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観測都市 死にたがりの観測者  作者: 笹木夕
4章 死にたがりの観測者
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 もう少し飲むと言うベートとラメドを食堂に残し、新も藍川からしばし遅れて宿に引き上げた。

 頭や肩に積もってしまった雪を払ってから入口を潜れば、外は寒かったでしょう、と宿の女将が湯気の立つ木のコップを差し出してくれる。とりあえずで受け取ったそれは、酒精のない果実酒──ノンアルコールのホットワインだという。

(美味しそう……だけど俺、お酒は飲んだことないしまだ飲みたくないんだよな。ノンアルコールって言うなら大丈夫かな?)

 ちょっと心配になってメムに確認すれば、すぐに応えが返る。

『街中でも同様の飲料が販売されていたことを観測済みです。幼い子供たちも飲んでいました』

(おお、さすが。じゃあ飲んでみよう)

 吹いて冷ましてから少しだけ含んでみれば、甘くて美味しい。遅れてスパイスの複雑な味と香りがふわりと広がる。黒に近い赤や紫のベリーがころころと浮き沈みしていて可愛らしい見た目だが、思った以上に大人っぽい味わいだった。

 喉と腹に落ちていく温かさを感じながら、何となく窓の外に視線を向けた。夜が更けても昼と変わらずに雪がちらついている。これぐらいの雪なら綺麗って思えるのになあ、と雪山での苦労を薄ら思い返していたところで、夜闇の中にぼうと浮かぶ金いろを見つけた。

(え、あれ、藍川……?)

 宿の裏手に置かれた木の長椅子に、金髪の後ろ頭が見えている。

(雪の中で何やってんだバカ……って、星径なら寒くないようにできるんだっけ)

 特殊な環境下でも一般人よりは強い、けれど影響がないわけではない、とメムとベートに教わったことがぐるぐると頭を回る。そしてあれは藍川だと分かっているはずなのに、後ろ姿だからだろうか、どこかアインのようにも思えてしまう。

 ──何だか放っておいてはいけないような気がするのは、きっとそのせいだ。

(……メム、これのおかわりっていくらぐらい?)

『銅貨五枚、もしくは多少色をつけて小銀貨一枚ほどかと』

(そうだな、小銀貨にしとこうかな)

 実は創世世界で、新がお金を使うのはこれが初めてだ。

 ゲームの通貨と同じく、創世世界では三国共通で金銀銅の三種の硬貨が使われている。金貨と銀貨には大小の区別があり、大は小の三倍だ。銅貨一枚で林檎やパンがひとつ買えるので、新はざっくりと百円で考えることにしている。

 銅貨十枚で銀貨一枚、銀貨と金貨も同様。つまり百円と千円と一万円、ついでに三千円と三万円の硬貨があるということだ。

 これまで財布はラメドに預けっぱなしで進んできたが、一応小遣いとして、日本円では三万円弱を持たされている。高校生の新の感覚としてはかなり多いが、ジェネシスプレイヤーとしてはとても心許ない額という微妙なところだった。ちなみに今新が着ている装備は大金貨三千枚超で、……日本円には直したくない。

 女将に小銀貨を渡して、外で飲んでもいいかと訊いたら、ふたつのコップに入れて渡された。外のお客さんにも持っていってあげてと言うから、藍川のことを気にしていたらしい。

 雪かきされた後の道にまた分厚く積もる新雪を踏みしめ、宿の裏手の長椅子に向かう。夜の静寂にさくさくと足音が響いて、聞こえたらしい藍川は大きく仰いて逆さまにこちらを見る。

「最終タウンの夜会話、ってか?」

 ヤダー攻略されちゃうー、と気色の悪い裏声で言って身震いしてみせた。

「それジェネシスじゃねーし」

 正面に回り、ホットワインのコップを押しつける。声も表情もいつもの軽薄なものだが、吐く息に白さは既になく、逆に顔色は紙のように白かった。急いで藍川に初級の治癒術をかけて、ついでに自分にも使っておく。

「あのさ、そのからだはアインのものなんだぞ。大事にしろよ」

「……あー、うん……」

 勝手にからだを借りている立場で、無理を強いたのは新にも心当たりがありすぎるのだが、言わずにはおれなかった。立ったままで見下ろした藍川は、生返事をして気怠げにゆっくり瞬く。

