何度か目の朝 第2話
雨の音はなんとなく懐かしい気がした。
その日の夕方は、1日中降り続いた雨が嘘のように晴れた。
綺麗な夕日が顔をだした。
そして、それが必然だったかのように、学校に忘れものを取りに行くことを諦めかけていた少年がいた。
それが目にした物。それは不思議な転校生との、運命的な出会いとも言える一日だった。
◇◇◇◇◇
「え?転校生?」
「そう。それも女子だってよ」
朝の日差しを背中に受けながら隣で話す友人たちの会話が聞えてきた。
会話に入ろうとしたが、なんとなく止めておいた。
盗み聞きだが、この際許してもらうことにしよう。
僕は頭の中でそんなことを思いながら会話に耳を傾けた。
「どんな子かなぁ。可愛い子かな?」
「さぁね。でも、いじめられて転校してきたって可能性もあるし」
「うわ。それはヤだな」
「まぁ見た目で決め付けたら悪いからなぁ。どっちにしろ、あんまり期待し過ぎないでおくのがいいかもな」
その言葉を最後に、始業のチャイムが鳴る。
ガタガタとみんな席に着き始める。少しコソコソと話す声を除けば、実に静かな朝だ。
数分も経つと、ガラガラ、と前の扉が開きジャージ姿のクラスの担任兼体育教師兼サッカー部顧問が入って来た。
話し内容は予想通り転校生が来ると言う連絡が大部分で、あとは皆軽く聞き流して、今か今かと転校生の登場を心待ちにしている。
どうぞ、と言うと、静かに扉が開いた。
おぉ〜。と男子から歓声があがった。
絹のような長めの頭髪がまるで活き人形のようで、顔、つまり容姿は、少しばかり凛々しく、大人びた、可愛いというよりは綺麗という印象だった。
桐生楓です。よろしく、と、自己紹介を単発に済ませた。
僕の印象的には、静かな子。だった。
ちなみに、彼女の席は僕の後ろになった。
◇◇◇◇◇
「桐生さんは、どうして転校してきたの?」
「・・・別に」
「ねぇ、前の学校でソフト部だったんでしょ?ウチらソフト部なんだ。桐生さんも入らない?」
「・・・いい」
桐生楓が転校してきて数週間。分かったことがたくさんある。
まず、口数が少ない。
会話のキャッチボールは、どうやら桐生さんの場合ストライクゾーンが狭いようで、文字数にしてどんなに多くても10を超えることはない。別に。いい。どうぞ。ええ。こんな感じ。表情もなく、無愛想というよりか、上品な人というよりは、無愛想な人というイメージがみんなに浸透していった。
もう一つ。授業中にノートを取らない。授業中はつまらなそうに教科書を開いてノートは置いてあるだけで、ぼーっと窓の外を眺めているらしい。
つまらないのか。それともそれ以外に何か思っていることがあるのかと思ったが、なにぶん僕の真後ろなので、授業中どのようにしているかなんてほとんど見ることが出来ない。
◇◇◇◇◇
そんなある日。暑い夏が顔を見せる少し前。時々暑くも過ごし易い季節の到来。
視覚的な変化と言えば生徒の着るワイシャツが数人、長袖から半袖に変わったくらいで、その日は桐生楓が転校してきてちょうど一か月半が経過したころだった。
テストが近いということもあってか、学校内では、一部の生徒から、ほんの少しピリピリした空気が漂っていた。
席替えは半年に一回。という担任教師の訓えによって席は未だに窓際前方トップ。
そして後ろに桐生楓の姿が在った。
『・・・暑い』
窓際の盲点というか、直接太陽が照りつけるこの席にはいささか厳しい季節が到来しようとしていた。
正直、今も相当厳しいものだが、あと1か月もすれば、今の暑さなんか蚊に刺される程度にしか感じないくらいの暑さがやってくる。
いや、もうすでに足音は聞こえて、すぐそこに迫っていた。
そんな暑さの中、気を紛らわすために僕は、桐生楓に話しかけていた。思えば、初めてカエデに話しかけたのはこのときだったのかもしれない。そして、僕の頭は暑さでやられていたのかもしれない。
「桐生さん、髪、切らないの?」
いつもなら、『何で?』などという答えが返ってくるに違いない。いや、答えが返ってくるだけマシだ。
最近は無視することもしばしば見受けられるようになった。
この前はなんかは先生の質問に答えず職員室に呼び出されていたのを僕は目撃していた。
