表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/22

4時44分の鏡(学校の七不思議)

 高木先生が黒板に書こうとしたとき、チョークはするりと落ちて、教室の床に花火みたいに飛び散った。

 真奈美の席のちょうど目の前だったので、いちばん被害を受けたのは真奈美だった。


「せんせーい、やめてよー!」


 真奈美は悲鳴みたいな声をあげた。

 チョークは細かく砕け散って、真奈美の上靴に白い点々をつけた。


「あ、ああ……真奈美、チョーク拾って」


 先生は、半分すまなそうな顔をして、もう半分は当然みたいな顔をして真奈美に言う。

 真奈美はいやいや、席の前に散らばるチョークの破片を拾った。

 なんで私ばっかり。真奈美は思った。


 だいたい、真奈美は高木先生があまり好きじゃなかった。

 おじさんの先生だし、カッコよくないいし、最近は痩せてきたけど、ちょっと前までは太ってたし。


 それに近ごろなにかと人に命令する。

 あれをしろこれをしろってうるさい。

 そのほとんどが、先生が自分でやればいいことなのに、わざわざクラスのみんなに命令するんだ。


 真奈美はようやく、チョークの破片をすべて拾いおわった。

 真奈美が教室のゴミ箱にチョークを捨てて席にもどったとき、高木先生は新しいチョークを出して、もう一度、黒板に書こうとした。

 そのとき、するりとまたチョークは落ちて、同じように床に砕け散った。


「真奈美、拾って」


 高木先生が命令した。




「もういや!」


 放課後、真奈美は泣きそうだった。

 親友のみずみずきに不満をぶちまける。


「高木先生って私ばっかいじめるの!」

「真奈美だけじゃないって。私もいやなことされたりさー」

「ほんと? みず希も?」

「こないだ先生の席に給食持ってったらさー、思いっきりセキかけられたしー」

「ホント?」

「さいてーだよー」


 みず希は吐き捨てるように言った。

 みず希が自分と同じ気持ちだとわかって、真奈美は少しうれしくなった。


「それにさー」みず希はまだ続ける。「先生、給食ひとくちも食べないの。だったら持ってこさせないでよねー」

「ホントだね。あ、もしかして先生、ダイエットしてるんじゃない?」

「あー、めっちゃ痩せてきたよね」

「でもさ」真奈美は言った。「先生、ダイエットしてもカッコよくならないよね」


 ははは、とふたりで笑っていると――


「おい!」


 と教室のドアから声がした。

 見ると、高木先生がのぞいてる。

 え? うそ?

