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チョコ・アフター・ソックス

作者: 車男

 「藤田くん、藤田くん」

3時間目終わりの休み時間、隣の席の柏木さんから声をかけられた。

「ん、どうしたの?」

「ちょっと、ちょっとだけ…」

いつも大人しくて声の小さい柏木さん。その声がさらにいっそう小さくなって、僕は彼女の方へ耳を傾ける。

「ん?」

「う、上履き、貸してくれない、かな…?」

「上履き?いいけど…」

予想もしないお願いを不思議に思いながら、僕は自分の上履きを脱いで、柏木さんのほうへ差し出した。そのときになってようやく、柏木さんが今日、上履きを履いていないことに気が付いた。だんだん暖かくなってきたとはいえまだ寒い時期。柏木さんは白いシャツにベージュのカーディガン、さらにコートを着て、紺色のロングスカートに白いハイソックスを履いていた。けれど上履きは履いていなかった。今日は月曜日。まじめな柏木さんは、先週のうちに持って帰っていた上履きを忘れてきてしまったのだろう。たまにそういう経緯から靴下や裸足のまま過ごしているクラスメイトを見かけるから、事情は分かる。僕は今まで忘れたことはないけれど。

「あ、ありがとう。すぐ、返すから!今日、忘れちゃって…」

柏木さんはそう言って、白いソックスを履いた足を上履きに入れようとして、動きを止めた。

「あ、ごめん、靴下、汚れちゃってて…。脱いだ方がいいよね」

「え、いや…」

僕が、そんなのいいよという前にはもう、柏木さんは白いソックスをするすると両足とも脱いでしまっていた。脱ぐ瞬間に見えたソックスの裏、まだ3時間目なのに、学校の汚れを集めてしまって、灰色に汚れてしまっていた。素足になった柏木さんは、改めてその足をそのまま僕の上履きに突っ込んだ。

「ほんとに、ありがとう」

そしてぱたぱたと、かかとを浮かせながら教室を出ていった。トイレにでも行ったのだろう。僕の学校のトイレは,別のスリッパなんて置いてなかったはずだから。背は同じくらいなんだけれど、僕の方が足が大きかったかな。それにしても,と考える。わざわざ男子である僕に頼まなくても,仲のいい女子に頼んだ方がよかったんじゃないかな。男子の上履きを履くって,ちょっと抵抗ありそうだけれど…。大人しくて,休み時間はほとんど自分の席で過ごしている柏木さんだけれど,友達がいないわけじゃない。たまにクラスの女子と話しているところを見るし,体育の時なんかはちゃんとグループを作っている。かくいう僕は,女子の柏木さんに上履きを履かれることには特に何の感情も抱かなかった。喜んでなんで,ぜったいない。

 柏木さんが戻ってくるころには、次の授業がもうすぐ始まるところで、先生はもう来ていた。

「ほんとに、ありがとね、藤田くん」

柏木さんはそう言って、上履きを脱ぐと僕の方にこっそりと返してくれた。わざわざ手で,僕の方に向きを合わせてくれる。裸足になった柏木さんだったけれど、靴下を履く暇がなくって、始まりのあいさつのときは裸足のまま、立って礼をしていた。先生の授業が始まってから、机の下に脱いでいたソックスを素早く履きなおしていた。

 その日の5時間目は移動教室で、僕たちは廊下に並んで、体育館へ移動する。なにか動物の研究でエライ人がきて、お話しをしてくれるらしい。動物はかわいいと思うけれど、話を聞くのは眠くなるのであまり好きじゃない。

「ねえねえ、柏木さん、上履きどうしたんだろ?」

背の順に並んだとき、柏木さんは僕のちょうど斜め前くらいになる。僕のすぐ後ろの男子からそれを聞かれて、

「忘れちゃったんじゃないかな、よくはわからないけれど」

「珍しいな、柏木さん」

大人しい柏木さんだけれど、容姿はとてもかわいらしく、クラスの男子からはひそかに人気があるようだった。さっき僕が上履きを貸したことは幸い知られてないみたいだけれど、知られてしまったらどうなるんだろう…。

 体育館ではクラスごとに並んで座る。体操座りが多く、柏木さんもそうしていた。きちんとスカートの裾は抑えている。僕のすぐ斜め前にいるので、足の様子がよくわかる。みんな上履きを履いている中で、一人だけソックスのままの柏木さん。かわいそうな気もするけれど、足をもじもじ,ぱたぱたする様子はとてもかわいく見えた。

 体育館へ向かうときには並んでの移動だけれど,教室へ戻るときはそれぞれの移動だ。僕は普段仲のいい男子と一緒に帰ることになって,たまたま偶然,柏木さんの後ろを歩いていくことになった。体育館から校舎まではコンクリートのたたきの渡り廊下を通る。外からの砂でざらざらしているだろうけれど,柏木さんは白ソックスのままでペタペタ歩いて行った。階段を上るときに,ふと上を見上げると,柏木さんのソックスの裏が見えてしまう。灰色のホコリの汚れの上に,砂の汚れが重なって,さらに黒っぽく,足の形に汚れていた。かわいい柏木さんのそんな足裏を見てしまって,よくわからないけれどドキドキしてしまった。

 「藤田くん,さっきは,ありがとう」

「え?ううん,そんな気にしないで」

帰りの会を終えて,紫色のランドセルを背負った柏木さんがわざわざお礼を言ってくれた。上履きを一回化しただけだから,全然,大したことはしていない。

「じゃあね,また,あした」

「うん。…明日は,忘れないようにね」

僕が最後にそういうと,柏木さんはちょっと顔を赤くしてうなずき,小さく手を振って帰っていった。


 翌日の朝、いつもの時間に登校して、席に座って準備していると、隣の席に柏木さんがやってきた。気になって足元を見てみると、今日はしっかりと、新品のように真っ白な上履きを履いていた。

「藤田くん、藤田くん」

柏木さんが隣に座ったかと思うと、昨日と同じように、かすかな声が聞こえてきた。

「ん、なに?」

「…えっと、これ、昨日のお礼…」

「えっ」

柏木さんが小さく差し出してくれたのは、きれいに包装された、小さな包みだった。

「あ、ありがとう…」

「あ、家で、開けてね!見つからないように…」

「う、うん、わかった」

柏木さんが耳元でそっとつぶやいて、またすぐ前を向いた。中を見なくても、今日の日付を見たら大体わかってしまう。お礼って言ってくれたけれど、家族以外からもらうのなんて生まれて初めてだ。その日一日、僕はしっかりと、その包みが他の誰にも見つからないよう守り抜き、家に帰って大事に大事に、一粒づつ味わった。


おわり

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