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蒼空とリウ  作者: 流源太
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清次郎の救出

「長崎でそんなことがあったのですね。清次郎さんが可哀そう」

蒼空は誰とはなしに呟き、自分自身をも鼓舞するように中良に声をかけた。

「清次郎さんを助けに行きましょう」

「う~ん。そういうことならいたし方ないか」

中良はふーっと息を吐き、気の進まない様子で蒼空と一緒に幽霊屋敷に向かった。

日の長い夏といえども、夜の七時をだいぶ回っている。街灯が灯る東京とは違い外は暗い。幸いとでもいうのか、満月から少し欠けた月が煌々と輝いていた。

――月明りだけでも意外と明るいんだ。

蒼空は新しいことを発見したような気になった。街灯とイルミネーションで照らされた東京の目にしみるチカチカした光ではなく、銀色に輝く月明かりと中良が手に持つ提灯(ちょうちん)の頼りなげな橙色の明るさが夜風と相まって心地よく感じられた。

――うまく清次郎さんを助け出せますように。

蒼空は月を見上げて祈った。

幾つか辻を曲がり、ほどなくして橋本町の木戸に差し掛かった。

「幽霊屋敷は、もう少し先です」

と、中良は背中を向けたまま告げた。

「どうして幽霊屋敷と言われているのですか」

蒼空は前を歩く中良に問いかけた。

「金貸し検校(けんぎょう)がこの屋敷の持ち主だったのですが……。あこぎな金利で金を貸し~、容赦のない取り立てで~、人もうらやむ財をなし~、それをお(かみ)(とが)められ~、財産すべてを没収され~、悪名高き~検校も~、ついに首を(くく)ってあの世逝()き~、という訳です。その後にこの屋敷を借りた人も、借金苦で井戸に身を投げて亡くなったそうです。その人たちが幽霊となって夜な夜な現れるというのです」

中良は最初、調子よく都々(どどいつ)風に語っていたが、だんだん気味悪くなり、あとは早口に話し終えた。

 蒼空は、怖い話ですね、と言いながら、恐怖心はまったく湧いてこなかった。

蒼空は学園祭やテーマパークなどでお化け屋敷があると必ず入ってみたくなる。もちろんスリルを味わうためだが、どこから何が飛び出してくるのか、怖いもの見たさもある。その時のドキドキ感がたまらない。

――なんだか霊を感じます~。

リウの声が震えている。

「あなた、怖いの」

蒼空は囁きかけた。

「えっ、わかりますか」

前を行く中良が驚いたように振り向くと、その顔はすでに青白くなっていた。

「蒼空殿は怖くないのですか。今日のところはここまでにして明日、明るいうちにもう一度出直しましょうよ」

唇を震わせながら呟くように言った。

「せっかくここまで来たのだから、中を覗くだけでも見てみませんか」

 蒼空は不思議と落ち着いていた。

「ウ、ウ~ム……。なんて恐ろしいことを……」

 幽霊屋敷に着くと、土塀に沿って歩いた。その途中に人一人が通れる程度に土壁が崩れ落ちているところがあった。そこから屋敷内を(うかが)うと、小さな明かりがちらちらするのが見える。

