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蒼空とリウ  作者: 流源太
9/13

善兵衛の悔恨

日本橋に来た。大きな太鼓橋を見て蒼空は驚いた。江戸の日本橋は蒼穹の下、大勢の行きかう人々で溢れている。今の東京の日本橋はその上を無機質なコンクリート橋が縦横に架けられ、その上をひっきりなしに車が流れている。とても同じ場所とは思えない。

蒼空と清次郎は日本橋の大通りをきょろきょろしながら阿蘭陀屋を探した。

清次郎がふっと立ち止まり、指差した。

「ねぇー、あれがそうじゃない」

確かに阿蘭陀屋と大きな看板が出ている。

「それにしても立派なお店ねぇ」

蒼空は店の前で看板を見上げ、その威容さに圧倒された。

 総二階建ての建築物で間口は五十メートル近くありそうだ。店先では前掛けをした丁稚の小僧さんが二人で打ち水をしている。

のんびりとした雰囲気だが、これから始まる善兵衛とのバトルを思うと、嵐の前の静けさと言ったところだろうか。

「ごめんくださーい」

清次郎は(いさ)んで暖簾(のれん)をくぐり店の中に入って行く。

 蒼空は少し戸惑ったが、エイっと気合いを込めて敷居をまたいだ。外の煌めく太陽光に慣れた眼が商家の中の薄暗さに馴染むのに少し時間がかかった。

「いらっしゃいませ」

 土間にいた丁稚の元気な声が響く。

「エレキテル診療所の清庵が来たと善兵衛に伝えて」

清次郎が肩を怒らせ告げると、丁稚は怪訝な顔つきで帳場に座って(せわ)しなく算盤(そろばん)玉を弾いている番頭に目配せしながら何やら耳打ちした。

番頭は小柄で、顔の真ん中に眼や鼻が集まり、なんとも個性的な顔立ちをしている。

番頭は重い腰を上げるようにして清次郎の前までやってきた。

「番頭の()(すけ)と申します。御用向きはなんでございましょう」

「わたしは、エレキテル診療所の清庵と申します。善兵衛さんにお話があります」

喜助は、「えれき・てる」のことか、まさかお甲のことではないだろうと思うのだが、次第に仏頂面になって行く。

「エレキテル診療所の清庵先生ですか、それでそちらはどなた様でしょうか」

「わたしは弁理士の夏姫蒼空と言います。蒼空と呼んでいただいて結構です」

「清庵先生と蒼空様。それで手前どもの主人にどのようなご用向きでございましょうか」

喜助はあくまでも丁重に尋ねた。

 清次郎は喜助を手招きし、耳元で囁いた。

「偽エレキテルの件です。久三のところは全て没収し、今頃は奉行所に運び込まれているはず」

喜助は奉行所と聞き、のけ反るようにして清次郎から離れ、眼を吊り上げ何度も口をパクパクさせた。

「しっ、しばらくお待ちを……。旦那さま~」

と、叫ぶように奥の間へバタバタと消えて行った。

しばらくすると善兵衛が現れ、

「清庵先生。エレキテル診療所では大変お世話になっております。先ほどは番頭の喜助がお見苦しいところをお見せいたしまして」

と丁寧にお辞儀をする。

テレビの時代劇ならでっぷりと太った悪役といった感じなのだろうが、やや小太りの紳士然とした穏やかそうなおじさんに見える。

「さ、さ、ここは店先ですから、奥の方へどうぞ」

善兵衛は清次郎と蒼空を客間に誘った。その後ろを額の汗を拭いつつ喜助が従った。

奥につながる廊下を右に左に幾つも曲がり、立派な庭に面した落ち着いた客間に通された。蒼空が右に、清次郎が左に座り、善兵衛と番頭が二人に相対する格好で向かい合った。

善兵衛は両眉が垂れ、あくまでも平然としてゆったり構えている。

「清庵先生。それに蒼空さんとおっしゃいましたか、ご苦労さまです。それで、このわたしに何の御用でございましょう」

 蒼空は善兵衛の目を見て静かに尋ねた。

「こちらでエレキテルの模倣品を販売していますよね」

「エレキテル? 模倣品? はて、それは何のことでございましょう。そのようなものを扱った覚えはございませんが」

 善兵衛は小さな目を丸く見開き、驚いて見せた。

それを訊いた清次郎は頭に血が上り、カーっとして声を荒げた。

