ゑれきてりせいりてい
源内は肩を落とし、促されるまま静かに語り始めた。
「二年前に長崎でエレキテルを発見し、それを修理し完成させた。それは先程この二人に話したとおりなのだが……」
「先生。その先ですよ。清次郎さんと何があったのかきちんと話して下さい」
中良は急かすように言った。
源内はその時のことを懐かしむように遠くに目をやった。
エレキテルの修理を終えたその日の午後、職人たちと実際に試してみることにした。箱から突き出たハンドルをグルグルグルとおもいっきり回すと、二本の角からバシッと火花が飛んだ。予想はしていたのだが、その火花のすごさといったらどう表現したらいいのか……。まるで雷に打たれたように、全身にゾクゾクッと震えが走った。
「みっ、みんな、今の火花を見たか。やったぞ! 『ゑれきてりせいりてい』の完成だ」
源内は拳を突き上げ歓喜し、小躍りした。
職人たちも「これはすごい」、「雷さまだ」と口々に驚きの声を上げ、中には口をあんぐりと開けたまま固まっている者もいた。
完成させた『ゑれきてりせいりてい』は、元の阿蘭陀製を遥かに凌ぐ高性能な医療機器に見事に変身していた。
やはり源内は天才だった。
「みんな、祝いに行くぞ」
源内は修理を手伝ってくれた職人たちに声をかけ、長崎南山手の遊廓へ出かけることにした。源内は大門を入ったところで職人たちと別れ、美しい男たちがいる街屋に向い、職人たちは酒と女を求め廓の奥へと進んで行った。
源内は下戸で男色、今でいうゲイ好みであった。『ゑれきてりせいりてい』が完成し、浮き浮きした気持ちで男廓に入り、そこで清次郎と運命的な出会いをする。
清次郎はつるりとしたもち肌で色白、一重瞼のすっきりとした中性的な顔立ちの小柄な青年だった。
「いらっしゃいませ」
清次郎はしなだれるようにして源内に挨拶をした。
源内はそんな清次郎を一目で気に入った。
「名は何と言う」
「清次郎です。ご贔屓にお願いします」
源内は、「ウム、こちらこそよろしく頼む」、と満面の笑みで答えた。
清次郎はやさしく源内の手を取ると階段を上がり、二階の奥の間に案内した。店に入って来たときからご機嫌の源内の様子から、
「何か良いことがあったのですか」
と尋ねた。
「やはりそう見えるか……」
源内は嬉しさを隠そうともせずにニマニマした。
「はい! こういうお仕事をしておりますと、お客様の顔を見ただけでおおよそのことはわかります」
源内は、「ふ~ん」と鼻で返事をし、出された分厚い座布団にどかりと座った。
「良いことというのはな……」
さも秘密を打ち明けるように勿体を付けた。
この出会いがこれから始まる事件の幕開けになるとは、源内も清次郎も夢にも思わなかった。
「わたしが完成させた『ゑれきてりせいりてい』は本当にスゴイぞ」
と、源内が興奮しながら縷々(るる)話すのを清次郎は耳をそばだてて訊いていたが、源内の言う『エレキ』何とかの何がスゴイのかさっぱりわからない。
「ヱレキ…が、すごいんですか」
「ゑれきてりせいりていだ」
「ヱ、エレキテ・・・・・・」
清次郎は舌が回らず詰まってしまい、叱られた子供のように首をすくめてしまった。
「もう、何度も面倒くさい奴だな。エレキテルだよ!」
源内は思わず声を張り上げた。
そして、何かが閃いたのか、眼を輝かせた。
「清次郎! でかした」
清次郎は「でかした」、の声に顔を上げたが、何がでかしたのか意味がわからず、ただキョトンとしている。
「これからは、『ゑれきてりせいりてい』を『エレキテル』と命名しよう」
源内は一人納得し、ガハハハ、と声をあげて笑った。
一方の清次郎は何が何だか分からなかったが、源内の喜ぶ声に釣られるように口に手を当て、ふふふ、と小さく笑った。
源内は名前も決まって、ますますテンションが上がり、絶好調になってきた。そして源内は、頬を染め、エレキテルが完成し試運転をしたときの秘話を話し始めた。
「エレキテルから出たハンドルをこうグルグル回すとな……、箱からこう角が出ておって、この角からバシッとエレキが飛んで、わたしの側にいた職人の丁髷が、こう、突っ立って」
源内は身振り手振りで説明し、自分の丁髷をつまみ上げると、頭の上でゆらゆら踊るようにして見せて、くっくっくっと思い出し笑いをする。