「……ようやく、シンに会えるからか?」

 星辰(本体)の方は面の皮も心臓も鋼鉄でできているような男が、まさか緊張しているということもないだろうが、一応訊いてみた。

「それもあるっちゃあるけどなー……」

 寒冷地仕様のグローブに覆われた左手をゆるく握ったりひらいたりしている。手首にはめられた銀のバングルが鈍く光るのに目をとられているうち、藍川が低く呟く。

「……気をつけろよ。アイツの死にたがりは筋金入りだ。自分自身だけじゃない、“シン”そのものを消したがってる。今のアイツにとっちゃお前も自分の派生みてーなモンだから、お前も含めて、ってことだ」

「気をつけるって言ったって、何をどう……」

「お前は“シン”じゃない。“新”自身を、お前がどうありたいかを、見失うな」

 見上げてくる目の金いろの濃さにはっと息を飲む。こちらの動揺を知ってか知らずか、藍川は「エラそうに言えた側でもねーけど」と視線を外した。

「ま、行ってみてやってみないことには何とも言えねーよな」

「……行き当たりばったりかよ」

「臨機応変、ってな」

 言っておどけた表情で肩を竦め、ホットワインを音を立てて啜る。普段なら行儀が悪いと嗜めるところだが、今はいつもの軽さに戻った空気への安堵が勝った。

「んだよ、コレ酒じゃないじゃん」

シン()アイン(お前)も未成年」

「おカタイことで。……美味いな。飲んだことない味だ……スパイスか?」

『雪山で観測した植物の種子を乾燥させたものが入っています。この国で愛好されている香辛料の一種のようです』

「……へえ」

 メムの解説を受けて、その横顔は目を細めて柔く笑う。今もまた、藍川であるはずがアインが重なって見えた気がした。

「悪くない。──よく眠れそうだ」

 コップを空にして、軽く勢いをつけて立ち上がった。慌てて数歩下がった新を笑い、お前も早く寝ろよ、と言い残してさっさと通用口を潜っていく。

(……もしかして、あんま眠れてない、とか? 藍川が……?)

 思えば、新はずっと自分のことだけで手一杯だった。地球の日本でも、創世世界でも、観測都市でも。藍川のことも、アインのことも、幼馴染や友人として気遣うどころか、気遣われて守られてばかりいた。

(……すごい今更だし、俺なんかが、っていう気持ちもあるけど……)

 もっと、何か、と曖昧ながらも焦りを感じ始めたところで。

『──ですが、アラタ。あなたは過去においても現時点でも、第一に自身の心配をすべきです。あなたとあの者の輝度は、比べる意味もないほど差があるのですから』

 メムがいつもの冷静な声で言って、『さあ、早く寝室へ』と今最も優先するべきことを指示してくれる。

(焦ったって、もどかしくたって。自分の面倒も見きれてないのに、誰かを助けられるわけない)

「……そうする」

 ホットワインの残りを飲み干しながら、ようやく建物の中に戻る。甘さの中の渋みが舌を刺す。けれどからだは確かに温まって、今度は眠気がひたひたと押し寄せてきた。

(そうだった、今日は雪山行ったし大魔も倒したんじゃん……まあ、やったのは俺じゃないけど。でも移動だけでもめちゃくちゃ疲れたよな……)

 疲労を一度自覚すれば、元気に動いていた先程までが嘘のように眠たい。部屋に戻ってベッドに横になった瞬間、からだも意識も泥のように沈み込んでいった。


 そうして朝まで爆睡して、翌日。街中の転移陣から雪山山頂へ飛び、更にそこから東の果てへと飛ぶ。

(ここが“東の荒地”と“果ての魔王城”……)

 眼前には灰色に石化した森が陰鬱に広がり、その奥に城が影のように浮かび上がっている。巨大な円柱がいくつも並ぶ神殿めいた外観は光国の城と同じ形をしていて、けれど色を消し去った薄寒い灰銀の城だった。

 ゲームではグラフィックの流用だ、手抜きだと言われたりもしていたが、“シンの心に焼きついた記憶の城”なのだと言われている。ホドを象徴する黄昏の色を失っても影を追わずにはいられなかったのだろうと、今の新にはよく分かった。

