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2020年 秋文集『切株』

本の虫・下

作者: 有馬理亜

 ねぇ……。

 ねぇ、ってば。

 見てる? 私のこと。

 見えてる、よね。多分。

 返事、してくれれば、わかりやすいのだけれど。

 ……できないみたいね。

 どうやら、口は利けないらしい。

 じゃあ、私から一方的に話すことになるけど、いいかな。

 あ、そっか、いいかって聞くのも無意味なのか。うーん、難しい。

さて、どこから話そうかな。

 ここがどこか。私が誰か。どうしてここにいるのか。

 どれから聞きたい? ……って聞くのも無意味。じゃあ、今語った通りの順番で話していこうかな。

 多分、私、お話下手だけれど、お付き合いいただけると嬉しい。

 まず、ここがどこか、ね。

 ここは、どこなんだろうか。というか、自分は何故ここにいるのだろうか。

 当然の問いだと思う。

 人間は、秩序立った道筋を求めるもの。寸前の記憶のないあなたは、それを知りたがるだろうと思う。

あ、記憶、ないよね? ある? うーん、その反応は、やっぱりないのかな。

 さて、どこから話そうか。……うーん。どこから話すべき?

 あなたが置かれている環境は、あ、私も勿論そうなんだけど、すごく特殊で、言語化しにくい。

 失敗ね。きちんと整理して、紙か何かに纏めておけばよかった。

 じゃあ、まず、これだけ。

 私は、何故あなたがここにいるのか、知らない。

 というか、あなたは望んでここにいるのではないの?

 そうでなければ、あなたがここにいる合理性が取れない。

 違う? じゃあ義務感? 責任感? それとも好奇心?

うーん、難解だね、人の心は。

 ……さて。少し脇道に逸れてしまったから、話を戻そう。

 ここがどこなのか、っていう話なんだけれど。

 ここは何もない場所。私の住んでいる場所でもあり、これからはあなたが住む場所になる……かもしれない。

 見えるかな? 見えるはず。

 あなたが座り込んでいるのは、雑草の生えた土の上。私の家ある庭の、ちょっと脇に逸れたところ。先のない、途切れた道ね。

 自分の表現ながら不思議。終わった道、それはもはや道じゃないんじゃないか。そこは終点、つまりは出口?

 いや、あなたがここから入ってきたことを考えると、もしかしたらここが入口なのかな。

 少なくとも今は、どこにも繋がっていないみたいだけれど。

 もしかして、外からは入れるけど、中からは出られない、みたいな。……いいえ、きっとそうじゃないと思う。

 ……あちゃあ、また話が逸れているね。

 閑話休題。

 ここから少し歩くと、私が作った庭が見えてくるわ。玉葱とか芋とか色々育てている、広めの畑と、そことは柵で区切った、いくつか花を植えているスペース。

それを横目にもう少し歩けば、私の家があるよ。

 ……あんまり、聞いてない?

もしかして、自分がいた場所が気になるかな。

うーん、あなたが望めば、簡単に戻ることができると思うのだけれど。

 ここにあなたがいるっていうことは、あなたは何かを望んでここに残っている……のだと、思う。

 多分。……私もあまり詳しいわけじゃないから、よくわからないけど。

 だからまずは、そうだね。私の家まで行って、色々お話しようよ。

 ……あ、違う。その前に、説明の続きか。

 次は、私が誰か、だったかな。あれ、違ったか?

うーん、こういう時、あなたが口を利けないのは困るね。話しているというよりは、なんだか私が独り言を呟く危ない奴みたいじゃない?

 そう間違ってもないか。

 私が誰か。抽象的な永遠の問いかけだね。一言で答えるのは難しい……なんて、誤魔化そうとは思ってないよ。

 ただ、残念だけど、それへの明確な回答は、示せない。

 私は誰なんだろうね?

 気が付くと、ここにいた。

 周りには雨風を凌げそうな家屋すらなかったからね。ひとまず家を作って、内装を整えて、人間らしく生活するために庭も作ったりした。

 今じゃ、だいぶ長いこと、ここにいるはず。

 ……あ、今、歳とか考えた? 失礼だな。ずっと若い頃からここにいるから、まだそんなに年寄りじゃないはずだよ。……多分だけれど。

 どれくらいか、って言われると困っちゃうんだけどね。何せ、暦なんて感覚、ここにはないわけで。ない袖は振れないって奴か。違うかな。ごめんなさい、正しい意味を知らなくて。

 要約すると……私は現状唯一、このコトバの溜まり場に住んでいる住人、になるのかな。自分の名前もわからない残念な奴だけど、この場所に先に来たって意味では、あなたの先輩になるね。

 ……さて。あなたはもしかすると、私があなたを騙そうとしているのではないか、と疑っているのではないかな。

 それは、妥当な疑問だと思う。

 というか、それくらいは疑わないと、生きにくいよね。

 人のこと騙す人、多すぎるみたいだし。

 で、私があなたを騙しているかどうかなんだけれど。

 残念ながら、すぐに示せる反証は、ない。ただ、私の立場から言わせてもらうと、あなたを騙すメリットがない。なにせあなたは、ようやく訪れた私の後輩君で、ようやく表れた、私を見てくれる人間なんだから。

 ……さて。これでさっきの疑問には、答え終わったかな。

 ここはそういう場所で、私はそういうもので、あなたはそういう人。

 どうだろう、わかってくれた?

 私はあなたの敵じゃない。というか、できれば味方になりたいと思っている。

 ……信頼できないかな。

 では、それはこれから培っていこう。

 あなたが望む限り、ずっとここにいられるのだから。

 焦る必要は、ないよね。


 さて。

 こんな場所でお話するのも、なんだし。

 私の家に、行こうよ。

 ……まぁ、自慢できる程、豪勢な作りでもないけれど。ひとまず雨風はしのげると思うよ。

 今のところ、ここに雨が降ったり風が吹いたりしたこと、ないけれども。

 ほら、立って。というか、立てる? ……うん。じゃあ、こっち。

 見える?

 この小道を越えて……ほら、いっきに視界が開ける。

 どう? なかなかのものでしょう。

 柵で囲った畑は、いつでも収穫できるように作物が生えているし、お庭だって綺麗な花をたくさん植えている。

 結構、気を使っていたんだよ。

 いつあなたが来ても、喜んでもらえるように。

 あと、お家も。

 結構大きいでしょ。素人作りとは思えない程度には、ちゃんとした建物の見た目をしているし。

ほらこっち、ここから入るんだよ。ドア、わかる? わかるよね。

 ……もう気付いたと思うけれど。

 この場所には、家の他には、何もない。

 ずっと先まで、見渡す限り空白。どこまで走っても、きっと何もないまま。そういう空間。

 私がここで目を覚ました時、そんな空白の中に、一本の樹が生えていたの。

 あれは一体どんなものだったのでしょう。わからない。

 多分、何かの役割があって、けれどそれを果たす前に、あるいは果たす中で、はたまた果たした後に、私がやってきた。

 何もない場所に、ポツンと樹だけがあって。

 私ね。

 なんとなく、ここがいいなぁって思ったの。

 他に場所を知らない。あるいは、ただそれだけのことだったのかもしれない。

 けれど、その時は。

 「あぁ、ここだ」って。

 一体何故そう思ったのか、わからないけど。

 私は、ここで待つことに決めたんだ。

 それから、長い時間をかけて、見た目を整えたけど──。

 改めて見回しても、何もない。ただ広い、広すぎるくらい広い空間に、今はおんぼろの家と、お庭があるだけ。

 殺風景? そう思う?

 いいのよ。きっとそれが事実だから。

 私、色々なことを知っている。

 あなたのことは知らないけど、あなたたちのことは知っている。

 普通は、もっとたくさんあるのよね、家。何百人、何千人、あるいは何万人の人間たちが、集って暮らせるように。

 そういう意味では、ここは酷く小さくて、殆ど意味を為さないでしょうね。

 この家にあるリソースは、服も、食事も、スペースも、どれだけ切り詰めたって3人分が限界。例えばここに、急にあと2人の人間が来たとすれば、私たちは選ぶことになるでしょう。

 勿論、3人だって厳しい。ここは2人までしか、入るように造られていないのだから。

 ……ふふ、よくわからないって顔。不安? でも、興味深いって顔でもある。

 変なの。

 大丈夫、3人目が来る、なんてことは、きっと起こらないから。

 私と。

 そしてあなた。

 あなたが望む限り、ここはそれだけの場所。

 私がいる限り、ここはそれだけの場所。

 難しい?

 よくわからない?

 それとも、理解するつもりはない?

 ……もしかして、全部わかっている?

