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峻国に戻って昼食と買い物を済ませ、最寄りの転移陣から理国へ入った。
理国はこの大陸の三国の中で最北に位置する万年雪が降っている国だ。RPGにはたいていひとつはそういう常冬の街設定があったりする。深い雪に覆われた美しい街ということは、もちろんよく覚えていたのだが。
「……さっっっっっぶ!!」
転移した瞬間から、がくっと下がった周辺気温の落差に驚いて新は思わず叫んでしまった。ここはまだ屋内で、なおかつ峻国で買い込んできた毛皮の分厚い外套と帽子、手袋とブーツで完全防寒しているはずなのに、冷気が容赦なく突き抜けてくる。光国も峻国も温暖でからっと乾いていて過ごしやすい気候だったので、余計にからだがびっくりしているようだ。
(藍川とラメドは……そんなに寒そうでもないな?)
ふたりはさっさと転移陣を出て、入国管理官に光王と峻王の印が入った証書を見せて話を通している。寒さに堪えているような様子はかけらも窺えない。筋肉量と着込んでいる鎧の差だろうか。
『それもありますが、筐体の保持には、少なからず星辰の輝度の高さも影響してきます。輝度が高いほど、筐体の状態を良好なまま保ちやすくなります』
(輝度が高くて星辰が元気だと、からだも元気でいられる、って感じ?)
メムの解説を大雑把に纏めれば、『そのようなものです』と返ってくる。
(マジか……じゃあこんなに寒いの俺だけなんだ……)
からだの芯からますます寒気が這い上がってきて、盛大なくしゃみをした。
「ほれ、行くぞー」
「へーい……」
藍川に手招きされ、峻国と理国を繋ぐ転移陣が設置されていた部屋を出れば、建築様式ががらりと変わって理国のものになる。
あたたかみのある橙の煉瓦が多く使われていた光国、朱塗りの木造建築が印象的だった峻国とはまた違って、繊細な飾り彫が施された黒い艶のある石が扉や階段、手摺などにふんだんに使われている。壁も黒か白、灰の無彩色が多く、硬質で落ち着いた雰囲気だ。
「や、理国へようこそ」
大きな窓に切り取られた白銀の雪景色を背に、黒い人影が佇んでいた。低めのアルトが軽い調子で言って、すいと片手を上げてみせる。その動きに合わせて鴉の濡羽色が顎先で揺れた。厚手の防寒着を身につけていても分かる、すんなりと長く伸びた手足。
「遠路遥々のお越し、恐悦至極。キミたちは一応、王城で勇者としてもてなされる権利もあるんだけれど。我が女王は『互いに限りある時を有効活用しましょう』と仰せだ。面倒なことは抜きにしようじゃないか」
(……このひと、がベートなら、観測者が接続してるんだよな……?)
芝居がかった言い回しはゲームキャラクターそのもののようで、台詞も非常によく似ていたのでついメムに確認してしまう。
「お前が面倒なことにしてんじゃねーか。連星ぶってんじゃねー」
藍川が手近なソファにどっかりと腰掛けながら鼻で笑って、「コイツの言動は普段からこんなもんだ」と言う。
「キミは普段よりまともそうに見えるね、アイン。ラメドもメムも久しぶりだ。各人、健勝そうで何より」
「お久しぶりです、ベート。貴方も相変わらずのようで」
ラメドの挨拶には長手袋に隠された手をひらめかせて返し、新とラメドへソファに掛けるように促してくる。自身は一人がけのソファに座り、腿まである黒い長靴を履いた足を悠々と組んだ。
「新人クンには初めまして。名はベート。観測都市では〈魔術士〉の星を預かっている。ここでは宝器の聖杖担当だ」
赤い唇をつい、と上げてみせるのにつれて、口元の泣きぼくろも動く。
「あ、は、……はじめ、まして」
ゲームでも年齢性別不詳のミステリアスキャラが売りだったが、こうして生身の人間として対面してみてもなんだか生活感がなさそうというか、人間味が薄く感じられる。性別も年齢も、間近で見ているのに印象が定まらない。
「よろしく、異邦で生まれ育ったかそけき星」
右手を差し出されて、握手と思って握り返そうとした手に額を押し当てられた。さらりと流れた切り揃えられた前髪と、顕わになった白い額に心臓がばぐんと跳ねる。舞台役者じみた立居振る舞いも相まって、男装の麗人っぽいというか、まるで母が観ていた舞台の王子様のようだ。
