2話.敵意は夜闇とともに
──日が暮れようとしている。
その事実に焦燥感を覚える。
ここは既視感こそあれど、
「見知らぬ土地」であり、ここは「森」である。
更に言えば今、
身を守るため剣や鎧といった装身具を身につけている。
これらが「用意された」ものであるなら、
用いる状況に直面しても不思議ではない。
……だが、灯りの類は用意されていないようだ。
このまま夜闇の中を彷徨うようなことになれば
どうなるかは容易に想像がつく。
完全に日が暮れる前にここを離れねば。
行く宛も、頼る標もないがこの際仕方が無い。
ここにいるよりは幾分かマシなことを期待し、
表情を変えはじめた木々の間を歩き始める。
幸いなことに険しい傾斜や深い渓谷がない
平坦な土地が続いていたおかげで、歩き回るのに支障はなかった。
しかし、それは本当にどこまでも平坦で
道や建物等の人工物はおろか、人や動物の気配すらなかった。
初めは既視感を覚えていたその光景も、
いつまでも続くとなると不安を覚えるものになる。
しかし歩けど同じ景色が続く中、
徒に時間だけが過ぎてゆく。
気がつけば辺りは闇夜に染まり、
月明かりに照らされた「森」は別の顔を顕にした。
鬱蒼とした木々から覗く暗闇。
街路灯もないような自然の中で迎えるような「夜」は、
よりいっそう暗く、陰鬱に感じた。
いつからか木々のざわめきさえ聞こえなくなり、
まるで時が止まっているかのような感覚に陥るほど
異様で、不気味な静寂さが辺りを包んだ。
──嫌な予感がする。
先程から人や動物の気配はない。
もちろん鳥の囀りや、
草木をかき分けるような音も聞こえない。
それなのに。
まるで何かに「見られている」かのような悪寒がする。
それを振り払うように早足で駆け出そうとした瞬間──
空を切り裂くように。
重い静寂を破ったそれは
ひときわ異質で、禍々しさを覚えるものだった。
獣のような咆哮。
音のした方へ視線を向けると、
だんだんと暗闇に慣れてきた夜目に
その姿が映り込む。
大型犬ほどもあるそれは
先程の咆哮に似つかわしい「狼」のような姿をとり、
確かに敵意のこもった視線をこちらに向けている。
「魔物」と形容するのが正しいそれを前に、
不思議と高揚感すら覚える。
「見慣れぬ土地」に「剣」と「鎧」。そして「魔物」。
未だに夢のような認識でいたのか。
または現実離れした力とやらを信じたのか。
無謀にも刃に手をかける。
そのまま鞘から抜き取り、相対する「魔物」に向かって突撃する。
しかし、たとえ剣は扱えたとしてもそれの「戦い方」を知らない。
ただ力任せに振るわれた一撃は、相手にかすりもしなかった。
いとも簡単に躱した「魔物」は、
こちらを見据え、唸り声を上げながらその身を低くし
つけ入る隙を狙っているようであった。
獣らしい素早い身のこなしに一瞬怯むものの、
一度捉えてしまえばこちらのものだ、と二撃目を放とうとした。
しかし、その認識の甘さをすぐに後悔することになった。
「…………え?」
何故か刃は振られず、動かそうとした肩に違和感を感じる。
そして背後から現れる、もう一頭の「獣」。
こちらを威圧するるように牙をむくその口からは、
赤黒いものが滴っていた。
その正体に気がついた途端、再び獣のような咆哮がひとつ上がった。
否。それは自分自身があげた悲鳴であった。
……痛み。
まるで無数の針を次々に突き刺されているような。
今まで味わったことのない痛みが走る。
視界が歪み、思わず地面に倒れ伏す。
鼓動が早まり、どくどくと血液が流れ出てゆくのを感じた。
肩は焼かれているかのように熱いのに、
手足にはじわじわと、しかし凍えるような寒さが襲う。
ふと脳裏によぎる「死」という概念。
死にたくない。
しかしそんな意思を嘲笑うかのように
手足の自由は利かず、
詰め寄る獣を前にただ意識が刈り取られてゆく。
──薄れゆく意識には、ただ獣の吼える音だけが響いていた。