清次郎はエレキテルを見たこともないし、どのような物なのかさっぱりわからない。でも、源内さんがエレキテルを発見し、改良したということだけは理解できた。そして、それがとてつもない発明であり、源内さんを夢中にさせ、熱くさせているのだと思うと自分のことのように嬉しくなり、清次郎の心に憧れとも羨望とも思える熱い思いがポッと芽生えた。
――なにかしら、このドキドキするときめきは・・・・・・。
これが清次郎の悲しい恋の始まりだった。
源内は清次郎のそんな気持ちに気付くこともなく、ますます熱く語り続けた。源内の話に清次郎の頭は混乱していたが、源内の未知の不思議な世界に、まるで大波に飲み込まれるようにぐいぐい引き込まれて行った。
源内は男廓に清次郎とともに三日間居続けた。
帰り際、清次郎に「エレキテルを見たいのならいつでもおいで」と言い残し、源内は帰って行った。
そして、三日後。
清次郎は一大決心をして、長崎屋の別宅に寄宿している源内を訪ねた。
――源内さんいるかしら。わたしのこと憶えてくれているかなぁ……。
ドキドキしながら想いを巡らせ、そっと門をくぐり庭先から小さく声をかけた。
「源内さん。げんないさん……」
源内が縁先に続く部屋から顔を覗かせた。
「おっ、おー。清次郎じゃないか。よく来た。まあ、上がれ」
最初はびっくりした様子の源内だったが、清次郎を気さくに手招きした。
清次郎はこれまでくよくよ思い悩んでいたことなどすっかり忘れたように、「は~い」と大きな声で返事をして、いそいそと縁側から源内の居る部屋に上がり込んだ。
「清次郎、これがエレキテルだ」
挨拶もそこそこに清次郎の前に四角い箱をそっと置いた。
「これがそうなの……?」
――変な形。箱の上に角のようなものが出ている。これは何かしら……?
清次郎は心の中で呟いた。
源内はにこにこしながら清次郎にエレキテルから伸びた銅線の先の金属でできた取っ手をいきなり握らせた。
清次郎は何の疑いもなく、差し出された取っ手を両手で大事そうに胸の前で包み込んだ。
源内はエレキテルのハンドルを慎重にゆっくり回したが、清次郎に何の変化も見られない。今度はもっと強めに回したが、清次郎は取っ手を大事そうに握ったまま、瞼を閉じ、じっとしている。
源内は眼を剝き、力を込めて勢いよくハンドルをグルグルグルグルグルっと回した。バシッと音がして青白い火花が飛んだ。
清次郎の身体がビクンと震え、前のめりに倒れ込んだ。静電気による感電である。清次郎は日本で電気に感電した初めての人となった。
源内は驚き、清次郎を抱き起こし、揺り動かした。
「大丈夫か? せいじろうー」
「うっ、うーん」
清次郎は薄目を開けたが、視線が宙を彷徨っている。源内は清次郎のほっぺたをパンパンとやさしく叩いた。
清次郎の目が源内の顔を捕らえ、
「先生。あれは何なの。何かのおまじない? 変な感じ。ビリっときて、ゾクっとして、まるで体が宙に浮くようで、そのあと、スーっとして気持ちいいんだけど……」
「そうか、気持ちよかったか」
源内は清次郎の様子を見て確信した。
「清次郎。阿蘭陀ではこのエレキテルを使って腰や肩の痛み、気の病の治療をしているそうだ。これでエレキテル診療所をやってみないか」
「源内さんと? わたしが? やる。やるわ。一緒にやらせて」
清次郎はエレキテル診療所がどういったものなのか、何をするのかまったく見当が付かないが、源内に夢中の清次郎に拒む理由はなく、二つ返事だった。その後はとんとん拍子に話が進み、清次郎を助手にエレキテル診療所を長崎万才町で開業することになった。
最初、誰から治療しようかと源内は悩んだ。
「わたしの知り合いにお願いするわ」
清次郎がそう言うとバタバタと飛び出して行き、一時ほども待っただろうか、男廓で仲間の一也とお茶子のたんぽぽ、やり手婆のお梅を連れて戻ってきた。お梅はかなりの歳のようで、腰が曲がり、こめかみに梅干しの皮を張っていた。
「源内先生、この三人をお願いします」
清次郎は眼を輝かせた。
「ウム。わかった。誰から所望かな」
源内は精一杯の威厳を見せたが、元来が医者でないだけにシックリこない。
清次郎に連れて来られた三人は、エレキテルの話を訊いたものの正直不安でたまらない。清次郎があまりに一生懸命に頼むものだからほだされて付いてきただけで、本音は一分銀の小遣いがお目当てだった。
