表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

古都ヨーキスは静かに眠る

 灰に染められた植物すら眠る深夜、聖王国の西に位置する古都ヨーキスの石畳に、女がひとり立っていた。

 美しい女だ。歳の頃なら二十代半ば程。くるぶしまである長い漆黒の外套(コート)を身にまとい、夜闇に紛れ込む女は、癖のない金髪を背中で風に遊ばせている。外套の上からでもよくわかる豊かな胸、くびれた腰、丸みを帯びた臀部。すべてが男を――いや、性別の垣根など超え、すべての者を魅了するために創造されたような造形だった。もしも戦場に彼女が降り立ったとしても、目にしたものは状況を忘れ、うっとりとため息を吐くだろう。姿かたちだけならば傾国の美女と言っても過言でもない美貌を持つ女だったが、その姿を目にとめるものは、今はこの町には誰もいなかった。



「それで、状況はどうなっている」



 女は手元の小型通信機(モバイルフォン)に語りかける。最新式の小型通信機は純度の高い黒鉱石(ブラックジュエル)を使用して動く。従来のものと比べると排気する頻度がずっと低いため、高くついたとしても女は最新型が発売される度に買い替えていた。



『姐さん、ちょっと勘弁してくださいよ。資料渡したでしょ?』



 小型通信機から、やれやれと言った口調の男の声が聞こえる。



「そんなものお前が理解していればよい。いいから、さっさと説明しろ」

『あーはいはい、わかりました』

「はじめから素直にそう言えばいいものを」

『姐さんが資料に目を通せばいいだけの話すよ』

「御託はいいからさっさと話せ、ヴィオ』



 ヴィオと呼ばれた男が大きくため息を吐いた。そんなわざとらしい吐息の音すら、小型通信機はクリアな音で伝えてくる。やはり、神具機関(カディアスエンジン)は最新式に限る。女は吹きすさぶ風に髪を靡かせながら、自分の選択を肯定した。



『数か月前から、深夜に女性の失踪が相次いでいます。被害者は主に二十代の女性。職業は娼婦や、そういった夜の仕事の女たちです』

「目撃者は?」

『いません。皆いつの間にかひっそりと姿を消している』

「人間の仕業ではないのか、それは」



 女は腕を組み、眉を寄せた。腕に押し上げる形で、豊かな胸が形を変える。



『そりゃあ無きにしも非ずですが、ちょっと難しいですね。なんせ相手が会話の途中で姿を消しても、気づけなかった人間がいるくらいですから』

「なるほど。今夜現れるのは確かなのか」

『情報が少ないから何とも。まあ被害者六人分のデータを分析した旦那の独立式演算装置(オートガルゴ)がそう言ってます』

「あれはあまり宛にならん」



 吐き捨てる女に、ヴィオはははと乾いた笑いを返した。



『そうは言いましても、俺たちはあれに頼るしか術はありませんから。まあ遭遇したら幸運だと思って、頑張ってください。人払いは済ませてあるんで』



 プツリと音を立てて切れた小型通信機を睨みつけ、今度は女がため息を吐く。日の入りまでゆうに五時間はあるだろう。つまり何の収穫もなければ、女はあと五時間もこの暗闇の中を彷徨わなければならないのだ。ため息のひとつくらい、こぼしたくもなる。



「任務を開始する」



 やる気のない声で告げられたその言葉は、黒よりも深い暗闇の中に溶けていった。





 幸運だった。女は黒い影を前に、形のいい唇を吊り上げた。

 二時間程さ迷い歩いただろうか。被害者の消えた付近をうろついていると、背の高い住宅の隙間から女の三倍ほどもある異形が飛び出した。獣のような形をした、黒い影。

 そこに存在しているはずなのに、ただ獣の形に一段と濃い影ができているようにも見える。女は何度見ても、こいつらの存在を立体的に捉えることができなかった。壁に描かれた落書きの方が、まだ実在しているように見える。

 彼女はその現れた――異形(ヴェスティア)に怯むことなく、四つ足の獣から歪に生える触手を壁を蹴り避ける。女が足音もなく石畳の上に着地すると、獣は宙を蹴るように駆け上がり、足場のない筈の空間から女を見下ろした。