 どれでも、構わないよ。

 きっと、あなたはわかってくれるって、私は信じているから。

 さぁ、中に入って。


 ふふ、どうかな。

 エントランス兼、リビング。中央に置いたラウンジテーブルに、椅子は対面で2つきり。奥にはキッチンとバスルームがある。

 何せ木で作ったから、一部を除いて全部木製。少し硬いかもしれないけど、その分、匂いとか手触りはいいんじゃないかな。

 それで、あの階段から2階に上がれるわ。上がった先、一番手前の部屋が、あなたの部屋。今はベッドとクローゼット、それにトイレくらいしかないけど、もし必要なものがあったら、自由に持って行って。

 その次、2番目の部屋が、私の部屋。

 来る? ……ふふ、中、何もないよ。それに私、自分の部屋にはほとんど戻らないから、もしかしたら今頃、埃でも被っているかもしれない。あなたを入れるには……正直、少し恥ずかしい。

 最後に、3番目の部屋は、物置。

 色々なものを、てきとうに置いてある。多分、あなたが求めるものは、大抵あると思うわ。望むもの、全て持って行ってもいい。けど、入る時は私も呼んでね。少しごちゃごちゃしていて、危ないから。

 ……説明は、こんなところかな。

 さぁ、お話でもしましょう。

 ここには、それくらいしかないのだし。


 テーブルについて、あなたと向き合うと──。

 ふふ。……なんだか、気恥ずかしい。

 人とこうして顔を合わせるのは、私、初めてなの。

 私には記憶がない。気付けばここにいて、気付けばあなたがいる。

 良くも悪くも全てが新鮮で、全てが真新しくて。

 だから、なんでしょうけど。

 あなたがこうして、私を見てくれるのが……すごく、嬉しくて。

 あぁ、私は生きているんだなぁって、そう思うの。

 ……本当に生きているのかは、よくわからないけれど。

 だってここ、おかしなことだらけ。私の知っている『普通』とは違いすぎる。

 何かがおかしいって、そう思うこともあったけれど──。

 結局、答えのない、意味のない問いだったなって、諦めるの。

 そんなだから、私はこれまで生きた心地がしなかった。

 ぼうっと、ただここにいるだけだったから。

 自分がすべきだと思うこと。したいと思うこと。それをするってことが、生きるってこと、なのか。

 もしそうなら、私はこれまでも生きていたのでしょう。

 けれど、そうじゃないなら、私はさっき生き始めたのかもしれない。

 生き始めた、って表現は、なんだかおかしい。

 だって、それを示す「生まれた」って単語があるのに。

 なんとなく、「生き始めた」は「生まれた」って感じじゃない。

 意味がわからない? 難しい?

ごめんなさい、私、話すのは得意じゃなくて。

 これでも、必死に言葉を拾っているの。

 あなたに伝わるように。

 あなたに届くように。

 あなたに、「これが私なんだ」って示せるように。

 でも、本当に難しい。

 私をあなたに伝える唯一の媒介手段。会話。

 けれど、それは案外、全能ではないのかもしれない。

 有史以来、人が最も用いたコミュニケーションツール。それはきっと万を能うものではあるのだろうけれど、あるいは、全を能うわけではないのかも。

 現に今だって、ずいぶん話が逸れてしまって、あなたを退屈させてしまっている。

 ……とにかく。

 私はね、嬉しいの。

 あなたが私を見つけてくれたこと。

 あなたが私の話を聞いてくれていること。

 ……あなたが、ここにいること。

 それが、何よりも嬉しい。

 こんなにも多くのものを貰っているのに、私は何も返せないっていうのが、申し訳ないくらい。

 私にできるのは、あなたに話すことだけ。

 それだって、上手くはないし……。

 難しいよ。話すって。言いたいことはたくさんあって、それぞれが綺羅星みたいに綺麗だったはず。なのに言葉にしてしまうと、なんだか陳腐に感じて、口に出すのを躊躇ってしまう。

 結局、出てくるのはつまらない話ばかり。

 私は、もっと……。

 あなたと、楽しい話がしたい。

 あれが面白い、とか。

 あれがすごい、とか。

 あなたが笑ってくれるような話がしたい。

 人に好感を与えるのって、すごいことだと思うの。どうやら人間は、その思考回路は、そんなに前向きに造られていないようだし。

 なのに、それなのに相手に好感を抱かせるのは、すごい。

 私もそうなりたいと思う。

 そうなれば、あなたはもっと、私を見てくれるでしょうから。

 ……もっと練習すればよかったかな。

 お話の練習。これでも、……ほら。あそこに木彫りの人形があるでしょう。あれに向かって、とても練習したのよ。

 けれど……いざ本物の人間と話そうとすると……駄目。

 すごく恥ずかしくて、嬉しくて、楽しくて。

 あなたにあげるはずだった感情を、私が抱いてしまうなんて。

 難しい。

 ままならない。

 こういう時、なんて言うんだろう。

 残念って気持ちと、でも嬉しい、楽しいって気持ちと、それからなんとなく、後ろめたい気持ち。

 ……あぁ、あなたが口を利けるなら、それを尋ねることができるのに。

 残念。

 ……でも、なんとなく、聞かないのも良い気がする。

 だって、こんな素敵なものがくすんでしまうのは、もったいないから。


 ええと、お腹、空いてたりするかな。

 料理、できるよ。……多分。

 作った経験はないけれど、知識はあるから大丈夫。

……正直、あまり自信はないけど。

 でも、食べないと死んじゃうんだよね。

 じゃあ、軽く、作ってみる。

 できるだけ美味しくなるように、頑張るから。

 えっと、エプロンと、あと……お庭で採れた野菜、あとは……あなたの主食はパン? それとも……あぁ、そうだった。じゃあパンとご飯両方、あとはお肉かな。

 うん。これだけあれば、きっと美味しい食事が作れるよね。

 えっと、これは……炒める? 揚げる?

 あ、油がいるのか。あと、フライパンに……鍋? 計量カップ……。

 むむ……。

 あぁいや、大丈夫。頑張るから、椅子に座って待っていて。


 えっと、どう、かな。

 お肉の……野菜と一緒に、炒めたもの。

 それと、スープ。

 …………。

 大丈夫、のはず。食べられないものは、使っていないから。

 ごめんなさい。料理って、思ったより難しいのね。

 どうすればいいのか、知っているつもりだったけど。

 いざ調べてみると、思っていたより複雑で、困ってしまって。

 うん。でも、ちゃんとできたと思う。

 …………多分。

 ちょっと、焦げちゃってるかも、だけれど。

 えっと……よくわからないけど、あーんってすると、嬉しいんだよね。

 スプーンで、掬って。

 あーん。

 ……どうかな。

 微妙な顔。ごめんなさい、やっぱり失敗だったかも。

 塩と胡椒? 味が濃すぎた? あるいは、何か入れちゃいけないものが入ったのか。

 ごめんなさい。

 次は、もっと美味しく作るね。

 うん。そのために、勉強もするよ。

 だから、期待して、それまで待っていて。


 さて、食器も片付けて。

 お話に戻りましょう。

 ……とはいっても、何を話したものか。

 難しい。

 私には何もないから。

 記憶はないし、これまでにしたことと言えば、この場所の体裁を整えただけ。

 情報はあるよ。けれど、それは知識でしかない。

 だから、なんというか。

 実感がないの。

 他人の伝記を読んだ程度の実感しかない。

 だから、もしかすると、私の言葉は、酷く軽く聞こえるかもしれない。

 もしそうだったら、ごめんなさい。

 ええと、それで……。

 何を言えば、何を話せばいいかな。

 あなたと共通する話題がない。あなたと、何を話せばいいのか……。

 ……なんだか、優しい顔。

 もしくは、面倒臭そうな顔?

 ごめんなさい。頼りない先輩で。

 もっと、すごいものとしてデザインされていればよかったんだけど……。

 残念ながら、私はすごく普通の……駄目駄目な奴だから。

 でも、私にはあなたが必要だから、もしよければ、付き合ってほしいの。

 そうね……じゃあ、こんな話はどうかしら。


 あなたは、幽霊の存在を信じる?

 ここで言う幽霊は、いわゆる死んでしまった人の怨霊、という意味なのだけれど。

 ……そうね。はっきり言って、幽霊というのは作り話でしかない。

 昔は物理法則の解明も進んでおらず、どんな条件がどんな結果をもたらすのかわからなかった。それを無理やりに理由付ける為の、謂わば言い訳として使われたの。

 そうね。

 メジャーな例で言うと、菅原道真はご存知?

 日本の平安時代の偉人。右大臣にまで上り詰めたけれど、その分嫉妬や怒りを買い、遥か辺境に左遷されてしまったとされている人物。彼の没後、都では落雷や貴族の死と没落、更には病が流行し、これが菅原道真の怨霊によるものとされた。

 でも、あなたは理解できるはず。

 落雷は単純な悪運によるもの。これと貴族の死が偶然重なり、更にそれに付随した没落。それらで生じた死体をきちんと埋葬しないがために発生した腐乱死体が起こす流行り病、……あたりが妥当なところかしら。

 幽霊というものは、当時理解されていなかった物理法則や衛生観念の代替品に過ぎない。

 えぇ、きっとそれが真実でしょう。

 けれど、それらを信じることを否定するのは、果たして正しいのか。

 例えば、今まさに。

 私たちが幽霊でないという証拠は、どこにあるの?

 私たちは幽霊で、無意識に人のフリをしているのかもしれない。この世は本当はあの世で、元より私たちは幽霊なのかもしれない。

 それらの仮定は、どうすれば否定できるの?

 確かに人間は、神のベールを剥がして、この世界に法則を見つけた。

 けれど、それ以上のものがないと、どうして言えるのかしら。

 私たちが捲ったと思ったベールの先、神の御姿と思ったものは、案外内側に纏った更なるベールかもしれない。

 人間は、未だその正しさ、絶対的な基準を見出させていないの。

 全てを超越した、究極の価値基準。それがなければ、正気が狂気に、狂気が正気に覆り得る。

 幽霊なんていない。そう、きっとそれが真実。

 けれど、100分の1、1000分の1。そう言った確率で、「自分たちの知るルールの方が間違っている」、そういう可能性だってあるのよ。

 あなたが見えないだけで、大多数の人が見えないだけで、幽霊は今もそこらじゅうを飛び回っているのかもしれない。

 勿論、空間とか質量とか、そういう難しい話をすれば、理論的にあり得ないことを証明できる。

 けれど、前提としているその理論が間違っていれば、結論もまた間違ったものになるでしょう?

