英雄。東部の山で野宿する。
第二帝都を出発してから六日目の朝を迎える。
ズィルバー率いる白銀の黄昏とシノア部隊は東方の越境に辿り着いていた。
「越境を超えるのに六日もかかったわね」
「東方は自然が豊かであり、山間や谷間が多い地方だ。高低差が激しい分、体力の消耗も大きいんだよ」
ズィルバーが東部の特色を教える。
「随分と詳しいのね」
胡乱な眼差しを向けるティア殿下。
「考古学の授業で東部のことをまとめていたんだよ」
ありきたりなうそを言って誤魔化すズィルバー。
「そういえば、東の文化について、考古学の講師にレポート提出していたわね」
選択科目の考古学の際、レポート提出したのを口にし、詰め寄ってくる。
「地方の文化を調べる際、あんたはさっさと提出したから。一緒にレポートを作成できなかったじゃない!」
「その埋め合わせにデートさせただろう。ちゃんと、北方についてのレポート作成したじゃないか」
「あんなので、埋め合わせになれると思ってる?」
ティア殿下の詰問にズィルバーは背筋を伸ばす。
「いえ、思っていません!」
キッパリと答えた。
「だったら、東部の首都“黄銀城”で道案内させなさい」
ティア殿下は照れ隠しにお強請りしてきた。
ズィルバーは彼女の手を取って
「もちろんです。お姫様」
にこやかな笑顔を浮かべた。
ちなみに、今日は月齢が来たばかりなので女の子になっている。故に女の子同士の会話なのもあり、華があって百合しさが醸し出されていた。
ライヒ大帝国の東方は五体公爵家の一角――パーフィス公爵家を筆頭に東方貴族によって治められている。
首都ともいえる“黄銀城”。
首都の周りを山に囲まれている天然の要塞であるため、何人たりとも侵入されることもない。
過去千年。一度たりとも、“黄銀城”は落城したことがなく、北方の“蒼銀城”とは違った意味で特別だった。
“黄銀城”に囲まれている山々はさまざまな特色を持っている。
北は鉱山。
天然の鉱物や宝石が盛んに取れるため、鍛冶師を志す者たちはこぞって、“黄銀城”へ足を運ぶことが多い。
南は食山。
野生動物やら魔物やらが棲まい、季節柄にあった作物が取れるので、冒険者を志す者たちにとって、聖地みたいな場所でもある。
西は旅人を迎え入れる宿場町を設けている。
もちろん、“黄銀城”側に沿って、山小屋が建てられている。
東は未踏地。
耳長族や竜人族が棲まう聖域。
東の山を越えれば、耳長族が棲まう森があり、東の果てに行けば、竜人族が棲まう切り立った山脈がある。
耳長族の森は特殊で耳長族から認められた者たちしか通ることができないという言い伝えがある。故に門外不出にして、未踏の森でもある。
関所の入り口で身体検査を受けた後、ズィルバーたちは出口まで案内される。
「皇族だろうと、貴族だろうと、関所を通る際は身体検査を受けさせてしまい、申し訳ございません」
「どのような者であろうと、特別扱いしては関所を守る親衛隊の一員は名乗れないでしょう」
ティア殿下は馬車の上から言葉を返す。
「ティア殿下にそう言われて、自分の気持ちが落ち着きました」
感謝の返礼をする。
親衛隊の一員、関所長は馬を下りると、眼前にそびえる門の前に近づいた。
「門を上げてくれ!」
その声を合図に、地面が揺れるように轟音を発しながら門がゆっくり上がっていく。
「山あり谷ありですが、お気をつけください」
「なにが、でしょうか?」
「谷に落ちたら、自力では上がってこられず、魔物の餌になります。故に時間をかけて東方の首都“黄銀城”へお向かいください。では、よい旅を祈っております」
礼儀正しい関所長に手を挙げて答えると、ズィルバーたちを乗せた馬車は門を潜り抜けて東方へ足を踏み入れた。
馬車の窓から覗き込んでも、わかるほどの自然豊かな青々とした景色だ。
「関所を超えただけで、一気に景色が変わるのは北方の時と同じね」
「ライヒ大帝国の地方は特殊な環境が多い」
「特殊な環境?」
ズィルバーが漏らした言葉に思わず、聞き返すティア殿下。
「北方は氷点下の寒さで覆われた雪国だったでしょう。南方は砂漠が多く、照り続ける猛暑。西方は湖や大地が広がっていて、山脈が連なっているからか、風向きがバラバラなんだ。東方は自然豊かな山や斬り裂かれた谷が多い。谷に落ちたら、海抜数十メルの深さだから。地上の数倍の重力がのしかかってくる」
「地方によって特色が違うのね」
と言いつつ、青々とした景色に心が癒されていた。
