第二話 黒猫と殺人現場 上
「なぁ、知っているかい? 都に通じる路地に切り裂き男が出たんだってさ」
「いやだ、帝都も物騒ねぇ。でもほら、帝都には日向隊と月花隊がいるじゃないの」
「いやいや。あの隊って怪異因子対策専門なんだろ? こういう事件は管轄外でしょ。大体、あの隊はさぁ……」
そんな話をしている帝都市民の横を馬車が一台通り過ぎた。
この国の紋章である鶴と桜が彫られたこの馬車は、帝国守護隊が使っているものだ。そこにホノカとヒノカは乗っていた。
「帝都で堂々と殺人なんて、良くやってくれるよ、ホント」
呆れた口調でヒノカがくしゃりと前髪をかきあげる。すると軍服の襟首につけられた、鶴と桜、そして一つ星の意匠が施された銀の襟章が、馬車の窓から射し込む日差しを反射してキラリと光った。
「ええ、本当に。しかも切り裂き男ですか」
「冗談にしちゃ性質が悪いよね。あーあ、着任早々嫌な名前を聞いたよ」
ヒノカはため息を吐く。その通りだとホノカも頷いた。
切り裂き男とは、数年前に帝都を中心に暗躍していた連続猟奇殺人犯についたあだ名だ。
被害者を大振りのナイフで切り刻むその残忍なやり口から、切り裂き男と呼ばれるようになった。
「どう思う?」
「現場を見てみない事には何とも言えませんが……無い、はずなんですよねぇ」
「そうなんだよねぇ。となると模倣犯か何か……」
双子が話をしていると馬車が停車する。目的の場所――件の事件現場に到着したようだ。
窓から外を確認すると数人の軍人がいて、調査をしているのが見える。
(働き者ですねぇ)
ホノカがそんな事を思いながらヒノカに続いて馬車を降りると、若い軍人が一人駆け寄って来た。歳は自分達と同じくらいだろうか。
彼はホノカ達の前までやって来ると、教本通りの綺麗な敬礼をした。
「御足労頂き、ありがとうございます! 御桜隊長と……ええと、御桜隊長殿ッ!」
「お疲れ様です。一緒の時は一度で大丈夫ですよ。もしくは名前で呼んで頂いて結構です。二人いるとややこしいですよね」
「あ、いえ……はい」
ホノカがそう言うと、軍人の少年がやや顔を赤くする。図星を指されて少々バツが悪かったのだろう。
ふふ、とホノカが微笑んでいるとヒノカもにっこりと笑った。
「ちょうど道中だったからね。気にしないで気にしないで。現場、整えてくれていてありがとうね。ええと、君は……」
「ハイッ! 阿良々木セイジ銅壱星でありますッ!」
銅壱星と言うと、有事の際には小隊長を任される階級だ。
(お若いのにずいぶん出世なさっていますね)
……何てホノカは感心したが言葉にはしなかった。同年代で、阿良々木の階級よりも三つ上である自分が褒めれば、さすがに嫌味に聞こえるだろうから。実際に何も言わなくても似たような事を言われた事があるので、こういう時は黙っているのが得策である。
そもそも自分達の階級の高さは帝国守護隊でも異例なので、コツコツと昇進している彼の方がずっとすごいし安定しているのだが。
ホノカとヒノカが銀壱星という階級であるのは、能力と合わせて怪異因子討伐の功労賞的な意味合いが強い。二人は異動で各地を転々としながら怪異因子をずっと討伐し続けて来たのだ。
怪異因子は基本的には帝都を中心に出現する。その理由の一つが人が抱く情念だ。帝都は人が多く集まるため、そういうものが渦巻きやすい。だからこそ帝都での出現数は比較にならないほど多い。
だが、もちろん他の場所でも怪異因子による被害は起きていた。
帝都は日向隊と月花隊が守っているが、地方には怪異因子専門の隊は常駐していない。だからこそ帝国守護隊は、討伐班を編成して各地に派遣しているのだ。
ホノカとヒノカはその討伐班の一つに参加していた。そして担当地域と、要請があって出動した地域で出現したここ数年の怪異因子のほぼすべてを、二人が中心となって討伐している。
本人達のやる気の高さもそうだが、討伐の迅速さと的確な対処を評価されて仕事を振られていた、というのが正しいのかもしれない。その事があって異例の速さで銀壱星まで上る事が出来たのだ。
もっとも指揮系統のあれこれは叩き込まれただけで経験が浅いので、銀壱星に任される連隊長規模の指揮は難しいのだが。
――まぁ、そんな事情であるのと、また年齢によるあれこれはデリケートで面倒な問題なので、必要がなければ触れない方が良いとホノカは思っている。
実際に異様な勢いで昇進したため、やっかみや嫌がらせもそこそこ受けているのだ。面倒事が起きそうな話題については避けるべきである。
なのでホノカはヒノカと共ににこりと笑って「よろしくね」と言うだけに留めておいた。
「阿良々木君。それじゃ、今回の事件について分かっている事を聞いても良いかな」
「一応、到着前にざっと報告を聞きましたが、確認のためにもお願いします」
「はい。今朝早く、帝都港に通じている路地で、女性の惨殺死体が発見されました。死因は刃物によるおびただしい数の刺し傷での失血死。凶器はまだ見つかっておりません」
「なるほど。目撃者については?」
「ええと、いるには、いるんですが……」
ホノカが聞くと阿良々木は言い難そうにとある方向を指さした。
「目撃者というか、目撃猫というか。その、猫が一匹です」
「うん?」
「猫です」
「猫」
彼の指の先を追っていくと、シートが被せられた遺体の近くに、綺麗な黒猫が一匹ちょこんと座っていた。首には青いリボンが結ばれている。
誰かの飼い猫だろうかとホノカが考えていると、黒猫がこちらへ顔を向けて「にゃあ」とひと鳴きした。