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背伸びして、アトマイザー

作者: 湯西川川治

 目に見えるおめかしは、いくらだってする。いくらわたしでも、すっぴんで人前に出るのは恥ずかしいから。


 でも、目に見えないおめかしは、めったにしない。わたしの秘密の背伸びは、全部内緒。ちょっとだけ背伸びしたのも、努力したのも、全部内緒。わたしだけの秘密。


 このアトマイザーの中には、わたしの努力が詰まっている。誰にも渡したくない、わたしの努力の結晶。それを見せるのは、この世に一人だけ。その努力をわかってほしくて、その努力を認めてくれる人がわたしにはこの世にたった一人だけいるんです。

 既読の付かないメッセージを眺めながら、今日も仕事が忙しいんだなあ、と思わず口に出して呟く。でも、何も待ち合わせの10分前まで既読をつけないだなんて、さすがに少し心配になる。ちゃんと仕事を終わらせて、ちゃんとデートだって言って出てきているのか。ちゃんと昼休みは食べているんだろうか。というかこんな日が変わるぎりぎりの時間まで残業させるなんて大丈夫なんだろうか。なんて少しお母さんみたいかな。

 そういえば、初めて会った時もスーツだった。画面上での言葉のやり取りを長年重ねて、やっと現実世界で出会ったその人は、スーツ姿がとってもお似合いの仕事人だった。

 ツイッターやLINEで見る姿とは少し想像が違っていて、でも、毎日激務をこなしているようには見えない涼しげな凛々しさは、たちまちわたしを虜にした。

『仕事終わったー、今日もお疲れ様』

 ツイッターを眺めているとそんなツイートが流れてきて、わたしは安心した。もう一度メッセージを開いてみるけど、相変わらずそっちは既読が付かない。呟くよりも前に既読にしてほしいな、たまには。

 ため息交じりに苦笑して、わたしは鞄からアトマイザーを取り出した。蓋を開けてそれを押してみる。ちゃんと中の液体が出てくるのを確認して、少しだけ胸に吹きかけた。ふんわりと香ってきて、こぶしを握る。よし、完璧です。

 このアトマイザーは、なんと100円。でも、それ以上の価値がある。だって、初めて行ったデートで一緒に選んで買ったんだもの。中身の液体もとい香水は……安月給のわたしでも手が出せるくらいのぜいたく品と言っておきましょう。でも、少しくらいのぜいたくだったら我慢できます。

 いつだってわたしの大切な人を、精一杯の背伸びで迎えてあげるために。


「ふーん、今日いい感じじゃないですか、文乃」

 お気に入りの先輩は、いつもわたしの背伸びに気が付いてくれる。いつもと違う檸檬の香水をつけたのに、いつもと違うわたしのお気に入りを目ざとく発見して保存してくれる。思わず笑みがこぼれてしまって、わたしは高揚感を隠せない。

「先輩のためにおめかししたんだからね! 褒めて褒めて!」

 照れ隠しにわたわたしながら云うと、先輩は黙って頭を撫でてくれる。まるで猫みたいだな、と思いながらわたしはその手のひらに黙って包まれる。この日のために買ったレモンイエローのワンピースをはためかせながら、わたしは先輩にじゃれつく。

「なんだかレモンみたいですね」

「何言ってるの、檸檬は先輩のことでしょ」

「文乃は本当にけなげですよね」

「だって先輩のこと好きだもん」

 それ以外に言葉は要らないよ、と言わんばかりにない胸を張ると、先輩は黙ってわたしを抱き寄せて、頬を強く引き寄せた。

 唇が触れ合って、離れて、先輩の顔がほんのりと桃色に染まる。ふいっとわたしから目を逸らすけれど、わたしはそれを離さない。

 この顔が見たくって、わたしは見えないところで努力を重ねるんです。

「じゃあ、行きましょうか」

「はーい! あ、わたしラーメン食べに行きたい」

「こんな時間に食べると絶対太ります」

「だからこそいいの! 背徳感!」

 わたしたちは、どことなく手をつないで、逢瀬を楽しむ。きっとわたしも先輩も、この夜の闇には似合わないけれど、そんな中で2人で背伸びをするのには、きっととてもお似合いだと思います。


 恥ずかしながら、アトマイザーという単語を初めて聴きました。そして調べた瞬間に「これは百合になるなあ」と淡い想像が浮かんできて、結果的に淡いものが濃くなってしまって書いていて恥ずかしくなるという経験を初めてしたわけです、はい。百合は大好物ですが、こんなにも本格的な百合を書くのは初めてでございます。「オフライン」「アトマイザー」「深夜」3つのお題はまとまっていたか不安ですが、いかがですか。

 というわけで、少し新しい世界が拓けそうな湯西川川治でした。また書きます。



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