「そういえば、ノウェムとヒロの故郷。耳長族の森も東方にあるって話」
「だから、ノウェムとヒロを選出させたの?」
ティア殿下はもしや、と思いつつズィルバーに聞き返した。
「ああ、せっかくの機会だ。故郷に帰省させても悪くないだろう」
「そうよね。親がどうだろうと。彼女たちにとって、故郷に帰れる喜びは私たちの想像の埒外、よね」
「ああ。どんな扱いを受けようとも、彼女たちにとって生まれ育った場所に変わりない。一度は己を見つめ直す機会を与えてもいいかなって――」
ズィルバーの考えにティア殿下も頷く。
「それがいいわ。過去に耽って、自分がこれから何をしていきたいのか見つめ直すいい機会かもしれない」
彼女はそう言ってくれた。
そんな他愛のない雑談を繰り広げていたら、馬車の足が止まり、馭者が中に言葉を発した。
「馬車で通るところまで来れました。ここから先は自力で歩いていただけますか」
と言われ、ズィルバーは馬車から降りれば、ここから先は登山道ともいえる道が続いており、とてもだが、馬車で通れる幅ではなかった。
「確かに、馬車では通れないな。念のために聞くけど、他に道はないのか」
「東方は基本、登山道が多い。馬車で通れるのは限られています」
「そっか」
ズィルバーは腕を組んで、うーんと考えた。
(仕方ない)
と、肩を落として、馭者に答えた。
「ありがとう。ここまで案内してくれて、後は自分たちの足で“黄銀城”に向かうよ」
と言って、ズィルバーは皆に声をかけて、荷物を手に登山道を歩いて行くことにした。
ユウトたちも彼らに倣って、登山道を歩いて行くことにした。
登山道を歩いていて、ズィルバーたちは今更になって後悔した。
「制服用の靴で来たのが仇になった」
「こうなったら、安全靴を買っておけばよかった」
「親衛隊の隊服用の靴では来るべきでありませんでした」
「裸足で歩いてるよりつらいぞ」
「おまけに――」
「荷物を持っているから余計にキツいな」
そう、彼らが履いている靴は革靴で、平坦な道なら良くても、登山道のようなでこぼこした道には適していない。
「クソ。行く前に準備しておけばよかった」
「北方の時は経費で防寒服を作ったのにね」
愚痴を漏らしながら、登山道を歩いているズィルバーたち。
彼らは昨年、北方防衛戦争で一暴れしたため、体力には滅法自信がある。だが、分相応な体力だけでズィルバーとユウトのような超人じみた体力を持ち合わせていない。
適度に休息を取りながら、彼らは登山道を歩いていると、進路上に誰かが立っているのを確認した。
一人や二人なら、気にも止めなかったが――
「……ズィルバー」
「もしや、敵?」
ティア殿下とシューテルが警戒を露わにし、魔剣の塚を掴む。
「シノア、どうする?」
ユウトも目を鋭くさせ、魔剣の柄を掴む。
ズィルバーたちの眼前には道を通す気がないほどの一個小隊が整然と並んでいた。
「いや、敵だったら、あの旗はない」
「旗?」
ズィルバーに言われて、ティア殿下、シノア、ユウトは目を険しくしつつ、旗を見る。
旗の紋章を見て、ティア殿下は緊張を滲ませながら口を震わせた。
「あの旗……敵じゃない。むしろ、迎えに来たのよ!」
「迎え?」
「やっぱりな」
ズィルバーは目を険しくさせつつも、シューテルたちに武器を仕舞うように指示する。
ティア殿下は確認するかの如く、口を震わせた。
「間違えない。黄地に白蛇。パーフィス公爵家の紋章旗」
「もう一つは明らかに俺の白銀の黄昏やカズの漆黒なる狼と同じ組織の旗だな。ったく、出迎えにしては思いきってるな」
「本当ね。嫌みを言いたいのかっていうのがよく分かる」
ズィルバーとティア殿下は迎えに来たのが誰なのかはっきりと分からされる。
「おい、いいのか? 危害を加えるつもりだったら」
「それだったら、とっくに仕掛けている。上から瓦礫を落として、俺たちの行動を阻ませれば、それだけで指揮系統が崩れて、全員お陀仏だ」
「じゃあ、それをしないからって、味方だと判断するのか? 安直すぎないか?」
「そうと言っていない。あの紋章旗を見れば、パーフィス公爵家の者だってことはわかる。黙って睨み合っても時間の無駄だ。行くぞ」
ズィルバーに促されて、一行は先へ進むと向こうも数人、小隊から離れて、近づいてくる。
先頭の人物にズィルバーとティア殿下の顔なじみだった。
女の子を思わせる顔立ちは人目を惹く容姿をしている。
