天使が恋する暗殺者。
無骨な裁断機こと蛇腹剣を手にしたメリナは床を蹴った。
「――――――!!」
獣の如き咆吼を上げ、少女は剣戟の地獄を走る。
体内にこもった熱を、想いを、“闘気”を加速させ、炎のように輩出させる。
めくれる床を踏み砕き、不動なるヌッラに肉薄する。
「女――!」
ヌッラも剣で応戦する。
一撃、二撃、三撃も振るわれる。
響き渡る鉄の音。
少女が手にした物はあまりにも長大にして、無骨な裁断機。
なにもかも抉り取る蛇腹剣。
“傲慢”の名をいただいた、圧殺するための巨大質量――!
血が舞う。
胸を抉る。腕を断つ。頭を割る。
諜報員はヌッラに致命傷を与えていく。
だが、勝敗は決しない。
ヌッラは既に“魔族化”を果たした如何様な種族だ。
それ故に、その皮膚、その鎧は致命傷どころか突き刺さった程度に過ぎなかった。
ただ殺すだけでの損傷では瞬く間に治癒する。
ヌッラにとって、重いだけの剣戟は取るに足りぬ涼風だ。
この瞬間では、まだ。
「…………これ、は」
残り続ける痛み。
“魔族化”によって希薄化していた感情が呼び起こされる。
胸、腕、頭に入った裂傷が未だに留まっていることを看破し、ヌッラの感情がようやく、目を覚ました。
而して、目を覚ました感情は怒りや憎しみなど負の感情ではない。これはまさしく、歓喜だ。
古により封じられた剣技がヌッラの冷え切った心に熱を灯させた。
「貴様。種族としての誇りや流儀はないのか?
この剣筋は太古の昔に失伝されたとされる伝説の剣技ではないのか?」
「――――――――!」
メリナは驚くも、彼女は答えず、さらに剣を見舞う。
だが、四撃目は届かない。
眠りから覚めたヌッラはメリナの剣圧で蘇生する。
ただ、そこにあるのは歴史を重んじる顔に変貌した。
「なぜ、知っている、という顔だな。
俺は歴史を研究してる。それも剣術だ。
“三蓮流”と言われる“剣蓮流”、“北蓮流”、“水蓮流”。これら、三つの流派は全て、ある偉人が使用したとされる剣術に辿り着く。
[戦神ヘルト]。
かの偉人こそが、“三蓮流”の初代を務めたとされる。
戦神は自らが編み出した剣術を“我流”と名付けた。
その我流こそが、“神剣流”と“帝剣流”の二流派だと言われる。
貴様の動きを見るに――貴様は独学で、その領域に足を踏み入れたと見た」
メリナとヌッラがぶつかり合う。刃を交える。
規格外の凶器が衝突する。
幾重にもぶつかり合う剣戟。
かたや一メルを超える剣。
かたや二メルを超える複合可変の蛇腹剣。
持ち上げて突き出す。
人の筋力では、それを可能であろう重量を、両者は自在に操っている。
異種族にしては魔族や天使族を超えた膂力、筋力で自在に操っている。
鮮血が舞うメリナ。
「ッ……!」
「ハッ――!」
力量は互角。
しかし、優劣は明らかだ。
少女の剣によってヌッラは完全に目を覚ました。
一方、メリナの動きが徐々に弱まっていく。
魔力量。“闘気”の総量に関してはメリナの方が上だ。
而して、経験の面において、ヌッラが上であることに変わりない。
だが、メリナもヌッラも気づいていない。
二人が使用してる剣術がいかに、“神剣流”と“帝剣流”の二流派を生み出した怪物からしたら、まだまだ序の序の口だということを――。
真の流派。真の剣がどれほどのものなのかを知らない。
剣戟がぶつかり合う中で
「そうか。剣の腕は互角か、貴様が上だ。だが、未だに天使族だったのが致命的だったな。
果たして、この攻防はいつまで続く?」