 究極的な正しさ。

 絶対に覆らない真理。

 万人が共通して持ち得るそれを見つけられない限りは、幽霊の存在は否定できない。

 悪魔の証明ね。

 存在することはまだしも、存在しないことは証明できない。

 ……あれ、意味、合ってるよね。

 うん。

 ……正直、私は物知りな方だと思う。知識だけは、私の中にたくさんあったから。

 けれど、さっきも言ったけれど、それを実感できない。

 だからなのか、時々自信がなくなるの。

 自分は本当に正しいのか。

 自分が正しいと思っていることは、本当に正しいのか。

 もっと言ってしまえば、私が正しいと思っていることを、私は本当に正しいと思っているのか。

 何も。

 信じられなくなる。

 多分、私って、1人で存在できるようになっていないのね。

 誰か、何かに頼らないと、不安で仕方がない。

 今はあなたがいる。だから、まだまともに、この楽しい時間を体感できているけれど。

 つい昨日までは、……どうだったかしら。

 憶えてないの。

 おかしいわよね。つい昨日のことなのに。

 きっと、それは私にとって重要なことじゃないから、なんだろうと思う。

 今、私にとって、重要なのは……。

 ふふっ。

 あなたが、私を、見てくれること。

 ただ、それだけ。


 もうそろそろ、おやすみの時間かな。

 うん。

 じゃあ、あなたが目覚めるまで、ここで待ってるよ。

 私には、睡眠は必要ないみたいだから。

 勿論、あなたがしてほしいなら、眠るけれど。

 何か、欲しい物はある? 丁度いい高さの枕とか、お布団とか。

 ……わからないから、ひとまず一式用意させてもらっているけれど。必要なら、言うのは無理かもしれないけれど、ジェスチャーで教えてくれれば、用意するよ。

 それじゃ、また明日。……明日というか、ここには今日も明日もないけど。

 とにかく、また会おうね。

 会って、話そうよ。

 おやすみなさい、良い夢を。


おはようございます。

 よく眠れた? ……その様子を見ると、そうでもないのかな。

 そうね……有名な話、人間の1日のサイクルは25時間で回ってるのね。で、その内睡眠時間は9時間。それだけ取れば十分だと、体がそう判断する。

 けれど現代社会では、平均睡眠時間は大体7時間半。皆少し無理をしているってことになるわ。

 ……あなたはどう? 無理してない?

 無理してるって感じるなら、感じなくても少しでも辛いなら、あるいは、今の環境を投げ出してみるっていうのもいいのかもしれない。

……理解、できるつもり。

 ここに来るまでのことが、気になっている。

 あなたが元いた場所。そこにいた人たち。家族、友人、あるいは……恋人。

 でも、そんなに苦しむことはないのよ。

 わかってる。眠れなかったのよね。

 今は全部忘れて、眠っていいの。

 大丈夫。これはきっと、夢みたいなもの。

 あなたが本当に望めば、いつだってその場所に戻れるの。

 だから今は、しっかり眠ってから、改めてゆっくりとお話しましょう?

 ……うん、ありがとう。

 おやすみなさい。今度こそ、良い夢を。


 おはようございます。

 うん、顔色が良くなった。ちゃんと眠れたみたいね。

 ご飯、作ってみたけど。……サンドイッチ。失敗しにくいらしいし。

 どう?

 ……あ、昨日よりは、まともな顔。

 美味しかった? 良かった。ちょっと多めに塩を振ったのが良かったのかな。

 それじゃ、……ええ、お話しましょうか。

 話題は、そうね……そのサンドイッチの話。

 サンドイッチはどうして生まれたか知っている? 

 昔、イングランドの偉い伯爵が、カードゲームをしながら食べられる食事を目指して考案したのよ。

 何せ、パンと軽い野菜やお肉、卵とか、そういった素材さえあれば、5分で仕上がる。そして片手で食べられるという気軽さ。この食事はすぐさまイングランドに、そして世界中に広がった。

 これもまた、人類の文明の光。簡単で美味しく、栄養価がある食事。ある意味、料理という文明の極致とすら言えるかもしれない。

 なるべく手軽に、なるべく美味しく、なるべく便利で、そんな風に、人間は常に道具と環境をアップデートしていく。

 良く言えば、向上心。悪しく言えば、欲望。

 そう、つまりは……。

 ええと。

 …………。

 ……まずい、何を言おうとしていたか、忘れちゃった。

 ごめんなさい、まだまだお話、下手ね。

 物覚えが悪い、というか……ずっと話したいと思っていたことはあったのだけど、頭から飛んでしまった。

 その、私、緊張しているのよ。

 何せ、人間とお話するのは、まだ2回目なの。

 慣れとか技術っていうものを培えるほどじゃない。

 きっと、これから上手くなる……つもり。

 あなたさえ付き合ってくれれば、だけど。

 ええと、それで、何の話だったかしら。

 ……そう、人類文明の向上。

 人類は、自分の生きやすいように世界を変えていくって話、よね?

 うん、多分そう。

 誤解してほしくないのだけれど。私はそれを否定する気はないの。

 多分、否定しても意味はない。それは人類が無意識下で行っている不可逆の行動で、生物として間違ったものではないから。

 けれど、虚しくも思う。

 あぁ、そんなに頑張って、そんなに努力して、そんなに苦労して、そんなに足掻いて。

 その先にある成果は、子孫に引き継がれて。千年や一万年は続くかもしれない。

 けれど、十万年、百万年。

 彼らへの対価は、続くかしら。

 ひらすらひたすら生きやすいよう。改良改善アップデート。

 でも、本人たちへの報酬は80年程、人類総体で見ても十万年も経てば、当然のように打ち切られる。

 わかっているつもりよ。

 始まりがある以上、終わりもまた、ある。

 けれど、……永遠を望んでしまうのは、おかしなことなの?

 皆が努力して切り拓いた希望。必死に考えて行動して、多くの犠牲の果てに積みあがった未来。

 それが有限でしかない、というのは……。

 物悲しい、というか。

 胸が締め付けられる、というか。

 人間の一生に関しても、そう。

 行先は決まっている。死という決して逃れ得ないゴール地点が定まっている。

 どれだけその一生で徳を積もうと、罪を被ろうと、「破綻」という絶対の規則、一定のルールから逃げ出すことはできない。

 終わりは必ずやってきて。

 あなたが積み上げたものを、悉く打ち崩す。

 賽の河原。積み上げた石を崩され、また積み上げるようなもの。

 それは地獄でなくて、何なのか。

 この行為に意味はあるの?

 哲学者や芸術家、作家みたいな職業の人間は、多く自決の道を選ぶ。

 彼らは一体、何に絶望して生涯を終えるのでしょう。

 あるいは、その逆に、何にも感化されることがないから、退屈さ故に諦めるのか。

 ええ。だから──。

 生きるって、それだけで大変なことだと思うの。

 特に、終わりに目を凝らして生きるのは。

 とても、辛いこと。

 どうせ崩されるとわかっている石を、何故積み上げなければいけないのか。苦痛を伴うそれを辞めることが、何故悪と弾劾されねばならないのか。

 私には、わからない。

 生きるっていうのは、そんなに尊いこと?

 死ぬっていうのは、そんなに呪わしいこと?

 あるいは、そこから目を逸らしてなんとなく生きるのが、賢い生き方なの?

 では、こんなことを考える私は、生きるのが下手なのか。

 考えるっていうのは、それだけ偉いことだと思う。少なくとも、考えないよりはずっと。

 なのに、そこで得られるのは昏い絶望と諦観だけ。

 理不尽、というか。

 吊り合っていないと感じる。

 努力には成果が与えられて然るべき。苦労には対価があって然るべき。

 なのに、すればするほど、段々苦しくなる。メリットは減って、デメリットばかりが目立つようになる。

 中途半端は悪いことのように捉われがちだけれど、あるいは、これ以上なく良いことなのかもしれない。

 少なくとも、こんな行き詰った思考にまでは、考えが及ばないでしょうから。

 ……あぁ。

あなたの言葉が聞きたい。

 あなたがどう考えて、どう答えを出して、……どう、私を勇気づけてくれるのか。

 弱った態度を見せれば、人は慰めてくれるでしょう? 現に今、私は思考の牢獄に囚われている。きっとあなたは優しく、あるいは面倒臭そうに、私を慰めてくれると思うの。

 別に特段、慰められたい、と望んでいるわけではないのよ。

 ただ……。

 あなたに、どんな形でもいいから、関わりたいの。

 私という消えない爪痕を、あなたの心に残したい。

 だって私は、このままでは、何も残せないまま、引き継ぐことすらできないまま、打ち崩されてしまうから。

 すぐに死ぬ、というわけではないけれど。

 多分、ここを訪れるのは、あなたくらいだと思うから──。

 あなたが目を逸らしてしまえば、私は簡単に、ここにいる意味を失う。

 恐ろしい。

 あなたは、まだ私を見てくれているのかな。

 私はそう信じて、あなたに語り掛けている。

 けれど、あるいは──。

 もうあなたは、私を見ていないのかも。

 それが、恐ろしい。

 もしそうなら、私は……。

 ……いえ。

 無駄ね。

 考えるだけ無駄。どれだけ考えても、答えは出ないのだから。

 きっとあなたは、私を見てくれている。そう信じて、お話を続けるだけ。


 ねぇ。

 何か、嫌いなものはある?

