3話.目覚めと「異邦人」
──揺られている。
意識を取り戻した時、はじめに感じたのはその大きな「揺れ」であった。
揺りかごにしては激しいそれは、もっと大きな乗り物のようで──
「お目覚めですか、『異邦人』。」
その声に瞼を開ける。
木で造られた天井。
徐に起き上がると、箱のような空間と、
そこに備え付けられた長椅子が目に映った。
揺れとともに響く車輪の音。
どこから馬の嘶く声も聞こえてくる。
おそらくこれは「馬車」のようなものである。
向かいの椅子には透き通るような銀の長髪を緩く結び、
眼鏡をかけた若い男がこちらを覗き込んでいる。
病的に白い肌。青く澄み渡った空のような瞳。
「異国の人」のような印象を受けるその男は、ほっと安堵したように微笑むとこう続けた。
「よかった、無事なようで安心しましたよ。
我々はこの辺りの警備を行っているいわば『自警団』のようなものでしてね。
ちょうどあの森を通りかかった時に、悲鳴を聞きまして。
駆けつけてみるとあなたが倒れていたので驚きましたよ」
そうであった。
あの時、「魔物」に対して無謀にも剣を取ったのであった。
迫り来る獣の姿。流れ出てゆく血液。
凍えて冷たくなってゆく手足。
じわじわと襲うような「死」の感覚が脳裏によぎり
ふいに喉に熱がせり上がってくる。
「落ち着いてください、あなたはもうなんともありません。
しかし……衣類はどうにもならなかったので替えさせていただきましたがね。」
その言葉にふと我に返る。
恐る恐る肩に触れると、確かに傷はなく
言葉通り「なんともなかった」。
御伽噺特有の魔法か、はたまた奇跡か。
まるで夢だと嗤うように、あの痛みまでもが引いていた。
そして彼の言うとおり、「俺」の着ているものはあの「鎧」から、布で作られた
衣服のようなものに変わっていた。
軽く、動きを阻害しないもののしっかりとした作りで暖かさを感じるこれは
「外套」とでも呼ぶべきだろうか。
「失礼しました、動揺させてしまいましたね……
申し遅れましたが私は
『リューゲ=サルバトリア』というものです。
『異邦人』であるあなたは突然このような状況に置かれておそらく混乱しているのでしょう。私にお答えできることであれば気兼ねなくお聞きください。」
柔らかな物腰と声色に少し安心する。
聞きたいことは山ほどあるが、ひとまず口を開く。
「……ここは?それと、その『異邦人』というのは?」
「このあたりは小国『ロージ』が治める街道……と説明してもおそらくピンと来ないでしょう。
あなたがいた所とは別の、もっと遠い地と認識してくだされば結構です。
そして……『異邦人』というのはあなたのような遠い地からやってきた者たちのことを総称する言葉ですね。」
やってきた者たち。そう表現するという事は──
「……もしや、『俺』の他にもその……『異邦人』が?」
「はい。あなた以外にも多くの『異邦人』がこの地に訪れてきました。
そうした方々を保護するのも、我々の仕事のひとつですね。」
彼は同意を求めるように隣の女性に目を向ける。
紅く長い髪を後ろでひとつに纏め、
血色のよい肌と、陽光に輝く山吹色の瞳。
しかし、その美しい容姿とは相反するような。
質素だが頑丈そうな鎧に身を包んだ彼女は、こちらを一瞥すると、すぐに窓の外に目を逸らしてしまった。
「ああ……気を悪くされたら申し訳ありません。
彼女は「フランベルデ=ハイゼ」と言いましてね。
腕は立つのですがその……少し、無口な人間でしてね。」
頭を掻き、申し訳なさそうな顔をこちらに向ける。
リューゲは続ける。
「さて……前起きはこれくらいにして。
この辺りは『賊』も多い地域です。近頃は『魔物』の数も多く、非常に危険です。
その様子ですと、おそらく行く宛もないでしょう。
あなたさえよろしければ、我々と共にロージまで向かいませんか?
もちろんその後はどうなさっても構いません。」
確かに、行く宛などない。
森での出来事から助けてもらった上に、安全な所まで送り届けてくれるなら願ったり叶ったりといったところ。
ならば迷う必要も無く、
「そういうことなら……是非よろしくお願いします。」
二つ返事で快諾した。
「そう言ってくれると思っていました。
ロージにはあなたのような異邦人も居ますし、過ごしやすいかと思います。」
他の異邦人。つまり、「俺」と同じような「異世界転生」をしてここにきた者たち。
まだわからないことだらけだが、同郷の人間がいると思うと少し安心する。
そのようなことをぼんやり考えていると。
突如、車内が大きく揺れた。
なんとか投げ出されずに済んだものの、そのまま「馬車」は停止してしまった。
リューゲが身を乗り出し、何かを叫ぶ。
そして暫くすると彼は振り返り、神妙な面持ちでこう言い放った。
「……『御者』が死んでいます。おそらく、何者かの襲撃です」
そのまま隣で身構えるフランベルデに何か合図を送る。
それを受けた彼女は、弾丸のように外へと飛び出していった。
周囲を警戒するように見回し、リューゲへと視線を送る。
「ここにいては危険です、外へ出ましょう。」
そう言い放ち外に飛び出した彼に続く。
辺りは林道のようになっており、
日が傾き始めた今、視界はあまり良いとは言えない。
しんと静まり返った周囲に、緊張が走る。
ふとあの時の状況を思い出す。
忘れもしない。あの時もこのような夕刻で、隙をつかれ死角から──
その時、暗闇から一つの影が飛び出した。
確実に仕留める、視界外からの一撃。
そんな一振りの刃が、鎧を纏った彼女を捉えたのだった。