十七話
「……いや、言ってる意味が分からないんですけど?」
ティリアが幸せになるとか何を言っているんだこのおっさんは。
「あんた、ランプ開けたら精霊になってしもうたやろ? それ、師匠が原因なんや。『次にこのランプを開けた者はティリアの代わりに精霊になる』、そう師匠が願ったんや」
「どうしてそんな事を?」
「そら、ティリアが人間として生きるために決まっとるやろ。師匠はあの子をずっと外に出したがってからな。……例え、次にランプを開けた人物がどうなろうともな」
その台詞で僕は察した。
「……あなたは、僕がこれからどうなるか分かっているんですね?」
「そらな。一応、あの人の弟子やし。あんた、死ぬんやろ? それももうすぐ近いうちに」
その通りだ。
僕はその師匠だかなんだが知らない人物によって、命を落とす危機に迫られている。
にしても……。
「……随分、軽い口調ですね。あなたの師匠の所為で僕はもうすぐ死ぬっていうのに」
「あれ、怒ったってしもうた? 心配せんでも、大丈夫やよ。俺はあんたが助かる方法を知ってるんやからな」
「なっ!?」
僕は思わず目を剥いた。
助かる……!?
この絶望的なまでの状況を……?
僕はおっさんにほとんど掴みかかるような形で迫った。
「それを教えてください! どうすれば僕は、僕は死なずに済むんですか!?」
「ちょ、ちょっと、落ち着けっちゅーねん」
おっさんに宥められ、僕はしぶしぶ身を引く。
「……あんたがまだランプの中に封印されてないって事は、あんたがランプの精として、叶える願いは一つあるんやろ?」
「……二つ叶えて、残り一つです。でも、残り一つを叶えたら僕は封印されて……」
「それなら簡単や。あんたはランプの精として、ある願いを叶えればいいだけや。そうすれば、あんたの命は助かる」
「……」
そんな……そんな都合のいい願いがあるのか……?
それが本当なら、僕は……。
「助かるんですよね? それ……どんな願いなんですか?」
おっさんは不気味と表現出来る笑顔を浮かべて僕に言った。
「『自分の代わりにティリアを封印して』──そう願うんや」
「……え?」
「ティリアはあんたが精霊になってしもうた原因でもあるやろ? それやったら、あんたも恨みがあっても普通やし、他の人を封印するより、ずっと気も楽やろうし」
おっさんの言っている事は確かに正論だ。
でも、僕は、そんな簡単に「そうします」とは言えなかった。
「ティリアも封印してしまったら、僕のように命の危機に陥ったりしないんですか?」
「安心しぃ。ティリアは封印される前に、魔法をかけられて、魔力がきれんようにしてあんねん。精霊やなくなっても、その魔法は持続するようになってるし、もう一回封印されたかて、死なへん」
おっさんはその後、こう続けた。
「また何十年、何百年と眠るだけや」
その言葉は僕にグサリとささった。
命は奪うことはない。ただ、ティリアを身代わりに封印することは、ティリアの自由や時間を奪い去ることでもある。
それは、もしかすれば、「死ぬ」ことよりもずっと「辛い」ことなのではないか。
次に目が覚めたら、家族や知り合い、友達、誰一人として生きていない。もしかすれば、人類が存在しない世界になっているかもしれない。そんな世界に行くのなら、死んだほうがマシではないのか。
僕は、答えを見つけられずにいた。
もちろん、死にたくはない。
もっと、長生きして、浩次や神子川達と未来を歩んでいきたい。
でも、そのためには、犠牲が必要だ。
僕は、「他人を自分と同じ運命」にしたくない。
じゃあ、ティリアなら、いいのだろうか。ティリアは最近まで、精霊として生きてきた。だから、もう一度、精霊に戻っても、何も変わらず生きていけるのだろうか。それは、「他人を自分と同じ運命」にするのとは、違うことなのだろうか。
僕の脳内に大量の「?」が浮かんでいく。
どうすれば、いいんだろう。
これには、答えがあるのだろうか。
誰も教えてはくれない。
当たり前だ。
決めるのは、僕自身なんだ。
僕はおっさんの目を見て言った。
「それは、できません」
ティリアを封印しない。
それが揺れる心が弾き出した答え。
正直、僕が何故あんな迷惑で自己中で盗み癖のある女なんかを庇うのかは、よくわからない。
しかし、彼女は悪い事はしてない。
話を聞く限り、ランプに運命を縛られた被害者と言ってもいい。
そんな彼女が、どうしてまた何十年も、何百年も眠らなくてはならないんだ?
