三話
さて、だいたい荷物の整理は終わったな。
僕はソファーに身を沈めるように座り、ふぅと一息吐く。さっきまで部屋の片付けをしていたから何も思わなかったけど、いざこうして一人になるとなかなか寂しいもんだ。
いつもならこうして僕が暇そうにしていると、決まってお母さんが僕に家事を押し付けてくるが、もうそんな事を気にする必要もないと思うと、嬉しいようなけどちょっぴり寂しいような複雑な心境だった。
おっと、いかんいかん。あんまり深く考えすぎるとマジでホームシックになってしまう。
この新しい環境で自分なりに楽しもうではないか。まだ色々不安があるけど、そのうち慣れてくるだろう……って、あれ?
ふと部屋の隅に目をやると、収納し忘れた段ボールがあった。今からまた中を開けて片付けるのもめんどいし、とりあえず段ボールを邪魔にならない所に置いておこう。そーいや、押し入れの中まだちょっと余裕があったな。
僕は押し入れを開けると、そこである違和感をおぼえる。
確か押し入れの中には布団や食料などを入れていたはずなんだが、それらを入れた時にはなかった物が置かれていた。
一瞬、浩次が置いて行ったのかと思ったけど、妹の誕生日会に慌てて行くようなやつだ。わざわざ僕のためにサプライズなんて用意しないだろう。
とりあえず僕は手前ギリギリに置いてあるそれを手に取り、まじまじと眺めてみる。
……魔法のランプと言えばおそらく伝わるだろう。
ただ、魔法のランプと言っても、僕のクシャミに反応するタイプではなく、もちろんアクビでもない。
擦ったら反応して、3つ願いを叶えてくれる魔人が出てくるタイプの魔法のランプだ。
まあ、それはもちろん映画の話なので、実際に擦ったところで何も起きやしないだろう。
けどもし3つ願いを叶えてくれるとしたら、僕はどんな願い事をするだろう……と、暇潰しを兼ねて考えることにした。
しかし何でこんなモノがあるんだろうと首を傾げながらランプを手に取ってみた。
意外とずっしりとした重量感があり、なにやらどこかの民族アンティークショップとかに売ってそうなニセモノのランプとは違った本物感があった。
蓋を取ろうとしてみたが、固定式なのかビクともしない。謎だ。
あ、まさか浩次が妹の誕生日プレゼントを忘れていったとか……。
浩次ならあり得るミスだなと思いながらランプを元の場所に戻すと、携帯を開いて浩次に電話を掛けた。
急いでるみたいだったし、もしかしたら気づかないかと思いながらも呼び出し音を聞いていると、意外にもワンコールで電話に出た。
『(……もしもし)』
「おう。てか何で小声なんだよ」
『(いや、野良猫捕まえようとしててさ……)』
「なんで?」
『(待ってろ。後で掛け直すから……あっ!)』
僕の親友の浩次はバカだが、突然野良猫を捕まえようとするほどクレイジーじゃない。
ふざけてるだけかも知れないな、と僕は電話越しでも聴こえるように大きなため息を吐いた。
『くそう、逃げられちまったよ! 妹の誕生日プレゼントにしようと思ってたのに!』
前言撤回。
妹の誕生日に野良猫捕まえてプレゼントにしようとしてるヤツはクレイジーだ。
よって浩次はバカでクレイジーだ。
明日からクレイジー・ザ・浩次って呼ぼう。
『で、何の用?』
「部屋に身に覚えの無い魔法のランプっぽいのがあったんだけど、アレ浩次のやつ?」
『魔法のランプ!? 何だそれすげぇ! っていう反応してほしかったりするか?』
「いや真面目な話なんだけど……まぁ、お前のやつじゃないならいいや。頑張って猫捕まえてくれ」
そう言うと僕はさっと電話を切った。
浩次がマジで野良猫をプレゼントしようとしていた事を考えると、これは浩次の物じゃない。
じゃあ一体誰のだろう?
僕は再びランプを手に取りソファーに腰を下ろした。
そして謎のランプを見回しながら「南方さんにも挨拶行かないといけないけど、手ぶらでいいのかな?」などと考えていると、ランプの側面に小さな文字が彫ってあるのに気がついた。
なんだこりゃ? くすんでてよく見えないな……。
何の考えも無しに、僕はランプを指で擦った。
そう、僕は擦ってしまったのだ。
この行動が僕の人生をハチャメチャにさせる事とは、この時は思ってもいなかった。
「ん?」
突然ランプが熱くなった気がした。
いや、気がするだけじゃない。
確実に熱くなってる!
