13
翌日、早朝。昨晩は宿に帰っても半分寝たまま食事を摂って、夕方から爆睡した。おかげでまだ夜が明けたばかりだがすっかり目が覚めた。
カン、カンと乾いた高い音が聞こえてきて宿の中庭を見下ろす。木剣でラメドとアインが手合わせをしていた。峻国の軍人だというラメドは弓だけでなく剣の扱いにも精通しているらしい。アインへ重心のかけ方、足捌きなど細かいところを指南しているようだ。
新が窓枠に寄りかかってしばらく眺めているうちに稽古は終わった。ラメドは中庭から出て行ったが、アインはひとりで剣を振って動きをさらっている。
アタッカーとしてのアインとラメドの連携がうまく噛み合うといいなと思う。
「早いですね、シン」
そんなことを考えながらぼんやりとアインを見ていると、戻ってきたラメドに声をかけられた。
「おはよう、ラメド」
「疲労感や倦怠感はまだありますか」
「いや、すっきりしてる。ちゃんと動けるよ。峻国、行くんだろ」
「……はい。地下聖堂の大魔は、傷を負わせたままザインが封印しました。まだ封印が解かれていないのであれば、大魔の傷も癒えないままであるはずです」
「問題は、弱った大魔を俺たちが倒せたって、その後魔王の力で蘇るかもしれないってことだよな……」
炎狼も水馬も一応倒せたし、蘇ることもなかった。だから峻国でもそのまま倒されてくれないかなあとどうしても楽観視したくなるけれど。
「なあ、ラメド。もし大魔が蘇らされたら、その時は一度撤退できないかな?」
「……可能だとしても、すべきではありません。攻撃を受けた大魔は怒りのままに地下聖堂を出て、最も近い人間の国──峻国に報復するでしょう。そして人間を喰らって力を蓄え、更に脅威を増す」
「地下聖堂を壊して生き埋めにするとか、とにかく何でもいいから。ちょっとでいいから、時間が欲しい。その……治癒士の目から見たら、“蘇り”について何か分かるかもしれないし」
メムの解析を待つための方便だが、蘇生術は治癒士の奥義でもある。
“灰色の影”と蘇りの力について、少しでも多くの情報がほしい。何回も蘇るのか。蘇りを止めることはできないのか。
(本当に観測者シンの〈復活〉の力、なのかどうか)
『シンの星径の力であるならば。星辰を捕捉できれば、観測都市側から強制的に接続を解除することもできるかもしれません』
メムの言葉に背を押されて、ラメドの目を見て頷く。
「俺たちで、今度こそ地下聖堂の大魔にちゃんと止めを刺そう」
「貴方は……宝器もない身で大魔との戦いに臨むことが、恐ろしくはないのですか」
「今までは怖いとか感じてる暇なかったって感じだけど。……一人じゃなかったし、死なせたくないって思っただけ、かも」
目を瞠ったラメドは、それから深い息を吐く。
「大魔との戦いでは何が起こるか分かりません。しかし戦況がどう動いたとしても、貴方自身が生き残ることを最優先に立ち回りを。……我々の生命線を握るのは、貴方なのですから」
新にもラメド自身にも言い聞かせるような声が低く重い。
「……うん。死なせないように、俺も死なないように、頑張る」
ラメドは何か言いかけて、結局何も言わずにゆっくりと頷いた。
転移陣で入った峻国は、赤みの強い急峻な山々が背後に聳え立つ国だった。赤土の壁に、太くがっしりした木の柱や梁が目立つ木造建築が主流のようだ。新は行ったことはないけれど、ベトナムやタイあたりのアジアに近い雰囲気を感じる。
「赤い街だ……」
通りを行く人々も、赤系統の髪や目の色をした人間が多い。
「この国では赤が象徴色なのですよ。人々は勤勉を旨とし、三国の中で最も医術に秀でています」
治癒士の輩出率も高く、王宮治癒士のゲブラー家が有名だという。元はゲブラーの一族の者が興した国だが、国家の繁栄よりも医術の発展を重視し、玉座を降りたという伝説がある。
ラメドの案内を聞きながら、やや雑然とした道を進む。一本路地を入れば、謎の草や肉がぶら下がっている屋台がひしめきあっている。
(ゲブラーってひと、観測都市にもいる?)
