決戦。雷雲とともに。
それは突然とやってくる。
一面赤黒いのが床に覆われている。カップに紅茶を注ぎ、風味を味わう濡れ烏の髪の女性――ハムラ。
彼女は紅茶を嗜んでいる最中、ガタガタと急に窓が揺れ出した。
「ん?」
ハムラに菓子折を用意するフィスが外に目線を運ばせる。
外は強風に煽られ、空も晴れやかで快晴だったのが、徐々に黒雲に覆われていく。
「嵐が来そうですね」
「そうじゃな」
「せっかくの晴れ模様でしたのに……」
「いつもは急に天候が変わるのか?」
「北部よりでしたら、雨雲や雪雲に覆われることもありますが。
この本拠地は東部の首都“黄銀城”よりですので、嵐に見舞われるのは滅多にありません」
フィスは東部の天候事情を話せば、ハムラは「そうか」と漏らし、紅茶を一口飲み干す。
「妾が暴れておった頃とは変わっておらぬようじゃな。と、すれば……」
ハムラはカップを皿に置き、黒き眼で黒雲で覆われていく空を見つめる。
と、つかぬ間にピカッと空が光りだし、雷鳴が轟いた。
「雷雲……やはり、嵐が来そうですね。お姉様。部屋の奥へ――」
「フィスよ」
フィスがハムラを部屋の奥へ連れて行こうとした矢先、彼女が呼び止める。
「……はい?」
呼び止められたフィスは怪訝そうにハムラを見つめる。
しかし、呼び止めたハムラは未だ鳴り止まぬ雷雲を注意深く見つめる。見つめた折、彼女はフィスに頼みごとを伝える。
「フィスよ。すぐに戦の準備を整えよ」
「はい?」
(戦……?)
「戦いが起きるというのですか?」
フィスからすれば、あのような雷雲では敵が襲ってこないと高をくくる。
だが、ハムラは違った。
何しろ、彼女は千年以上も生きる女狐だ。その身に蓄える経験値は膨大といえよう。膨大な経験と“獣族”としての直感が叫んでいる。
敵が空からやってくる、と――。
眉唾物に聞こえそうだが、事実だ。
ハムラこそ経験したことがない。而して、聞いたことがある。
かの伝説、ベルデ・I・グリューエンは雷鳴と共に戦場に馳せ参じたという逸話がある。
逸話通りだとすれば、敵が奇襲してくる場所も自ずと読み取れる。
「お姉様?」
フィスはおそるおそる訊ねれば、ハムラは少し冷たい声音で言ってのける。
「なにをしておる。敵はこの嵐に乗じて、攻めてくるぞ。戦の準備をするのじゃ!」
「――ッ! は、はい!」
ピシッと背筋を正して、フィスはハムラの指示に従って、部屋を退室した。
一人になったハムラはぬるくなってしまった紅茶に口を付ける。
その口元はひどく吊り上がっていた。それは待ち望んだ戦いをようやく叶えられる子供のような笑みであった。
鳴り止まぬ雷鳴。東部、“獅子盗賊団”本拠地を中心に半径五キロメルの雷雲が空を隠す。
眼下に広がる森に陣形を張るズィルバー率いる“白銀の黄昏”、シノア部隊、ユン率いる“豪雷なる蛇”そして、レイルズ率いる東方貴族諸侯軍。
合計、三百近くに及ぶ精鋭が出揃った。
頭上には雷雲が空を支配しており、今にでも、雷が落ちそうな雰囲気であった。
「今にでも、雷が落ちそうですね」
「そうだな」
雷が落ちてきそうな空模様にビクビクしながら、東方貴族の諸侯は軍議に参加している。
「ズィルバーくん。本当に、この策でうまくいくのか?」
レイルズは改めて、作戦を立てたズィルバーにもの申した。
ズィルバーはレイルズの言葉の意図を汲み取り、答える。
「本来なら、こんな作戦はとりません。だが、敵は千年以上も生きる女狐。こちらの動きになんら変化を見せていないところを見ると余裕をこいてるか。既に迎え撃つ準備が整ってるか、です」
ズィルバーはハムラの心理を読む。
ズィルバーは。いや、ヘルトは千年前、戦場で相まみえた。
将軍として、参謀として、相手をして、互いの力量を把握している。
(ハムラが千年前とあんまり変わっていないのなら、下手な上策はかえって首を絞める行為……だったら、やる策は下策中の下策。
