『泣ける学校の七不思議』 ~七不思議完結編~
悲しかった。
わたしは、悲しくなると図書室にいく。どうしてなんだろう、自分ではわからないけど、涙を流したいとき、わたしは静かな図書室にいく。
涙をこらえながら図書室に向かっていると、遙香に言われた言葉を思い出して、また悲しくなった。
「未里、ごめんね。わたし、来週転校するの……」
さっき教室で、いっしょに帰ろうって言ったわたしに、遙香が突然そう言った。
どうしてずっと黙ってたの? 早く言ってくれたら、いっしょにいた時間をもっと大切にしたのに。もっともっと遙香に、やさしくできたのに。
思い返すたびに涙がこぼれた。わたしはカバンからハンカチを出して、涙をふく。
1階の廊下のいちばんすみ、さびしい場所に図書室はあった。ドアを開けると、夕陽が差しこむ図書室には、だれもいない。奥にたくさんならんだ本棚や、中央の広場にあるテーブルやイスが、赤い光に照らされてる。
しんと静まりかえって、まるで廃校になった小学校みたいだ。でも、わたしにはその方がよかった。だって、ひとりで泣ける。
わたしは図書室に入り、貸し出しカウンターの前を通って、中央の広場に向かった。
広場の丸いテーブルには、イスが4つある。わたしがそのうちのひとつに座ったとき……
あれ? 丸テーブルの上に、本が1冊、招待状みたいに置いてある。手にとって、なにげなく開くと、
「その本借りるの?」
声がした。
えっ? 見あげると、テーブルをはさんだ向こうのイスに、見たこともない少年が座ってる。
歳はわたしとおなじくらい、きっと5、6年生だと思う。だけど、どうしてだろう、髪の毛が真っ白だ。髪だけじゃない、眉毛も肌も真っ白で、服もさらさらした白い服だ。夕陽が図書室中を赤く染めているのに、その子だけ世界が違うみたいに白かった。
わたしはあわてて目をぬぐう。もしかして涙がまだ残ってるかも。
「その本、借りるの?」
向かいに座った男の子が、わたしをじっと見つめて聞いてくる。全身真っ白なのに、瞳だけが澄んだ青色だ。わたしは泣いてたのがバレたくなくて、その場しのぎに、
「う、うん。いま、貸し出しカードに名前書くから……」
と言ってしまった。しかたなくわたしは、カバンから筆箱を取り出した。本の最後のページに袋が貼ってあって、貸し出しカードが入れてある。わたしはカードを取り出して、エンピツで自分の名前を書いた。「市川未里」
「でもまだその本、どんな話か知らないよね?」
男の子はすごくやさしい声で、ささやきかけてくる。わたしはその声につつみこまれそうになって、あわてて本の表紙を見た。『泣ける学校の七不思議』って書いてある。
「えっとこれ、学校の七不思議の話、なんだよね?」
「そう、泣ける学校の七不思議」
「ホントに、泣けるの?」
「きみしだい。僕、その本を何回も読んだから、全部おぼえてる。泣けるかどうか、ためしに聞いてみる?」
「うん」
あっ、と思った。どうしてそんなこと言っちゃったんだろう。自分が思うよりも先に
「うん」って言っちゃってた。でも男の子はすぐに、
「じゃあひとつめの話ね――」
と語り出していた。わたしは夕暮れの図書室で、男の子の話を聞き始めた。
「七不思議のひとつめ、タイトルは……『トイレの花子さん』」
*
『トイレの花子さん』(第1の不思議)
https://ncode.syosetu.com/n7717ex/1/
『ノクターンが聞こえる』(第2の不思議)
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『ベートーベンの笑顔』(第3の不思議)
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『4時44分の鏡』(第4の不思議)
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『真夜中に動く銅像』(第5の不思議)
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『まぼろしの13階段』(第6の不思議)
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そして、最後の不思議です……
*
いつのまにか時間がたっていた。地平線に沈んだ太陽の、最後のわずかな光が図書室をうすく照らしている。
そうだ、わたしは北北西小学校の図書室にいるんだ。まるで金縛りがとけたみたいに、体からふっと力がぬけた。
丸テーブルに、『泣ける学校の七不思議』という本が置いてある。その横に、わたしが書いた貸し出しカードもあった。
「未里、大丈夫?」
ふわっと声が聞こえた。見ると、テーブルをはさんで向こうに、真っ白い男の子が座ってる。やさしい顔で、わたしを見てる。
そうだ、『泣ける学校の七不思議』がどんな話なのか、この子から聞いてたんだ。いま、6つめの不思議を語り終えたところだった。
「大丈夫?」男の子がまた聞いた。
「え?」
言われて気づいた。男の子の話を聞いているうちに、わたしの目から、自然と涙がこぼれている。
はずかしくなって、カバンからハンカチを出して、涙をふいた。でも、なんだか気持ちがすーっとしてる。いやな気持ちが、穴の空いた袋からぬけてくような感じ。
そうだ、わたしは悲しくて図書室にきたんだ。親友の遙香が転校してしまうんだ。それをずっとわたしに黙ってたから、わたしは悲しくて、いつも泣きにくる図書室にきたんだった。
でも不思議だ。心の中を満たしてた悲しい気持ちは、もう、ほとんどない。気分が落ち着いて、男の子に笑って言った。
「学校の七不思議のうち、6つも聞いちゃったね。わたし、泣いちゃった」
「うん」
「でもなんだか、すっきりした。ありがとう」
どうしてだろう、男の子はちょっと悲しそうな顔をした。
わたしは男の子に、
「本を借りて読むよりも、いま、もうひとつ、最後の話を聞いた方がはやいかもね」
「その必要はないんだ」
やさしそうだった男の子の声が、悲しくなる。
「だってあとひとつだし……」
「いや、7つめの不思議はね――」
言いかけて、男の子は口をつぐんだ。色のない、白い唇がきゅっとすぼまった。
「なに? 言ってよ、ねえ」
なんだか出しおしみされてるような気になって、催促する。
「どうしても聞きたい?」
悲しい声だ。どうしてそんな風に聞くの?