“死旋剣”ヌッラの剣が唸りを上げる。
諜報員メリナの剣はこれを弾き返す。
人智を超越した斬り合いは、いつ果てるともなく続いていく。
……だが、決着の瞬間はすぐそこまで迫っている。
少女の四肢が僅かでも、その性能を落としたとき――
“魔族化”した怪物は、全霊をもって、敵の真芯を撃ち抜くだろう。
メリナとヌッラの超近接戦闘をドアの隙間から覗いていた者がいた。
それは白髪の少年である。
身のこなしや足運び、気配の殺し方から暗殺者なのが見てとれる。
彼の名前はヒガヤ。
ズィルバーが選出した“八王”の一人である。
“八王”とは“白銀の黄昏”内の諜報部隊。
より正確に言えば、暗殺に特化した諜報部隊ともいえる。
白銀の黄昏を敵対する組織の調査あるいは暗殺を任されてる。
彼らの絶対的な権限を持ってるのはズィルバーとティアのみ。
次なる権限を持ってるのが“四剣将”である。
彼らからの指令が来た場合はきな臭いことが起きてると考えた方がいい、と“白銀の黄昏”一同、勘付いている。
逆に、内部を調査あるいは懲罰を加える部隊を“虹の乙女”。
この部隊も暗殺者もしくは犯罪者側の生徒たちだけで構成されてる。
しかも、構成メンバーは女子生徒のみで構成されている。
主に、“白銀の黄昏”内における不穏分子の調査、監視、捕縛して適切な処置を施すことを仕事としている。
なぜ、この手の仕事を女子生徒に任せたのか。
今日日、男を誑かすのは闇、金、そして、女である。
これは犯罪に堕ちる者たちが理由・要因の一つである。ズィルバーは、その特性を活かし、“虹の乙女”を組織したのだ。
ヒガヤは“八王”の一員。
“白銀の黄昏”の障害となる存在を調査、暗殺を第一に考えている。
この戦を利用して、邪魔する存在を調査し、戦死したのを理由に暗殺を考えていた。
(しかし、“皇族親衛隊”に皇帝直属諜報機関――聖霊機関の諜報員が忍び込んでるとは思わなかった)
今、ヒガヤは胸中で、皇帝直属、と呼称した。
“聖霊機関”は皇家直属の諜報機関でもあるが――。
時には、皇帝の勅令に従う狗でもある。
おまけに――。
(マジか。
“聖霊機関”は闇界隈じゃあ有名な組織だ。
そんな組織が、このような場で出会すとは夢にも思わなかった)
ヒガヤが胸中で語った、闇界隈、とは――。
暗殺、窃盗、殺人といった犯罪が横行してる闇社会、暗黒街、裏世界のことを指す。
“聖霊機関”は主に汚れ仕事全般であるため、闇界隈では見かけたら、顔を隠すのが定番であった。
(噂じゃあ、あそこは人外の集まりだとか、“帝国技術局”とは密接な関わりがあるとか、聞いたことはあるが…………実際、目の当たりにすると、本当みたいだな)
ヒガヤは隙間越しに覗いて、メリナとヌッラの斬り合いを見ていた。
目にするだけでも、人智を超越した斬り合いが続いていた。
ヒガヤの目から見ても無理無茶無謀な試みなのがわかる。
(ここで彼女が死んでも俺には関係ないことなんだが……)
ズキッと彼の胸に痛みが走る。胸中では、そうは言っても本心では死んで欲しくないという想いがあった。
隙間から見ているけども、扉を隔てた境界線。
ここから先を踏み越えるには命がいくつあっても足らない。
それが凡人と天才の境界線。いや、常人と超人の境界線。
それは死線を潜り抜けてきたヒガヤにもわかる。わかるのに、魅入られてしまう。
なにに?
それはもちろん、超絶な斬り合いをしてるメリナにだ。
(なんで……?)
ヒガヤは思ってしまう。
(なんで…………?)