(とぼ)けないで。エレキテルを発明した源内先生のところに偽エレキテルが持ち込まれ、迷惑してるのよ」

「迷惑? さあ、何のことやら当方にはさっぱりわかりませんが……何か勘違いされているような」

困惑するかのように眉を下げ、首をかしげた。

 蒼空は質問を変えた。

「吉松さんからエレキテルを買っていますね」

「吉松さん……、さぁ誰のことですか。まったく存じませんが」

善兵衛は顔色一つ変えず、臆面もなくそ知らぬふりをした。

蒼空は俯いてじっとしている番頭の喜助に顔を向け、優しく尋ねる。

「確か、番頭さんは、竹二さんをご存知のはずですよね」

「えっ、はい。いや、存じません」

喜助はピクリと肩を震わせ、目が虚ろに泳いだ。

「久三さんのところにいる竹二さんは、十日に一度、阿蘭陀屋の喜助さんが取りに来ると証言しています」

「うっ……。あっ、思い出しました。竹二さんね、伝助長屋の、はい。存じております」

 喜助は噴き出す額の汗をしきりに拭っている。

「喜助。おしゃべりが過ぎやしないかい」

善兵衛は眉間に皺を寄せ、隣に座る喜助をキッと睨んだ。

 喜助は善兵衛の隣で首をすくめ、塩をかけられた蛞蝓(なめくじ)のごとく、小さく縮こまってしまった。

「わたしどもはエレキテルなる物は存じませんし、取り扱ってもおりません」

 善兵衛はにやりと笑い、余裕しゃくしゃくの(てい)である。

「番頭さんは竹二さんをご存じのご様子。竹二さんは喜助さんにエレキテルを渡したと告白しています。矛盾するのではないでしょうか」

蒼空は善兵衛から目線を離さず追求した。

「何か誤解をされているようですね。わたしどもが扱っておりますのは、『エレキ・(てる)』でございます。てるは、(かがや)くという字を書きます」

「はあぁー。『エレキ、輝』、ですって」

清次郎は素っ頓狂な声を出し、目を(しばたた)かせた。

「はい。エレキ・輝でございます」

 善兵衛は、だから違うでしょ、と言わんばかりに胸を張った。

リウのくすくす笑う声が聞こえる。

「笑っている場合じゃないでしょ」

蒼空は、迂闊にも声を出してしまった。

「誰も笑ってなどおりませんぞ」

善兵衛は腕を組み憮然とした。

「そうよ、蒼空さん。誰も笑ってなんかいないわよ。怒っているのよ」

清次郎もギュッと顔をしかめた。

蒼空はゴホンと空咳をひとつし、ここからが勝負どころ、冷静になろうと背筋を伸ばし、姿勢を正した。

「ところで、善兵衛さん。そのエレキ・輝とはどういったものか見せていただけますか」

「エレキ・輝というのは別名、稲妻発生装置と称しておりますが、実物は見世物用の玩具(おもちゃ)のようなものでございます」

はははは、と大して可笑しくもないのに作り笑いをした。

 善兵衛は喜助に『エレキ・輝』を持ってくるように命じた。

喜助は立ち上がり隣室に消え、しばらくして『エレキ・輝』なるものを大事そうに抱え、部屋に戻ってきた。

「これでございます」

善兵衛は喜助から『エレキ・輝』を受け取ると蒼空と清次郎の前にそぉーっと置いた。

「まさしくエレキテルじゃないの」

清次郎が叫んだ。見かけはエレキテルと瓜二つ、同じと言ってもいいほどだった。

 善兵衛はなおも不敵な笑みを浮かべ、

「いいえ違います。これをよくご覧ください」

と言ったあと、箱から付き出た取っ手をグルグル回した。

 蒼空も清次郎も眼を凝らして善兵衛のハンドルをグルグル回す手元をじっと見ていたが、何の変化も起こらない。

「疲れました。稲妻を飛ばすのは喜助が上手なのですよ。喜助、代わっておくれ」

 ではわたしがと言って、喜助は善兵衛から『エレキ・輝』を受け取ると、手馴れた様子で取っ手をグルグルグルグルグルグル、と勢いよく回した。

 そのとき、パチンと小さな火花が飛んだ。

「なに、これ。情けない火花」

清次郎は口に手を当て、クククっと忍び笑いをした。

「見ていただけましたか。わたしどもの稲妻発生装置は余興でございますよ。源内先生がお作りになった医療用の立派な器具などではございません。単なる見世物用の玩具でして……」