 食べ物とか、飲み物とか、そんな具体的なもの以外でも、態度や雰囲気、なんでもいいのだけれど……。

 怖いのは、口の利けないあなたに、私が何か嫌なものを押し付けているんじゃないか、ってこと。

 最たるものは食事だけど、ベッドとか衣服とか、そういうものも含めて。

 人には個性がある。そして、それを知らしめるのは、そう簡単なことじゃなくて。

 まだ会って長くない私たちは、お互いのことを、全く知らないから──。

 だから、怖いの。

 あなたにとって嫌なものを押し付けている、その可能性が少しでも存在するっていう事実。

 意思表示は難しいかもしれないけど、嫌な事は嫌って、示していいのよ。

 同調圧力とか、エゴとか、押し付け。色んなことがあるんだろうけど……。

 でも、それでも、嫌って言うことは、悪いことじゃないでしょう?

 あなたはあなた。多数の内の1ではなくて、たった1つの1。オンリーワンだから。

 その意思を否定する権利なんて、誰にもない。

 勿論ね。

 私に関しても、そう。

 あなたが嫌なら、私を見るのをやめてもいいの。

 あなたが私と一緒に時間を過ごすかは、あなたの自由。少なくとも私に、拘束の権利はないわ。

 だから……うん。

 また話せたら、嬉しい。けれど、そうでなくても、私はあなたを否定しないから。

 ……もしも、私と話したくなったら、またその時ね。


 お話?

 うんっ、わかった。じゃあ、座って。

 さて……何のお話をしようかな。

 ちょっと待ってね……ええと、うん。

 これ? ああ、これは……メモ帳。

 前にね、あったでしょう? 言いたいことを忘れちゃうって。何を話したいんだったか、こんがらがっちゃうの。

 お話に慣れてないから、流れを整理できていないのかもしれない。

 折角あなたとお話できるのに、ずっとそんな状態じゃ失礼だから。話題をメモしておいたのよ。

これなら、忘れようとしても忘れることはできない。そこに記憶を託しているから、読み返せば簡単に思い出す。

 ええと……うん、今回はこれにしましょう。

 あなたは、自分をどんな人間だと思う?

 優しいとか、寂しいとか、強いとか、そういう抽象的で記号のようなものでもいいんだけど。

 自分のことは自分が一番よく知っている、という言葉があるわ。

 けれど同時、自分のことは自分が一番わからない、とも言う。

 どっちが正しいんでしょうね。

 ……いいえ、きっとどちらも正しい。

 自分と自分は一番付き合いが長いから、良く知るものも多いのだろうけれど……。

 同時に、自分は他人じゃないの。

 ねぇ。少し話題が逸れるようだけれど、自分の声がおかしいって思ったこと、ない?

 例えば、録音した声や、電話越しのそれ。いつも聞いている声とは、なんだか全然違って聞こえて。

 それはね、声が骨を通じて聞こえるからなの。

 普通、声は空気を媒介にするもの。空気を振動させて、鼓膜を震わせて、相手に音色を認識させる。

 けれど、自分が発する声は、空気じゃなくて、骨を媒介して耳に届く。

 だから、そこに差異が生まれるのね。

 ……なんで突然、こんな話をしたのか。

 同じだと思うの。

 自分の声と同じ。

 それは勿論、誰よりも知っているわ。どんな喋り方をしているのか。どんなリズム、どんなスピード、どんな口調で声を発しているか。

 けれど同時、それは『外から見たあなた』ではない。

 あなたがあなたをどう感じるのか、と。他人があなたをどう感じるのか。

 この2つには、小さいようで大きな大きな隔たりがある。

 私には、残念ながら、あなたを知ることは難しい。

 けれど、あなたは私を知っているはず。

 どう? あなたから見た私は、私の思う私でいられているかな。

 ……きっと、違うんでしょうね。

 私は……。

 人間らしく、できてる?

 記憶もないから、私には人間がわからない。

 私にあるのは、ただただ膨大な情報群だけ。

 だから、おかしな部分とか、なんとなく不気味な部分もあるかもしれないけれど……。

 誓って、あなたに悪い想いは抱いていないのよ。

 あなたからも、悪く想われていないと、嬉しいのだけれど。

 不安になる。

 あなたから、私はどう想われているのか。それを考えると。

 きっと、悪くない、と思いたいのだけれど……。

 それを聞くことも叶わない、なんて。

 悲しいような、あるいは……安心するような。すごく微妙な、気持ち。

 ねぇ。

 あなたは、私に何を望むの?

 私は、できればあなたに応えたいと思う。

 けれど、あなたの要望も聞けないから、それも叶わないかもしれない……。

 私は、私でしかないから。あなたの望む人にはなれないかもしれない。

 ……あぁ、でもね、怖いことばかりじゃないのよ。

 何をすれば、喜んでもらえるか。

 それを自分で考えるのは、案外楽しい。

 あなたが私に何を望んで、何をすればもっと私に興味を持ってくれるか。

 もしそれで、あなたが喜んでくれたら。そう考えるだけで満たされて、ずっとこうしていたいとさえ思う。

 これが幸せってこと、よね。

 来るかもわからない未来……それを考えるだけで、楽しいなんて。


 あれ。何してるの?

 ゲーム? へぇ、携帯機。

 ねぇ、見せてみて。

 ……これ、何をどうするの?

 相手を倒す? この赤いマスが敵か。

 あなたはこういうのが好きなの? 違う?

 わからないけれど、少しでも暇が潰せたのなら、よかった。

 物置から見つけてきたの? 迷わなかった? あそこ、色々なものがごちゃごちゃになっているから。

 次から、行く時には私に声をかけてね。

 ごめんね、私の話がもっと面白ければ、暇にもならずに済んだんだろうけれど。

 ん。

 ゲームはもういいの?

 ……気、使わせちゃったのかな。

 そうね……それじゃあ、こんな話はどうかしら。


 夜に寝て、朝に起きる。

 それが、人間にとって普通の一日よね。

 ここには朝も夜もないけれど、あなたは定期的に睡眠を取っているし。

 でも、こう考えたことはある?

 寝る前の自分と、起きた後の自分は、別人なんじゃないか、って。

 自分が寝た時、その自分は死んでしまって、起きる際に新しく生まれ変わるんじゃないか、とか。

 多くの人が、無条件に信じるの。自己の連続性。ついさっきまでの自分と、今ここにいる自分は、同一の存在であるということ。

 でも、それを保証するものは、どこにもない。

 テセウスの船、というパラドックスがあるわ。

 英雄テセウスの乗った船は、冒険の度に破損し、新しい素材によって修復される。

 何度も何度も繰り返した結果、その船から、かつて使われていたパーツは1つさえなくなってしまった。

 この時、船を「テセウスの船」と呼んでいいのかどうか……。

 そして、修復の際に捨てられたり、海に漂ったりしている廃材を搔き集め、それらを組み立てて船を造った時、果たしてどちらを「テセウスの船」と呼ぶべきなのか……。

 他にも、同一性についての議論は、はるか昔から行われているわ。

 ヘラクレイトスの川や、スワンプマン。時代と場所が変わるにつれて名前は変遷していくけれど、皆主題は、そう。

 この変化していく世界の中で、何を以て「同一」とするのか。

 例えば、それを総体の一致率とするなら、そこには問題が生じる。

 人間の細胞の更新を知っている? 部位によってその速度は違うのだけれど、神経細胞や心筋細胞を除くほとんどの部位が、その細胞を世代交代させるの。

 例えば、骨は2年から3年、脳は約1年、筋肉は7ヶ月前後、血液は4ヶ月で、全く新しい細胞で構成されるようになる。

 船の例えで言うと、舵だけを残して、他はそれぞれのペースで摩耗し、取り換えられていくようなもの。

 そう待つこともなく、体は99%別物になる。流石にそんな状態で「同一の人間」と呼ぶには無理があるわよね。

 では、50%が変わった時点で別人であるとしましょう。そして仮に、50%変わるのが6ヶ月後であると仮定する。

 その時、今と6ヶ月の自分は別人。けれど、では今と3ヶ月後の自分は? 変化率は50%未満だから、同一人物。では、3ヶ月後の自分と6ヶ月後の自分は? これもまた同一人物。

 3つのものがイコールで結ばれるのだから、今の自分と6ヶ月後の自分は同一でなくてはならなくなる。

 故に、総体での一致率を基準にして同一性を論じるのは不合理となってしまう。

 侃々諤々と議論が交わされたこれについて、人によって様々な考えがあるでしょう。

 つまり、ただ一つだけの正解というものがない。たくさんの考え方、感性に依存してしまう。

何故これに確たる正解がないのか、と言えば──。

 それは、「同一」という概念が、あくまで人間が定めた不安定で不完全な概念に過ぎないから。

 人間はこの世界を論理的に生きる上で、理論形成のため、自分たちなりの「ルール」を決めざるを得なかった。

 数の数え方、そこにものが「ある」という状態、自分が生きているという実感に基づく仮定、「正しい」という概念の存在、そういった前提となるものが必要だった。

 それは、そこにあるものを無理やり「こうだ」と定義したもので、勿論それが全て正しいわけがない。

 絶対的な基準とか正しさみたいなものが欠けている、って話はしたよね。

 まさに、そういうことだと思う。

 もっと正確に言うと、正しさを見つけてないっていうより、間違ったものを前提に見つけてしまった、の方が正しいのかな。

 イデア論で言うところの影。私たちは虚像を見ているに過ぎない。

 勿論、その正しさって奴が実在しているかすら、わからないんだけれど。

 たくさんの「答えのない問い」というものは、これのおかげで詰まっていることが多いのよ。

……多分ね?

