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母が嫌い

作者: 舟太郎

私は母親が嫌いだ。


こんなことを言うとまるでマザコンを拗らせた奴みたいだが、嫌いというのは嫌いと言う意味だ。


私の母親は過干渉、いわゆる毒親だ。子供の全てを把握し管理しなければ気が済まない。対象が我が子であるだけで、やってることはストーカーだ。

私の家に限った話ではない。どんな母親でも大なり小なりそういう要素を持っていることだろう。


分かりやすいところで言えば子供の不在を狙って勝手に部屋に入る。これはどこの母親も絶対にやっている。

「母親は子供の事はなんでもお見通し」、テレビなんかでたまに耳にするフレーズだが、当然である。なにせ子供がいないうちに部屋の中を物色しているのだから。

文句を言えば「なら自分で掃除しなさい」である。「部屋に入るな」に対して「自分で掃除しなさい」である。論点が違う。

子供が不満に思っているにも関わらずその事実は無視。それで子供がストレスを感じるなどと思ってさえいない。しかも奴らは掃除してあっても勝手に部屋に入る。


郵便物、母親は子供宛の郵便物を自分が勝手に確認することを当然だと思っている。しかし子供は自分宛の郵便物を渡されたときに封が切られていることを当たり前だと思ってはいけない。奴らは自分と子供が別々の人間であるということを理解できていないのだろうか。


反抗期、という言葉がある。嫌いな言葉だ。完全に自分を子供の上に置いている言葉だ。そしてその自覚はない。

親は子供と意見が対立したとき絶対に自分が正しいと思うのだろう。しかし「自分は親だから正しい」と考える前に、自分が人間としてそんなに優れているのか、物事を正しく判断できる人間なのか考えるべきだ。「親」とはその人間の後についてくる要素だ。元が立派な人間でなくては偉そうにしてはいけない。親になれば誰でも立派、とはならないのだから。


中学にもなれば自分で朝食にトーストの一つも用意しようと思うこともあるだろう。それはとても良いことだ。だが習慣にしてはいけない。それを習慣づけようとすると奴らは先回りしてトーストを用意するだろう。自分で食事を用意しようとする子供からその作業を取り上げる、そんな風に世話をやくことが子供のためになると本気で思い込んでいる。自分で何もしない人間が育つだけじゃないか。いや、ひょっとするとそれが狙いなのかもしれないが。

結局、母親は子供が自分抜きで何かをこなすのが気に入らないのだ。子供にいつまでも一人では何もできない無能であってほしいと無自覚に思っている。


極論、子供が自立して自分が不要になるよりも、引きこもりになった子供を自分がいつまでも世話してやる方が母親にとっては幸福なのだろう。

結局、子供の事を大切にしているふりをして自分のことしか考えていないのだ。


だから私は母親が嫌いだ。


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