「さて、あちらさんにも侵入が伝わったようだ」

 ベートの言葉と同時に、ざわりと辺りの空気が揺らめいた。藍川が前に出て、ラメドとベートも新を挟んで戦闘態勢を取る。

 木々の影が一際濃くなって、人型が次々と起き上がる。影のみで形作られたあやふやな輪郭でも、長髪の背の高い男性体だと分かった。シン自身──いや、ホドを模しているのだろう。「うげえ」と藍川がこちらのやる気まで削ぐようなため息をついた。十体ほどに増えた影は新の予想よりも機敏な動きでこちらに襲いかかってくる。

 藍川の聖剣とラメドの弓が影の頭部や胸部を薙ぎ払えば魔物と同じように煤になって消えたが、すぐに無数の木々の影が同様に蠢き出している。

「これ無限湧きだろ」

「切りがなさそうです。……影とはいえ、破壊し続ければホドの星辰にも障りがあるかもしれません」

 ラメドは話す間にも魔力で生成した矢を放ち続けているが、少しも数が減ったようには見えない。

『敵性反応、魔力反応共に増加。──付近一帯の樹木内部に観測者シンの星辰の反応が微かに見られます』

「まったく健気なことだ。僅かでも輝度を上げようと、この森を創り上げたんだね」

 ベートが苦い声で言って、魔力を練り始める。ラメドが射抜き、藍川が斬り払っても、灰色の影は後からあとから起き上がり続けてくる。

「こんなんで輝度が上がるのも下がるのもバカらしいんだよ」

 藍川はずっとうんざり顔だが、

「いや、地球のゲーム使って云々なんてアイデアも相当アレだと思うぞ……」

 後方でやることのない新はつい突っ込んでしまった。

「アインはね、シンのホド大好きっぷりが目に見えてしまって面白くないんだよ。……〈栄光〉のところには悪いが、纏めて焼き払ってしまおう」

「あの、それって……!?」

 ベートの言葉に慌てて盾を設置したが、それを突き破る勢いで炎が爆発した。二枚め、三枚目の盾を続けて張り、壊れる前に全力で魔力を注ぎ込んで強化する。

 爆発音は段々と遠ざかっていき、小一時間ほどで森はすっかり更地になった。辺り一帯、皹割れから赤い炎がちらつく地獄のような光景になってしまったが、やった本人は涼しい顔のままなのだからまったく恐ろしい。

「これで視界は開けたけれど……」

『距離の正確な計測ができません。対象建造物の座標が変動し続けています』

「シンの〈位置の変化〉だな」

「あーなるほど、そのスキルで動き続けるラストダンジョンができるってわけだ……ダメじゃん」

 位置の変化、という言葉からワープ的なものばかりをイメージしていたが、こんな風にも使えたのかと感心して、それからがくりと肩を落とす。

「幸いなことに、ここにはキミがいる」

 しかしその肩を後ろから強い力で掴まれた。ぎぎぎと振り返れば、ベートがにっこりと美しい笑みを浮かべている。

「目的地はあそこだ、あそこにいる我々を想起してごらん」

 と、随分遠くに霞んで見える城の上方、かろうじてバルコニーっぽいものが見える辺りを示した。

「えっ俺!? 俺にもやれって!? 無理無理! そもそも治癒士のスキルにテレポートなんてないし!」

 現実ではもちろんのこと、ジェネシスのゲーム内ですら個人でのテレポートなんて想像は……できたらよかったのになー、という願望でしかしたことがない。

 シンと同じこと、同じ力を新に求められても困るのだ。

「あの城は目に見えているだけで、足では永遠に辿り着けない。──〈位置の変化〉は、シンが未だ行使できるなら、キミにも当然使えるべきなんだ。自分が使えないのはおかしい、使わせろ、ぐらい思えばいい」