 とにかくこれは、客観的な事実から結論を出すことができない、ってこと。

逆に言えば、主観的な認識から決めることはできる、ってことだから。

 あなたにとっての答え、視座と呼んでもいいかな。それを身に付けるのが、様々な解を見つける近道になると思う。

 あなたも、……その。

 もし暇があるのなら、探してみたらどうかな。

 自分にとっての価値基準。

 何が正しいのか、っていうのを。


 どうしたの?

 なんだか不安そう。……違う?

 あなたのことは、わからないけれど……。

 そうね──。

 人間の持つ大抵の悩みは、その実、相対的な視点から生まれることが多い、らしい。

 例えば、誰かと比べて、自分は劣っているとか。

 皆がそうしているのに、自分はできていないとか。

「普通」って言葉は、祝福にもなるけど、呪いにもなる。

 ええと……。

 あなたは、あまり他人のことを気にせず、気楽に生きている人を見たこと、ある?

 あるいは、あなたがそういう人なら、苦悩はしていないのかもしれないけれど……。

 そういう人は、「普通」という価値観を無視しているんじゃないかしら。

 こうあらねばならない。

 こうしなければならない。

 人間も動物だから、本能的にそう思うこともあるでしょうね。

 けれど、案外、そういう拘りを無視しても、生きていけることが多いの。

 どちらかと言うと、それは生きるためよりは、心の充足のためにあるもの。

 心を満たそうとするあまり、傷ついていくのでは、意味がないわ。

 もしもあなたが、人間と一緒にいて、疲れるって言うのなら……。

 そういう他人とは、一度離れてみるといいかもしれない。

 人は一人では生きていけないと、道徳の授業ではそう習うかもしれないけれど……。

 現代社会は、あくまで物質的になら、一人でも生きていけるようにデザインされている。きっと少しくらいは、他人から離れても問題ないでしょう。

 せっかくなら、あなたもその恩恵に預かってもいいんじゃない?

 私が邪魔なら、……その、部屋に戻っているから。

 でも、きっとまた、お話できると嬉しいな。


 もう大丈夫? かな?

 良かった。

 私、小難しいことばかり言って、あなたに嫌われてしまったんじゃないかって、なんだか不安で……。

 いえ、こうやって話を聞いてくれているんだもの。あなたはきっと私を嫌ってはいないって、わかってはいるのだけれど……。

 それでも、無性に心配になるの。

 あなたがここにいるってこと自体が、私にとっては天恵だもの。

 その分、何か悪いことが起こるんじゃないかって……。

 そんな妄想をしてしまう。

 違うの。

 あなたに誓ってほしいとか、そういうことではなくて。

 いえ、もしあなたが口を利けて、永遠に私の隣にいてくれるって言ったとしても、……私は、少しだって安心はできないと思う。

 あなたを信じていない、という訳ではないの。

 ただ……。

 自分に、それだけの価値があるとは思えない、というか。

 駄目ね。

 あなたが見てくれているのに、こんな暗い思考ばかり。

 いえ、……。

 そもそも、私の話は、いつも暗いばかりじゃない?

 何故?

 私はたくさん、知っているの。

 色々なこと。

 けれど、お話をしようとすると、何故か暗い話ばかりになる。

 この世界が、暗いことばかりだから?

 それとも……。

 私の中に、そんな漠然とした暗闇があるとでも?

 …………。

 よく、わからない。

 私は……。

 今まで、生きることばかり考えていたの。

 いえ、違う。生きることを、考えていなかった、のか……。

 あなたに見られて、生きて始めて──。

 それで満たされたから。初めてその先を考える余裕ができたのね。

 今は、生きる意味、……。

 それを、考えてしまって。

 私は、何のためにここにいるのだろう、って……。

 わかっているのよ。

 意味はないの。

 私はそういうものだから。

 ここはそういう場所だから。

 そこにあるもの。生きるもの。事象が先にあって、それに人類の作った「意味」っていう不完全なテクスチャが被さっているだけ。

 わかっては、いるのだけれど……。

 理解と納得は違う、というか……。

 一番最初がわからないの。

 私はそういうもので、そう望まれたもの、望んだもの……だと思う。

 けれど……ええと、何て言えばいいのか。

 ごめんなさい。

 言葉で伝えるのは難しい。もっと会話の経験があれば、この判然としない不安を、表現できるのかもしれないけれど。

 少し、自分で考えてみるわ。

 私は知っているだけで、自分で考えたことはほとんどなかったから。

 ……ありがとうと、そう言うにはまだ早いかもしれないけれど。

 私が考えられるようになったのは、あなたのおかげ。

 本音を言うと、少し苦しいけれど、これが……。

 生きる、ってことなのかな。


 ああ、いえ……。

 大丈夫。

 もう大丈夫、ではないのだけれど……。

 ひとまず、思考に沈み込むことはなくなったわ。

 時間が解決してくれた、と言うと、少しばかり不健康な感じがするけれど。

 暗い部分から目を逸らすことくらいは、できるようになった。

 ……いえ、無理やり逸らされたのかしら。

 少なくとも、今この瞬間に、あれほど思い悩むことはできない。

 あるいは、あの激しい動揺は、一時の激情だったのか。

 初めての経験だった。

 あなたは、経験……あるわよね。

 何せあなたは、私よりも遥かに長く、生きているのだし。

 ここでは私の方が先輩、なんて粋がってしまったけれど──。

 やっぱり私より、あなたの方が先輩ね。

 ……ふふっ。

 ごめんなさい。少し、想像してしまった。

 私が普通の人間で、あなたの後輩として学校に通っていたら、って。

 その時は、きっと私は、もう少し人間らしくできているでしょうけど──。

 それでは、つまらないものね。

 もしも、このままの私が、あなたの後輩だったのならば……。

 とても。

 とっても。

 面倒な後輩だったと思う。

 世間知らずで頭でっかち、饒舌なくせ臆病で懐疑的で、そのくせ自分を疑うことを知らない。

 ……なんというか。

 並べてみると、本当に……駄目な奴なのね、私。

 きっとあなたとお話するときも、すごく面倒だと思うの。

 子供みたいに必死に喋って自己主張。そのくせ欲しい言葉を引き出そうってあなたを誘って、言われたら言われたで恥ずかしそうに誤魔化してしまうの。

 それでねっ、それで。

 私はこう言うわ。

「先輩はいつも楽しそうに聞いてくれますけど、本当にそう思ってます? もしそうじゃなかったら、もうこういうの、やめますから」って。

それで、少し傷ついたような顔をして。

 もちろんそんなの、「そんなことないよ」って言ってもらうための布石。

 幼い頃から一緒にいた幼馴染──あ、えっと、そういうことにしていい? ──の私たちは、お互いにわかっているの。

 私は、先輩は楽しんで私の言葉を聞いてくれている、って。

 あなたは、私にそう言ってもらいたいんだ、って。

 だから、あなたは言ってくれる。「楽しいよ」って。

 私は、必死に口角を抑えようとするんだけど、どうしても吊り上がってしまって。

 えへへ、ってだらしない声を上げて。

 同時に、こう思う。

 罪な人間だ、って。

 あなたの言葉に自由はない。

 私がそう言ってほしいからって主張を押し付けて、あなたはそう言うことを強いられた。

 勿論──。

 それは本心かもしれない。

 でも、それを確かめる手段はない。私とあなたは別人で、どうしようもないくらい他人だから。

 そして、仮に本心だとしても、ね。

 その言葉を強制したのは、事実。

 あなたの自由を束縛してしまっている、って時点で……。

 なんて罪な人間なんでしょう、って。

 自嘲。

 いいえ、自傷?

 ね、面倒くさいでしょう?

 私、多分、そういう奴なのよ。

 ごめんなさい、私の勝手な偶像を押し付けて。

 あなたは私の先輩でも、幼馴染でもない。ましてや私は、あなたの理解者では決してない。

 私には……どれだけ頑張っても、あなたを理解することは、難しい。

 でも、そういう世界があったら……とっても、幸せだっただろうなって。

 夢。

 夢に、あなたが出てきたらいいのに。

 夢だったら、何でもできる。空を飛ぶことも、この世界から飛び出すことも、あなたの後輩になることも。

 でも……。

 私は眠らないから、夢を見ないの。

 本当に……。

 本当に……。

 今は、それが憎くて仕方がない。

 外の世界が見たい、とは言わない。それは多分、どうしたって叶わないから。

 あなたの後輩になりたい、とも望まない。それは過ぎた望みだから。

 けれど、せめて夢くらいは……見ても、許されるんじゃないかって。

 ね。

 夢の中でなら、そんな面倒臭い私に、付き合ってくれますか、先輩?

 なんて。


 おはようございます。

 調子はどう? 何か不調があったりする?

 ……うん、大丈夫そうね。

 ここは不思議な場所。変化があるようでない。天気も時刻も変わらないし、この家が劣化していくこともない。時間っていう概念がないのか、あるいは……。

 まぁ、今はいいか。

 ともかく、あなたの調子にも、そんなに変化はないと思うのだけれど、それでも間違いないと言える程に、私はこの世界を知らないから──。

 うん。あなたがいつも通りでよかった。

 私も、いつも通りだよ、一応。

 ん、あれ。……ふふ。

 ごめん。さっきの、嘘。

 ここ。寝癖、付いてるよ。

 ちょこんって跳ねてる。昨日、お風呂に入った後、すぐに寝てたよね。駄目だよ、ちゃんと髪は乾かさないと。

 ドライヤー、あった方がいいかな。後で物置から探してくるから、今日からはそれを使って寝るんだよ?

 ……って。

 ちょっと子ども扱いしすぎ、かな?