 善兵衛は、大げさにワッハハと大笑いし、釣られるようにして喜助も、はははと追従(ついしょう)笑いをした。

「なんてお粗末なんでしょう。源内先生のとは、月とスッポン。どこから見てもエレキテルなんかじゃないわ。単なる玩具ね」

 清次郎も善兵衛の言い分に頷いた。

「さようでございますとも、清庵先生。源内先生のエレキテルとは月とスッポン、似て非なるものでございますよ」

 善兵衛は、清次郎が頷くのを見て取ると、自分の主張が通ったものだと安心したようだった。

 しかし、

「そうではありません」

蒼空の静かだが、毅然とした声が部屋に流れた。

「なんと奇妙なことをおっしゃる。今しがた清庵先生も玩具であると認め、源内先生のエレキテルとは月とスッポンほど違うとおっしゃられたのをお聞きにならなかったのですか」

「はい、しっかり聞いておりました。でも、残念ながら、そうにはならないのです」

 善兵衛は蒼空の意図することがまったく理解できないようで、右に小首をかしげた。

 同時に清次郎は左に、喜助は右に首を捻っている。

 ――リウ。あなたもわからないの。

 ――いえ、はあ。まあ、そうですね……。

左手を顎に当て考えていたリウは、自分の姿が見えているのだろうかと思わず目を足元から体、腕の方へと見回したが、何も見えなかった。

蒼空は続けた。

「善兵衛さんの『エレキ・輝』は明らかに模倣品と断定できます。ですから全て没収され、廃棄されます」

「なにを勝手なことを言っているのだ。小娘のくせに。わたしが扱っているのは玩具だ。医療器具ではない。第一、名前が『エレキ・輝』で違っているでしょう。箱の絵柄だって源内先生のものは唐草模様で、こちらは風神雷神図だ。誰が見てもはっきりと違っているじゃないか。間違いようがない」

「そうです! 間違いようがありません」

喜助が急に元気になり、体を突き出すようにして言った。

 ――この風神雷神図ですけど、俵屋宗達の模写ですよ。

リウが蒼空にテレパシーを送った。

「この風神雷神図ですけど、宗達先生の了承は取っているのですか。これも贋作(がんさく)なんでしょう」

蒼空は追い打ちをかけた。

 蒼空の発言に対して善兵衛は涼しい顔をしている。 

「贋作というのは本当のことですか。わたしは何も知りませんでした。面白いもの、珍しいものを手に入れたい。ただそれだけで購入させていただいたまでのこと。わたしは何も存じません」

と、あくまでも惚け続ける善兵衛を前にして、蒼空の弁理士としてのスイッチがカチリと入った。

「それでは一つ質問させていただきます」

「はて、どういったことでしょう」

「『エレキ・輝』と『エレキテル』は違うとおっしゃいました」

「明らかに違うでしょう」

善兵衛は胸を張り、ほくそ笑んだ。

「そこなんですよ。『エレキ・輝』と『エレキテル』は耳で聞いたかぎりでは同じです。噂を聞いて買いに来たユーザー、すなわちお客さんは、『エレキ・輝』と『エレキテル』は同じものと思うでしょう。善兵衛さんもそこを狙ったのではないですか」

「それはそうでしょう。それが商売の鉄則というものですよ」

喜助は主人をフォローしようとして言ったが、

「おだまり、喜助」

 善兵衛の尖った声が突き刺さる。

そこをすぐさま蒼空が指摘した。

「そうですよね、喜助さん。『エレキ・輝』は『エレキテル』の模倣品であることを知っていたからこそ、そう命名しましたよね」

 善兵衛は、うんとは言わなかったが、否定もせず押し黙り、喜助を横目で睨んだ。

喜助は再び塩蛞蝓になり、額に大粒の汗を浮かべた。

リウは、蒼空の目が一瞬きらりと輝いたのを見逃さなかった。

「箱の図柄が違うとおっしゃいましたが、ハンドルが箱の同じ個所から出ていますよね。稲妻が出る角の位置もまったく同じです。『エレキテル』を購入しようと思っている人にとっては、単に図柄が違っているだけで見かけはまったく同じで、稲妻が飛ぶのも同じです。これでは誰が見ても区別できません。ですから『エレキ・輝』は模倣品といえます」