「じじいの独立式演算装置(オートガルゴ)もたまには役に立つようだな」



 今までの被害者とは異なり、その異形と相対しても女の姿は掻き消えることなく、不敵な笑みを浮かべている。影の獣も女を取り込めないことに気づいているのだろう、その獅子のような体躯をぐっと伏せ、いつでも女を食らえるよう、準備する。



「エレオノーラ・オル・カディアス。女王の名において、お前を殺す」



 エレオノーラは異形に向かい、そう宣言すると、身にまとっていた闇色のロングコートを脱ぎ捨てた。

 コートの下から現れたのは、同じく闇色の軍服。女王の納める聖王国において、尊ぶは深紅だとされている。騎士たちの制服ですら赤く染められているこの国において、黒の軍服とは存在しないはずのものだった。


 忘れられた騎士、亡霊とも呼ばれる漆黒の軍服を纏う兵。戸籍すらも抹消された、異形(ヴェスティア)――――おとぎ話の獣たちフィアサム・クリッターを葬るためだけに存在する剣。

 故に勲章など与えられない。――おとぎ話の獣たちフィアサム・クリッターなど存在しないのだから。

 故に命を落としても、悲しむものなどいない。――その身は元より存在を認められていないのだから。

 エレオノーラの身は、目の前の獣を殺すためだけにある。


 エレオノーラが腰に下げた剣を抜くと、その刀身がひとりでに煌めいた。

 ――闘具機関(ナスルエンジン)。今は既に失われた、大発明家カディアスが実在したといわれる時代に発明された戦闘のための機関(エンジン)

 この国では戦闘用の神具機関も数多に開発されているが、それはすべて闘具機関の劣化版だ。何より、エレオノーラの手に収まる剣は希少な白鉱石(ホワイトジュエル)を燃料に、神具機関の排煙から生まれたおとぎ話の獣たちフィアサム・クリッターを中和し屠る力を持つ。そこいらの騎士が持っているような神具機関製の武具とは、毛色が違った。


 獣が身を低くしたまま、影のような触手をエレオノーラへと伸ばす。

 エレオノーラは四方八方から襲い来るそれを、女性の身にしては大きく無骨な剣を風のような速度で滑らせ、一呼吸で断ち切る。もくもくと、白鉱石に中和された獣の一部が煙となり空へと立ち消えた。



「弱いな。お前、まだ発生したばかりか」



 エレオノーラは獣を挑発するように言葉を紡いだ。

 二か月――この町で最初に娼婦が消えた日から、既にそれだけの時間が経っていた。おとぎ話の獣たちフィアサム・クリッターの発生時期を独立式演算装置が予測できなかったのも無理はない。こいつは生まれたてだ。過去に事例があったものならば、あのポンコツに引っかからないわけはない。

 エレオノーラは口ではポンコツと呼びながらも、過去の事象から統計的におとぎ話の獣たちフィアサム・クリッターの出現を予測する独立式演算装置を信頼していた。


 ――しかし。エレオノーラは思考を巡らせる。

 二か月で失踪者がたった六人しか存在しない。己が存在を保つために人間の魂を糧とするおとぎ話の獣たちフィアサム・クリッターには、少なすぎる犠牲者だ。頻度も短い。大型ともなれば数十年に一度、町を二、三のみ込み再びエレオノーラたちの手の届かない空域に潜るものだっている。

 しかしこれは本来ならば、あの独立式演算装置(ポンコツ)が気づくべきことだ。ふんと、エレオノーラは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 おそらく、故意に伝達されなかったのだろう。ヴィオの様子では、彼も知らなかったはずだ。それはそうだろう、このエレオノーラ・オル・カディアスという女は、子守りなど毛頭するつもりはない。ただただ強者と戦い、殺す。それが彼女の唯一の欲望だった。



「まあいい。私が遊んでやろう、坊や」



 エレオノーラが髪をかきあげ、獣へと美しい笑みを見せる。獣はそれに答えるように、音にならない唸り声を上げ、エレオノーラへと飛び掛かった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