「中良さん。あそこに明かりが」

 中良はこわごわ蒼空の肩越しに中を覗く。

「あれは人魂(ひとだま)じゃないですか。ほら、ふらふらしています。恐ろしやぁ~」

中良はぶるぶる震えだした。

 ――確かにあれは人魂ですよ。早く帰りましょう。

リウも同じことを言った。

「あなたが行きましょうと言ったからこうして出てきたのよ。今さら何よ」

蒼空は小さく声を荒げた。

「わたしは行きましょう、なんて言ってませんよ」

中良は金切り声を上げた。

「静かに! 人がこちらを見ています」

「ヒエ~。幽霊だ」

中良はドタリと腰から崩れ落ち、その場で腰を抜かしてしまった。

 蒼空の体に何かがまとわり付いた。

 ――リウ。なにするのよ。離れなさい。

 蒼空はいやいやをするように体を振ったが、それでもリウは蒼空に抱きつき、小刻みに震えている。

 ――大丈夫よ。リウ。あれは本物の人間よ。あの小屋にだれかが居るのよ。

 安心したのかリウは蒼空から離れた。

 ――そのようですね。確かにあれは人だ。

「さあ、行きますよ。中良さん」

「ダメです。わたしはここから一歩も動けません。どうしてもというなら蒼空殿、お一人でどうぞ。わたしはここで待っています」

「しょうがないわね。わたしが行って様子だけでも見てきます」

蒼空は崩れ落ちた土壁を乗り越え、夏草の()い茂る荒れ果てた庭の中へ踏み入った。

――リウ! 付いてくるのよ。

――わかってますよ。でもそんなに早く歩かないで。静かに……そおっと、そおっと。

リウは周りをキョロキョロしながら蒼空の後ろをついて行く。

塀の外で待つことにした中良だったが、一人になるとさすがに心細くなった。むっくり起き上がると、

「ふぉ~い、蒼空殿。待ってくれ~。俺も連れてってくれ~」

夏草に足を取られ、よたよたしながら追いついてきた。

 中良は蒼空の後ろにへばり付こうとしたが、何かに当たった。

「ヒエ~」

奇声を発して転んだ。

 ――ヒエ~。

リウも奇声を発し、蒼空にしがみついた。 

「何かが当たりましたよ。ゆ~れ~だぁ~」

中良は顔を真っ青にして震えている。

 幽霊じゃなく、蒼空にぴったりくっ付いていたリウに当たったのだが、中良にはリウは見えない。驚いたのも当然である。

 

 一方こちらは、幽霊屋敷。

清次郎を拉致した指物師の吉松(よしまつ)と金物師の久三(きゅうぞう)がスルメをしゃぶりながら、ちびちびやっている。

縄でグルグル巻きにし、部屋の隅に転がした清次郎を見やりながら久三が心細そうに話した。

「吉松の兄ぃ。この清次郎をどうするよ。いつまでもここに置いとくわけにはいかねえし、第一(でーいち)、こんなところで幽霊にでもとり憑かれたりしたら大変(てーへん)だ」

「そうだなぁ。早いとこ、こいつを始末しねぇとなぁ」

吉松も清次郎の処分に困っていた。

そのとき、外で「ヒエ~」という叫び声が聞こえた。

「今、外で声がしたな。久三、見てこいよ」

 吉松はするめを持った手で指図した。

「いやですよ。幽霊だったらどうすんだよ」

 久三は膝を抱え茶碗酒を口にした。

「幽霊なんか出やしねえよ」

「だったら、兄ぃが行けばいいでしょ」

 久三は吉松の目線を外すように体を横に向けた。

「おめぇ、怖いんだな」

「ええ、怖いですよ」

久三は座り込んだまま動こうとはしなかった。

「仕方のねぇ奴だ」

と吐き捨てるように言い、吉松は土間から庭に続く引き戸をそぉーっと開けた。首だけ出して、キョロキョロ辺りを見廻したが、そこからは月に照らされ、荒れ果てた庭が見えるだけだった。

