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『……タ。アラタ!』
「……う、……」
全身が痺れていて、目も耳もうまく働かない。ほとんどメムのサポートに任せる形でどうにか発動させた微弱な治癒術で、ようやく体が少しだけ動く。
(どう、なって……)
『生命反応を観測。アイン、ラメド、ベートの蘇生を確認。シ……敵性体の反応も依然あります!』
ベートの大黒雷でこちらのパーティは全滅したものの、一応蘇生が叶ったらしい。治癒士の新自身が致死のダメージを受ける状況下で蘇生できるかは賭けだったが、これも宝器の──いや、星径の力のおかげなのだろう。
(魔王、が、まだ……生きて……)
ぼやけた視界を無理矢理凝らせば、眩しい明るさの中に巨大な影がある。
やがてものの輪郭が徐々に戻ってきて確かめた魔王の姿は、角が折れ、翼は焼け落ち、腕も尾も半ばから失ってただそこに静止していた。端々から黒い煤が靄のように舞い、魔物としてのからだが消え始めている。
玉座の間のおよそ半分が階下ごと消失し、壁面だった場所は大きく崩れ、黄昏の空が一面に広がっていた。その鮮烈に眩しくあたたかい光を、魔王は──シンは焼け残ったひとつきりの目でひたすらに見ている。足元に倒れ伏している藍川には、気づいてもいないようだった。
「……ホ……ド…………」
どす黒い血の塊と共に、辿々しくふたつの音が零れる。地下聖堂の時と同じに、たったそれだけの短い響きに、どうしようもないほどの哀惜と羨望と、届かない祈りが込められていた。その声を聞けばもう、戦う力も、戦意も残っていないのだと分かってしまう。
『〈復活〉の兆候はありません。……今のうちに、止めを』
新のからだからなけなしの魔力を絞りきって、ベートとラメドに向かって治癒術が発動する。
「っメム!」
これまでにも新を補助するためにメムにからだを動かされることはあったし、立っているのもやっとなふたりを回復してやりたい気持ちももちろんある。だが、それがシンにすぐさま止めを刺すためというなら。
『この者はもう〈審判〉の星径とは認められません。……消えたとて、双星のアラタの星辰に影響することも、最早ないでしょう。ですから筐体と……星辰の、完全な破壊、を……』
冷静さを纏っていたメムの声が、言葉を重ねるごとに細く揺れる。
「……待って!」
宝器を構えるラメドとベートのふたりへ、とにかく一度止まってほしくて急いで声をかける。腹に力が入らずに弱々しい声になったが、痛むほど静まり返った玉座の間では正しく届いた。
「ちょっとだけ、待って。……何も変わらないかも、意味ないかもしれないけど、……」
「……あまり時間はないよ。何もせずとも、もうシンの筐体は煤に変じ始めている。筐体がなくなれば星辰も消え、星核は空に還る──シンの方は、どうなるか分からない」
元々白い顔を蒼白にさせたベートが、それでもいつもの余裕めいた笑みをつくって新を緩く手招く。
「貴方の思う通りに」
ラメドも矢を番えた弓をやや下げて、待つ姿勢を見せてくれた。重いからだを引きずり上げて、シンの元へ歩いていく。
(……シンは〈審判〉の星であることを否定した、ってメムは言ったけど。〈復活〉も〈位置の変化〉も、星径の力をシンは使わなかったけど。──俺は、使えた)
治癒士が死んだ場合、蘇生の術は発動しない。一度に複数の人間を蘇らせることもできない。この世界で不可能であるはずのそれらを可能にしたのは、間違いなく星径の力だ。
(俺が〈審判〉の星であることまでは否定されたわけじゃない。……俺が本当に、〈審判〉の星径として。──シンの星を裁くために生まれたんだと、したら)
自分にも押しつけられた定めとやらがあるのなら。使えるものは何だって使って、自分の望むように、変えていけばいい。環境も自分も、変えていいし変わっていいのだと、この旅が教えてくれた。
