姉のセーターの行方
姉がなぜ編み物が好きなのか、不思議に思って聞いことがある。
「編んでいると嫌なこと忘れられるんだよ」
嫌なこと? 姉にも嫌なことがあるの? 一番似つかわしくない答えが返ってきた。そのとき私にとって姉は『謎』の存在となった。
姉の編み物は最初、部屋のドアノブや電話の受話器のカバーとか小物の類のものだった。ところが私が中学生になったとき、高校生の姉は大物のセーターに挑戦するようになった。その犠牲者、いや、栄光に浴する第一号は私だった。
「可愛いセーター、作ってあげるから。外で着てみな。皆の目をひいて人気者になるよ」
そのとき家の窓から、庭にある柿の身が、例年になく赤くきれいに色づいていたのを覚えている。母は自分に被害が及ばず、台所で胸をほっとなでおろしたそうだ。
その数週間後、姉から渡されたセーターはあまりにも奇抜な代物だった。ふつうデザインって、左右対称とか上下配置とかあると思うのだが姉にはそれがなかった。色使いと言い、デザインとは言えぬ模様と言い、アバンギャルドな画家もここまでは思いつくまいという前衛的なセーターが私の前に現れたのだ。
確かに目はひくだろう。だが、とても恥ずかしくて外に着ていけるような代物ではない。だからと言って「こんなの要らない」と言えば、姉に何をされるか分からない。仕方なく部屋着として着用することにした。
家の中で私が着ていることに気をよくした姉の魔の手は、とうとう母にも及んだ。
「私ね、セーター着ると首がチクチクしてかぶれるからダメなんだ。ごめんね」
母はそんな卑怯な手を使ったが、それで引き下がる姉ではなかった。
「だったらさ、鎖骨が出るようなセクシーなセーターにしてあげるよ」
私は思わずガッツポーズをとった。犠牲者第二号がここに誕生したのだ。母のセーターは私のものをさらに進化させた超アバンギャルドなセーターだった。
「お母さんもさ、これ着て外を歩いたら、きっと若く見られるよ」
四十八歳の小太りのおばさんがこれを着こなして外に出ていくのは無理だ。いや、モデルでも無理だ。下手したらおまわりさんに職質を受けるかもしれない。母も仕方なく部屋着として姉のセーターを着るようになった。
「今、二人の新作、考えているからね。楽しみにしといてよ」
母と私にとって気の重い冬となった。
そんなある日、あのがさつな姉が思わぬ観察眼を有していることに気づかされた。
「ねえ、あんたたち! 私が編んであげたセーター、外で着てないでしょ? なんでよ!」
あわわ、あわわと言い訳を繰り返す母と私に業を煮やした姉は言い放った。
「もういい! あんたたちなんかに金輪際、セーターもパンツも編んでやらないから!」
パンツは編んでもらったことはないが、とにかく私たちは姉のセーターから解放された。しかし、可哀想だったのは、ちょうどそのとき、単身赴任から戻って来た父だった。
私たち用に編んでいたセーターをどうやったのか分からないが、父用のセーターにサイズをリニューアルして、一気に二枚、父の手にセーターを渡したのである。
父親の存在感というものは、このような一家の危機にこそ発揮されるものである。本物の父親か、偽物の父親か、はたまた偉大な父親か、ダメダメな父親か。喜ばしいことに私の父親は本物で、なおかつ偉大な父だった。
「ありがとう! 喜んで着させてもらうよ!」
やさしくておとなしく、真面目で無骨な父をこの日ほど、格好いいと思ったことはない。
年末、我が家は横浜に食事に行くのが恒例となっている。父と母が独身時代、よくデートで使っていた場所らしい。家族で一時間ほど電車に乗り、まずは横浜マリンタワーに登る。中華街で食事をし、大きな肉まんを山下公園で食べ、大桟橋のデッキに寄り、赤レンガ倉庫街を歩く。そんなルートが我が家の年末の恒例行事だった。
しかし、その年はちょっと違った。
臨港パークを歩いていると、コスプレの撮影会が開催されていた。大勢のコスプレイヤーが思い思いにポーズをとり、お互いを撮影し合っているのだ。するとその中の女の子が二人、父に声をかけてきた。
「あのぉ……、すみません」
「は?」
思わぬ事態に声が裏返る父。
「よかったらでいいんですけど、一緒に写真を撮ってもらえませんか?」
聞くと父が着ているセーターのデザインがすごくシュールなのでぜひ一緒に写真を撮らせてほしいと言う。
「それ、どこで売っているんですか?」
「これね、娘が編んでくれたんですよ」
「えー! 信じられなーい! すごーい!」