 蒼空と中良はすでに引き戸近くの塀の陰に身を隠していたのだ。

「誰かが外を覗いている」

 中良は蒼空の肩越しに眺めた。

「あれは多分、吉松という奴ですよ」

蒼空の耳元で囁きながら指差したが、その指が微妙に震えている。

「誰も居やしねぇや。気のせいだったかな」

吉松は引き戸を思い切りバタンと閉めた。

「吉松以外にもだれかいるようね」

蒼空が小声で言った。

 ――ねえ。あなた、ちょっと見てきてよ。

リウにテレパシーを送った。

 ――えー。わたしが、ですか。

 ――そうよ。透明人間なんでしょ。誰にも気付かれずに偵察できるのはあなただけじゃない。

 ――わかりましたよ。見てくるだけですよ。こんなときだけ透明人間を利用するんだから……。

ぶつぶつ言いながら、蒼空の傍を離れた。

「蒼空殿。わたしたちはこれからどうしましょう。ここにじっとしていても仕方ないし。かと言って踏み込む勇気なんかありませんからね」

 中良は頬を引き()らせながら言った。

「すぐに状況がわかります。もう少し待ちましょう」

「はぁ、ここに居てどうして中のことがわかるのですか」

「今はいいから、静かにして!」

 蒼空は小声だったが、強い口調で言い、その勢いに中良は肩をすぼめた。

 しばらくして、リウのテノールが頭に響いてきた。

――吉松ともう一人仲間がいます。グルグル巻きにされて部屋の隅で転がされているのが清次郎さんじゃないでしょうか。

――わかったわ。

蒼空はリウとのテレパシー交信のコツをつかみ始めていた。

 蒼空は今の話を中良に伝えた。

「中の状況がわかりました。吉松ともう一人居ます。清次郎さんらしい人はグルグル巻きにされて部屋の隅に転がされています」

「もう一人は多分、吉松の仲間の久三とかいう(やつ)ですよ。でも、どうしてそんなことがわかったんですか」

「だから、わたしは未来から来たと言ってるでしょう」

道理の通らぬ理屈を言うと、

「なるほどそういうことならよくわかります」

と、中良はあっさり納得した。

「それでどうやって清次郎さんを助け出すのですか」

「わたしがそこの扉を開けて中に入り、吉松と交渉するから、中良さんはその(すき)に清次郎さんを助け出してください」

「そんなことできる訳がありません。もう一人、久三が居るのですよ」

 中良は目を丸くしてたじろいだ。

「大丈夫。わたしは未来から来た人間です。久三はわたしが何とかします」

「何とかしますと言ったって、蒼空殿とわたしの二人しかいないんですよ」

 中良はいったいどうするのかわけがわからず、目を細め訝った。

「大丈夫。まかせて」

 蒼空は力強く言った。

 ――リウ、久三はあなたが何とかしてね。

 ――そんな無茶なこと……。

 ――何とかしなさい。あなたにはわたしをこんなところに連れて来た責任があるのよ。

 ――わかりましたよ。何とかすればいいんでしょ……。

 そうと決まれば、蒼空は吉松が覗いた扉を思いきり開けた。

ガタン、と大きな音がした。

 その音に、吉松と久三が驚き一斉に振り返った。

「なっ、何だ! お前は」

吉松は頬を膨らませ(わめ)いた。久三は大きく目を見開いたまま固まった。

 蒼空は腹に力を込め、無理やり野太い声を出した。

「吉松! 清次郎さんを放しなさい。そうしなければ、そっちのお兄さんに幽霊がとり憑くでしょう」

「なにバカを言ってやがる。幽霊なんかいやしねぇよ」

と、言いながらせせら笑った。

 そのときだった。

 呆けたように固まっていた久三が、両手を上げて後ずさりしながら阿波踊りを始めた。

「ヒエ~。俺、どうしちまったんだ。兄貴ぃ、助けてくれぇ~」

姿の見えないリウが後ろから久三に近づき、羽交い絞めにしただけだったが、久三にしてみれば背中に幽霊がとり憑いたと勘違いしたのも無理からぬこと。

 吉松は久三の幽霊踊りを茫然と見やっていた。

「中良さん、早く!」

蒼空に促された中良が清次郎に近づき、猿ぐつわと縄を解いた。

 それを見た吉松は我に返り、蒼空に突進し、羽交い絞めにした。

「キャー、何するのよ」

蒼空は悲鳴をあげた。

「ギャー、ギャーほざくんじゃねえ。静かにしろ」

吉松は蒼空の首に腕を回し、締め上げた。

 それを見た中良と縄をほどかれ自由になった清次郎らしい男は、身構え乗り出したが、

「近づくな。この女がどうなってもいいのか」

「グ、グ、グ……。リウ。タス、ケ―…」

蒼空の視界が暗く狭まっていく。

リウは羽交い絞めにしていた久三を投げ飛ばし、吉松に近づき、様子を窺う。

投げ飛ばされた久三は、何がどうなっているのかわからず放心状態で小屋の隅で膝を抱えぶるぶる震えている。

吉松は蒼空を引きずり、庭に出ようと後ろを振り向いた。

そのわずかな隙にリウが吉松の脇の下から手を入れ、蒼空を吉松から引き離そうとした。すると、蒼空の首に回された吉松の腕が緩み、蒼空は眼の前にある吉松の右腕に噛みついた。

