二十話
静寂。
聞こえるのは僅かな息遣いと、自分の足音だけだった。
辺りがすっかり暗くなり、互いの顔を確認するのもやっとの頃、僕達は夜の学校を前に集まっていた。
一切の光のない、普段は見る事がない学校を覗いていた僕は隣に立っていたティリアにぼやいた。
「……夜の学校って中々不気味なもんだよな」
「安心しなさい。私達がこれから行く場所に比べたら百倍マシだって神子川が言ってたわ」
「なぁ、割と本気で言うんだけど、帰っていいか?」
「駄目に決まってるでしょ」
ですよねー。
背後から襟元を掴まれ、ティリアに拘束される僕。
どうやら逃げる事は最早叶わないらしい。
こうなったら、腹をくくるしかないか……。
と、そこにオドオドと僕の袖を引っ張ってくる人物がいた。
「でも、京君の言う通り、確かに夜の学校って不気味な感じはしますよね……お、お化けとか出てきそうで」
「あ、雪菜さんもそう思う?」
目に見えて、分かりやすい程、ビクついているのが分かる雪菜さん。
何故、雪菜さんがここにいるのか?
それはバカ、アホ、マヌケの三拍子が揃った浩次が誘え、誘えと、うるさいので仕方なしに僕が無理を言って、ここまでついてきてもらったからだ。
雪菜さんが来たと分かった瞬間、浩次はこっちが見てて恥ずかしくなる程、大はしゃぎして、喜びをあらわにした。
が、その内、喧しいと切れた神子川が手持ちのハンマーで浩次の後頭部をフルスイング。
昏倒し、血を流しながら地に伏す浩次はそのまま神子川に身体を引きずられながら、どこかへ行ってしまった。
多分、しばらくしたら戻ってくるだろうから、あまり心配はしていないけど、目を爛々と輝かせながら浩次を引きずる神子川の姿が気になった。
……死なずに済むといいな、浩次。
「はいっ。あそこの茂みから何かが出てくるんじゃないかとか、考えたら私、もう……!」
「うんうん。暗いってだけで不思議と怖くなっちゃうんだよね」
頷き合う僕達をティリアが呆れたように見ていた。
「アンタ達……お化けが怖いとか、今時小学生でもないわよ?」
「こ、これでも最近、耐性が出来た方なんだぞ!? 中学の時は一人でトイレにも行けなかったんだからな!」
「胸を張って言う事じゃないわよね、それ? というか、普通にひくわよ?」
どうしてか、ティリアに蔑んだ視線を向けられた。
え? そこまでの事を言ったかな僕?
首を傾げる僕の横で、雪菜さんが手を恐る恐ると上げた。
「じ、実は私も……」
ティリアは「……え?」と呟いて、雪葉さんを見ながら、一時停止。
「そうだよね、中学まで無理だよね」
「ハイ。中3の三学期まで行けませんでした」
これには、さすがの僕も固まった。中3の三学期って、それつい最近じゃないか? 僕は中1で克服したぞ。
「そ、そうなんだ」
「……どんだけ怖がりなのよ」
やっと、再生ボタンが押されたティリアは、呆れた顔で僕と雪葉さんを交互に見た。
雪葉さんは、ティリアにそう言われて、少し泣きそうな顔になっている。
「私の家は和風の古い造りで、座敷わらしや幽霊なんかが出てきそうな雰囲気があるんです……。だから、怖くて、怖くて……」
「幽霊なんて、そんなんいないわよ」
と、元精霊に言われる雪葉さん。
いや、元精霊が言ってもあんまり説得力がないんだけど……。
雪葉さんはティリアをじっと見て、
「そ、そうですよね……」
と言い、笑顔(ちょっと顔は引きつっているが)になった。
そして、数分程喋っていたら、
「おまたせしました」
と神子川が浩次と共に帰ってきた。
「お、おまたせ……」
帰ってきた浩次は、見るからに何かがあった様子だった。
顔は青ざめ、引きつっており、元気オーラがすっかり消えてしまっている。頭にはグルグルと包帯が巻かれている。足取りも重い。
そして、何より気になるのは、神子川との距離だ。まるで、神子川の半径2メートル以内に入ったら何かが起きるかのように遠く離れて歩いている。神子川が止まると、浩次も同時に止まる。まるで、『ダルマさんが転んだ』のようだ。俺の隣に来る時も、神子川には近づかないように、大きく円を描くように回り込んできた。
「京、神子川には気をつけろ」
浩次が隣にきて、一言目がこれの時点で何かがあったことは証明された。
「浩次……何があったかは聞かないけど、大丈夫か?」
「ああ……もう、大丈夫だ」
浩次がいつもと雰囲気が違いすぎるので、何があったかが、聞きたくなってしまった。
「では、行きましょうか」
神子川が、歩きだしたので、後ろに続き、学校の校門を出る。
というかこれから行く屋敷って遠いのだろうか?
あまりにも遠かったら僕ら高校生には行く術はない。
「神子川、屋敷って遠いのか?」
「そうですね。県境の人里離れた山の中にあるので、それなりに遠いですね」
県境となれば、ここからかなりの距離だ。車でも二時間近くかかるんじゃないだろうか。
それに今は夜だ。神子川が屋敷に行くのは夜がいいとか言ってたのに、移動はどうするつもりだ?
こんな時間、バスも電車も無い。
神子川が全て段取りを担当したので、僕たちは何もわからない。
旅のしおりが欲しい……。
「任せてください。車は手配してあります」
「おお!」
手配とは何と準備が良いんだ。神子川の親とかが送ってくれるのかな?
神子川とは長い付き合いだが、親とは会ったことがない。
どんな顔をしてるんだろう?