 真奈美とみず希は心の中で思った。


「真奈美、先生の机にあるみんなのノート、職員室まで持ってきて」


 高木先生が、木の枝みたいな指で指した先……

 たしかに、先生の机の上にはノートが山積みになっている。

 授業で宿題を集めたから、このあと採点するんだ。


「みず希、お前は早く帰れよ!」


 先生はそう言って廊下に消えた。


「うわー、最悪」


 真奈美は思わず言った。

 さっきの話、もしかしたら先生に聞かれてたかも。

 真奈美はどんどんいやな気持ちになっていった。


「真奈美、手伝う?」


 みず希が言ってくれた。


「ううん、大丈夫、私ひとりで持っていけるから。それよりもさ、さっき先生に言われたでしょ?」

「早く帰れ、って?」

「うん。私のこと手伝ってたら、また怒れるかもしれないから」

「そうねー……」


 みず希はうーんと考えながら、顔を上にあげた。

 考えごとするときの、みず希のクセだ。


「あっ!」みず希が言った。「もうすぐ4時44分だー」


 みず希は教室の前にかかってる時計を見ていた。

 時計の針は4時40分をまわってる。


「ホントだ!」


 真奈美も時計を見た。ふたりはとつぜん、ぞくぞくした気分になった。幽霊に背中をそーっとなでられた感じ。


「あのウワサ……」


 真奈美はみず希の顔を見た。

 みず希も真奈美を見て言った。


「学校の七不思議……4時44分に、階段の踊り場にある鏡を見たら……」

「やめてよー」


 真奈美が声をふるわせたけど、みず希はつづける。


「……自分の死ぬときの姿が見える」


 言いおえたみず希の顔は、ちょうど夕陽が半分だけ照らして、もう半分は影になって、闇のように暗かった。


「私、帰るね!」


 みず希はカバンを持って、あわてて教室から出ていった。

 廊下から「あ、先生さようならー」とみず希の声がした。


「おい!」


 高木先生がドアから顔を出した。先生がまた、廊下から真奈美を見ている。


「ノート、まだか?」

「あ、はい……」


 真奈美は、あわてて机の上にある山積みのノートを両手で抱えるようにして持った。

 そのままふらふらしながら、教室のドアまで歩いていく。


 たくさんのノートで前が見えない。

 真奈美が廊下に出ると、


「半分もってやるから」


 と、高木先生が、真奈美の抱えたノートをごそっと半分とった。

 だったら最初っからそうすればいいのに。

 真奈美は心の中で先生に文句を言った。


 ふたりは、ノートを抱えて廊下を歩く。

 その先に階段があって、1つ上の3階に職員室がある。

 真奈美と高木先生は、廊下を端まで歩いて階段まできた。


 上にあがればいいんだ、と真奈美は思った。

 それですこしは安心できた。


 だって、七不思議の鏡は、1階と2階の間の踊り場にしかない。

 3階に上がるから大丈夫だ。

 そう思ったとき、真奈美の前を歩く高木先生がぐらりとゆれた。


 さっきからあぶなっかしく、ふらふら歩いてたけど、階段の前で大きな波をかぶったみたいに、左に大きくゆれて先生は転んだ。


 先生が持っていたノートのたばが、階段にぶちまけられる。

 ノートは飛べない鳥みたいに、白いページを羽ばたかせて、階段の下へ落ちていった。


 真奈美が階段の下をのぞきこむと、窓のない階段の踊り場は、うす暗く、不気味だった。

 2階と1階の間なのに、まるで地下に降りていくみたい。


 その暗い踊り場に、たくさんのノートが、墜落した白い鳥みたいに横たわっている。

 でも、ノートの数がさっきよりも多いみたいだ。

 数が増えた? そんなわけない。


 踊り場の、左の壁一面に、大きく古い鏡が見えた。

 そうだ。鏡が、落ちたノートを映しだしてるんだ。


「ああ……まずいことした」


 真奈美の横で、しぼり出すような声が聞こえた。

 高木先生が、ひざに手をついて、なんとか立ちあがった。


「拾いにいかないと……」


 高木先生は手すりに手をかけて、1段1段、慎重に階段を降りていく。

 上から見ると、先生はまるで老人みたいだ。

 どうしよう……。

 真奈美は思った。


 先生を手伝って、自分も拾いにいった方がいいのはわかってる。

 だけどいま、何時何分?

 さっき教室で時計を見たとき、4時40分をすぎていた。

 あれから数分たったと思う。


 じゃあ、いまは……。


 もしノートを拾いにいって、鏡の前で4時44分になったら……。

 自分の死ぬ姿が、鏡に映っていたら……。


 ドタッと下で音がした。

 見ると階段の踊り場で高木先生が倒れてる。


「先生!」


 真奈美は階段を駆けおりていた。

 踊り場まできて先生に手を貸す。


「ごめんな……」


 先生が立ちあがって、弱く細い声を出したとき――

 かちっ! なにかが鳴った。


 もしかしたら、先生がはめてる腕時計の音かもしれない。

 それか、教室の時計の針が、59秒から60秒になって、1分進んだ音かもしれない。


 ふだんは聞こえるわけもない音が、真奈美には、はっきり聞こえた。

 そして、思わず顔をあげた。


 目の前には、踊り場の大きな鏡があった。

 鏡は暗いはずなのに妙に明るくて、真奈美と、その横に立っている高木先生を映していた。


 でも……左に立っている真奈美の姿は、鏡の中では老婆だった。

 12歳の姿じゃなく、腰の曲がった、小さなおばあちゃんだった。


 白い髪と、しわの刻まれた顔。

 病院の入院患者のような、白い服を着ている。


 信じられなかった。

 真奈美は鏡に向かって、ゆっくり右手を挙げた。

 鏡の中の老婆も、右手を挙げた。


 私なんだ……。

 真奈美は思った。

 4時44分、踊り場の鏡で見てしまった。

 これが、死ぬときの私……。


 真奈美はさらに驚いた。

 隣にいる高木先生も、やっぱり鏡に映っているけど、その姿は、いまとまったく同じだ。


 歳をとってない。

 おなじようにおじさんの顔で、おなじ髪型で、着てるスーツの色だけちがう。


 先生も鏡を見ていた。自分の姿をはっきり見てる。

 そうして、気づいたみたいだ。これが、自分の死ぬときの姿なんだと。

 それは、あと何十年後でもなく、何年後でもなく、ほんとうに、もうすぐなんだと。


「先生……」


 真奈美は思わず声を出した。

 鏡の中の老婆も、おなじように口を開く。

 鏡の中の先生が、老婆の方を見て言った。


「みんなには、ないしょにしてたけど、先生、病気で、もう長くないんだ」


 真奈美は、横を見られなかった。

 じっと、鏡の中の先生だけを見つめた。


「先生、死ぬまで、すこしでも長く、みんなといっしょにいたいんだけど……でも、こうやって鏡を見たら、もうすぐなんだな」


 鏡の中の先生が、さびしそうに話してる。


「真奈美にも、迷惑かけたな。先生、疲れやすくなって、いろんなことができなくなって……だから手伝ってもらってたんだけど、真奈美、いやだったんだよな」


 さっき、教室でみず希と話してたこと、やっぱり聞こえてたんだ。

 真奈美は後悔した。

 どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。先生のこと、なにも知らなかったくせに。


「先生、死なないで!」


 真奈美は叫んだ。


「死にたくない。でも……」


 鏡の中で、悲しい顔をしてる先生が、ふっと笑顔になった。


「でも、真奈美はおばあちゃんになるまで、長生きできるんだ。先生のぶんまで、長く生きて、ずっと、楽しくすごせるんだ」


 真奈美の目から、涙がこぼれた。

 鏡の中の、おばあちゃんの真奈美も泣いている。


「真奈美……」


 鏡の中で、先生が言った。


「ちゃんと生きるんだぞ」

「はい……」


 真奈美は、泣きながら返事をした。

 涙でうるんだ視界の中で、真奈美は見た。


 最後に、鏡の中の先生が、やさしく笑った。



―終―

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