「うわっ!」
僕は慌ててランプを放り投げた。
ゴンと鈍い音を立ててフローリングに転がるランプ。
そして、その口からはモクモクとピンク色の煙が上がる。
コレ……本当に魔法のランプ!?
うろたえる僕に構うこと無く、ランプの口から煙は上がり続ける。
部屋中が煙で満たされ、まわりは全く見えない。
僕は尻餅をついた体勢から未だに回復出来ずにいた。
すると、しんと静まり返った部屋に女の咳き込む声が響いた。
「ごっほごっほ! か、換気換気! ちょっ、これ換気!」
え? 誰?
徐々に煙が晴れ、ようやく視界がはっきりすると、そこに綺麗な女の子が立っていた。
予想外の事に僕は唖然とした。
「ああ、もう……いつも思うけど、この登場の仕方はどうにかならないのかな?」
ランプから一緒に出てきた煙が気管に入ってしまって辛いのか、女の子はまだ、げほげほと咳き込み続けている。
褐色の肌に長い髪をサイドテールにしていて……正直、かなり際どい格好だ。
こういうのって、民族衣装って言うんだっけ?
よく、砂漠の踊り子が着ている奴。
それを女の人は着ていた。
女の人は涙で潤んだ目をこすりながら、何やら辺りを見渡し、僕以外に誰もいない事を確認したらしい。
「あなたがわたしを出してくれたのかな?」
「はいっ!? えっと、その……」
不意に近づいて来た女の子に動揺してしまい、声が裏返ってしまった。
「あははは、そんなにきょどらなくてもいいのに。
でも、普通はランプから人が出てきたら、やっぱり驚くよね」
うんうん、と女の子が一人でに勝手に頷く。
今の言い方すると……やっぱりこの子、あのランプから出てきたって事?
となると、この子ってランプの精?
「で、どうなの? ランプをこすった?」
「えと、ランプをこすったのは確かに僕だけど……」
いいんだよね? 明確な意思があってやったわけじゃないけど、いいんだよね?
答えると、女の子の顔がぱぁっと輝いた。
「じゃあ、あなたが今回のご主人様なんだね!」
「ご主人さ──ええっ!? な、何それ!?」
「ご主人様はご主人様だよ? あなたはわたしの──ランプの精の主人になったの」
えっへん、と胸を張られて言われた。
いや、そんなに威張られてたら、どっちが主人だか分からなくなるんだけど。
……ん? 待てよ?
僕はそこで思い当たった事があったので、聞いてみた。
「ランプの精って事は……もしかして僕の願いとか叶えてくれたりするの?」
「うん、そうだよ。
テンプレ的な台詞を言わせてもらうと、『あなたの願いを三つだけ叶えて差し上げましょう』って感じかな」
「へ、へぇー、願いを……」
いやいやいや、ちょっと待って。
それって確かによくある話だけど、都合が良過ぎない?
上手い話には裏があるって言うし、何かあるんじゃ……。
「……もしかして、何か裏があるんじゃないかって考えてる?」
鋭い!?
「わたしはランプの精なんだよ?ランプを擦った人の願いを3つ叶えるのが義務なの」
ぷりぷりと頬をふくらませ、不満気な表情をするランプの精。
うーん、そこまで言うんだったら……。
「ならさ、夢かどうかの確認も含めて、ちょっと魔法か何か使ってみてくれない?
そうしたら、疑い深い僕も信じるからさ」
「あ、分かったよ。じゃあ、そこに立ってくれない?」
「? 別にいいけど……」
言われた通り、ランプの精が手招きした場所に移動する僕。
一体、何を見せてくれるんだろうか?
ちょっぴりを期待する僕の前にランプの精が言った。
「じゃあ、いくよ? 歯、食い縛ってね?」
「え? ごめん今、何て言った──ぐぺらっ!?」
突如、頬を打ち抜かれた。
首がねじ切れるんじゃないかってくらいのビンタが入った。
頬に走る、痛烈な痛みがこれが夢ではないと、僕に実感させてくれた。
床に着く僕をランプの精が見下ろしながら、一言。
「夢じゃ、ないでしょ?」