しかし、そのあとの展開に僕の頭の回転は追いつかなくなった。
「髪を伸ばすことには意味があって、魔力を溜めておくのに使える。まぁ俺はそんな使い方はしないけどな。サムソンって知ってるか?」
「-------え?」
言葉の意味を考える。
「え、っと・・・旧約聖書の登場人物だっけ?」
なんだ、知ってるんじゃないか、と。なんだか嬉しそうな彼女。
初めて会話のキャッチボールが成立した気がする。
◇◇◇◇◇
夏休みに入る約一か月前。夏休みが一番待ち遠しくなるこの時期。僕は学校への道のりを歩いていた。
僕の家は学校からそんなに離れていない。そのため学校には歩いて登校している。
今日も、そんないつもの朝と変わりなく歩く。
ただ一つ違うのは、現在の時刻だけだった。
野球部の掛声が校舎に木霊する。そろそろ暗くなるはずだけど、まだ終わらせる気はないのだろうか。
僕は部活動に入っていないため、声を聞くだけで新鮮な気分だ。
その日、僕は1週間後に控えた期末テストに備えて勉強をしようとしたとき、ノートを学校に忘れたのを思い出した。
朝から雨が降っていて、それは学校の授業が終わってから、僕が家に着いた時も降っていた。
それなのに、忘れものに気が付いたときにはやんでいた。家に着いてからわずか30分程度のことだった。
ゆっくりとした足取りで門をくぐる。
僕は昇降口から靴を脱いで教室に向かった。誰もいない校舎に自分の足音が響く。
いつもは騒がしい学校も、今はまるで異世界に迷い込んだ錯覚を起してしまいそうなくらい静かだ。
静まり返った学校の中を歩いて、僕は自分の教室のある三階に向かった。
所々コンクリートはひび割れ、白いペンキが剥がれて岩の塊がむき出しになっているところが何か所もある。
外から見れば割と奇麗な学校なのだろうけど、内から見れば古い学校だ。
そんなことを考えながら歩いていると、教室の扉が見えた。
クリーム色の長方形。レールに案内され左右に動く、どこにでもあるありふれた引き戸。
それに手を掛けたとき、体が跳ねるくらい驚いた。
立ち並ぶ机の影を作り出しているその中に、人型の影があった。
まぎれもなく、桐生楓だった。
まぶしそうに机に座って窓の外の夕日を眺めているカエデ。
とりあえず、ひとつ深呼吸をして、落ち着いて教室の扉をあける。
扉を開けた音に彼女は反応した。
驚いたようにこちらを振り向く。
「やぁ、どうしたの?こんな時間に」
「・・・そっちこそ、こんな場所になんの用?」
少し警戒したようにこちらを睨む。警戒というよりは不思議な物を見るような、そんな感じかもしれない。
「僕は忘れ物を取りに来ただけ」
そう言いながら僕は机の中を物色する。目当ての物はすぐに見つかった。これ、と言いながら黄色い色をした大学ノートをカエデに見せる。
「桐生さんはどうしたの?」
彼女はぶっきらぼうに、別に、とだけ答える。
僕はいつものことだと思い、そのまま教室を去ろうとした。そのとき、カエデがふっと顔を上げた。
鋭い目つきであたりを見回す。そして、ある一点にカエデの視線が止まった。
それは掃除用具のロッカーだった。どこにでもあるありふれた直方体。乱暴に扱われ所々へこんでいたりするプレス加工の板金で出来た物。
そこに早歩きで近づいて行った。
ロッカーの前まで来ると、手をそっと当てる。
バゴン!
ロッカーから大きな音がした。
車同士が衝突したくらいの大きな音。
僕は反射的に耳を塞いだ。
ロッカーが壊れたのかと思った。だが、何も変わっていない。
もちろん職員室にも聞こえているはずだった。それなのに教師が駆け付ける様子がない。
外から運動部の声が先ほどと変わりなく響く。
この教室が他の場所から切り離されたように、回りは無反応である。
まるで、この場では何も起きなかったように。
教室内はシンと、また静まり返る。なんだか僕だけ取り残されたようだ。
カエデはそのまま自分の机の横に掛けてあるバッグを持ち、何事もなかったかのように帰ろうとしている。
「ねえ、ちょっと!」
僕は怒鳴るようにカエデを引きとめた。精一杯の声を発したつもりだったのに、上手く声が出なかった。
「なんだ?」
何事もなかったようなに、カエデの声は冷静そのものだった。
体を半分こちらに向け、僕の目をじっと見る。