「そうよ。同じ図面から作ったんだから同じものになるはずよ」

清次郎は、さっきは善兵衛の主張に傾いていたが、今度は蒼空の意見に同調した。

「なんとおっしゃろうとわたしどもの『エレキ・輝』は玩具でございます。源内先生の医療器具ではございません」

蒼空は善兵衛の言い分に落ち着いて切り返す。

「善兵衛さんの『エレキ・輝』は、お客様から見ると源内先生の『エレキテル』とまったく同じ形をしています。耳で聞いた名前も同じです。当然、同じ機能、同じ性能を持っていると思うでしょう。それを期待して購入した方もいるはずです。実際、源内先生のところには髪の毛が焦げたとか、頬に火傷ができたなどの苦情がきているそうです。ですから当然、『エレキ・輝』は『エレキテル』の模倣品と判断されます」

「そうよ。偽物よ」

清次郎は顎を突き出し敢然と叫んだ。

 蒼空は清次郎に指示した。

「この『エレキ・輝』の構造を確かめてください」

 清次郎は『エレキ・輝』を手元に引き寄せ、蓋を開け分解し始めた。

箱の外のハンドルは内部の歯車に直結しており、幾つもの歯車が組み合わされ、これらの歯車の回転は紐でできたベルトを通して小ぶりのガラスの回転瓶に伝わる。瓶の上に金属板があり、銅線で箱の外の電極につながっている。もう一方の電極は回転瓶の下の銅板につながっていた。

これらを確かめた清次郎は怒りで顔が真っ赤になった。

「ガラスの回転瓶が小さいこと以外は、構造も部品のどれをとっても源内先生のものと同じです」

 と皆に説明した。

それまで黙って聞いていた善兵衛は、いまいましさでわなわな震え始め、喜助は善兵衛の怒りを恐れ、部屋の隅にじりじりと下がって行く。

蒼空は胸を張り、得意満面にこの事件の結論を語り始めた。

「『エレキ・輝』はエレキテルの模倣品と断定されます。そして、吉松さんはエレキテル模倣事件の主犯と言えるでしょう。図面の窃盗とエレキテルの模倣の罪に問われます」

「それで善兵衛はどうなるの」

ぷりぷりしながら清次郎が尋ねた。

「善兵衛さんは吉松さんが持ち込んだ『エレキ・輝』が、源内さんの『エレキテル』の模倣品であることを知っていました」

「勝手なことを言うんじゃない。わたしは知らなかったと言ってるじゃないか」

善兵衛は声を荒げ、あくまで(しら)を切るつもりだ。

「いいえ、知っていたのです」

蒼空は自信にあふれていた。

「清次郎さんとお甲さんはエレキテル診療所を開業しました。数カ月して、清次郎さんが抜け、お甲さんと矢ノ吉さんの二人で診療所を続けましたよね。ちょうどそのころ善兵衛さんはお甲さんの診療所を訪ねています。それはお甲さんが証言しています。そのあと、どういう経緯があったか想像するしかありませんが、善兵衛さんは吉松さんが偽エレキテルを作っていることを知りながら儲け話に乗ったのではないですか」

 蒼空の推理を善兵衛と喜助の二人は黙って聞いていた。

 弁理士蒼空の弁舌はますます冴えてくる。

「そのとき、善兵衛さんは吉松が持ち込んだ『エレキテル』をこの名前のままでは不味いと考えた。しかし、源内さんのエレキテルの評判は利用したい。そこで発音は同じで、字を変えて『エレキ・輝』としました。その場に喜助さんも同席していましたよね」

