕事を片付けてくる」と、マリエッタの部屋を出て執務室に向かう俺は明日の事が楽しみであったが、その前にやる事があった。
(公爵家の権力を存分に使ってやろうじゃないか…...)
きっと今の俺は魔王も真っ青の悪人面をしていただろう、しかし怒りとは裏腹に冷静に今後やるべき事に思いを馳せていた。確実に仕留める為に伯爵家に関する分厚い報告書に再度目を通す。
● 義妹の刺繍が社交界で話題となりウォーレン侯爵夫人の伝手によりリシャール商会で販売される。
(見つけた…)
諜報員も兼ねた使用人を呼び、ウォーレン侯爵家とリシャール商会について仕事を出し、続けて城にも使いを出した。
(社交界の事ならあの方に聞くのが一番だからな…)
獲物を追い詰めるようにテオバルトが策を巡らせているその頃、マリエッタは初めて抱く感情に振り回されながらもどこかソワソワとナタリーを質問攻めにしていた。
「ナタリー? 私、本当の本当に閣下とお買い物に行ってもいいの…...かしら?」
「奥様?旦那様の事をまた閣下とお呼びしてますよ? 明日はとびきりお洒落をいたしましょうね! デートですから、沢山おねだりしていいと思います。その方がきっと旦那様もお喜びになりますよ!」
マリエッタは物欲が無く、遊びに行く感覚もお洒落も初めてで戸惑っていた。
(デート? デートって何をすればいいのかしら?)
いつもならフカフカのベッドに入るとすぐに眠ってしまうマリエッタだったが、その日はなかなか眠りにつけなかったのであった。
翌朝二人は初めて食堂に揃い、マリエッタは嬉しそうに朝の挨拶を交わした。夫婦になって十日程経過していたが、夫が屋敷に居なかったのだから仕方がない。昨夜も伯爵家を追い詰める為あれこれ手を打っていたら夕食の時間が過ぎてしまい、結局一緒に食べる事は出来なかった。
約束を反故にしてしまった俺は、後ろめたさと気まずさ、そして気恥ずかしさを誤魔化すように、「晴れて良かった」「何か欲しい物は決まったか?」などとマリエッタにソワソワと話しかけていたが、ふとマリエッタの前に並んだ朝食を見て、慌てて問いかけた。
「マリエッタ? 具合が悪いのかっ!?」
「いいえ? 今日が楽しみ過ぎたのか緊張して寝不足ではありますが……体調は悪くありません」
「そっそうか! 楽しみに思ってくれたのか、って違う! なら、その……」
俺の視線に気付いたリチャードがマリエッタに心配いらないと、食事を促して俺を座らせる。
食事中、その様子を窺い見ているとよく分かった。薄い色味のスープに薬草茶の香り、それ以外は何も無い。パンも卵もハムも肉も野菜や果物すらもなかった。しかし唯一のスープをゆっくりと嚥下して頬を緩めるマリエッタは「とても美味しいです」と俺に伝えてくる。
その姿を見て胸が締め付けられてしまい、食事が喉を通らず残してしまうとマリエッタから心配された。出掛けるのを取り止めようと提案されたので、俺が慌てて一気に完食して「大丈夫だ」と伝えるとマリエッタは両手の指先を口に当て目を見開いて、それはもうとても驚いた表情をしていた。