一歩ずつ足を前に動かすごと、黄昏の光の中に踏み込んでいくごと、からだに力が戻ってくるようだった。恐れて忌避するばかりだった色に、今は支えられているように思う。もしかしたら、この世界で死ねない、死にたくないと思ったあの黄昏の時もそうだったのかもしれない。……そもそも、今と同じに力強く美しい光が、死を運ぶものであるはずがなかったのだ。
(きっと黄昏は、助けたいと思ってくれてる。俺も、シンも。それを知ったから、もう怖くない)
シンの、一回り小さくなった、それでも巨大なからだを後ろから見上げる。焼け爛れたからだはどこも痛そうで、迷った末にぞろ長く垂れ下がった灰髪を掴んだ。
「聞けよ、シン。……死んで星が消えて終わりなんて、間違ってる。だって、俺が困る。〈審判〉の星径をいきなり任されたって、困る。──だから。俺とシン、ふたりで〈審判〉をやればいいんだ!」
言葉を重ねていくうち、ふつふつと湧き上がるものがあった。藍川にぶつけても足りなかった怒りと戸惑いと、新しい形の未来への展望と。
シンには新という星を生み出した責任があるのだ。それも果たさずに勝手に消えられては困る。
叫び終わった瞬間から、胸の内側がかあっと熱くなるのを感じる。橙の光が、星が、からだの中で強く光って、目の前のシンと共鳴している。
「……〈正義〉の星径、ラメドもその審判の正当性を認めます。ここにいるアラタは、まだ生まれたばかりであっても、正しく〈審判〉の定めを担うに相応しい星です」
ラメドの声が背後から聞こえて、右肩に柔らかく触れられる。支えられていると、重みと温度からも伝わってくる。背中にはベートの手のひらがそっと添えられる感触があった。
「──ねえ、シン。星冠の継承は避けえぬ星の巡りだ。星もいつかは終わる。その時が来たなら、終わらせてあげるべきなんだ。……でもね。望みがあるのなら、変えたいものがあるのなら、言ってごらん。キミの足掻きで、こんなに眩しい新たな星が生まれてしまったんだ。定めとは、ただ諦めて受け入れるばかりのものでもないかもしれないと、今更に思うんだよ」
「…………」
シンの頸がぎこちなく動いて、新を見下ろしてくる。初めてシンが正しく“真並新”を見てくるのへ、新も黄昏の瞳を強く見返す。
「……観測都市に帰って、ホドに会って、言おう。行かないでほしいんだって。まだ、一緒にいてほしいって。言ったって、願ったって、叶わないことなんかいっぱいあるけど。言わなきゃ、願わなきゃ、始まらないんだよ」
そうだろ、メム。動向を見守っている相手へも声をかければ、はっと息を呑む音がした。
『……っシン、……帰ってきて、ください。私たちの〈栄光〉の星の、元へ。──それがホドの、“願い”です……!』
涙混じりだろうその声はひどく小さく、音として空気を震わせたわけでもなかったが、観測者の星辰には明瞭に聞こえた。シンにも確かに届いたことが、見開かれた目から伝わってくる。
「──…………ゆる、される、なら……」
長いような短いような沈黙の後、もう一度黄昏を見遣って、牙の並ぶ大きな口が不器用に言葉を紡ぎ始める。
「……許されず、とも。ただ、その時まで、かの星と、あの光と、共に──」
焼けて縮こまった指が、いまだ見えぬ星に向かって伸ばされる側から煤となって崩れ去る。ひとつきりの目から、血と、それを洗い流す透明な雫が溢れ出した。赤く昏く濁ってしまっていた黄昏が、澄んだ空の色を映して、かつての輝きを取り戻していく。
「……誰よりも許さねえのは、お前自身だろ……」
聖剣に縋るようにして無理やり体を起こしながら、意識が戻ったらしい藍川が呻いた。
「魔王の星辰から、シンの星辰を強制的に切り離す。……星辰も星核も、形を変えたものは元には戻らない。元の〈審判〉にはもう二度と、戻れない。だが、それでいいんだろうよ……」
「…………」