などと考えていると、高校の職員駐車場にたどり着いた。
神子川は、その中の一台に向かって歩いていく。
そして、あろう事かポケットから針金みたいなモノを取り出して、ドアの差し込み口にガチャガチャやりだした。
「お、おい! 何やってんだよ?」
「呪いで解錠しています」
「それ呪いじゃなくてピッキングだよね!?」
おれのツッコミ空しく、神子川の解錠が完了してドアが開いた。
その様子を見て浩次は「すげえ!」とかと感動してるし、ウチの元精霊に関しては「現代のシーフはまだまだね」とか言い出す始末。
頭が痛い……。
「今日の宿直は大木先生です。大木先生は明日も部活動で学校にいるので、少しくらい借りても問題ないでしょう。所詮は中古の軽自動車です」
「なるほど、確かにそれなら問題ないな!」
クレイジー・ザ・浩次が何故か納得しやがった。
いやいや、問題ありだろ。軽自動車とか関係なく問題ありだろ……。
まず中古の軽自動車を差別したことについて謝れ。
犯罪現場を目の当たりにして引きつった顔をしていたら、神子川がおれに近づいて耳打ちしてきた。
「いいですか矢賀野くん? あなたの命がかかってるんです。ここは乗りかかった船です。大木先生の車を借りましょう」
僕は屋上での一件を思い出した。
神子川は変人でサバサバしてるが、実は情に厚いヤツだ。
変人だが、僕の為に色々調べたり、徹夜で怪しげな方陣を作ってくれた。
変人だが、全て僕の為にだ……。
変人だが……。
「今、とても失礼なこと考えてませんでしたか? 呪いますよ」
「気のせいだろ」
心を読めるとは神子川は読心術でも覚えているんだろうか。
僕と神子川がごにょごにょとやり取りしてると、みんなの姿が見えなくなっていた。
あれ? どこに行ったんだ?
と思ったら、みんな車に乗ってスタンバイしていた。
浩次とティリアはわかるが、普通に雪菜さんまで乗り込んでるのが僕には悲しかった。
みんなウキウキしてやがる。
「ちょっと待った。百歩譲って借りるのは良いとして、誰が運転するんだ?」
「心配ありません。降霊術で横橋くんにドライバーの霊を憑依させます」
「なんでもありなんだな……」
哀れ浩次。既に神子川の便利な道具となっているじゃないか。
ちらっと車内を覗くと、浩次はウキウキしながら後部座席に座っていた。
もう一度言おう。ウキウキしながら後部座席に座っていたのだ。
「ちょっと横橋くん。今日占いで見たんですが、運転席に座ると数学のテストが100点になるそうですよ。ちょっと座ってみません?」
「え!? マジかよ!」
神子川の子供も信じないようなアホな誘導に引っかかる浩次。
運転席に座った浩次に神子川がごにょごにょやると、浩次の目つきがガラリと変わった。
あ、今霊入ったっぽい。
「本日はご乗車、誠にありがとうございます。運転手は私、富岡が務めさせて頂きます」
富岡さんの霊だ。誰だか知らんけど。
哀れ浩次。誠に哀れ。
もう疲れたので、神子川に全てゆだねる事にした。
※※
浩次、いや富岡さんの運転はなかなかに交通ルールを無視したものだった。
「ね、ねえ、富岡さん?」
「どうされましたか、お客さん?」
「ぎゃあっ! 富岡さん前見て前! 振り返らなくて良いから!!」
「あはは、お客さんは心配性ですねえ」
「こ、これがハンドルを握ると人格が変わるスピード狂ってやつかあ!!」
「ひいいい! 私、やっぱり帰りたいですっ!!」
後部座席で雪菜さんと手を取り合って叫んでいると、助手席から神子川に呪われそうになった。
な、なんて気の休まらないドライブなんだ。
「矢賀野君、今何か言いましたか?」
「い、いいえ何も……」
「で、質問は結局何なのよ?」
口を挟んで来たのは、叫びこそしないが不機嫌そうな顔で窓の外を見ているティリアだった。
「その、生前……いや、最後の記憶というか、あの……」
「はー。 何で死んだのって聞けば良いでしょもう!」
滅茶苦茶苛々しているのを全面に出してくるティリア。うーん、気まずいがとりあえずは気になるのは富岡さんの返事だ。
「あははは、時速180キロで走ってたら崖から飛び出したんですよ」
何が楽しいのか分からないが、まるで武勇伝を語るかの様に当時の状況を説明する富岡さんに僕らは(神子川以外)は完全にフリーズした。
「と、富岡さん!」
一番先に我に返ったのは、雪菜さんだった。
「どうされましたか、お嬢さん」
暗闇の中でもはっきり分かるほど、雪菜さんの顔からは血の気が引いていた。
「今、何キロですか!?」
「んー。 分かんないんですよね」
富岡さんはこちらに顔を向け、頬をぽりぽり掻きながら笑顔で言った。
「今日は調子よくてね。 メーター、振り切れちゃってるんですよ」
「──!?」
雪菜さんから完全に、表情が消えた。
「め、メーターが振りきれてるって、それ……」
「180キロ余裕で超えてるじゃないの」
た、確か、富岡さん180キロで走行中に事故ったって言ってたよな!?
「そ、速度落として富岡さん!」
「良い人生でしたぁ」
「ちょ、ちょっと雪菜!? 白目向いて倒れないでよ!?」
「皆さん乗って来ましたね。 もっと踏み込みますよー!」
「ぎゃあああああ!?」
「矢賀野君、煩いです。呪いますよ?」
「呪わないでええええ!?」
そんなこんなで僕達が問題の屋敷に辿り着いた時、僕達のHPはすでに0に近かったのだった。