澄みきった黒い瞳。青々とした世界に異様に際立っている藍色の髪に意識が注がれてしまう。
藍色に金地の線が入った服が顔を覗かせる。
歩く姿に隙があるもいずれはズィルバーとカズのように王者の風格を持つことを約束された少年。
彼は息を吐き出すと、優雅に微笑んだ。
「パーフィス公爵家、公爵公子のユン・R・パーフィス。ズィルバー、ティア殿下。遠路遙々。皇家からの勅命を受けて、東部に来てくれて感謝する」
「それにしても、お馬鹿ね。山道にその靴が歩くなんて」
ユンが感謝の言葉を告げる中、相方の彼女は感謝の言葉すら告げなかった。
肩まで伸びた水色の髪が山風で靡かせ、この場において、場違いに思えるほどの愛嬌さを感じさせる優しげな目元、薄くふっくらとした薄桃色の唇。
ティア殿下に負けず劣らずの可憐さ。
「ひどい言葉だな」
「シノに言われるのと腹が立つ」
ズィルバーとティアはシノの毒にイラッときた。
「まあ、いいわ。とりあえず、あそこの広場で休みましょう。もうそろそろ日が暮れるわ」
「そうね。山は夜が冷え込むとも言うし。お言葉に甘えましょう」
「こっちは疲れてへとへとだ」
シノの提案に賛同し、ズィルバーたちはパーフィス公爵家が野営をしている広場まで歩き、休息をとることにした。
野営地と思われる広場に辿り着いたズィルバーたち。
辿り着いたところでズィルバーとティア、ユウトとシノア以外はどっと疲れが押し寄せてきて、その場に座り込んでしまった。
「疲れた……」
「全くだ。荷物を背負ったまま、登山道を歩くのもそうだが、もう少し装備を考えるべきだった」
シューテルとシーホが登山道での欠点を言い合う。
シノは彼らを見て、容赦のない言葉を投げる。
「そんな靴で山道を歩くからよ。山を舐めてるの? これだったら、父様に要請すべきじゃなかったわね」
「ぐっ……」
「言いたいことを言いやがって……」
フラストレーションを募らせるシューテルたち。
「事実でしょう。登山用の靴を用意していない意識の低さ。中央でぬくぬくと暮らしてるから、そうなるのよ」
事実を告げるシノにフラストレーションが苛立ちに変わるシューテルたち。
「まあまあ、シノもそれぐらいにして。でも、ありがとう。迎えに来てくれて」
ティアが満面な笑みを浮かべれば、シノも毒気が抜かれてしまい、フンッ、とそっぽを抜く。
ズィルバーもユンに感謝の言葉を告げる。
「今回ので身に染みたよ。山道を甘く見ていた」
(千年前にも同じ経験したのをすっかり、忘れていた)
彼は過去に経験したのをすっかり忘れていて、今になって思いだした。
ユンもプッ、と笑いを堪える仕草をする。
「ズィルバーが忘れてるとか。笑えないよ」
「思いっきり笑ってる奴が言うことか」
腹を抱えて笑っているユンにズィルバーは顔を引き攣らせる。
「まあいい。野営を用意しているということは、ここで野宿するのか?」
「うん。東部の西側の山。この時間帯だと冷え込む。夜はさらに冷え込む。北方の寒さにも負けない」
「だと思って、寒冷地用のコートを持ってきている」
ズィルバーは鞄から北方で着込んだ寒冷地用のコートを羽織る。
彼に倣って、ティアたちも寒冷地用のコートを羽織る。
シノはティアが羽織るコートを不思議そうに見る。
「そのコートで今夜の寒さを凌げるの?」
聞いてくる。ティアはキラリ、と目を光らせて答えた。
「このコートは魔力いえ“闘気”を通せば、耐寒性と保温性を増すのよ。北海では、これが重宝したわ」
「ふーん。中央ともなれば、最新の服が多いのね」
「いいえ。これは白銀の黄昏だけの特注品。どこの店にも売られていないの」
自慢げに語るティアにシノはムーッと頬を膨らませる。
「白銀の黄昏だけ狡くない」
「狡くないわ。ハルナだって極寒の中、薄着の長袖とスカートを穿いていたから」
「ハルナもハルナでどうかしてるわ」
ティアとシノ。
一年以上の再会に華を咲かせていた。
ズィルバーとユンも彼女たちを横目に見ながら、焚き火の前で暖かな飲み物を飲みながら、話をしていた。
「カズは元気か」
「元気だった。今じゃあ、“北の黒狼”として名を上げてるそうだ」
「そっか。カズも出世したな」
「なにを言っている。東も東で風紀委員ができたそうじゃないか。もしや、自分がリーダーとして相応しいのか不服なのかい?」
「ッ――!」
ズィルバーが的確にユンの不安を射貫く。
「図星か」
彼もユンの表情を見て、顔を緩ませる。
「だったら、気にすることはない。見ろよ」