シンは凪いだ目で藍川を見、藍川は複雑な色を浮かべた金の瞳を眇めて視線を交わした。
「お前は変わる。変われる。……〈栄光〉を継げない、継がなくていいものに」
よろめきながらようやくのことで立ち上がった藍川は、ひどく不恰好に笑ってみせた。
「悪かった、シン。──オレのことも、許さなくていい」
黄昏を映した聖剣が、受け入れるように無防備に晒された魔王の心臓を深く貫く。魔王のからだ──元は観測都市のシンの筐体であったものは、今度こそすべて煤になって風に消えた。最後に残った瞳、小さな黄昏色の欠片を、藍川の手がそっと受け止める。
「……はは。オレの干渉で星辰を縛ってた〈悪魔〉の〈宿命〉の部分も一緒に捨てたら、こんだけになっちまったな……」
でも混ざりっ気なしの黄昏だ。囁いて、星核の欠片を空に透かす。力が抜けたのか、がらんと聖剣が床に落ちた。
『シンの星辰を、ごく一部ですが確認できました。──接続の解除……観測都市への送還が可能です』
メムの声と共に、黄昏の星は空に溶けていく。星辰はようやく観測都市へ帰り、星核の欠片も空へ還った。いつか再びこの創世世界に降って、新たな連星に宿るのだろう。
「これで終わり……だよな?」
いまいち実感が持てないまま藍川を振り返れば、何故か気まずそうに顔を逸らされた。
「観測者としては、な。……悪ィけど、オレは一足先に帰るわ。星辰が限界で、接続を保てねえんだ。今解除しちまうとまずそうなんだが、筐体、頼、んだ」
「は……」
藍川のからだが大きく揺れて、後ろに傾く。外壁のない、暮れなずむ空へと。
「藍川!?」
投げ出された腕を間一髪掴めたのに、振り払われた。その口元に腹の立つ見慣れた薄ら笑いはなく、怒りや憎しみ、激情を湛えた金の瞳が苦しげに歪んで。
「……終わった、んだろ」
(藍川……じゃ、ない)
「……アイン!!」
アインが死にたがっているのだと理解した瞬間、かっと頭に血が上った。瞬きの後には、藍色に染まり始めた空と落ちてくるアインを“見上げて”いる。
(〈位置の変化〉、できた、けど……!)
風の音がうるさくて、胃がひっくり返りそうな落下感が気持ち悪い。どうにか伸ばした指先が何かに引っかかる。──アインの手首に嵌められた錫の腕輪を、がむしゃらに手繰り寄せる。
「ッ死ぬな、……生きろよ、バカ!!」
もう一度、〈位置の変化〉を。まぐれではなく、偶然でもなく、自分の意志と力で。──今はまだ足りない分は、助けを。
(メム、ホド、……シン! 力を……!)
目の端に映る、残照の橙に祈る。
ダァン!と背中を強かに打ちつけて、更に上からかなりの重みにも押し潰されて、息が押し出される。
「……っだ!」
痛い。痛いが、──生きている。子どもの頃に、公園の遊具に足を引っ掛けてひっくり返った時の痛みを思い出した。
『再度の〈位置の変化〉に成功しました。しかし地表からやや離れていたようです……大丈夫ですか、アラタ』
心配げな声のメムが治癒術を発動させてくれたが、魔力は既にすっからかんのため気休め程度にしかならなかった。
それでも気力は多少戻ってきたので、上に乗っかったまま気を失っているアインの体を四苦八苦して退ける。
(アインが死のうとしたことにも驚いたけど。まさか俺が、“こいつ”を助けて……死ぬなって言うなんて、なあ)
藍川には、地球でもこの創世世界でも、記憶にない間もずっと助けられてきた。
そしてアインにもまた、何度も助けられ、願われてきた。燃え盛る村の中で、黄昏の城で、あたたかい森の中で、赤い地下聖堂で。
二の腕に嵌めた金の腕輪をそっとなぞる。
(……死なせないようにするのって、すげー疲れるんだ……。心臓まだバクバクしてる)
深々と吸った息を全部ゆっくり吐き切っても少しも落ち着かない。
(死にたいって思ってる相手に、生きててほしいって思うのも、エゴなんだよな……)
それでも、アインにはどうしても死んでほしくない。生きていてほしい。




