星屑電車
クローナットの浜辺には黒い電話機がある通話ボックスが一つポツリと置いてある。
どんな雨にも風にも屈しない。
通話ボックスがいつからあるのか、ひいお爺ちゃんの時代に遡っても分からない。
皆口を揃えて『いつの間にかそこにあった』と言うのだ。
だから、誰も不思議に思わない。道端に石ころ一つ転がっていたとして、いつからそこにあるのだろうかなんて思案する人は居ないだろう。
だから、通話ボックスがそこにあるのは当たり前で謎とすべき事柄ではないのである。
だが、ふと疑問に思ってしまった。
いつから
どうして
こんな所にあるのだろう
誰が
何の目的で置いたのだろう
そうしてもう一つの不思議。誰もそれを使っている姿を見たことが無い。
精霊工学が国に発展した今、通話ボックスなんて旧式の物は無用の長物であると思うのだけれども。実際、水晶を使った小型の耳飾り一つあれば通話もメッセージも動画を送る事まで造作もない。
水晶には精霊の祈りが僅かに込められていて、起動するのに必要である事は広い意味で知られているが、長年相容れなかった精霊と研究学者とが組み合った結果、目覚ましい発展を遂げていったと言う詳しい事実は教科書で習ったばかりである。
国、街、そしてこの辺境の小さな村までが利便性に長けた進化を遂げてきた。
旧式の物はなんでも『古物』取り扱い専門の博物館が管理して、保管しているのにここだけ回収されないままなのも不思議だ。
――――そうだ、決めた。
夜、家族全員が寝静まった頃にのそりとベットから起きてこっそりと靴を履いて玄関を出た。
天気はどうやら曇りのようだ。こんな時間に出てはいけないと後でわかったら大目玉を食らうだろうけど気にしない。行かなくちゃ、行きたいんだあそこへ。
何も起こらないかもしれないし、どうする? 何かが起きるかもしれないよ。
絵本の中や、文字の本でもいつだって少しの勇気から、知りたいなと言う気持ちから大冒険は始まるのだから、今がきっとでそうなのかもしれない。
ドキドキ、ワクワク、ちょっと怖い。
思わず走り出していた、浜辺まではもう少し。
いつもは星が降るような空なのに、今日は一つも瞬いていないや、真っ暗のようでそここにある家の灯が助けになっている。
ぐんぐん走る、走って走って転けそうなくらい。
胸が痛くなってきた、いつもの駆けっことは違う、息も辛くなってきた、だのに足が止まってはくれない。もうすぐだ。
足が止まった所は通話ボックスの前。夜風がひんやりと頬っぺたを撫でて火照った顔を冷やしていく。息だけが荒くて、肩が大きく上下に揺れる。
息をふうっと整えて、ボックスを開く。
灯のつかない中は真っ暗で、ただ黒い電話機がそこにひっそりと佇んでいる。
えいや、と受話器を取ってそっと耳に当てる。
「チリリン」
「わっ」
鈴のような音が一度鳴った。博物館にあったような古いお金を入れないと使えないのかと思ったのに……。驚いた。
思わず耳を離してしまった受話器からぽそぽそと声が聞こえる。
またそっと聞いてみた。
「もしもし、もしもーし。聞こえているのですか?」
「は、はい! 聞こえてます!!」
「おや、良かった。本日ご予約のお客様は坊っちゃんでしたね」
「あ、あの……これ、えっと、あ、僕はお客様じゃないんですけど」
「んん? そんにゃはずはありませんね。きちんとご予約頂いておりますにゃ」
「え、え? 誰から……?」
「申し訳ありません、坊っちゃん。依頼主の情報は、漏らせないのですよ。一言たりともね」
「でも……予約って、僕お小遣い持ってきていません」
「心配ご無用、既に頂いておりますにゃ。今から、あぁ、もう迎えが着きますね。案内猫とご一緒に良い旅を。そうそう、ワンポイントアドバイスですにゃ、是非とも【星屑のミルクセーキ】を飲んでみてくださいね絶品ですよ特に今宵は」
「あ、ま、待って……っ」
カチャンと音がして、それきり通話は途切れてしまった。
何を言われたのかさっぱりわからない、予約? 迎え? 何、何が起こって……
