十六話
数分間叫んだら、少しだがスッキリした。涙もいつの間にか止まっていた。
無奈ちゃんに、悪い事したな……。今さらながら思った。
なんともいえない心境のまま、アパートに向かった。
自分の部屋の階に来たとき、俺はある人影に気づいた。
浩次が部屋の扉の前でじっと待っていた。少し俯き加減で、いつもと雰囲気が違った。
浩次が振り向いた。こっちに歩み寄ってくる。
「京……お前さ、無奈に会ったらしいな」
「あ、うん」
無奈ちゃんが言ったんだな。
浩次は少し黙ってから、真面目な顔で
「無理はするなよ」
と言った。
きっと、浩次は無奈ちゃんから僕の様子とかを全て聞いている。だから、僕が何か深刻な悩みを抱えていることが分かっているのだろう。
だが、それを僕が言わないことも分かってる。だから、一番これがいいと思ったのだろう。
「じゃあ、また明日」
浩次はまた笑わずに言った。そして、僕の横を通って帰っていく。
横を通る時、僕は「うん」と言ったが、その声はとてもかすれていて、きっと、浩次には届かなかった。
浩次が帰って、僕はまた泣き出しそうになった。
扉の前に立つ。中に能天気なティリアがいると思うと、入る気が失せた。鍵を開けようとしたその時、
「あー、ちょっと、ええかいな?」
と、背後から関西弁で男の声が聞こえた。
すぐに振り返ると、黒髪で黒縁メガネのうさんくさいおっさんが立っていた。
「え、は?」
「いやー、ちょっと、聞きたいことがあるんやわ」
何かの勧誘? 宗教だったりして? 「今、幸せですか?」なんて聞いてきたりして……。
「いや、その」
「あのな、この部屋に……」
いいか、と聞いておきながら、おっさんは勝手に話を進めていく。
本当に宗教かもしれない。こういうのは、聞かないことが大切だ。
「いや、ちょっと、無理です」
「まぁ、ちょっと聞いてーな。部屋にランプあらへんかったか?」
「え……」
「ランプや、ランプ。なんちゅうたらええやろなぁ。アラビアとかにありそうな感じのやつや」
「あ、あります」
「ほんまか! 聞いとくけど、触ってへんな?」
「さ、触りました」
おっさんは、「あちゃー」と頭を抱えた。
「そら、まぁ、難儀なこっちゃ」
「あの、あなたは一体、誰なんですか?」
僕は一番知りたいことを聞いた。
「お、俺か? 俺はそのランプを作った……」
ゴクリと唾を飲んだ。
「人の弟子や、弟子」
僕はなんとも言えない心境になった。
「弟子?」
「そや」
その言葉を聞いて、僕は戸惑った。
僕を死に追いやろうとしているモノを作った関係者である事に、腹の底から熱いモノがこみ上げてくるようでもあったが、一方で何か解決方法を知っている可能性のある人を「ようやく見つけた」と少しほっとしている所もあった。
この男には聞きたい事が山ほどある。
「ほな触ったっちゅう事は、ティリア出てきよったんやな?」
「え……ええ」
僕の言葉を聞くと、おっさんは額に手を当てて天を仰いだ。
その際に「師匠、スンマセン」と唸っていた。
僕には何の事だかさっぱりわからない。
「聞きたい事が沢山あるんで、とりあえず上がってください」
僕が家の扉を開けようとすると、おっさんが「アカン!」と僕の手を握って言った。
「中にティリアおるんやろ?」
「ええ」
「ほな場所変えて話そか」
「はい?」
おっさんはすっと踵を返してスタスタ歩いていった。
どうやらこの怪しいおっさんは、ティリアに会いたくないらしい。
というかティリアを知っているって言う事は、絶対にこのランプの秘密を知っているはずだ。
僕は早歩きで歩くおっさんを見失わないように、小走りでその後を追った。
※※
「ほな、どこから話そか?」
「出来れば全部、詳しく教えてください」
僕はおっさんの後を追って、近所にある寂れた公園に来ていた。
ベンチに座ったおっさんは、ポケットから扇子を出してパタパタとやっている。
僕はその隣に腰を下ろすと、体をおっさんの方に向けた。
そこでおっさんは空を見ながら語り始める。
「あのランプはな、大昔にウチの師匠がアラブの王様に頼まれて作りはったんや」
「大昔ってどのくらい前ですか?」
「そやな……ざっと200年前くらいやな」
え?
そんなに昔のモノだったの?
確かにかなり時代を感じる質感ではあったが、まさかそんなに前のモノだとは思わなかった。
「本来は罪人を捕える為に作ったんやけどな……」
そう言うと、おっさんは頬を掻きながら言いづらそうに言った。
「人間から『人間である事』を奪うっちゅうんは中々大変なんやけどな。
王様は『罪人であっても尊厳を守り、精霊として生活させ更生の機会を』言ってはったし、師匠は一応要求に応えたんや」
パタリと扇子を閉じて膝を叩いた。
黒縁眼鏡の中の瞳は、どこか遠い所を見ているようだった。
「その王国は間もなくして滅びよった」
「……」
「師匠は何とかしてランプを見つけ出したんやけど、ランプには一人の罪人が封じられたままやった」
「それがティリア?」
「そや」
「じゃあどうして僕の時もティリアが?」
おっさんが俯いた。
しんとした公園が暫く沈黙に包まれる。
しかし、その沈黙は長くは続かなかった。
「師匠はティリアと恋に落ちたんや」
「は?」
どういう事だ?
まあこのおっさんの師匠とティリアが惹かれ合ってたとしても、ティリアはこちらにいる。
という事はティリアは三つ目の願いを叶えて、再び封印されたってことか?
そしたら師匠は一体どんな願いを叶えたんだ?
「師匠が叶えた願いは三つ。
一つ目は、弟子である俺の寿命を長くする事。
そやから俺はずっと生きてランプを守ってきたんや」
「じゃ何で僕の部屋に置いてあったんですか?」
僕のツッコミを入れたが「それは追々説明するわ」と流された。
「二つ目は、自らの技術を封印や。
二度とこんな悲劇の恋が生まれんようにってな。
ほんで最後の願いは……」
一拍置いて一瞬だけ押し黙ったおっさんが口を開いた。
「ティリアが幸せになる事。
つまり、ずっと一緒にいられる人と出会える事や」