〜馬鹿げた話〜
俺がナツネを拾ったのは、5年前のことだ。
その日は雪が降っていて、都内にしては低い気温を更新していた。
いつもは夜にする"仕事"を部下と終え、車からでてきたとき。
路地裏のすみに、人間がいることに気づいた。
いつもなら気にもとめない。
だけど、その日は寒さのせいで頭がおかしかったから。
そいつの目が、昔の俺と重なって見えたから。
『社長、どうしました?』
無言で路地へと入っていく俺の後ろを、部下もついてくる。
『嬢ちゃん、こんなとこで何してんだ』
そいつの伏せられていた瞳が、ゆっくりと上を向く。
銀色の瞳には、光がなかった。
カサカサに切れた唇に、手と足はしもやけ。
『家出か?』
子供はなにも答えない。
ただ、じっと、俺をみつめてる。
家出ではないんだろうなってことはわかった。
くつも履かずに、こんな寒い日に家出するなんてありえない。
『追い出されたのか?』
やはり答えない。
『……おい、行くぞ』
さすがにイライラしてきたから、立ち去ろうとしたら、キュッとスーツをひっぱられた。
後ろを振り向くと、細い足でたちあがった女の子と目が合う。
『愛が、ほしいの』
耳をすまさないと聞こえないぐらい小さく発された言葉。
だけど、子供が言うには重すぎる内容だった。
『みんな、無条件に"愛"をもらってるの。見返りなんて求めない。親子って、友達って、つきあってる人って、みんなみんな、そうなんでしょ?だけどわたしはっ…みんなが当たり前にもってる"愛"が、わからないのっ…』
涙の跡でかたくなっている皮膚の上を、またしても涙が伝っていく。
愛に飢えていた、昔の自分と重なった。
気づいたら、俺はこう言っていたんだ。
『嬢ちゃん、俺が居場所をつくってやる。ついてこい。ただ、逃げるなよ』
このとき俺に出会っていなかったら、きっとナツネは殺し屋なんてせず、フツウの女の子として生きていたんだろう。
ただ、真っ白い雪がふる中、あいつの瞳と顔が忘れられなくて。
このまま飢え死によりはいいだろって思ったんだよ。
ほんとに、俺って最低だな。
警察に拘束されているとき、俺はナツネと出会ったときのことを思い出していた。
貴堂京真と抱き合っているナツネは、泣いている。
あいつが泣いているのを見たのは、出会ったときと今しかない。
殺し屋という残酷な仕事をしているときでさえ、泣かなかったのに。
あのとき昔の俺と重ねたナツネは、もういない。
あいつは幸せそうに、笑っている。
「愛を、みつけたんだな……」
今の俺にはおまえがまぶしいよ。
開け放たれた扉から、太陽が顔をのぞかせている。
俺は結局、最後まで"愛"が分からなかったから。
人を殺すことは簡単なのに、愛するのって、愛されるのって、難しい。
なんて、馬鹿げた話だ。
続く