「聞きたい」わたしは言った。
男の子ははじめて、青い瞳をわたしからそらした。
「7つめの不思議はね、『不思議を6つ聞いてしまったら』っていう話なんだ」
え? それってわたしのことじゃない? わたしはいま、6つ聞いてしまった。
男の子が先をつづける。
「6つの不思議を聞いてしまった子は……」
男の子が、わたしを見つめる。きれいな、澄んだ青色だった瞳が、いまは深い海のような色だ。
「本の中に閉じこめられるんだ」
がしゃん! 門が閉じた音がした。そうだ、もうとっくに帰る時間はすぎてる。もしかして、校門の扉が閉められてしまったのかも。
「本に閉じこめられるってどういうこと?」
「二度と出られないんだ」
「だからどういうこと?」
男の子は、泣きそうな顔で言った。
「僕はずっと、この本の中に閉じこめられてる」
そう言って、テーブルの上の『泣ける学校の七不思議』を指さす。
「そんなこと、あるわけないよ」
「でも本の中から出る方法がひとつだけあるんだ」
「あのね――」
「ほかの子に、学校の七不思議を6つ聞かせれば、代わりにその子が閉じこめられるんだ」
「え? 代わりの子って……」
「ごめん。きみは学校の七不思議を6つ聞いてしまったんだ。だからきみはもう本の中にいて、登場人物のひとりなんだ」
「うそだ……」
わたしはあたりを見まわした。もう暗い。でも、いつもの学校の図書室だ。ここが本の中なんて、わたしが登場人物だなんて。
「きみもう出られないんだ。つぎの子に6つの不思議を聞かすまで。ごめん……」
男の子は悲しそうに言ったけど、涙は1滴も流れていなかった。まるで体の中に水分が全然ないみたいに。
わたしの目からは、たくさんの涙が流れはじめる。ぽたぽたと、テーブルの上にしずくが落ちる。
「泣かないで」男の子が言った。「きみの涙を何十回も見た。もう見たくないんだ」
「どういうこと? 何十回って、なに?」
「きみは忘れてるだけなんだ。図書室から出たら、全部忘れる。本のことも、僕のことも。いままできみは、悲しくなったら図書室にきたね」
「うん……」
「そのたびに僕は、きみに七不思議を聞かせた。6つ聞かせて、きみを本の中に閉じこめようとした」
見ると、テーブルの上の貸し出しカードには、わたしの名前がびっしり書いてある。全部わたしが書いたんだ。何回もここにきて。
「だけど……だけどきみはそのたびに、話を聞き終えてから、僕に言うんだ、『ありがとう』って」
そうだ。さっきわたしは、そう言った。
「僕、そんなこと言われたら……」声が震えてる。「きみを閉じこめることができなくなる」
「あ、あの……」
「もう帰った方がいいよ。夜だから」
図書室の中は真っ暗だ。ただ月の明かりだけが、だれかをさがしだそうとするサーチライトみたいに、わたしたちに向かってさしこんでいる。
「でも……」
わたしはつぶやいた。男の子はどうなるんだろう?
わたしの気持ちをさっしたように、男の子が言う。
「僕はこれからも、本の中にいる」
「じゃあ閉じこめられたまま?」
「うん……」
男の子がわたしを見る。月の光に照らされて、青い瞳が輝いてる。
「そんなのだめ!」
「もしまた悲しくなったら、泣きたくなったら、図書室にきて。僕、ずっとここにるから」
男の子は、テーブルの本を指さした。
『泣ける学校の七不思議』
「僕の話を聞いたら、きみの悲しい気持ちが、少し、おだやかになる」
「でも――!」
「僕はそれだけでいいのかもしれない」
わたしがいままで聞いた言葉の中で、いちばん悲しい言葉だった。
男の子がイスから立ちあがる。
「待って!」
わたしも立ちあがったとき、図書室の外から声が聞こえた。
「未里!」
遙香の声だ。
「さようなら」
ふり返ると、男の子はいなかった。イスだけがひとつ、さびしそうに月の光に照らされている。
わたしはドアへ歩きだす。図書カウンターの前を通ってドアを開けると、廊下は明るい蛍光灯の光で満ちている。
「未里!」
遙香が廊下にいた。
「どこいってたの、心配したんだよ! 家に電話しても帰ってないって言うし!」
遙香が走ってきて、わたしの腕をやさしくつかんだ。
わたしは引きよせられるように廊下に出た。
「遙香、ごめん……」
「図書室でなにしてたの? ひとり?」
わたしはふり返った。廊下から、ドアの向こうに暗い図書室が見えた。
わたし、なにをしてたんだろう?
なにもおぼえてないけれど、でも、図書室に入る前より、ずっとすっきりして、心が落ちついてる。
「ありがとう」
だれに言ったのか、自分でもわからなかった。
「え?」
遙香が聞きかえす。
遙香の顔を見た。
「遙香、ごめんね。転校しても、わたしたちずっと友達だよね」
「うん!」
ふたりで、夜を帰った。
もう、悲しくなかった。
―終―




