6話.「魔物」を斬るということ
半ば無意識に、危機感もなく草木をかき分け、音のする方へ向かう。
少し進むと、開けた場所に出るのが見えた。
足取りを早め、少し駆け足で木々の間を抜ける。
その先に見えたものは、透き通るような湖であった。
木々に囲まれ、波風一つない幻想的な青の中心に、それはいた。
──彼女だ。
華奢であるが鍛え抜かれたその肉体には、無数の傷跡が付いており、彼女の戦って来た環境やその過酷さを断片的に感じ取ることができた。
どれほど鍛錬を重ねれば、あの境地に到れるのだろうか。
未だに寝ぼけていたため、そんな事を思いながら眺めていたが、彼女と目が合い、自分が置かれている状況にようやく気が付く。
かたや水浴び中の女性。それを呆然と眺めていた「俺」。
これでは覗きをしているようなものじゃないか。
「い、いや、すいません違うんです……これはわざとじゃ──」
狼狽し、情けない言い訳をする。が、それに対して彼女は平然と水浴びを続けていた。
怒っているのか、単に無頓着なだけか。
無口で表情の読めない彼女だが、怒らせればどうなるかは容易に想像がつく。
とにかく、邪魔してはいけないと思い、こっそりこの場から去ろうとする。
しかし、その肩を掴む力強い手の感触に観念し、恐る恐る振り向く。
そこにはいつの間に着替えたのか、彼女が相変わらずの無表情で剣を模した木をこちらにつき出していた。
それを強引に握らされ、促されるままに開けた場所に立つ。
その先には同じような木を持ち、構える彼女が映る。
一体、何が始まるのだろうと身構えていると、突如彼女がこちらに向かって突っ込んできた。
それが偽物だと解っていても、「恐怖」を覚えるような鋭い一振りをすんでのところで躱す。
そのまま続けて振るわれる一撃。
息もつかせぬような連撃に、命懸けで避けるのが精一杯であった。
しかし、何度か彼女の攻撃を躱しただけで息が上がってしまい、次に迫り来る一撃を避けられなかった。
咄嗟に手に持った木刀で受けようとするが、想像よりも重い一撃を受けきれず吹き飛ばされてしまう。
そんな「俺」を見据え、ゆっくりと起き上がらせると、
彼女は顔色ひとつ変えずに元きた道を引き返して行った。
……やはり怒っているのだろうか。
右手に痺れを感じながら、同じように道を戻る。
昨夜火を囲んだ場所に戻ってくると、リューゲが荷物をまとめて、大きな鞄のようなものに詰めていた。
「やあ、おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
こちらに気がつくと、にこやかな笑みを浮かべ、近づいてくる。
「はい、おかげさまで。」
「それは良かった。今丁度、荷物の整理が終わりましてね。
馬車は昨日の襲撃で使い物になりませんので、ここからは歩いて行くことにしましょう。
ロージまではだいたい歩いて3日ほどです。あなたさえ良ければすぐ出発したいところですが──」
そう言いかけて、彼が険しい顔で周囲を一瞥する。
その視線を追うと、周囲には全長が小さな犬ほどもある鼠のような「魔物」がわらわらと集まっていた。
「残飯狙いの大鼠か……。
そう易々と逃がしてはくれなさそうですね」
彼はそう呟くと、掌に火球を浮かべる。
次々と向かってくる「魔物」たちに向けて、それを放つ。
焼け焦げる肉の臭い。獣のような断末魔。
あっという間に淘汰されてゆく「魔物」を前に、狼狽する。
しかし、燃え上がる骸を乗り越え、前へ飛び込んできた数匹は、こちらに向かって突進して来る。
剣をもって迎え撃とうとするものの、ふいによぎる炎に身を焼かれる「魔物」の姿と、あの時の「死」の恐怖が重なる。
そんな心持ちで振った一撃は、獣の急所を外し、多少傷を負わせるだけに終わった。
だが、仕留めきれなかったことに焦り、慌てて次の一撃を振るより速く。
その魔物の胴体は切り裂かれていた。
ふと視線を移すと、そこには朱に染まった剣を握るフランベルデの姿があった。
彼女は淡々と、表情ひとつ変えず、向かってくる「魔物」を次と斬り払う。その剣は、先程「俺」に見せたものとは比べ物にならないほど、素早いものであった。
当然のことだが「俺」に振るったあの速度ですら、「手加減」されていたのだ。
そんな純然たる力の差を前に、ただ呆然と立ち尽くしていると、気がつけば「魔物」は全滅していた。
辺りに広がる血溜まり。転がる死骸。
先程まで命だったものが一面に散る。
それは初めて目の前で体感した「死」であった。
自分もこうなるかもしれなかったと思うと、背筋が凍る。
「……獣畜生には火がよく効きます。
命を奪う行為には抵抗があるかも知れませんが、やらなければこちらがやられる、というものです。」
こちらに歩み寄りながら、諭すように呟く。
「それより、お怪我などはありませんか?
落ち着いたら、出発することにしましょう。」
「……いえ、もう大丈夫です。行けます。」
おや、と少し意外そうな顔をするも、彼はにこやかに微笑み
「では、行きましょうか。……しかし、あまり無理はなさらぬように。」
と、鞄を背負いながら歩み始める。
それを追う足取りは重く感じた。
「死」を目の当たりにしたショックもあるのだが、昨日の今日で改めて思い知らされた。
──自分の無力さ、不甲斐なさを。