 それも図星だったのだろう。喜助の顔は蒼白となリ、小さく震えだした。

「これから損害賠償の話をします」

 蒼空は冷ややかに畳みかける。

「損害賠償だと!」

善兵衛の声が喚くように大きくなった。

「善兵衛さん。『エレキ・輝』は何台売ったのですか」

「知らないねぇ」

 まだ、白を切るつもりなのか、蒼空が挑むような眼差しで睨みつけると、

「さあ……、十台とちょっとかな。そうだろう、喜助」

 急に話を振られた喜助は、大きくのけぞり、目を白黒させた。

「竹二さんの話だと『エレキ・輝』は二二台を拵え、喜助さんが十日に一度取りに来たと証言しています。喜助さん、間違いないでしょう」

 喜助は反射的に頷いたが、その後すぐに首を横に振った。

「どうなんですか、善兵衛さん」

 善兵衛はしばらくの間沈黙していたが、やがてそうだと小さく頷いた。

「ところで善兵衛さん、『エレキ・輝』をいくらで売ったんですか」

「確か、十両だったと」

「喜助さん、本当ですか。『エレキ・輝』の売値などちょっと調べればすぐにわかることなのですよ。正直に答えなさい!」

「ヒィー。にっ、二十両、です」

「喜助! お前はこれ以上何も言うな!」

善兵衛の怒声が部屋に響いた。

 善兵衛の声に(おのの)いた喜助は空気の抜けた風船のように部屋の隅で縮こまってしまった。

「吉松さんからはいくらで購入したのですか。善兵衛さん」

「……」

「黙秘するなら奉行所にいる久三さんに訊くことになりますが……」

「うっ、うーむ。じゅっ、十両じゃ」

忌々しさで善兵衛の顔が(みにく)くゆがんだ。

「そうしますと利益は二二台かける十両ですから、二百二十両になります。損害賠償金として源内さんに半分の百十両をお支払い下さい」

「なっ、なんじゃとう……」

 怒りに震える善兵衛に対して、

「これで手を打ちませんか。嫌なら奉行所に訴えます。そうなると早晩牢屋に入ることになりますよ」

蒼空は冷たく言い放った。

「ウッ、ウ、ウ~」

「清次郎さん。この和解案でどうですか」

「源内先生に百十両いただけるの。わたしはそれでいいわ」

口に手を当て、ふふふと笑った。

蒼空の宣告はさらに続く。

「吉松さんのところには完成品二台と作りかけが七台あるそうです。その材料代として竹二さんに九十両をお支払いください」

()めて、二百両ですか……」

喜助は俯きかげんに小さく呟き、何かを考えているようだった。

「二百両だと。そんな金は払えるものか」

善兵衛は怒りで顔を真っ赤にし喚き散らした。

「静かにしてよ」

清次郎が金切り声を上げると、

「喧しい」

逆に怒鳴られ、清次郎は後ずさりした。

「お前のせいでこれまでのわたしの儲けが無くなってしまう。出て行け……」

 と声を荒げ、立ち上がると蒼空の腕を掴み、部屋から追い出そうとした。

「イタイ! 何するの」

声を出そうとしたが、善兵衛の左手で蒼空の口は塞がれた。

「キャッ、グッ、グー……」

 清次郎は焦った。立て膝を突き、身構えたものの何もできない。

「ぜっ、善兵衛! 暴力はやめて。蒼空さんから手を放しなさいよ」

 精一杯凄んで見せたがまったく迫力はなく、善兵衛をつけ上がらせただけだった。

「放すものか。お前がこの小娘を連れて黙って帰るなら放してやる」

「わっ、わかったわ。その代わり蒼空さんにこれ以上乱暴しないで」

必死に叫び部屋を出ようとしたとき、善兵衛が両手を上げのけ反り、阿波踊りを始めた。

「こっ、こっ、これよ! これを待っていたのよ」

三度目の蒼空の妖術を見た清次郎が、息を吹き返したように歓声を上げた。

善兵衛から逃れた蒼空はその場にばたりと倒れ込んだ。清次郎がすぐ駆け寄り、蒼空を抱き起こした。

「蒼空さん。蒼空さん……」

蒼空は口を塞がれていたせいで息をするのもやっとだ。

「どっ、どうなっているんだ。喜助ぇー、助けておくれ~」

善兵衛はいったい自分の身に何が起きたのかわからず放心状態で叫んだ。

 そのとき、清次郎は眉根を寄せ、口をへの字に結ぶと、何を思ったのか頭を下げて善兵衛に突進した。清次郎の頭は阿波踊りを続ける善兵衛の腹に見事に突き刺さり、善兵衛は羽交い絞めにされたまま後ろ向きにひっくり返った。リウは善兵衛を抱え込んだまま身動きができなくなっている。