ズィルバーが視線を転じると、シューテルがユンの右腕と思われる少年と腕相撲をしていた。
力が拮抗しているのを見えるが、実戦経験を積んでいるシューテルに分があったのか一気に力を入れて勝ち越した。
「俺の勝ち!」
「この……」
彼らはすぐさま意気投合し、今度は逆の手で腕相撲を始めた。
ユンも彼らに視線を転じ、仲良くしているのを見て、肩を落とす。
「ターク。血の気が多くないか」
「シューテルもなにかと血の気が多い。気が合ってけっこうけっこう。それより、ユン。自分に自信がないのか?」
「自信があるって言えば、うそになる。俺……ズィルバーと比較しすぎて消極的になっちゃって――」
「シノに説教されて、気持ちを切り替えたけど、根本的な解決に至っていないと」
「お恥ずかしいかぎり、そうなんだ」
ユンは恥ずかしげに自虐した。
ズィルバーはユンを、かつての戦友に重ねた。
ベルデ・I・グリューン。初代五大将軍の一角、東方を統べた大英雄。
彼はユンをベルデと重ねて見た。
(自信がない、というよりスイッチの入れ方を知らないだな。ベルデも戦闘の時は人が変わったように気性が荒いんだよな)
「前に、シノから『ブチ切れたときは人が変わったように気性が荒かった』って言われた」
「…………」
(とっくに片鱗を見せてるどころか。先祖に似ているな)
ユンが既に気性が荒くなる時があると聞いて、ズィルバーはうーんと腕を組む。
(要するにユンは自分の気性の荒さを認めたくないんだ。それを弱さと捉えているから)
彼はユンを先祖であるベルデと重ね、一考する。
(でも、ベルデも自分の弱さと同時に強さを認めたから。“鬼神”と恐れられたんだよな)
ズィルバーはベルデの気性の荒さが“鬼神伝説”を生み出したのを知っている故に、ユンも先祖と同じ悩みを抱えているのだと知った。
(確か……ベルデは自分の気性の荒さを認めるために俺に喧嘩をふっかけてきたんだっけ――)
千年前の記憶を思いだすと彼の中で無性に苛立ちが募り始めた。
(あぁ~、ベルデのことを思いだすと無性に腹が立ってきた。ベルデと一緒にいると喧嘩沙汰が多いんだよな。血の気の多さだけで言えば、ベルデが随一だったから。『巻き込まれる俺の身になれ』って言ってやりたかった)
イライラ、と苛立ちが募るばかりだったので――。
「なあ、ユン。少し付き合え」
「え?」
「いいから付き合え」
「え?」
いきなりのことでテンパっているユン。
ズィルバーの手には三本の魔剣を持っており、軽く相手をしてほしいようだ。
「悩んでるぐらいだったら、ドンパチしないか? そうすれば、スッキリしてなんとかなるかもしれないだろう」
「だ、だけど……」
ユンは気性が荒くないときは少々気が弱かった。
「あれ? もしかして、東方の風紀委員長はそこまで気が弱いんですかね。それじゃあ、パーフィス公爵家の名折れじゃないか?」
あからさまな挑発にビキッ、と額に青筋を浮かべるユン。
「俺のことは良くても、家族のことをバカにする奴は許さん!」
「だったら、ちょっと付き合ってくれる。キミが悩んでいる意味のなさを教えてやる」
「いいよ。付き合ってあげる」
といった形で、ズィルバーとユンは野営地から少し離れた高原に来た。
彼らのことが心配になってきたティアとシノも高原の岩場に腰を下ろした。
「なんで、いきなり、ドンパチになったの?」
「さあ……」
彼女たちもズィルバーとユンが急にドンパチしようと思ったのか見当もつかなかった。
「ドンパチといっても喧嘩と同じだ」
「ルール無用ってわけ?」
「ああ、その方がちょうどいいだろう。キミの甘ったれた考えを叩きなおすにはちょうどいい」
ズィルバーの発言にユンとシノは目を細める。
(俺の――)
(甘ったれた考えを叩きなおす?)
ズィルバーの言ってる意味が分からず、身構えるユン。
彼の武器は“拳鍔”。通称、“メリケンサック”とも言われる喧嘩に使われる武器だ。
ズィルバーは拳鍔だけじゃなく両手足に付けられた手甲を観察する。
「なるほど。拳と蹴りによる体術か」
「ああ。俺はこっちの方が性に合う」
ユンは軽く準備運動をしてから再度、身構える。
ズィルバーも魔剣――“閻魔”を抜き、構えた。
高原を照らす月明かりがズィルバーとユンを露わにする。
「始めようか」
「ああ」
両者ともにスイッチが入ったのか雰囲気が鋭くなっていく。
雲で月明かりが陰ったのを見計らって、両者、地を蹴ってぶつかり合った。