納得いかない。
だから、僕はおっさんの目を見ながら僕の意思を伝えた。
真っ直ぐに。
「……ま、それもまたアンタの自由やな」
おっさんは少しだけ間を空けてからボソッと言った。
口の中で小さく呟くような声だった。
その声に、どのような感情が含まれていたのかは、僕にはわからない。
ただそれっきりおっさんは黙ってしまった。
グレープフルーツのような満月が夜空に浮かぶ。
断続的に吹く春の夜特有の心地よい風が、二人の沈黙の間を通過していく。
おっさんがスッと立ち上がったのは、丁度風が止んだ時だった。
「ほな、また来るな」
「……はい」
踵を返し、闇に溶けてゆくおっさんの後ら姿を、僕はただぼーっと眺めていた。
結局、解決への鍵を握っているだろうおっさんは、何一つ有効な手立てを持っていなかった。
ただ、ランプとティリアの秘密を教えただけ。
役立たずだ。
なのに、おっさんの「また来る」という言葉に、どこか救われたような気になっている僕がいた。
知らずしらずの内に、このおっさんに何かを頼ろうとしているのだろうか。
「あ、そや。あとどんくらいや?」
闇の中でおっさんが振り返りながら尋ねてくる。
主語も目的語も欠落した言葉であったが、僕には何を指してるのかわかった。
「……47%です」
「そらアカンな。これ食っとき」
そう言ったおっさんが僕に向かって何かを投げた。
ベンチに座ったままキャッチする。
これは……アメ玉?
「魔力補充の飴や。もう最後やから大事にな」
「…………」
願っても無い魔力回復グッズ。
これがあれば、僕に残された時間が伸びる事になる。
でも。
僕はお礼を言う気にはならなかった。
疲れたというのもある。
でも一番の理由は、この飴をくれた意味が「時間をやるから考え直せ」という事なんじゃないかと思えてしまったからだ。
僕は行き場のない感情を手のひらに込めて、ギュッとアメ玉を強く握った。
再び顔を上げた時、おっさんの姿は既になかった。
※※
ポケットの中でアメ玉を握りながら家の前までやって来た。
暮らし始めてからまだ何日も経っていない部屋。
それでもドアの前に立つと、不思議と自分の部屋に帰ってきたという安心感があった。
しかし、この中にいるんだ。
ティリアが。
今は会いたくない、と言うよりも、どんな顔してあったらいいのかわからない。
ましてや、あんな話を聞いた直後だ。
不用意な事は言いたくない。
僕はもうすぐ死ぬか封印される。
でもティリアを封印すれば助かる。
これらは全て今日一日で判明した事実だ。
この事自体、おそらくティリアも知らないだろう。
何せアイツは魔法が掛けられた特別仕様だし。
だからもう少し考えてからティリアに話そう。
ワガママで馬鹿で迷惑な奴だが、真面目な話くらい出来ると信じたい。
「ただいま……あれ?」
部屋に入ると真っ暗だった。
「ティリア?」
電気をつける。
蛍光灯の青白い光が部屋の中を照らした。
部屋の奥の方に目をやると、ソファーの上で布団にくるまったティリアを見つけた。
寝ているようだ。
これは顔合わせて話さなくて済む。
僕は制服の上着をハンガーに掛けながら机の上を見る。
そこには一人分の料理が並べてあった。
サラダみたいなモノと、この間作った鍋が小分けにされて机の上に並んでいる。
コレ、あいつが作ったのか……?
あれ?
そういえば、部屋もずいぶん綺麗になっている。
さっきは気がつかなかったが、かなり整理整頓されているようだ。
これもアイツが?
僕はとりあえず机の前で腰を下ろし、料理を頂くことにした。
箸を持って、早速サラダに手を伸ばそうとした時、料理の脇に置手紙があるのに気がついた。
「……」
ティリアの方を見ると、相変わらずスヤスヤ寝息を立てている。
『また鍋で悪いけど、温めて食べること。ティリア』
置手紙には大きい下手くそな文字でそう書かれていた。
ただの書き置きだ。
きったない字で、こんなに大きく書いて。
ただの書き置きなのに。
それを見た後、僕の心の中で決意のようなものが生まれた。
ティリアも僕も絶対助かる。
僕らは絶対に封印されない。
封印なんてされてたまるか。