5話.心と精神と「魔法」
──「またな、兄弟。」
その言葉を残し、闇夜に消えてゆく黒い影。
それを地に伏したまま、ぼやける視界でただ眺めることしか出来ずにいた。
頭はチカチカするし、腹部はズキズキと痛む。
薄れる意識の中、リューゲが駆け寄ってくるのが見える。
彼は「俺」の傍らに座り込むと、徐に掌をこちらに向ける。するとそれは、柔らかな緑色の光を湛えはじめ、それと共に薄れていた意識が徐々にはっきりし、腹部の痛みも和らいできた。
「……今のは?」
「あなたの精神を調整して自然治癒力を向上させた……と言ってもあなたには馴染みのない言葉でしょう。
せっかくの機会です、それも含めて私がお教えいたしましょう。」
彼はゆっくりと立ち上がると、続ける。
「この世界では人が人である為のもの……『心』を形にする手段として『魔法』というものがあります。
仲間を護る盾を生み出す。負った傷を治す。
強い思いでそれらをイメージすれば、それを『魔法』としてここに具現化することができるのです。
まあ、実際にやってみたほうが分かりやすいでしょう。そうですね……試しに『火』などを起こしてみてはどうでしょうか。」
……強いイメージ。
幸い、妄想することは得意だ。
やってみるだけやってみようと、目を閉じて記憶の中の「火」を呼び起こす。
まず浮かぶのは、日常的に用いていた「火」たち。
人の営みと密接に関わる火。燃え盛る生命の象徴。
だが、「俺」が呼び出したいのは違う。
御伽噺の中のような、敵を焼き払う「火」。
もっと激しい、炎と呼ばれるようなものを──
その瞬間、周囲に熱を感じる。
目を開くと、そこには「炎」とは程遠いものの、
自然の法則を無視した熱の塊、「火球」のようなものがただよっていた。
しかし、それはすぐに形を維持できなくなり、弾けて霧散してしまった。
飛び散った火の粉が手にかかり、慌てて飛び退く。
それを見たリューゲが悪戯っぽく笑う。
「ただ心のままに放つだけではいけません。
具現化したそれを行使するためには、世の理に逆らうような『精神』が必要な訳です。
……しかし、初めてにしては素晴らしい出来だとは思います。」
そう言うと彼は足元を指す。
指の先を視線で追うと、そこには放った「火」が草木に燃え移っていた。
そしてどこから現れたか、フランベルデが木片を脇に抱え、弱々しく燃えているそこに投げ入れる。
火はあっという間に燃え広がり、周囲を明るく照らす。
そのまま彼女は比較的大きな木片を重ね、簡易的に「椅子」を作り上げた。
それに腰掛けると、リューゲはいっそうにこやかな笑みを浮かべ、こう言った。
「さて、ひとまず食事にでもいたしましょう。」
食事。
長く続いた緊迫した状況のせいか、あるいは夢のような感覚でいたためか。
長らく「空腹」という感覚を忘れていたような気がする。
しかし、忘れていただけで無くなった訳ではないその感覚を、彼の一言で思い出した「俺」は、
腹の奥からなんとも間抜けな音を鳴らしてしまう。
それを聞いて、彼は何故か嬉しそうに銀色の鍋を火にかけている。
なんだか気恥ずかしくなり目を逸らすと、視界の脇から小麦色をした丸い塊を手渡された。
それを受け取り隣に視線を移すと、同じものをフランベルデが食べているのが見えた。
「異世界」の食物に期待と不安を感じながら、彼女に習い一口齧る。
しかし、それは想像とは裏腹に、やけに慣れ親しんだ味であった。
外側は焼き目がついてしっかりとした食感のうえで、中身はふんわりと柔らかい。素朴な味ではあるが、穀物の甘みをほのかに感じるそれは──
間違いなく記憶にある「パン」そのものであった。
その味に驚きながらも、どこか懐かしさを覚え一口、また一口と気がつけば頬張っていた。
「それは異邦人の方々から好評でしてね。気に入って頂けたようでなによりです。」
リューゲはそう言って、銀色の容器を手渡してきた。
中には琥珀色の液体を湛えており、微かに湯気が立ち上っている。
一口飲んでみると、野菜に似たほのかな甘みと、暖かさがじんわり伝わってくる。
同じくそれを口にしながら、彼は話を続ける。
「さて……先程の続きになりますね。
まず、『魔法』とは本来ありえない事象を『心』のチカラだけで無理矢理、この世界に顕現させているいわば滅茶苦茶なモノです。
当然、この世界は元に戻そうとするため、現れたそれは先程のように形を保てなくなります。
それをここに留まらせ、行使する意思──
それを私たちは『精神』と呼んでいます。
こうあるべきだ、こうでなければならない。そんな強い意志は時に世界の理に逆らうこともあります。
この『心』と『精神』のどちらが欠けても、きちんと魔法は行使できません。」
そう言うと、彼は再び掌に冷気を纏い、「氷」を生み出した。
何も無いところから生み出されたそれは、形を維持したままくるくると回っている。
それを真似て、掌の上に「氷」をイメージする。
「俺」が生み出したそれは、彼のものよりはるかに小さく、形も歪であったが、なんとか顕現することはできた。
次に、彼の言うとおりに掌の上のそれをじっと見据え、その姿を保つように強く意識する。
しかし、そんな「意思」に反してそれは、ふるふると震えたのちに砕けてしまった。
「『意思』のチカラを用いているのであまり使いすぎると倒れてしまいますよ。
ここまで色々な事があり疲弊しているでしょう。『魔法』の行使には当人の精神状態も影響して来ますし、今日はお休みになってはいかがでしょうか?」
苦笑しながら彼はそう告げる。
確かに、「魔法」を行使しようとしたこともあるのか重い疲労感が身体にのしかかる。ならばここは素直に──
「じゃあ……お言葉に甘えて。」
当然、ベッドなんて贅沢なものはないので腰掛けていた木にそのまま横たわる。それは寝るには少々硬すぎる気はしたが、眠気や疲労のせいか、すぐに眠りにつくことができた。
──いったい、どれくらい眠っていただろうか。
がさがさと、草木をかき分ける物音で目を覚ます。
起き上がると既に薪の火は消え、辺りはうっすらと明るなっていた。
まだ寝ぼけている頭のまま、半ば無意識に音のした方向へ足を進める。
しかし、「俺」はこの行動をすぐに後悔することとなった。