第1章 何度か目の朝 第1話
<ドッペルゲンガー>
ドッペルゲンガーとは、ドイツ語で「二重の出歩く者」という意味。英語のdoubleに相当する。自分と瓜二つの存在。元はドイツの伝説で、自分のドッペルゲンガーを見ると数日でに死ぬと言われている。
どのような姿であろうと、それが自分自身であると直感的に確信して疑わないモノである。
その日はなぜか暑くて目が覚めた。汗で衣服は肌にピタリと張り付き、気持ち悪いことこの上ない。
奇妙な病院から退院して何度目かの朝のことだ。
寝起きの悪さに顔をしかめつつ、足取り重く洗面所に向かう。
ひんやりとした水道水を手ですくい顔を洗う。
顔のベタつきと眠気をとったところで、昨日聞いた要件を思い出す。
「・・・また、呼び出しだっけ」
ふと時計を見る。
現在、金曜日の昼下がり。カーテンを開けると、太陽が真上でギラギラと光っている。
本来ならば、学生である僕は友人たちと楽しくお昼ごはんを食べているはずだった。
どうやら寝過してしまったみたいだ。
◇◇◇◇◇
翌日のこと。ある噂を耳にした。
「え?ドッペルゲンガー?」
「そう。聞いたこと無い?」
「全然。初耳」
ホームルーム前の僅かな自由時間。僕の前の席の友人の話しに僕は首を横に振る。
僕は興味はないけど、恐らく、僕の知る限りではこういうことに興味を持つ人が1人いる。
「知らないって、本当に?」
呆れた。とでも言いたいのか、ため息を吐いた僕の前の席の友人。
野球部員の鮎川浩司。
坊主頭が野球部員であることを示している。
彼からそんな噂を聞いた。
「どうせ、出所も分からないようなただの噂でしょ?」
この手の噂はどこの学校も絶えずに何かしら騒がれると思う。
トイレの花子さんを始め、人体模型が動き出すとか。
そういえば1週間前もそんな噂をしていたような気がして、さらに先日のアサカさんの要件と照らし合わせると嫌な予感がしてきた。
馬鹿にしたような僕の態度を見てか、コウジは少し真剣そうな顔をする。
「この噂、どうも本当らしいぜ?なんでも、あの池田まで見たらしい」
「池田?」
「学年主任の池田だよ。あいつ、この噂で学校の風紀が乱れてはいかん、とか言いだしてさ。探したんだって。それで次の日の朝、生徒が図書室に行くと、そこで倒れている池田を見つけたんだ」
クク、と思い出し笑いを堪えて言っているコウジ。
今の話はなんだかおかしい気がする。
「池田は図書室で倒れてたんでしょ?」
「あぁ。そうだ」
「どうしてそれだけでドッペルゲンガーを見たって断言出来るわけ?」
ただ単に。という言い方もおかしいが、図書室で倒れただけなのかもしれない。それが僕の意見だった。
だけどコウジはそれを否定した。なんというか、話がうまく通じてなくてイライラしているような気もした。
「だから、図書室だろ?ドッペルゲンガーは図書室で目撃されることが多いんだよ。あれ?この話してない?」
僕は頷いた。
そんな噂自体を初めて聞いたというのに、そんなこと知っているわけがない。
「池田はいないって言い張ってるけど、池田を見つけたのが生徒だったのは運がなかったな。図書室で倒れているなんて、いかにも目撃して気絶しましたって言ってるようなもんじゃん?」
たったそれだけでドッペルゲンガーを見たと結びつけてしまうのも変だが、どうやらそれほどまでに有名な噂らしい。
「他にもトイレとか屋上とか言う奴もいるけど、図書室っていうのが一番多い。・・・なぁドッペルゲンガーって見ると何かあるのか?」
そんな質問に僕は、さぁ、などと曖昧気味に答えた。そこで担任が教室に入ってきてHRが始まった。
僕自身はそんなに興味はないが、恐らくあの人なら食い付くだろう。
良い土産話が出来たかな。なんて、僕はそんな呑気なことを考えていた。
◇◇◇◇◇
「来たか。少し早かったな」
事務所に着くとアサカさんが椅子に座ってキーボードをカタカタと叩いていた。
タバコの煙がユラユラと浮かび上がる。
ここは作家、浅香泉が住むアパート。
近くにコンビニと駅があり、場所としてはまぁまぁな立地条件だ。
I県西部の県境に位置するここ、Y市は人口約5千人。
高層ビルが立ち並ぶほど都会でもなく、見渡す限り畑、というわけでもない、なんとも中途半端な田舎町。
「お前の通ってる学校、昨夜何者かが侵入したそうだな」
唐突に。
僕がキーボードの横にコーヒーを置くのと同時にアサカさんがそんなことを言った。
「侵入者?そんなの聞いてませんけど。・・・誰に聞いたんですか?」
ちょっとな、と言いながら僕の差し出したコーヒーを口に含む。アサカさんはブラックしか飲まない。つい最近まではそう思っていたが、ごく稀に砂糖とミルクを大量に注文してくる。
甘い物が好きという女性らしさは持ち合わせているらしい。コーヒーでそんなことをいうのもまた違う気がするけど。
「それ、最後のコーヒーです。またあとで買っておいて下さい」
「またか。そういうのは秘書の仕事じゃないのか?」
「僕はコーヒー飲みませんから、買う必要はないです。お金を頂けるのなら買ってきますけど、自腹となると考えものです」
「お使いはすると?」
「ええ。そのくらいは」