ここまで美しいのだろうかと。ここまで綺麗なのだろうかと。
(なんで、ここまで綺麗なんだ――)
それはヒガヤの人生において、初めての経験だった。
ヒガヤとメリナは初対面。面識した記憶なんて存在しない。
なのに、ここまで綺麗だと思い込まされ、夢中になってしまうのが不思議でしょうがない。
ヒガヤはメリナと違い、闇社会、暗黒街、裏世界に生きる孤児の集まりだった。
かつて、ライヒ大帝国は“教団”との戦争をした際、国土が荒れに荒れた。
ヒガヤは荒れ果てた領地の出身。帝国に恨みはないけれど、“教団”に対して、ひどく恨んでいた。
なぜなら、彼らの手によって家族は散り散りにされた。いや、正確に言えば、彼らの手によって家族は皆殺しにされた。
理由はない。ただ、私利私欲のために家族を、民を皆殺しにした。
想いや心は地に堕ち、復讐と怒り、憎しみを抱かせ、“教団”の残党を殺す決意を滲ませた。
而して、復讐を望んでも所詮、子供だ。相手にされるどころか、逆に返り討ちに遭うのが目に見えている。だが、“教団”の残党への復讐を念頭に置き、彼らに被害に遭った者たちが集った難民キャンプならぬ村に暮らすことも考えた。
当時、暗殺一家として有名なファング家が理由はどうであれ、殺人を志す者たちを欲し、集いを難民村にかけた。
なぜ、難民村に焦点を当てたのか。
ファング家としても“教団”により、人員が欠如してしまったために、補充を検討されていた。
同時に国力復興を検討してる帝国の裏で暗黒街が躍起になってる状況下でファング家が黙ってるわけがない。
すぐに信頼を取り戻すために、暗殺者を育成し、世に解き放って、資金調達を検討していたからだ。
これは他者の気持ちを省みず、私利私欲に走る大人と大差なかった。
そのような理由であろうとも、ヒガヤからすれば、復讐ができる力を手に入れることに変わりなかった。
ファング家に引き取られ、彼を含めた暗殺者見習いは戦うことを教わった。
力の扱い方。学問を身に付け、身体を鍛え、殺す術を身に付けた。
無心にする術を身に付けた。力を得ようとする理由が異常であれど。ヒガヤはそれをよしとした。
ファング家の指令で“ティーターン学園”に入学するまでの間に、幾重の人を暗殺してきた。
殺すのに躊躇いがない。学園に入学し、“白銀の黄昏”に強制、配属されても同じだった。
(所詮、大人に囲まれて、戦ったガキの集まり。
“魔王傭兵団”を壊滅させたのも運なんだろう)
甘く見ていた節があった。だが、現実、敵わなかった。
自分がこれまで培ってきた経験が、力がまるで意味をなさなかった。
戦場という修羅場を経験した風紀委員会の実働部隊なる巨大な壁にぶち当たった。
悔しかった。主君であるアルスも二番手のライナですら、総帥と副総帥に完膚なきまで伸されてしまったのもそうだが、これまでの努力を否定されたように思わされた。
而して、ズィルバーはアルスを含めた暗殺者を“八王”という部隊に起用した。
仕事内容も暗殺者なるヒガヤにとって感謝としか言えなかった。強くなるために上級生と共に修練してもよし。
“ティーターン学園”の講師に教えを請うてもよし、と。
待遇措置を取らせた。
ヒガヤからしたら、
(使えるだけ使って、見捨てる腹づもりなのではないか)
と疑っていた。
実際のところ、ズィルバーにその考えがなく、休養を与えたり、効率よく身体を鍛える助言をしてもらったりした。
彼も疑念の目を向けるヒガヤに対して、こう言った。
「俺のことを疑っても構わん。
だが、いつまでも気を張り続けてるとぶっ倒れるぞ。
そんなのキミらのリーダーに迷惑をかけると思わないのか?」
「…………」
彼の言葉に二の句が継げないヒガヤ。
「ならば、気持ちを楽にしろ。
仲間と交友関係を持て。俺は端っから殺し技の使い道を教えただけだ」
とだけを告げられたのをヒガヤは覚えている。
当初はヒガヤもズィルバーの言葉を疑っていたが、アルスやライナなどの他のメンバーが“四剣将”や“九傑”などの異種族の誰かや実務を任せられてる者たちに惹かれ、力の使い道を見出してるのを見たことがある。
ヒガヤは「気にくわない」と軽んじ、一人で耽ることが多かった。
だが、現実はと言えば――。
(俺の人のことを言えないな)
今更ながら、単純な男だと自覚させられる。
メリナとヌッラが行われる超絶な斬り合い。
それが今にも終わりを迎えようとしていた。
(剣技や力、“闘気”においては“聖霊機関”のメリナの方が上だが……戦いの経験や技の駆け引きにおいてはヌッラの方が上だ。
一人で勝てるような相手じゃないのは確かか)
ヒガヤは暗殺者として確実に仕留める手段を講じつつ、冷静に状況を分析している。
「限界だな」
と、小声を漏らす。
はっきり言えば、ヌッラの実力は“死旋剣”の中でも上位に食い込むのをヒガヤは動きから読み取れる。
そもそも――。
(そもそも、ズィルバーの話じゃ。“魔族化”ってのをされてるんだろ?