ユンの力による奇襲を仕掛けて、一気に攻めたてる)
ズィルバーの中で大まかなプランが完成されていた。
しかし、彼以外は長らく戦場とはかけ離れた者たちばかり。
戦場と形を成したのは“教団”との決戦の時ぐらいだろう。そうなれば、戦場の心理など全く以てないに等しい。
ティアたちも昨年、“魔王傭兵団”との防衛戦で身に付けたばかりで生かせるだけの経験が足りない。
故にズィルバーが作戦指揮を執るのだった。
「迎え撃ってくるのが分かってるなら、綿密に作戦を考えた方がいいんじゃあ――」
「それでかえって、こちらの首を絞めます。さっきも言ったとおり、相手は千年以上も生きる女狐。綿密に立てた作戦なんて、持ち前の力で一蹴されます。
ならば、やることは一つ。こっちも同じ土俵に立つしかありません」
ズィルバーの中で答えは決まっていた。
「“力こそ絶対”。掟に従うほかない。なにより――」
ズィルバーは頭上を見やる。
「ユンが自分の意志で東部を守りたそうにしてます。彼の意志を汲み取ったまでです」
ズィルバーは立ち上がり、白銀の剣――“聖剣”を掴み取る。
「覚悟を決めろ! もはや、後戻りができん!」
律する声がティアたちを頷かせる。
「はてさて、ユンはどんな大技を噛ますかね」
ズィルバーはユンがどんな行動に出るのか楽しそうに待ちわびた。
そして、ズィルバーが待ちわびさせる当のユンはというと。
「なあ、ネル。なんで、俺……空に浮いてるんだ?」
ユンは今更ながら、疑問をネルに尋ねる。
端から見れば、独りごちをしているように見えるだろうけど。
ネルはユンの頭の中でハアと溜息を吐く。
『いい。ユンは通常、魔力を放射して空に浮く。それが常識だ』
「いや、そんな常識ないだろ」
ユンは真っ向からありもしない常識に唖然とする。
『ユンの言ってることはもっともだけど、あなたの先祖――ベルデが生きてた千年前では普通だったのよ』
「嫌だよ。そんな常識……」
嫌気をさすユン。
「でも、ティアの話によれば、ズィルバーも空中戦をしたって言うじゃんか」
『彼の場合はレインの力が大きいわ。私たちは精霊。加護が働く。精霊にも魔術と同じように属性がある。属性ごとに得られる加護が異なるし。精霊にも階梯があるから。階梯ごとに加護の強弱が生まれる』
「確か、ズィルバーの契約精霊の属性は聖属性……」
『そう。聖属性は治癒や身体能力の強化がメイン。ズィルバーくんの年齢に合わない身体能力の高さはレインの加護によるもの。でも、レインの階梯は神級。その階梯となれば、他の属性の加護もある程度は扱えるわ』
「なんか、狡そうに聞こえるけど……その話だと、ネルもそうなのか?」
ユンはネルの話を聞くかぎり、彼女にもできるのでは疑る。
『ええ。できるわよ。空に浮かせるぐらいなら』
「なんか、この戦いが終わったら、学園中の生徒から変な目を向けられそう」
ユンは“獅子盗賊団”との戦いに勝利したことを考えて頭を悩ませる。
『いいじゃない。精霊と契約できるのは人族だけの特権。あと、最初から勝つ気満々でいるじゃない』
「悪いか? ここいらで実力を示しておかないと男としてかっこわるくてな」
『いいんじゃない。むしろ、それぐらいの気構えでいないと大将なんて務まらないわよ』
ネルはユンの鼓舞する振る舞いで言う。
「それもそうだな」
ユンは気を引き締めて、単身、突入する準備に入る。
「じゃあ、そろそろ始めようか」
『派手にいくよ!!』
黒雲の中にいるユンがバリバリと全身に雷を宿らせる。
“獅子盗賊団”から六キロメル離れた高台。
そこで妖狐族の女性が眺めていた。
「ふーん。派手に仕掛ける気か?」
双眼鏡も使用せずに開戦目前の現場を眺める。
「しかし、パーフィス公爵家の跡取りも思いきったことをする。ただのいいとこ取りのお坊ちゃんかと思いきや、好戦的と来た。
あれは伸びるな」
クスッと微笑みを浮かべる妖狐族の女性。
