ジェネレーションギャップ
「はい、友だちをたすけたゾウさんのほうがただしいです!」
「そのとおり、正解です」
十数年前のブレインの登場以来、道徳の授業は大きく様相を変えた。良いとか悪いとかそういうことではなく、ただ事実として変わった。明確に正解が定められたのだ。そして、その結果なのかは定かではないが最近の子供たちは皆いい子だ。小学生にしてすでに分別があり聞き分けがいい。自分たちの時代なんて高校生になっても分別のないやつらのほうが多かった。もっとも俺だって例外じゃない。間違いなく授業に出ていた時間よりもドラムを叩いていた時間のほうが長かった。バンド活動は大学進学とともにやめたが、音楽の趣味はあの頃から変わっていない。
なにはともあれ教える側も教えられる側も楽になったことは間違いない。あらゆることに正解があるってことはそれだけで人間の悩みを大きく減らす――というかなくす。小さいころから正解を知っている彼らは将来、幸せに生きていけるだろう。
そんなことを考えているうちに授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。今日も想定してた段取り通りに授業は進行し、完璧に時間通りに授業を終えた。
翌日、教室で飼っていたメダカが死んだ。
朝教室に入ると今日の餌やり当番だった子が嗚咽を上げて泣いてた。その子は朝学活が始まる頃になっても泣き止まず、その朝学活で皆にメダカが死んだことを伝えると当番の子と同じように皆泣き出した。文字通りの皆、つまり全員が泣き出したのだ。
こういうとき、ふと疎外感を感じることがある。親戚の集まりで甥や姪達が今の流行について話しているときのような、そんな疎外感を。
「――皆、悲しいか?」
何でそんなことを言ったのか自分でも分からない。どうせ返ってくるのはただの正解なのだから。
「――はい、かなしいのがせいかいです」
いつもは誰よりも元気な子が肩を震わせ、俯きながらそう答えた。その間も涙は頬を伝い地面を濡らす。もちろんそれは演技なんかではない。
そして、もちろん驚きはない。なぜならそれは自分が教えた正解なのだから。
ただ、この子たちとは音楽の趣味が合わなそうだというただ、それだけの話だ。