「へ、わ、」
「まったく、シンとアインのおいたのせいで、随分と数奇に生まれついてしまったものだ」
おお可哀想に、とわざとらしくつかれたため息に、藍川が舌打ちする。それに我に返って、掴まれたままでいた右手をようやく取り返せた。
「お前は面白がって見物に来ただけだろ」
「否定はしないよ。シンとアインがやらかしたってだけでも面白そうなのに、ラメドまでわざわざ尻拭いを手伝うって言うじゃないか。千年にいっぺんあるかないかの演し物を見逃す手はないからね」
「峻厳の塔の星径として当然の対処ですよ。貴方も〈理解〉の星冠、ビナーに言われて来たのでしょう」
「まぁね」
(えーっと、〈理解〉も峻厳の塔なんだっけ)
名前や用語がなかなか覚えられない性質なので、メムにそのまま助けを求める。
『はい。我々が所属する〈栄光〉ホドと、ラメドの〈峻厳〉ゲブラーに加え、このベートの属する〈理解〉のビナーが峻厳の塔の三星冠です』
「そう、だから事は〈栄光〉だけに止まらない。ちなみにヘットとテットは〈峻厳〉で、ザインはうちの子だ。星径の輝度は連星がひとつ消えたぐらいじゃ小揺るぎもしないものだが、繰り返し消されるとなれば、さすがにね」
「あ、ハイ、そうですよね……」
鼻の頭を突かれて、気圧されるままただ頷く。メムだけにこっそり確認したつもりだったが、メムの言葉は観測者に筒抜けなことを忘れていた。気恥ずかしさを誤魔化すために、ベートの言った三名について考えを巡らす。
(……三人とも、ゲームでは死なないはずの重要なメインキャラクターだった。なのに地竜に殺された。観測者シンの能力でこの世界の時間がまた巻き戻されたら、その三人はまた死んでしまうかもしれなくて。そうすると、星の“輝度”がどんどん下がっていく……)
元凶のシンとアイン、新以外の星径の星も、今後は輝度が勝手に下がっていってしまうかもしれない。
「……それで、周辺状況は」
脱線していきそうな話の流れをラメドが引き戻して、ベートは足を組み直してから答える。
「よろしくないね。そこの裏山で大魔の目撃情報だ。長らく封印されていたものがいよいよ起き出してきたらしい。遠くないうちに街にも被害が及ぶだろう」
雪原の風属性の大魔、風鷹は、こちらが雪山に隠された封印を解くまでは動かなかったはずだった。ここでも魔王のシンが力を与えて目覚めさせたのかもしれない。
「さ、戦闘の連携確認ついでに、早速一狩り行こうじゃないか」
素早く立ち上がったと思ったら、自身の背丈ほどの長さの杖をどこかから取り出して石突を床に打ち当てる。漆黒の石が嵌った白銀の握りの杖、聖杖は、到底からだに隠せるような大きさではない。そして何より、
「……え、その、今から?」
まだ午後の早い時間とはいえ、事は大魔退治だ。そんな、夕飯の食材を狩りにいくようなノリで言われても困る。
「勿論。なあに、星径がこれだけ雁首揃えているのだから、恐れることなど何もないとも」
狼狽えっぱなしの新に向かって、ベートはオニキスのような底知れない黒さの瞳を揺らめかせ、にっこりと笑った。
雪山に入る心構えもろくにできないまま、ベートの案内で転移陣で街を出て、そこから雪山の奥深くまでもあっさり進んできてしまった。
午前中の地下聖堂再訪時のように、チート級の観測者の面々についていくだけで新は出番なし……かと思いきや、治癒術をフル活用して筐体の凍傷を防ぐ役目が回ってきた。
「……こ、これ、だいっぶ疲れる……!」
吹雪に紛れて襲いくる敵は、新が接近を認識できるより早く屠られる。なので戦闘には不参加のままなのだが、パーティ全員に微弱な治癒術をかけ続けている。流す魔力が多すぎるとベートからデコピンが飛んでくるし、少なすぎると術が解けてしまってもう一度発動し直すはめになって、ものすごく難しい。
「フフ、おかげで行軍が捗るよ。星径の星辰が接続しているとはいえ、現地世界の理、筐体の生物としての性能限界はやはりある。天候、気温、湿度その他の外的要因を完全に排することはできないからね」
メムが言っていたように、輝度の高い星径が接続していれば劣悪な環境でも常人以上に動けるが、まったく影響を受けないわけでもないということだった。