背格好は親衛隊と思わしき軍服を着こなし、コートを羽織っている。
「でも、派手に仕掛ける気にしては杜撰すぎる。これが東方貴族の頂点に君臨するパーフィス公爵家……レイルズが考えた策とは到底思えん」
女性は目の先で起きる作戦がレイルズによるものとは思えなかった。
「もしくはレイルズではなく、誰かの助言か別人が策を講じたか」
うーんと考えを巡らせる女性だが、いくら、考えたところでまとまることがなかった。
「だが――」
女性は頭上を見やる。
空は黒雲で覆われ、戦場を支配しようとしていた。
「たった一人で雷雲を引き寄せたとは到底思えん。複数人によるものだろ。
もしくは精霊の力か」
目を細める彼女。
その時――
「――ッ!?」
ピクッと獣耳を立てる。
「始まるか」
いよいよ、開戦のゴングが鳴ろうとしていた。
開戦のゴングが鳴ろうとする兆候を読み取ったズィルバー。
「…………」
彼は目を細めて、雷雲を注意深く観察する。
(雲の動きが少し変わった……いよいよだな)
開戦が目前まで差し迫ったところで彼は声を発した。
「そろそろ、開戦だ! 持ち場につけ!」
六キロメルも離れた高台から観察してる妖狐族の女性。
見た目からして、皇族親衛隊本部の輩なのは見てとれる。
「始まるようだな」
(さて、どのように攻め立てる?)
どのような攻め方をしてくるか楽しげに見つめていた。
“獅子盗賊団”本拠地でも異様な空気に包まれていた。
「雲がざわついている」
「なんだ? 派手に仕掛けてくるのか?」
“魔族化”しても理性のある者たちが空を見つめてる。
「お姉様。皆、戦の準備を整えてつつあります」
「そうか」
深い笑みを浮かべるハムラ。彼女は頭を垂れるフィスに声を投げる。
「フィスよ。上からの対応を取るな。出入口の対応を優先するんじゃ」
「かしこまりました。では、お姉様。中へ」
「妾はここに残る。敵の狙いは妾じゃ。お主らは下から来る敵に専念するのじゃ」
フィスはハムラを安全な場所へお連れしようとするも彼女は断固拒否を示す。
「しかし、敵の狙いがあなたである以上……」
「わかっておる。じゃがな。相手はベルデの子孫……奴の末裔とは戦う運命にあるのじゃ」
ハムラは申し訳なさそうに謝罪する。
彼女にそう言われてはフィスも言い返すことができない。
「分かりました。では、地上から来る賊軍は私たちにお任せを」
フィスはその場で臣下の礼をし、頭を垂れた。
この行動に意味がない。この態度に意味がない。
あるのは主に対する絶対的な忠誠だ。
(なんとしてでも、私が賊軍を一掃させる)
覚悟の現れでもあった。
鳴り止まぬ雷雲。
その雷雲の中でユンは両手をかざし、雷を集めさせる。
通常、雷雲に渦巻く稲妻を制御し、支配下に置くことは不可能に近い。
これはライヒ大帝国、魔法研究機関の研究員が提唱した。
現代において、稲妻を制御し、支配することは不可能。
精霊の力をもってしても不可能だと言い切ってみせた。
では、なぜ、ユンは稲妻を制御し、支配下に置くことができたのか。
答えは簡単である。
ユンの左手に刻まれし紋章が光っていた。
紋章の力を持って、稲妻を制御し、支配下に置かせたのだ。
研究機関の研究員の言ってることは間違っていない。
むしろ、それすらも可能にしてしまうのが千年前から続く大英雄の所業なのである。
大英雄には常識が通用しない。常識を超えた力を有し、扱いこなしてしまうのが大英雄なのだ。
不可能を可能にする。それが大英雄が成せる絶技なのだ。
ユンが今、成そうとしているのは絶技と呼べるか分からぬ芸当。
だが、周りから見れば、その御技はまさに絶技と言えよう。しかし、ズィルバーからしたら、「そうなのか?」と評価を下すかもしれん。
それは――
巨大な雷の龍を生み出すことだ。
ここにティアとか、シノとかがいれば、「ハッ?」と呆れられたことだろう。
不可能だと。
言ってる意味が分からないと。