「そんな、急に言われても……」

 ベートが軽い調子で言ってくれるが、突然振られた重大な役割への戸惑いが強い。

「……お前が気づいてないだけで、本当は使えてんだ。それも二回」

 藍川が面倒そうに頭を掻きながら言う。

「嘘だろ」

「嘘じゃねえ。炎狼戦、突進を避けた時に一回。二回目は地竜戦で、“アイン”の前で盾張った時」

 言われてみれば、どちらも“奇跡的に”躱せたり、“何故か”間に合った、というような記憶があるが。

『……該当記録では、私も微量な星径の力を確認しています』

「……! ……でも、それは……」

 メムまでそう言うのなら、それは確かな事実なのだろう。けれど意図してできたものではないし、今また再現できるとも思えない。

「火事場の馬鹿力ってヤツだって分かってる。けど、お前には〈審判〉の星径の力が、〈位置の変化〉が使えるんだって、とりあえずでいいからいっぺん受け入れちまえ。……お前がシンだからじゃない。シンとは違う(お前)にも使える、使っていい力だ」

「できないかもしれない、などと考える必要はありませんよ、アラタ。貴方の星辰の成り立ち、星核に紐付けられた、生まれ持った力です。貴方が行使できる“権利”でもあるのです。使い方は星辰が知っています」

 くっきりと力強く教え導くラメドの言葉に僅かばかり勇気づけられて、メムの『目を閉じ、視覚情報を遮断してください』という穏やかな声に従う。

『蘇生術を覚えた時と同じです。自分の内側の、星辰を満たす光を思い浮かべてください』

 あたたかな橙の光。前よりもずっと近く、強く、慕わしく感じる。この光が内側にあることはもう知っている。否定できない──したくない。

「さあ、目を開けて。前を見て。ただ願ってごらん。キミと我々は、あの露台に行ける。そこにいるべきなんだ」

(あそこに。あのバルコニーに、行きたい。シンのいる場所。シンがつくった城。──この力なら、この光なら、俺にも“行ける”んだ)

 そうであるべきで、それがただしい在り方なのだと、ごく自然に感じた。

 橙の光が足元からぶわりと巻き上がって、風が動く。次に見下ろした足元は土から石に変わっている。見回せば空がぐっと近くにあって、石造の壁があって、そこにいた藍川がひとつ頷く。

「ほんとに、できた……」

「よしよし、よくできた」

 ベートに頭をぽんと撫でられる。

「観測者としての認識を急がせる形になってしまってすまない。でも、本当に受け入れるのはゆっくりでいいよ。飲み込み切れない塊は何回だって取り出して、少しずつ噛み砕いていけばいいのさ」

 衝動をぶつけたくなったら、そこの愚か者が付き合ってくれるだろう。ベートが笑い含みに言って、杖で藍川の腹を突っつく。藍川は顔を逸らした。

 新はゆるゆると自分の手を見下ろす。

 見慣れた地球の自分の手と変わらないように見えても、新には見知らぬ傷跡があって少年シンの記憶はそれをはっきり覚えている。

 新は今、少年シンの筐体というからだを借りている。星辰と呼ばれる魂のようなもので、それに接続していること。そして星核という魂の入れ物があって、観測者シンから分けられたものであること。

 ゲームのようには進まなかった物語と、グラフィックでは描かれていなかった建物や路地裏の街並み、そこで見た人々の生活に、美味しい食事に、あたたかい飲み物。

 ──それらすべてが、新が“観測者”だったからこそ知って、出会ったものたちだ。

(ゲームじゃない。ジェネシスじゃない。──今ここにいる俺は、地球の、日本人の、高校生の真並新、だけじゃない。観測都市の観測者シンの、分けられた星、なんだ。……本当に)

 真並新には到底不可能であるはずのことが、ベートたちにとっては“当たり前にできること”だと信じられていて。それが本当にできたことを嬉しく思った。嬉しく思ったことに、気がついた。

 自分を取り巻く状況に流されるばかりで、どう受け止めていいか分からないと思っていたけれど。

(俺、“変化”ってぜんぶ苦手だと思ってた。でもこんなにあっさり“変わってた”ことがあって、それを嬉しいって思ったりすることも、あるんだ)

 望んでも望まなくとも、変化するものがある。そういうものだと、ただ受け入れてみることから始めていけばいい。

(シンも、変わりたくなかったんだよな。自分にもホドにも、変わってほしくなかった。……でも、星だって、不変じゃないんだって……)

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