「いててててぇー。何しやがる」

吉松は首に回していた手を放し、蒼空の背中をドンと突き飛ばした。

 その勢いのまま、蒼空は前の引き戸に頭からぶつかった。

バタン! 蒼空はギャッと叫び、頭を抱えそのまま倒れ込んだ。

蒼空を突き飛ばした吉松は後を振り返ることもなく、久三を見すてて一目散に逃げ出した。

残された久三は中良と清次郎によって逆にグルグル巻きに縛られ、

「兄貴ぃ~、助けてくれぇ~」

と声を絞り出したが、その願いは吉松に届くことはなかった。そして、久三はがっくりとうなだれ、観念した。

突き飛ばされた蒼空は、運悪く柱の角に頭を打ちつけ、軽い脳震盪(のうしんとう)を起こしていた。

吉松が逃げ去るのを見届けたリウはすぐさま蒼空に声をかけた。

――蒼空さん! 大丈夫ですか?

両手で肩を掴みゆすった。ちょっと遅かったか、もう少し早く来ていれば……。リウは背後から腕を回し、蒼空をゆっくり抱き起こした。

蒼空の両腕はだらりと垂れ下がり、体は前のめりで、上半身が空中に浮いたようになり、ゆらゆらしている。それを中良、清次郎、久三の三人が()の当たりにした。

「ヒェ~」

「ゆ~れ~」

「なまんだぶつ、なまんだぶつ……」

三人が同時に声を張り上げた。

「う~ん」

蒼空が息を吹き返した。

「幽霊がどうしたの……」

「蒼空殿が幽霊……。大丈夫ですか……」

中良は震えながら訊いた。

「わたしは大丈夫よ。頭を打って気を失っただけだから」

 蒼空はぶつけた頭をさすりながら両足で立ち上がった。

 三人は地に足が着いている蒼空を見て安心した。そして、中良が、

「お前さんは、清次郎さんだよね」

と尋ねると、清次郎はよくわからないまま、うんと小さく頷いた。

「こちらはお前さんを助けてくださった蒼空殿だ。礼を言いな」

 清次郎は不思議な物でも見るようにポカンとして蒼空を見ていたが、

「助けてくれてありがとうございます」

と、膝に届くほど頭を下げた。

「清次郎さん……。無事で良かった」

蒼空はほっとして、顔をほころばせた。

 中良も安心したのか笑顔に戻り、蒼空に声をかけた。

「それにしても見事に久三を踊らせましたな。さすがに未来人は違いますね」

「みらいじん……?」

清次郎は小さく呟いた。蒼空と名乗る女人に助けられたこと以外は何がどうなっているのか見当もつかなかった。

「源内さんが清次郎さんを助けるように中良さんとわたしに言ったのよ」

蒼空は緊張感から開放され、これまでのことを清次郎に話し聞かせた。

「まあ、嬉しい。やっぱり源内さんが助けてくれたのね」

清次郎の顔がパァーっと明るくなり手を叩いて喜んだ。そして、うっすらと目に涙を浮かべた。

清次郎は誰にも聞かれないほど小さな声で、「源内さん……」と名を呼んだ。

 主犯の吉松を捕り逃がしたものの、久三をお縄にでき、清次郎を無事救出できた。帰路は中良が先頭に立ち、歌舞伎役者が花道を進むように肩で風を切るようにして歩いた。次に清次郎と蒼空が続き、最後に透明人間のリウも肩で風を切って歩いたが、誰にも気付かれることはなかった。


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