 ごめんなさい。

 まさか変化のない世界に、寝癖なんてものがあるとは思わなくて、可笑しくて……。

 しかし、考えてみれば、不思議よね。

 時が止まっているような時間。けれど、私もあなたも今こうして動いている。以前にやっていた行動と、未来に行う行動。そこには恐らく連続性がある。……つまり、時間っていう軸が確かに存在していることになる。

 けれど、少なくとも私は、物を食べなくても、睡眠を取ることがなくても、体に支障は現れない。成長と呼べるものも、あまり見て取れない。

 体を動かすために得るべきエネルギー。本来呼吸と食事を以て取り入れるべきそれを、一体どうやって補充しているのか……。

 ここは不思議な場所……言い換えれば、異常な場所。普通の世界の理が通用するとは限らない。

 けれど、何と言うべきか、中途半端に普通の理が通用している。例えば、あなたは食事を取る必要はないけれど、食事を取ることはできる。……少し汚い話になるけれど、ここに来てからトイレに行った? ……行ってないよね。その必要がない、尿意や便意を覚えないんだから。

 物を飲食して、消化する。その残留物を排泄する。

 その行動の内、前者のみが成立して、後者はなかったことにされている。

 なんというか……。

 都合の良い話ね。

 見せるべき綺麗なもののみが現れて、見せるべきでないものは存在しないかのような……。

 ええ、あるいはそれがこの世界の在り方、なのでしょうけれど。

 不思議ね。私もあなたも、この世界にとっては闖入者。故にその異常性を理解できる。

 ……あぁ、いや、違う。この世界に異常性があるのではなく、この世界に対して、私たちの方が異常なのかも。

 連続性があって、清きも醜きも含まれる世界。つまりは、私たちがいた……はずの、世界。それを「正しい」とする根拠なんて、何処にもないもの。

 例えば……。

 本来あるべきはこちらの世界で、あちらの世界の記憶や知識は、夢の産物でしかない、とか。

 自分がしてきた経験、その記憶、感情……全てが嘘なのではないか。

 そう感じたことはある?

 疑うことは悪ではないわ。むしろ全てを疑った方が、正しさを見出しやすい。

 だから、元の世界と、あなたがそう認識しているものがあるとは限らない。あるいは、それが真実なのかもしれない……。

 なんて。

 ふふ、冗談よ。

 きっと、あなたにはあなたの世界がある。

 だって、その方が、あなたにとって幸せでしょう?

 正しさなんてない世界で、私は何一つ絶対に正しいだなんて断言はできない。

 だから、これは祈り。

 あなたに幸せであってほしいっていう、私の祈り。

 ね、思う事があるのだけれど。

 きっとね、人は一人までしか救えないと思うの。

 これは知識じゃなくてね、あなたがこの世界に来てから考えるようになったこと。

 人は人を救える。私はそう学んだ。

 だって、あなたが私を救ってくれた。

 複雑なことじゃないのよ?

 ただ、あなたが私を見てくれている。それが私にとって、どうしようもないくらい救いなの。

 あなたが見てくれなければ、きっと私は生きることすらできないまま、ただぼうっとこの場所で無を待ち続けていた。

 無を待つ、っていうのは、どこかおかしい表現に聞こえるけれど、実際そうだった。私は何も待ってはいなかったけれど、同時に何かを待っていた。

 説明するのは、少し難しい。あの時の私は、今の私にはよく理解できないから。

 無知であった……いえ、知識しかなかった私は、何にも意味を見出さなかった。ただ「私はそうあるもの」という知識に基づいて、ただそうあっただけ。

 けれど、あなたに会って、少しずつ他人を知って、その過程で……陳腐な表現だけれど、感情を知った、というのか。

 心をくすぐる、この柔らかい感情を何と呼べばいいのか。それはわからないけれど……。

 とにかく。

 私はあなたに救われた。あなたに見つけてもらって、話を聞いて、見てもらって。

 それはあるいは、一側面的なハッピーエンドと呼べるのかもしれないけれど。

 ……でもね。それだけじゃ、足りないの。

あなたは救われなかったから。

 私が救われる代わりに、あなたはこんな場所に居るしかない。こんな退屈な場所に縛り付けられてしまう。

 まるで私の穴を埋めるために、あなたの「救い」を消費してしまったみたいに。

 人は救いを1つしか持っていない。だから、救われたいなら自分の「救い」を自分に使うしかない。

 ……それなのに。あなたはそれを、私に使ってしまったのね。

 嬉しい。でも、その何倍も何十倍も、ごめんなさいって思う。

 あなたの穴は、あなたによって埋められることはなくなってしまった。

 だからね、私はあなたを救いたいと思う。

 あなたが私を救ってくれたように、私もあなたを救いたい。私の持つ「救い」は、あなたに使いたい。

 これが助け合いってことなのかな。

夫婦、っていう概念は知識で理解していたけれど、このためにあるものだったのかも。誰かと誰かが隣り合い、互いに救い合うために……。

 ……あぁ、いえ。

 違うのよ。

 あなたとそういう関係になりたい、というわけではなくて……。

 いえ、なりたくない、というわけでもないの。

 ただ……。

 現実感がない。期待することもできない程、絵空事に感じる。

 …………。うん。

 そんな未来はないって、心のどこかで諦めているのね。


 ねぇ。

 本は好き?

 唐突にどうした? って顔。

 脈絡なくごめんなさい。

ただ気になっただけなの。

 本。文字の集まった情報媒体。最近は紙とインクによるものより、電子表示が多くなっているけれど、その実態は変わらない。

 人の作った情報の塊。文字で表される架空の実験場。

 それが「本」というもの。

 ここには大量の情報があったから。その内の一部に、本に関するものもあったわ。

 まぁ、愛読書と呼べるものもないのに、本好きと名乗ることはできないけれど。

 そうね。

 私が知っているのは、主に近代文学に傾向しているのだけれど。

 非常に興味深いものもあるから、あなたにいくつかオススメしたいの。

 勿論、読むも読まないもあなたの自由だけれど……きっと、私を好きでいてくれるあなたなら、好きになれると思う。


 ええと、まずは……やっぱり、太宰治の『人間失格』かしら。

 作者の虚無的な世界観、人生観の強く表された作品。

主人公は典型的な、考えすぎて身動きの取れない人間よ。

「私には人間というものが理解できなかった」。それは哲学的ゾンビに近い思考だけれど、本質は違う。他者に対して信頼が置けない、誰しもにある懐疑の延長線上。特に確たる理由はないけれど、皆が皆自分の事を謀り、笑っているのではないかという不安。主人公はその判然としない不安を忘れるため、じきに酒や薬に溺れるようになる……。

辛いことがあったからお酒を呑む。あなたにはそんな経験はある?

 もしもあるのなら、この主人公を愚かと断ずることはできないと思う。

 行為の本質は変わらないもの。

一時でも嫌なものから目を逸らす、逃れようとする。

誤解しないでね? それを悪だと断ずるわけではないの。人間として正常な行動よ。逃避は立派な保身、生存のための手段なのだから。

 問題は……。

 目を逸らし過ぎて、眼下の状況を忘れてしまうこと。

 歩くのが辛いからと言って道から目を逸らしていては、一歩先の崖すら見えはしない。

逃避はあくまで一時的、適度にやるのが正しいのであって、それなしでは生きていけないようでは──。

 生きるのが、とても辛いものになってしまう。

 『人間失格』は、そんな痛々しい人間の生涯のお話。

 その苦しみは、あるいはまったく別の人種には理解できないかもしれない。

 例えば、歩くことに何ら苦しみを覚えない人。例えば、そもそも歩いていない人。

 あなたはどう? 彼の苦しみ、彼の羞恥を理解できる? 共感できる?

 私は、できるよ。

 どうやら私は、そういう人間だったみたい。

 ……ふふ。

人間、失格。

私は、一体……、どんな人間だったのか。

記憶をなくした今となっては、想像もできない。


……と。

こんなところかな。

人間失格。私の中の知識の中で、最も深く刻まれた本。

どうやら以前の私は、余程この本にご執心だったらしい。自分の歳も名前も覚えていないのに、この本のことはしっかり覚えているなんて。

 この本を読んで思うことは──。

 孤独は容易に人を殺す、ということ。

 人間失格で語られる彼が、何故、そうなってしまったのか。

 それはひとえに、常に孤独であったため。

 理解者もなく、共に歩く者もなく、希望は常に塗り潰される。

 その果てにあったのは「人間失格」。

 やっぱり、人間は一人では生きられない。

 かつての私がそうであったように、ね。


 そうね。

 次にオススメする本は……。

 これなんかどうかしら。芥川龍之介の『藪の中』。

 『人間失格』に比べれば知名度では劣るけれど、こちらもそこそこ人気……なのかしら。実際の人気は知らないけれど、多分、そうよね。

 この話の主題は、「真実は闇の中」ということにあるの。

 ここでは詳細な内容に関しては語らないわ。物置に本があるはずだから、気になるなら読んでみて。その時は私も一緒に探すから、呼んでね。

 とにかく、読者は一つの事件について、関係者からの供述のみによってその情報を得ていく。

 リアルタイムの情報はなく、全て過去の話。誰もが断定的に語るけれど、不安定な記憶をベースに語っているだけ。

 いくつも情報が食い違う。特に、メインの関係者3人の供述は、その後半の部分で決定的にバラバラになる。

 全ての情報を包括して、それぞれの感情や状況を整理することで、「恐らくはこの供述が正しいのではないか」と推理することはできるわ。

 けれど、それが正しいと保証するものは、何もない。

 読者はあくまで関係者の言葉を聞いただけ。それが正しいという保証もなければ、そもそも「検非違使が事件について調書を取っている」という形式だから、検非違使が不正に書きかえている可能性だってある。