僕は学生の身だ。サイフの中身はどんなときも寂しいに決まっている。
ガチャリとノブを回す音がした。
次いで扉を開ける、軋んだ音が響いた。
僕が事務所に到着してから数分後、カエデが扉を開けた。
アサカさんが何かを言う前にカエデは口を開いた。
「言っておくけど、侵入者がいたなんて聞いたことないからな」
溜息混じりに、コートを脱ぎながら言う。
はい、と僕が冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、渡すと顔をしかめた。
インスタントコーヒーが無いため、冷蔵庫にあった冷めたコーヒーだ。
「そういえば、侵入者とは関係ないと思いますけど、今僕らの学校でドッペルゲンガーが出るって噂になってるんですよ」
昨日聞いた話しだ。
「それは興味深い・・・。マスミは見たのか?」
アサカさんはクルリとイスを回転させ、身を乗り出す。
「いえ、噂を聞いただけで実際には見ていませんけど。見た人は死ぬらしいじゃないですか」
ドッペルゲンガーは有名な都市伝説だ。これはいつかテレビで見た情報だ。
そんな僕にアサカさんは不適な笑みを漏らす。
「・・・死人が出たのか?」
「いえ、出てません。だから、この噂はウソってことですね」
「順序が逆だ。バカ者。見ると死ぬんじゃない。“死ぬから”見るんだ。寿命が尽きる寸前の証とも言われてな。元はドイツ語で『生きている人間の行き写し』を意味するそうだ。単純な和訳では『二重の歩く者』というらしいがね」
勝ち誇ったような顔で説明をしてくれる。
「それで、そのドッペルゲンガーはどこで目撃されるんだ?」
「なんでも図書室が多いらしいですよ。他はバラバラです。トイレとか、屋上とか」
「ドッペルゲンガーは本人に関係ある場所に出現する。図書室が多いっていうのは少しおかしいな」
コーヒーカップを持ち上げて啜る。そろそろ冷めたと思うのだが、アサカさんはすぐにカップから口を離した。どうやらアサカさんは猫舌らしい。
「アサカ。そんなバカな話しはいいから、今日呼び出した理由を教えてくれよ」
つまらなそうに話しを聞いていたカエデが缶コーヒーを持ちながらアサカさんの話しを遮った。
「そうだったな。今日の深夜0時にまたここに来い」
唐突に。
またそんなことを言う。
一度呼び出しておいてまた後で来い。しかも深夜0時。
「一応目立たない服装で来いよ。お前ら学生なんだからな。・・・さて、私はこれからやることがある。さぁ分ったら早く帰れ」
シッシッ、という感じで手を振る。
アサカさんは僕とカエデを事務所から追い出すと、扉の隙間から洩れ出ていた光が消えた。
外はすっかり暗くなっていて、時計の針はもう夕飯の時間を指していた。
◇◇◇◇◇
アサカさんの事務所に着いた。2階建の見た目はいたって普通のオンボロアパート。いつもは白に近いベージュ色の壁に黒い手すりが目に入るが、今は真っ暗で色など識別出来ない。
黒いはずの階段を使って2階へと上がる。
扉を開けるのと同時、ギィーっという音があたりに響く。
「お前たちか。じゃあ行くか」
奥からそう声がして、アサカさんがリュックを持って歩いてきた。
何も言っていないのに気が付いたのは扉が軋んだからだと思う。
「それで、どこに行くんですか?」
「ついてくれば分かる」
早く来い、と言い残しアパートの階段をカンカンと音を立てながら降りて行った。
◇◇◇◇◇
事務所を出てから十分ほど歩くと、僕とカエデが通っている学校の前まで来た。
「ここ、僕らの学校ですよね?」
そうだ、と言い門を超えて敷地内に侵入したアサカさんとカエデ。
スタスタと比較的軽い足取りで敷地内を歩く。
「目的地はここだ」
そんなことを吐き捨てるように言うと、昇降口に辿り着いた。
アサカさんはおもむろにポケットから銀色の長細いギザギザしたものを取り出した。
「あの・・・それは?」
「合鍵だ」
見て分からんのか、と当然のように言うけど、分かるんだけど、理解が出来ない僕のことを分かってほしい。
カチャリという音が木霊した。
「アサカさん、こういうのって不法侵入っていうんじゃないんですか?」
僕とカエデは上履きを掃き、アサカさんはスリッパを履いている。ペタンペタンという音が何とも不気味だ。
「知人に頼まれてな。ちょっとこの学校はおかしいそうだ」
ポケットからタバコを取り出し、火をつけながら言う。真面目な顔をしていることから、これは本当らしい。僕は火災報知機とかが煙を感知して鳴らないのか、とか侵入者用赤外線センサーみたいなもので警報が鳴って警察に自動通報されないのか、などと心配していた。あと、頼んだ知人が普通の人であることも。
「アサカ。それは俺も薄々感じてた」
やはりか、と言いタバコの煙を吐き出す。それが幽霊のようにユラユラと空に昇って行く。
「さっきの門にも仕掛けがあった。できは・・・まぁ中の下といったところか」
アサカさんは火をつけたばかりのタバコを愛用の、タバコを拡大したような円柱状の携帯灰皿に押し込む。
二人の会話を聞きながら、僕はなぜかカエデと会ったときのことを思い出していた。
僕の記憶が正しければ、たしか二年か三年前のことだった筈だ。