頭の上のハテナが沢山浮かんで消えないまま、通話ボックスを出た。すると、目の前には小さな猫が立っていた。
「お待たせ致しましたにゃー、こちらへどうぞ」
「え?」
「さぁ、行きましょう。今宵は素敵にゃ旅になりますとも!」
「え、や、僕は……」
小さな猫は手を取るとふわりと宙へ浮かび上がる。
「ひえ」
「大丈夫ですよ~、すぐですし。怖かったら目を瞑っていてくださいにゃ」
体はどんどん浮かんで行く。怖いに決まっているよ、落っこちたら僕は……
「さ、着きました。どうぞどうぞ、ずずーいと中へ」
「え?」
ぎゅっと目を瞑ってしまったけれど、恐る恐る開けてみるとそこは電車の中だった。
「ここは…………」
博物館で見た事がある、おおきな館内の中一際目を引いたそれ。中に入れた訳ではなかったけれど、パネルで見る事が出来たからよく覚えていた。
二人掛けのソファが向い合せになっていて、昔の人は【箱列車】と言っていたのだとお爺ちゃんから聞いた事がある。
そのまんまだった。小さな猫は嬉しそうにまた手を引いて、窓際の席へと案内してくれた。
僕以外は誰も乗っていない。ぼんやりと明るかった電車の中はパチンと言う合図で真っ暗になり
「どうぞ、外をご覧ください」
とアナウンスが流れた。
「大丈夫ですにゃ、飛び出したりしても直ぐここへ戻ってこれますから下へ真っ逆さまに落っこちたりはしませんにゃ」
怖いなぁと思いながら、窓の外を見てみると視界いっぱいにきらきらと光りが瞬く。
「わぁあ!」
目の前には青や白、紫や赤の光がしゅうしゅうと瞬いて煌めいている。
下の方には村の灯がそここに見えている。と言う事は、空の上?
「どうですかにゃあ、今宵はいっそう綺麗でしょうとも。星屑のミルクセーキのご用意が出来ますよ、飲みますかにゃ?」
「星屑の……はい、飲みます!」
「はぁい、喜んで! それでは少々お待ちください」
そう言うと、小さな猫は窓からひょいと外へ出た。
「わっ猫さん!!」
大慌てで手を伸ばすけど届かない。くるくると回りながら小さな猫は言う。
「だーいじょーぶでーすにゃ~~~~、それよりもご覧ください~~!」
小さな猫の手元にはグラスがあって、きらきらシュルシュルと光が落っこちていく。
底にたまった物からミルク色に変化して、グラスが満杯になると上は色砂糖をまぶしたようにカラフルにきらきらとしている。
それを二つ用意して、スイスイっと泳ぐように窓へと戻ってきた。
「さて、ここで選ぶ事が出来ますにゃ。この先へ行くか、お家へ戻られるかを。お家に戻られる場合はこれは飲まない方が宜しいですので」
選ぶ……? 家に戻らないで、このまま先へ? 学校はどうしよう、お家は?
母さんも父さんも僕が居なくなったらどうなるの? 少し心配するかしら。
どうしよう、なんて思ったのは一秒だけ。
「父さん、母さん、僕はちょっと旅に出ます! きっと戻るので心配いりません」
手紙を一つ、声に出しながら書き上げて小さな猫に手渡す。
「はい、確かに承りましたにゃ、しっかりとお渡ししますのでご安心くださいにゃあ」
「では、今宵のアクアリオに乗ってゆきましょう! この旅路に幸多からん事を! 乾杯」
「うん、行こう! 乾杯!」
煌めくばかりの星屑の海をしらしらと波立たせながら電車は行く。さっきよりもぐーんとスピードを上げて、星の彼方へ彼方へ進んでゆく。
足をお運び頂いた皆さまには特別に秘密をお教えしましょう。
星屑電車の予約を入れたのは、坊っちゃんの家族の誰かです。これは古くからある旅立ちの儀式のようなもの。坊っちゃんが戻って来られるかどうかは…………坊っちゃんしだいですにゃ
あなた様も、今宵、星屑のミルクセーキはいかがですかにゃ?
追記
ワンライ(一時間ライティングちょっと+α)でした。
本日は子供の日なので、坊っちゃん大冒険の巻。流星群は明日なので、寒さ対策をバッチリしっかりした上でご覧になってみるのも一興かと存じます。