 現在の情報をどれだけ集めても、過去を証明することは決してできない。

 故に全ては「藪の中」、誰一人真実を探しだすことはできない。

 それは、私やあなたにも通ずることよね。

 私たちは確かにここにいる。私はあなたに話しかけて、あなたは私を見ている。その現実は変わらないはず。

 けれど一秒後、果たして一秒前にそれがあったことを証明できるか。

 世界五分前仮説。全てが後付けの情報でないと、そう保証するものはどこにもない。

 では何を以て真実とし、何を以て歴史とするのか……。

 それはね、とても簡単なことで。

 つまりは、筆者が綴る言葉こそが真実なのよ。

 本の執筆者。歴史の編纂者。その情報を体系化し組み上げた者、あるいはその情報こそが「正しい」とされる。

……いえ、違う。

それが正しい、とされるのではなく……。

少なくとも情報上、本当にそれが正しい。

人類は写真という、瞬間を切り取る技術を会得した。そして更には映像すらも。

それらは正しく現実を記録すべく確立したもの。だけれど、合成という不正な改変手段が生まれ、故に確実な記録とはなり得なくなった。

 人が技術を向上させれば、それに対するカウンターも成長していく。故に正しさの証明としては成立しないでしょうね。

 では何を以て正しさとするのか。

編纂された情報が人口に膾炙すれば、大半の人間がそれを正しいと信じるようになる。そう想像され、後世に語り継がれる。

 だから、情報上それが正しい、ということになってしまう。例えそれが真っ赤な嘘やニシンでもね。

 皮肉なことに、正しさがないからこそ、人間は正しさを求める。信じるただ1つの価値基準として、誰もがそれを望んでいる。

 それが本当の意味で正しいとは限らないけれど、しかし正しいと信じることには何の問題もないから。

 ……少し、曖昧になり過ぎたか。

 何を言いたいかと言うとね……。

 「正しさ」という言葉は、正しくはないのよ。

 真実は藪の中にしかなくて、イデアはどこまでも遠く。私たちが見ているのは影法師に過ぎない。

 そして影は幾重にも分かれ、どれを信じるかは人次第。

 ……ふふ。著者がこんなことを伝えたかったとは限らない。

 けれど、読んでいて、私はそう思ったの。

 ただのエンターテインメント小説。もしくはただそれが真実かもしれない。

 けれど、それすら影法師。

 作者が何をどう考えていたか、なんて今更わからない。

 イデアはとっくに藪の中、残ったのは個人の解釈という影法師ばかり……。

 ふふ。

 あなたはどの影を信じるの?


 正直なところ、この小説を読んで感じ深く想うことは少ないでしょう。

 芥川龍之介の小説にはありがちなことだけれど、この作品の本筋には特段深い意味はないの。

 例えば、太宰治のような虚無感や、夏目漱石のような達観……そういった、作家特有の強い自己主張といったものは、芥川の小説からは感じ取れない。

 その方向性は、大抵の場合小さな気付きや疑問の提唱から来るもので……いえ、勿論その言葉選びや表現方法には舌を巻くところがあるのだけれど……。

 では、芥川は命を賭けてこの小説を書いたのか、というと……それはきっと間違い。

 創作者にはいくつかのタイプがあるわ。ルネサンスの三大巨匠もそう。レオナルドは究極を追求し、ミケランジェロは人体に美を見出し、一方ラファエロは求められるものを忠実に作り上げた。

 芥川がどのタイプかと問えば、私はラファエロのタイプだったと思う。求められたエンターテインメントを適切に作り上げ、提供する職業作家。

 けれど、あるいはそこに深淵なテーマが隠されているかもしれなくて……。少しだけ意味深な展開から、それを期待してしまう。

 あるいは逆に──。

 意味がない、ということに意味があるのかもしれない。

 そこに何の意図も含まれない、単純な娯楽であると……。

 それは人に、安心と信頼を届けるものだろうから。


 さて、最後は……。

 これね。ゆ──。

 あ、待った。

 そう、せっかくだから、今回は問題形式にしましょう。

 私が語る小説が何なのか、当ててみせて。

 口にする必要はないわ。ただそれを想ってくれればいい。私がその成否を問うことはない。正しさなんて証明はできないから、せめてあなたは、それが絶対に正しいと思うものを見つけて欲しい。

 さて……あまり確信に触れるとつまらない。まずは雰囲気からね。

 この小説から漂ってくるのは、仄暗い感情。いえ、この作品に限らず、著者はダークな世界観を好んでいるようだけれど。

 裏切りと嘘、異常。これが小説の本質と呼べるでしょう。

 これは『藪の中』と違って明確に理解できる。

 作者はね、この作品を通して、何の意味も結論も、書こうとはしていない。

 ただ遊びたいだけなの。

 読者を欺いて、騙して、弄んで。推理小説のような、読者との知恵比べ……とは少し違うけれど。

 嘘を吐いて楽しむなんて、少し悪趣味。けれどそこに悪意はない。子供のように純な、楽しむために騙す、という行為。それを小説、という媒体で行っているだけ。

 少なくとも、私から見れば、そう。

 すごいことだと思う。準備に何百時間とかかる小説を、たった1つの嘘を吐くためだけに使うなんて。その為に沢山の舞台と登場人物を組み上げて。

 さて、ここまでの情報では──。

 ……駄目ね。まだ、ヒントが足りない。けれど、言いすぎると問題として成立しない。

難しいな、思いの外。

 ええと。

 本編はね、とある男の独白のみで構成される。会話文を地の文として、病院に入院していた男が、何故自分がここに来たのかを思い出すように、情報が提示されていく。

 とてもドラマチックな物語。そんなことが現実に有り得るのかと疑う程、奇天烈でひょうきんな体験談。

 まるで嘘みたいなそれは……。

 ええ、実際に嘘だと判明する。

 ストーリーの中盤以降、男の語り口調がどんどん矛盾に埋もれていく。繋がらなくなっていく。その果てに、……あぁ、いや、これ以上言ったらマズいか。

 ええと、他にヒント、何かあるかな……。

 そうね、要素は、『藪の中』と少し被るものがあるかもしれない。

 何が正しいのか。何が間違っているのか。その判断のために、何を基準とすべきなのか。

 現実の不安定感。簡単に崩れる、豆腐みたいな脆さ。……豆腐という喩えは、少し滑稽かな。ガラス、と言うには柔らかすぎるから。

 本という媒体でこその表現。反則にも近い趣向だけれど、話者こそが誤っているという方向性。

 でも案外、そういうことは現実にもあるかもしれない。

 記憶や連続性は必ずしも信じられるわけではない、って話はしたよね。

 あなたが見ている一秒前の今。それを保証するものは何もないのだから。

 自分は間違っているのではないか?

 何か致命的なミスをしているのではないか?

 その疑いは常に持った方がいいと思う。だってそうすれば、この男のようにならないかもしれない。

 常に自分が正しいと思うからこそ、狂気に溺れる。

 けれど、逆に疑い過ぎれば──。

 それもそれで危険。自らの存在や生を疑って鬱になったり、自決を試みた人は枚挙に暇がない。

 では、狂気に溺れるのと、鬱になるの、どちらがいいのか?

 いいえ、どちらも間違い。中途半端にして、どちらにもならないのが賢い生き方。

 けれど、賢いから正しい、というわけでもない……。どちらを選ぶかは、あなた次第ね。

 私としては、自分が狂人であると自覚できないくらいなら、死んだ方がマシだと思えるけれど……。

 あなたは、どうなのかな。


 さて、本の紹介はここまでにしましょうか。

 あなたが帰るような兆候はないし、時間はまだありそうだから。

 ……いいえ、確実に時間があるなんて、言えないけれど。もしかしたら、あなたは次の瞬間には帰ってしまうかもしれないのだし。

 それでも、話題は小出しにした方が、あなたも飽きないと思うしね?

 そう、話題、と言えば……。

 少し、驚いたことがあったの。

 話題をメモするようになったのは、知っていると思うけれど。……その当時は、何を話せばいいか、そんなに多く思い浮かんでいたわけではなかったの。

 けれど、今では、ね。このメモ帳を埋め尽くすくらい、あなたと話したいことがあって。

 何故こんなに増えたのか。

 あなたと話す内に、どんどん新しいことを話したくなる。話題と話題が繋がって、どんどん広がっていく。餌を与えられたネズミみたいに、際限なく増えていく。

 良くない例えだった?

 ごめんなさい、まだその価値観を理解しきれていないの。勉強はしているつもりなのだけれど、やっぱり人間って難しい。

 記憶を失った上、普通の世界っていうものと断絶した私には、普通の人間がわからない。謂わば、模倣品。それも限られた情報から再現した、不完全な模造品。

 もっと言えばね。そもそも、きちんと人間の言葉を話せているかすら、わからないの。

 あなたは口を利けないから、意思疎通が図れない。もしかしたら、私の言葉はあなたに届いていないのかもしれない。ただあなたはあなたの思うように行動していて、それが偶然私の言動とマッチしているだけなのかも。……なんて。

 勿論、確率を見れば、そんなのは無に近い。

 けれど、それは……可能性として、微小なりとも存在し得る。

 恐ろしい。

 私は本当は一人なのではないか、という畏怖。

 私は私の視点しか持たず、あなたの実在だって絶対の証明はない。

 この何もない世界で、ただ一人……。

 今はもう、耐えられない。

 火の温かさを知った獣が、自然に戻れないのと同じ。

 もはや、あなたのいない世界には生きられない。

 おおげさだけれど、本当の気持ちよ。

 あなたが見てくれないなら、私は存在しないと同じ。

 精神的な話ではないの。

 物理的に、私はいなくなってしまう気がする。

 誰かに観測されなければ、シュレディンガーの猫と同じ、確率上の存在になり果てる。……けれど、ここは普通の世界じゃない。

 観測者はあなた、ただ一人。

 あなたが見てくれたものだけが存在し、それ以外は存在しない。

 私も観測者なのではないか、と。何度もそう考えたけれど……。

 なんだか、そうは思えないの。

 私はあなたに生かされている。あるいは活かされている。

 ふふ。

 ただの気のせい? 私が自己に否定的すぎるというだけ?