生まれて初めて頭突きをした清次郎は勢い余って向かいの床柱に頭をぶつけ、キャーと絶叫し、気絶した。

――ムグ、うっ、う~ん……。蒼空さん、善兵衛の下敷きになっています。助けてー。

――リウが、わたしを呼んでいる。待ってて……、今行くから……。

蒼空は頭を振りよろよろ立ち上がり前を見ると、善兵衛は亀が甲羅を下にしてもがくように手足をばたばたさせている。その下にリウがいるのだろう。

その横で清次郎が頭を抱え倒れていた。

――リウ、もう少しの間そのまま善兵衛を捕まえていて。清次郎さんを助けるから。

蒼空は清次郎を抱き起こしたが、焦点が定まらず目が泳いでいる。

蒼空は、清次郎の頬を平手で叩いた。パチンといい音がして、清次郎は目を(まばた)かせて我に返った。

「清次郎さん。早く、善兵衛を捕まえて」

「う~ん。えー、わたしがー……」

「そうよ。清次郎さんがやらなきゃ誰がするのよ」

蒼空も必死だった。

――リウを助けなきゃ。

 清次郎もここは自分しかいないと覚悟を決め、

「わかった。やって見るから」

清次郎は、倒れこんでいる善兵衛の胸倉を掴み、

「よくも蒼空さんにひどいことをしたわね」

と言って、張り手を喰らわせた。清次郎がもう一度手を振り上げたとき、

「やめてください。もう叩かないでください。お願いします」

喜助が隣の部屋から現れ、(すが)るように清次郎に頭を下げた。

「旦那様を赦してやってください」

と、頭を下げたまま喜助は言い、そっと縄を差し出した。

「これで旦那さまを縛ってください」

ことに次第に清次郎は驚いたが、縄を受け取ると喜助とともに暴れる善兵衛を縛りあげた。

「喜助。なっ、何をするんだ。気は確かか。わたしを裏切るのか」

恨みがましく後ろを振り返り睨め上げた。

「旦那様。静かにしてください。わたしもこんなことはしたくはないのです」

喜助は主人の前に膝まずき、座して静かに続けた。

「わたしは間違っておりました。今回のことで眼が覚めました。先代の大旦那様から若旦那様をお預かりし、ただ黙って一心にお仕えすることが最良の道、番頭の務めと思い、今の今まで若旦那様の言われるとおり、はい、はいと従ってまいりました。けれども近頃の若旦那様は商売に身が入らず、しかも身元も定かでない女に入れ上げ、しまいには何処の馬の骨ともわからない吉松が持ち込んだ何ともいかがわしいエレキ・輝なるものを買い入れ、ご商売をされている。これでは秀吉様、家康様よりご贔屓いただき、百八十年続いた阿蘭陀屋の看板に傷を付けることになります。若旦那様といえどもこれは許されません」

 蒼空はこの意外な展開に驚いた。

「そうよ。善兵衛さん。こんな立派なお店なのに偽物を扱うのは相応しくないわ。老舗の名前が泣きますよ」

「源内先生が苦労して作ったエレキテルよ。知ってたんでしょう。それに便乗するような商売は止めるべきよ」

清次郎も加わり、説得した。

 善兵衛は三人から諭され、肩を落としうな垂れた。しばらくの沈黙の後、重い口を開いた。

「わたしだって……、本当のところはこんな商売はしたくなかったんだ。いまさら何を言っても言い訳に聞こえるかもしれないが、先代が亡くなり、店を預かって七年。近ごろは商売が落ち込みうまく行かなくなり、何か新しいことをしなければと焦っていた。最近はちょっと自棄(やけ)になっていたのかもしれない」

 善兵衛は肩を落とし、うなだれた。

「そこを吉松につけこまれたのね」

 わたしとおんなじ、と清次郎は同情した。

「いきなり吉松が、なんとも怪しい偽エレキテルを持ち込んできた。当初、わたしは偽物は扱わないと断ろうとした。しかし、お甲とのことで脅され、わたしは恐ろしかった。それで断り切れずに、三台だけという約束で仕方なく引き取ったのだが、驚いたことにどこからか源内のエレキテルの噂を聞いたと言う新し物好きの武士や豪商、金持ちたちがやってきて、エレキテルを買っていった。それからは、客がひっきりなしにやって来て、わたしは嬉しくなり、すっかりいい気になってしまった。偽エレキテルでも客が喜んで買っていくものだから、これでいいのだろうと。喜助が止めるのもきかずに売り続けた。売れれば売れるほど罪悪感は薄れ、仕舞にはこの商品は阿蘭陀屋の新しい人気商品になるかもしれない、これで阿蘭陀屋を復活させられる、ご先祖様にも申し開きができると思うようになっていた。いまは、本当にバカなことをしてしまったと思っている。喜助、お前の忠告にも耳をかさず、悪いことをしてしまった。この人たちに二百両、払ってくれるか」

 喜助は縛られた善兵衛の目を真っすぐ見つめ、黙って聞いていた。喜助の頬につーっと涙が伝い、こぼれ落ちた。善兵衛の両肩を抱きしめ、

「それでこそ若旦那さま。いや、旦那さまでございます。嬉しゅうございます。今のお(たな)に二百両は大変なお金でございますが、なんとかして捻出いたしましょう」

喜助は涙を拭うこともせず、善兵衛に何度も頷いていた。


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