ジェネシスのゲームでメインヒロインだったザインは、確か“ゲブラー家ゆかりの治癒士”というプロフィールだった。何か重要そうな星なのではと当たりをつけてメムに訊いてみる。
『はい。ゲブラーは星冠のひとつ、〈峻厳〉を担っています。各観測世界の医術に精通し、観測都市での筐体の精錬と管理も行っています』
(あれ、筐体って連星のからだ、こっちの世界のひとのことじゃなかったっけ。観測都市でも使うの?)
『観測者の本来の形態は星辰の状態です。星辰の安定と円滑な生活環境のために筐体が使用されています』
(へえ……)
つまり元々からだはなく、魂が本体ということか。
『筐体の性別や年齢などは個人で任意に設定や変更を行うこともできます。……いえ、今はアラタには不要な情報でした』
それまで滑らかだった口調が一転してトーンを落とす。
(いや、俺が訊いたんだし。それにそういうの聞くの結構面白いよ)
自分もその観測都市出身の観測者だという実感はあまりないが、藍川とメムはそこで生まれ育ってきたはずだ。
それに観測都市のことを話しているメムはどこか楽しそうだし、とは言わないでおく。
(ええと。ホドは王様で。ゲブラーは国の始祖っぽいひとで。そのえらい星……星冠、だっけ。理国にもきっと関係してるんだろうな)
『そうですね。星冠は各観測世界で、国家元首や行政の首長など、世界的に重要な地位にあることが多いです。世界の礎であることが星冠の役割ですから』
星冠。星径のメムとシンの、父親のようなひと。新にとっては、黄昏の瞳もろくに見られず体が竦んでしまうのに、それでもどこか慕わしさのようなものを覚える相手だ。
(星冠って。……ホド、って。メムにとっては、どういうひとなの)
いつかも訊いたことだが、もう少し詳しく知りたいと思って改めて問うてみる。
『星冠とは導の星そのもの。いと高きに戴く、輝ける星です』
かがやけるほし、と囁くメムの声が、柔らかく誇らしげに響いた。詩的な言葉に、きっと観測都市の教科書なんかにそう書かれているんだろうなと思う。
ちょうど通りがかった小間物屋の窓の向こうで、星を象った灯りが揺れた。それに伸ばされる小さな手のひらを微笑ましい思いで見る。
『星径は生まれる際に星冠より力を与えられる、ということもありますが……私にとってホドは、遠く、眩しく、揺るぎない絶対的な指標だと……そう、思っていたのです』
(過去形?)
『全ての生命に終わりがあり、命が巡るように。観測世界の生命体と比較すれば久遠のようにも思えるほど極めて稀な事象ですが、星冠の座にも、終焉と交代があります。……観測都市のホドの星には翳りが見られ、いずれ、星径のシンがホドの座を継承するはずでした』
(……ホドが消えて、シンが星冠になる?)
『座の継承とは、ただ星冠の名を譲り受けるという意味ではありません。ホドの星辰の全て──力も記憶も、存在そのものを受け継ぎ、シンの星辰が新たなホドになるのです』
後方に過ぎ去った小間物屋を振り返っても、もう星の灯りも、それに笑っていた子供も見えない。前を行くアインに「シン?」と訝しげに訊かれて、首を振って足を早める。
(シンは、それが嫌でこの創世世界に逃げた?)
『……。星径とは、星と星を繋ぐ小径。星径が星冠から力を分けられるのは、定めを果たすため、そして星冠の座を継ぐ時のためでもあります。星冠の座に空位は許されない。シンがその役目を放棄しても、私が次代のホドとなるだけのことです』
(自分がホドに──別人になるって、かなり難しい問題だと思うけど……メムは嫌じゃないのか?)
『好悪で考えたことはありません。私の星辰が星径として生まれた時点で定められていることです。ただ……』
ふ、と日が陰る。巨大な山の影に入ったのだ。あの山の麓に地下聖堂があるのだとラメドが指し示す。
『惜別の情、のようなものは感じています。己の指針として仰いでいた光が消えゆくことに。偉大な栄光と莫大な記録を受け継ぐことへの……畏怖も』
感情を押し潰して均したような声が、時折掠れてざらつく。『これこそアラタには不要な情報でした』とメムが会話を終わりにしても、そのざらつきは新の心にも溶け残った。