それだったら、褐色肌してないとおかしいはず…………なのに、肌の色が真っ白のままだ。
何かしらの要因が絡んでいるのは確かだ)
ただ、戦いを見続けるのではなく、冷静に敵を分析し続けていた。
分析をし続ける中でヒガヤの瞳が一部始終を捉えようとしていた。
ヌッラ相手にメリナはたった一人で戦ってる。本来ならば、仲間を信じて任せるのが定石かもしれん。だが、生憎と戦争をしてる。背後から奇襲して首を獲って、勝利するのが最優先だ。
(他は元々、規格外の連中だから問題ないけど、彼女はどう足掻いても単独撃破は難しい。ここは――)
ヒガヤはメリナを助けに入ることを決心する。決して、彼女の剣に、凜々しさに、惹かれたからではない、と。心の中でそう言い続けてるが――。
ヒガヤはあえて気づかないことにした。
そして、メリナとヌッラの斬り合いに終幕を迎えようとしていた。
動きの鈍くなった甲冑の少女に向けて、渾身の斬撃が放たれる。
斬撃がメリナに直撃する。
磔の罪人のように。
メリナらしき影が、世界の壁に叩きつけられる。
――メリナの終わりは、剣戟戦における終わりを意味する。
超絶な斬り合いを終えたのを見届けたヒガヤは太腿のベルトに仕舞い込んでる二本の短剣を引き抜く。
そのスタイルは双剣。
手数が多い二刀流をスタイルにしてる。
(集中しろ……集中……集中……集中……集中――)
感覚を研ぎ澄ませるかのように自己暗示させる。
スゥー、フゥーと大きく深呼吸した後、殺気を消し、気配を消した。今、動きだす。
一人の暗殺者が無自覚に惚れてる天使を助けに動く。
コツコツ、とヌッラは歩み出す。
歩み出す先にはメリナがいる。彼女は壁に叩きつけられた際に生じて、瓦礫に埋もれかけていた。
目算で十五メル。
(……確実に仕留める。
奥の手を出される前に――)
息の根を止めに掛かる。
ヌッラはギュッと剣の柄を強く握る。握った瞬間、ギィーッと音が鮮明に入る。
「…………」
彼は目線を扉に向ける。視線を向けた先に扉が僅かに開いていた。
最初は風で開いたのかと思った。だが、ここに来て、風や物音がするのはおかしいと踏み切り、“静の闘気”で辺り一帯、気配を探った。
しかし、辺り一帯、気配を探るもなにも反応しなかった。
まるで、最初からこの部屋にいたかのような雰囲気を醸し出す。
「――――」
(気のせいか)
ヌッラは一瞬、気を緩め、再度、メリナにとどめを刺そうと歩みを始めた瞬間、それは起きた。
「“双剣技”、“大蛇”」
「――!?」
突如、背後から殺気を感じた。今まで感じとることもできなかった殺気や気配が今になって感じとれたのだ。
ヌッラめがけて振られる斬撃の乱舞。
彼は振り返り様に“動の闘気”を纏わせた剣で一閃し、斬撃の応酬ごと敵を両断する。
斬撃の全てが両断され、霧散されたが、敵の姿がどこにもなかった。
ヌッラの視界から敵がいないのを確認したのと同時にガラガラと瓦礫が退かれる音が耳に入る。
目を後ろにやる。
すると、そこにいたのは、崩れた瓦礫の上に横たわったメリナを守るかのように前に立つ白髪の少年。
“白銀の黄昏”、“八王”の一角、ヒガヤがヌッラを睨みつけてた。