「連星の筐体を使いこなすことは観測の初歩中の初歩だ。ひよっこ観測者クンにはちょうどいい修行だろう。星辰の修養にもなる」
そう言うベートは〈魔術士〉の力を使ってか雪の上でも沈まずに滑るように歩いていて、漆黒の髪にも肩にも雪片のひとつも乗っていない。たぶん絶対、パーティ全体に保温や雪除けの効果をもたらす術をかけることも可能なはずなのに、わざわざ新にやらせているのだろう。
(確かに、コレやってるうちに死ぬほど寒いっていうのはなくなってきたけど……)
『そうですね。己の星辰の輝きを正しく認識できることと、星径の力を自身の意思で使いこなせるようになることは、どちらもこれからのアラタに必要ですから』
そう話すメムの魔力制御補助もあってなんとか続けられているが、治癒士のシンとして治癒術を使っているという感覚の方が強くて、星径の力とやらを自在に使えているとは言い難い。
「その、これから、って言われても。……俺のその力って、シンが戻ってきたらシンに返したりするんじゃ……?」
「しない。言ったろ、完全に分かれてもう元には戻らないって」
それぞれ気楽に喋っているが、もちろん敵との戦闘中だ。防御力の高さでプレイヤー泣かせだったゴーレムを一撃で両断してから、藍川が首を振る。
「だが事が終わったらお前は地球に“再接続する”んだ。後のことは気にしなくていい」
「う、」
そうだ。シンを止めて、この創世世界を救えたら、自分はまた地球に“帰って”元通りの生活をするのだ、と当然のように思っていた。
「新人クンの今後の輝度も何もかも自分が面倒見るからって? キミ、案外尽くす方だったんだねえ」
ベートが混ぜっ返しつつ、雪に紛れて忍び寄ってきていた白い兎型の魔物の一群を炎で焼き払う。
「俺の“輝度”……」
それが下がると星は存在できなくなる、ということはなんとなく理解している。
『シンの暴走を止められても。アラタ、あなたの星が生まれたばかりということには変わりありません。他の観測世界で連星を観測し、輝度を高めなければ、あなたの星辰はそう遠くないうちにいずれ消失する可能性が高いです』
「我々も多少は協力できますが、やはりアラタ自身が自分の連星に接続していく方が確実でしょう」
ベートの取りこぼしを射抜きながらラメドも会話に加わってくる。
「……全部片付いてからの話だ」
「先のことを予め考える時間というものも必要だよ。この子がこれまで“人間”として生きてきたのなら、尚更ね」
藍川は話をそこで終わらせようとしたが、ベートはこちらに向かって片目を瞑ってみせた。考えなさい、と促すように。
(……そっか。魔王を倒してエンディング、じゃないんだ。俺は観測者、なんだから)
自分が知らなかっただけで、生まれた瞬間から観測者で。魔王であり観測者であるシンのことが解決したって、新が観測者であるという事実は、それを知ってしまったことは、変わらない。
(俺の帰る場所は、地球じゃない。──地球のからだは、本当は俺のからだじゃない。連星の“真並新”のからだだった……)
知ったからにはもう、単純に“帰る”とは言えない。新が“帰る”ために藍川が何かを背負うつもりでいたならば、尚更。
「……うん、今聞いといてよかった。俺、自分に関わることなら、ちゃんと自分で知りたい。自分で知って、考えたい」
「貴方なら、そう言うと思いましたよ」
ラメドがほんのりと笑って、暗に水馬の時のやり取りを示す。あの時はまだ観測者のラメドは接続していなかったが、「先に知って心の準備をしたい」と言ったのを“ラメド”はきちんと覚えてくれている。──藍川は新のそういう性格を分かっているくせに、あえて言わなかったのだ。
チッ、と舌打ちをした藍川は、こちらを見ないまま先に進んでいってしまう。
「アインもシンも、ホドだって、皆言葉が足りていないんだ。呆れるほどの年数を重ねていようと、言葉は使ってやらなければ容易く錆びつくし、下手にもなる。……まったく、星のくせにこんなに不器用だなんて、不思議だろう?」
ベートは肩を竦めてみせてから、「さあ、もうすぐ山頂だ」と新の背を軽く叩く。赤い唇は変わらず笑みを象ってこそいたものの、そこからこぼれた声はどこか寂しそうで、吹き荒ぶ雪に吸われていった。