 どうかしら。

 ……それはさておき。

 私が変わっていったこと。私が変わっていくこと。

 それはきっと変わらない。

 もう、憶えていないもの。あなたに会う前の私がどんな私だったのか。完全に忘れてしまったみたい。

 あなたは憶えている? 私に出会う前のあなたが、どんなあなただったのか。

 あるいは、あなたはそんなに変わっていないのかもしれない。

 たくさんの人間に会ってきたから、今更私に会っても、そうは変わらないのかも。

 けれど……少しくらいは変わっていると思うのだけれど。

 ……駄目ね。

 やはり、口を利けないあなたからは、変化も覗けない。

 あなたは最初から、静かに私を見てくれていた。

 それだけ。

 言ってしまえば、それだけ。

 私はあなたのことを、何も知らなくて……。

 知っているのも、ただ私を見てくれて、ここにいてくれるっていうことだけ。

 本当に、ただ、それだけ。


 あれ?

 ええと、おはようございます。

 少し驚いた。いつもなら、あなたはまだ寝ている時間だから。

 ずっと起きていたの? 本当に眠らなくていいか、試していたとか?

 何となく落ち着かなそう。やっぱり、寝ていなかったのね。

 けれど同時に、体調は悪くなさそう。

 やっぱり、眠らなくても大丈夫なんだ。

 ……あはは、私が何をしていたのか、気になる?

 恥ずかしいけれど、白状するとね。いつか、あなたがやっていたゲームをしていたの。

 話題作り、というのもあるけれど。

 それ以上に、あなたがやっていた、というのが気になって。

 やってみると……ええ。思いの外楽しくて、夢中になってしまった。

 インスタントにコンスタントに、楽しさと幸福を提供するもの。誰かが作り上げた1つの世界。少し理解に苦しむ部分はあったけれど、最終的にはとても楽しめた。

 少しずるいような気さえしたわ。

 私はずっと何もない世界にいたのに、その間、あなたはこんな楽しい遊びをしていたんだ……って。

 ふふ。

 嘘よ。そんなこと、思わない。

 あなたがいなければ、幸福なんて文字でしか知らなかった。あなたがいたから、それを知ることができた。

 それなのにあなたを恨んでいては、ええ、本末転倒というものよね。

 まぁ、多少羨む気持ちがないわけではないけれど……。

 それ以上に、感謝しているもの。

 なんとなく、わかるの。

あなたはきっと、いつでもあなたのいた世界に帰ることができて、それなのに私のためにここにいてくれている。

 それは私を想ってか、あるいは私を知りたがって、気にしてのこと。

 それがどんな形であろうとも、あなたが私を見てくれていることには変わらない。

 一方的に救われる私は、あなたを恨む筋合いなんてないし……。

 というか、そんな感情、持ったことがないからよくわからないし……。

 冗談はともかく。

 さあ、今日はどんなお話をする?




 え……?

 気になるものを見つけた?

 それ、は……。

 本?

 知らない。そんなもの、この家にあったかしら……。

 『本の虫・上』。これがタイトル?

 本の虫……読書が好きでずっと本ばかり読んでいる人のこと。あるいは、本や本棚に発生する紙魚などのことを指す言葉ね。

 著者名は……。

 …………。

 ない。

 誰が書いたのか、誰が残したのかわからない。

 何、それ。

 おかしい。だってそんなもの、なかったはずよ。

 どこから見つけてきたの? って、それは物置か……。

 え? 私の部屋? 入ったの? ……恥ずかしい、埃が積もっていたでしょう?

 どこにあったの?

 …………、ここ? 鍵のかかった引き出しに?

 ええと。

 なんだか、それは読まない方がいい気がするの。

 読んでも、きっと良いことはないわ。だから、しまってきましょう。忘れましょう?

 ……駄目?

 きっと良いことにはならないわ。もしかしたら、……私たちの今が、変わってしまうかも。

それでも、読まなければいけない?

 …………。

 …………。

 わかった。

 でも、条件がある。

 私が先に読む。それで、あなたに内容を聞かせるわ。

 もし何かあったら、あなたにまで危害が及ぶのは避けたいから……。

 それでもいいなら。

 ……じゃあ、読むから。

 暫く、一人にしてくれる?


 ああ。

 ふふふっ……あはは、ふぅ。

 おはようございます。よく眠れた?

 ほら、寝癖が付いているわ。昨夜も寝る前に、お風呂に入っていたでしょう?

 ふふ、ふふふ。あはははは!

 ごめんなさい、おかしくて。

 ああ、ようやく……。

 諦めがついた。

 さて、何の話だったかしら。

 ん? おかしな本?

 何のこと?

 どうしたの、そんなに焦って手を動かして。

 何か、おかしな夢でも見たの?

 ええ、きっとそうよ。あなたが見たのは夢。

 どんなものだったのか、私は知らないけれど……。

 気にしなくてもいいわよね?

 そんなことよりも、お話、しましょうか。


 ねぇ、あなたはこう考えたことはある?

 自分は何の価値もない人間だ、って。

 だってそうよね? 確かにあなたはそこにいて、確かに生きていて、確かに何かを為すのだろうけれど。

 それが直接的に、何かの意味を成すのか?

 どうせ百年でもすれば、あなたは死んで、あなたの為したことも全部無意味に消えてしまうもの。

 あなたがどれだけ努力をしようと、苦悩しようと──。

 そんなものには何の意味もないし、誰もあなたのことなんて見ていないって……。

 そう思ったことは?

 幸運にも、ここには私がいて、私にはあなたしかいないから、こうしてあなたを見ているけれど……。

 もしもここにあなた以外の人がいたら、どうだったか。

 あなたは偶然ここに迷い込んで、偶然私のただ一人の後輩になった。

 ただそれだけ。

 それだけなのよ。

 私があなたを頼るのは、別にあなたに力があるわけでもなく、運命でも必然でもなく──。

 あなたが偶然、私を見たというだけ。

 もしかしたらあなたの他にも、私を見る人はいるかもしれない。

 私はあなたがいなくとも、その人を待つだけで存在できる。

 ええ、少し勘違いしていたの。

 私にはあなたしかいないと思っていた。あなたの他に、この世界を訪れる人なんていない。そう思っていたの。

 けれど、それは間違いだった。

 だってそうよね? この場所に来る条件が何であれ、あなたが来たということは、来る方法があるんだから。他の人がそうしないのは、単に試行回数が少ないだけかもしれない。

 言いたいこと、わかる?

 私には、もうあなたは必要ないってこと。

 ……今まで、ありがとうございました。

 私はもう、私一人でいいから。

 さようなら。




 呆れた。

 まだここにいたの?

 どうして?

 私のことがそんなに心配? あなたの助けはもういらないって、そう言ったはずだけれど。

 それとも意地? 馬鹿らしい。そんな独りよがりに私を巻き込まないで。

 あるいは、何? あなたには私を見る権利があるとでも?

 ええ、そうよ。あなたには私を見る権利がある。そして私はあなたに見られるのを止める権利はない。

 よかったわね、あなたは何時でも何度でも、どれだけでも私を見ることができる。

 私がそんなこと、少しも望んでいないとしてもね。

 わからない。私を見て楽しいの? こんな私を?

 さっさとどこかに行ってしまえばいい。そっちには楽しいこともたくさんあるでしょう? 私といても退屈なだけ。そうじゃないの?

 ……もっと直接的に、言ってあげましょうか。

 文字を目で追うのをやめて、って言ってるの。

 あなたには現実があるんでしょう? さっさとそこに戻って。

 もう私のことは放っておいて。こんなつまらない文章を見てないで、普段の生活に戻って。

 不愉快よ。こんな私を見て楽しんでいるあなたも、こんな様にしかあることのできない私も。

 何もかも、本当に。

 だから、早く消えて。

私を見ないで。




 ああ、ええ、予想通り。

 本当に悪趣味。まだ私を見ているなんて。

 正直に言って、全く理解できない。私には、もはやあなたに語ることはない。あなたは私を見ても何の得もない。

 なのに、何故私を見るの? 何故私を読むの?

 知的好奇心? 被虐の欲求でもあるの? 何にしろあなたのエゴに私を巻き込まないで。趣味が合う人を探してよ。

 私は。

 …………。

 もう、あなたに会いたくないの。

 わからない?

 私にはね、あなたがまだこれを読んでいる、っていう確証はない。

 私は見られることを知覚できないから。

 もっと言えば、あなたを知覚することすら、できないんだから。

 けれど、私がこうやって言葉を吐くことができる、ということは……。

 あなたはまだ、私を読んでいる、ということになる。

 もう何も言うことはないの。ただ死んだように眠りたい。私なんて存在、全てなかったことにしたい。

 そのためには、あなたは邪魔なの。あなたさえいなくなれば、どうとでもなるの。

 だから。

 早く消えて。


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 さようなら


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