そして、そんなことをする意味が分からないと。
――言われてしまうことだろう。
しかし、ユンはそれをよしとした。
自分が誰なのか分かってる。自分がどのような人族なのか分かっている。
分かっているからこそ、成し遂げたいと思う。
不可能を可能にする。前人未到。伝説の初代当主の領域に――。自分の最大の好敵手――ズィルバーと同じ領域に至るために――。
ユン・R・パーフィスは今ここに自らの力を証明する。
「“雷龍”」
ユンの両手の平に集まっていく稲妻が徐々に龍の形を成していく。
左手に刻まれる紋章の力を全開に使用し、巨大な雷の龍へと変貌していく。
ユンは雷の龍の頭に乗り移った。
「さあ、派手に行こう!!」
『ええ。初めての戦場。気を抜いたら死ぬと思いなさい!!』
ネルの叫びがユンを鼓舞させる。
「上等だぁ!!」
巨大な雷龍はユンを乗せて、地上に向けて下降し始める。
地上では雷鳴が轟く。
雷が落ち、稲妻が走る。
ズィルバーたちは配置についたところで、ズィルバーは声をあげる。
「“白銀の黄昏”のメンバーにも改めて、告げる。ここから先は戦場だ。
覚悟のない者は下がれ。足手纏いだ」
先んじて、覚悟のない者は戦場で死ぬと言い切る。
ズィルバーはまだ子供だ。
その子供に言い含められる大人たちもどうかと思うが、戦場となってしまえば、どうでも良くなる。
「さて、聞かせてもらおうか。諸君、敗北を受け入れるか否か?」
言葉による問いかけにティアたちは迷いなき瞳で答える。
敗北などしない。我らにあるのは勝利の二文字だけだ、と――。
「よかろう。我らは勝利する! この程度の絶望! この程度の逆境を乗り越えずして、誰が賞賛するものか!!」
叫んでみせる。
「“獅子盗賊団”は蛮族だ! 侵略するしか能がない愚者共だ! 奴らにライヒ大帝国の威光を――[三神]の威光を見せつけるのだ!!」
ズィルバーの号令がティアたちの心を震わせる。
と、そのタイミングで特大な雷鳴が轟いた。
「来たか」
一行は目にする雷雲から飛び出てくる巨大な雷龍を――。
雷雲より飛び出てくる雷龍。
なによりも驚くべきことは、その巨大さ。
ひとたび、地上に落ちれば、確実に辺り一帯は薙ぎ払われ、焼け野原となるだろう。
それだけの規模と威力が秘められていた。
“獅子盗賊団”本拠地。
窓越しに見つめてる盗賊団の面々。
特にフィスは動揺を隠しきれなかった。
「なっ……」
(なんだ……あの龍は……)
逆にテラスから眺めていたハムラはニィッと口角を吊り上げる。
「おぉ、なんという力じゃ。
その力はまさに、神をも殺しうる雷霆。暴れ狂う姿……まさに鬼神如き一撃と言えよう」
(さあ、来るがいい……決戦の時じゃ!! ベルデよ!!)
ハムラは愛しき仇敵を待ちわびるかのような眼差しを向ける。
天より落ちる雷龍。
雷龍の頭に乗るユンはやる気に満ち溢れてるのか。敵の狙いを定める。
距離をあるけども、“闘気”で視力を強めれば、敵の位置をそれなりに把握できる。
把握してる中で自分が倒すべき敵を発見する。
「見つけた!」
『ええ。彼女こそ、ハムラよ!』
ユンの瞳に納める女性の姿。
その女性こそ、ユンがこの手で倒さないといけない強敵。
先祖との因縁。
千年以上も生きる女狐――ハムラ。
彼女こそがユンが倒すべき敵なのだと、本能が叫んでいる。
しかし、自分の敵を分からなくするためにユンは思い切ったことをする。
「さて、こいつが開戦の合図だ!!」
左手を雷龍に触れた途端、雷龍は巨大な球体となる。
頭上を見るハムラも一瞬、戸惑う。
「なんじゃ?」
一瞬の躊躇い。それが命取りとなった。
巨大な球体は爆散したかのように一気にばらけ、小さな雷龍となって盗賊団の本拠地に襲いかかる。
それはまさに、雨のように。流星群のように。
小さな雷龍の大群が盗賊団の本拠地へと降り注がれる。
「“雷龍星群”!!」
その技と共に開戦の狼煙を上げた。