姉も一緒に入って、コスプレイヤーたちとの記念撮影会が始まった。父と姉は満面の笑みを浮かべて写真におさまっている。すると、他のコスプレイヤーたちも集まってきた。たちまち父と姉は大勢のコスプレイヤーと次々に写真におさまるという思わぬ事態となった。私と母はその光景を見守るしかなかった。
大人になっても姉の編み物は、とどまるところを知らず、デザインは洗練されるどころか、ますます独自の世界を築くようになっていった。
やがて、そんな姉にいい人が現れた。姉は、そのいい人を家に呼びたいと言う。数日後、我が家を訪れたいい人は父以上にいい人で、姉デザインの奇抜なベストをスーツの内側に着こんで我が家にやって来たのである。
「運命の人って、本当にいるんだね」
母と私は、この奇跡に涙を流さんばかりに喜んだ。その席上、姉デザインのセーターを着た父は、両手でいい人の手を握り「娘をよろしく頼んだよ!」と涙ながらに訴えた。これに「はい!」と力強く涙を流して答えたいい人は、こうして姉の夫におさまった。
姉夫婦の新居は夫の仕事の関係で、あまり評判のよくない地区にマンションを借りて住むこととなった。どう評判がよくないかと言うと、ホームレスが多い地区なのである。治安もあまりよくないと聞く。しかし、姉はそんなことには関係なく、夫のためにせっせとセーターを編んでいく。あっという間に百着を超えるセーターを量産し、それはどれひとつとして同じデザインのものはない、ますます奇抜なセーターが、この世に大量に産みだされたのであった。
しかし、運命というものは分からない。
新婚生活が始まって一年たった頃、姉の夫が亡くなった。心筋梗塞だった。悲しみに暮れる姉を心配し、我が家に戻るよう説得したが、姉はなぜか頑として受け付けない。仕事も自分で探し、ホームレスの多い治安の悪い地区のマンションにそのまま住み続けた。
その後、とくに連絡もなく季節は過ぎた。またセーターが必要な寒い時期になり、年末恒例の我が家の横浜参りに姉は参加しなかった。心配になった母と私は、年があけて姉の様子を見に行こうと二人で出かけることにした。
久しぶりに訪れた姉の住む町は、前と変わらずどこかうら寂しく、どこか悲しく、どこか不穏な空気が漂う場所だった。
姉の住むマンションに辿り着く間にも、ホームレスの人と何人かすれ違った。姉は大丈夫なんだろうか、こんな所に住んでいて。とてもじゃないが、私だったら、この光景を見ただけで気分が萎えてしまう。しかも姉は運命の人とも言える夫を亡くし、心寂しく独りで暮らしているのだ。その心中たるやさぞかし、と思ったそのときであった。私と母の目にとんでもない光景が飛び込んできた。
「ねえ、今のホームレスの人、見た?」
「うん、見たよ、母さん」
「なんかセーター、着てたよね」
「うん。あれ、姉ちゃんのだ」
「なんで?なんでホームレスの人が着てるの」
しかもそれだけじゃなかった。姉のマンションに向かう途中、同じように姉デザインのセーターを着たホームレスを数人みかけたのである。中には複数枚のセーターを小脇に抱え、逃げるように走っている人もいる。
母と私はパニックに陥った。
まさか、姉が襲われて家の中のものを奪われたのでは?なんか武器でも持ってマンションに向かうべきではないだろうか?いやいや、まず警察に連絡するのが先だろう!
しかし、そんな私たちの心配は杞憂に終わった。姉は亡夫のためにせっせと編んだセーターをホームレスの人たちに無料で提供していたのである。冬に向かい、寒くなってきた時期、ホームレスの人たちが、とても喜んでくれるんだと姉は言った。
「この町のホームレスの人たち全員に配れるくらいの在庫はあるのよ。どう?面白くない?そのうち、全国のホームレスの人たちに配って、私デザインのセーターで日本中のホームレスの人たちを元気にしてやりたいと思うの。あんたたち、着てくれやしないしね!」
まったく、なんてことを考える人だ!びっくりした。さすがにあんなデザインのセーターを思いつき、誰にも頼まれやしないのに、せっせと量産し続けてきた人なだけはある。
姉の『謎』が一つ解けた。
姉の編み物は単なる趣味などではなく肝の座った姉そのものなのだ。繊細とかがさつとかではないのである。いつまでも編み続けてほしい、なぜかそんなことを思ってしまった。
もちろん、私は着ないけれどね。
感想大歓迎です。初めて書いたもの小説なので、どんな感想でもいいので書いていただけるとありがたいです。