一也とお梅はお前が先だ、わたしは後でいいと小声で言い合っているが、一向に埒が明かない。二人とも下を向いてもじもじし始めた。
清次郎が痺れを切らして一也に言った。
「頼むよ。先にやっておくれよ」
「わたしはダメよ」
後ずさりし、首を大きく振った。
「じゃあ、お梅婆さん。腰が痛いって言ってたじゃないか。すぐに良くなるよ」
「あっしゃ年寄りじゃけん、あとでよかよ」
理由にならないことを言って身を引いた。
「あたいでよければ先にやります」
一番歳の若いたんぽぽが名乗り出た。
「早く帰らないと女将さんに叱られます」
清次郎は正直、ほっとした。
「じゃあ、たんぽぽさん。ここに座って、この取っ手をしっかり握っててね」
「これを持ってるだけでいいんですかー」
鼻のてっぺんから声が出ている。
「そうだ」
源内が、ゴホン、ともっともらしく咳払いをし、おもむろにエレキテルのハンドルをグルグル回した。ハンドルを回す速度は清次郎を実験台に何度も試すことで要領を掴んでいた。
グルグル、グルグル、グルグル、グルグル。
パチン、と小さく火花が飛んだ。
「あっ!」
たんぽぽが声を出し、座ったままの姿で硬直した。
清次郎が駆けより肩を抱き、たんぽぽに声をかけた。
「大丈夫よ、しっかり」
「っはあ~」
「たんぽぽさん。気分はどう?」
「ビリっときて、ゾクっとして、まるで体が宙に浮くようで、その後、スーっとして気持ちいいかも」
と、たんぽぽは言い残し、清次郎から一分銀のお小遣いをもらい、いそいそと帰って行った。
この様子を見ていたお梅が、「つぎはうちばい」と言い、清次郎から取っ手をひったくるようにして取り上げると、胸の前で握りしめ、診察台にぺたりと座りこんだ。
「準備ばできよった。はよ、やっちくれんね」
お梅はたんぽぽの様子を見て、俄然やる気になったようだ。
源内は再び、ゴホンと大きく咳払いをひとつして、ハンドルをグルグルグルグル、グルグルグルグルと先ほどより勢いよく回すと、パチパチっと二つ大きな火花が飛んだ。
「……、……」
お梅は目をむき、固まっている。
「お梅婆さん、お梅さん」
清次郎が駆けより、耳元で大きな声で名前を呼んだ。
お梅は一点を見つめたままで言葉が出ない。
清次郎はお梅の肩を大きくゆすった。
「お梅さん!」
「ぷっ、はあ~」
お梅は大きな息を吐いて我に返った。
「ビリっちして、ゾクっちして、そんあと、スーっちして、体の軽うなりよったちゃ」
と言い、腰をすっくと伸ばすと、すたすた歩いて帰って行った。もちろん、清次郎からの一分銀は腹の胴巻きにしまい込んでいる。
最後に一也の番になった。
源内は三人目となり、調子に乗ってきた。腕をぐるりとひとつ大きく回し、ハンドルを握ると勢いよく回した。
グルグルグルグルグルグルグルグル。バチ、バチ、バッチー。
「あっれ~」
一也は泡を吹き、小さく飛び上がると背中からひっくり返った。
「やり過ぎたかなぁー。もう少し手加減せねばならんな」
源内は一人納得している。
「先生! やり過ぎ! 気を付けてください」
源内は元来、お調子者である。後先考えずに興味本位に突き進んでしまうところがある。
――先生にはわたしが必要だわ。わたしが側についててあげないと……。
その点、清次郎は物事に慎重で、決して危険なことはしない。だから、
――源内さんを支えることができるのはわたしだけ。
と、思い込んでしまった。
エレキテル診療は源内や清次郎の友人から始めたが、いつの間にか長崎の豪商、南蛮貿易商人、長崎色町の花魁たちも評判を聞き付けてエレキテルの施術を求めやってくるようになった。診療所を始めた頃はいろいろ失敗もあったが、源内と清次郎の息の合ったエレキテル診療は肩のコリや腰の痛みを和らげ、施術後は気分がすっきりするとたちまち大評判になった。もちろん物珍しさも手伝ってのことだったが。
その間、清次郎は甲斐甲斐しく源内の助手を務めた。白衣を着た美しい顔立ちの優男が親切に世話を焼いてくれるとみんなの人気者になり、商売繁盛に大いに貢献し、二人の診療所は順風満帆の船出だった。
しかし、幸せな日々はそう長くは続かなかった。
長崎の滞在が一年を過ぎ、長崎にしては寒い日のこと。
源内の元に一通の手紙が届いた。差出人に『きくの』、と流れるようなひらがなで書かれていた。二代目瀬川菊乃丞からだった。菊乃丞は、今江戸で売り出し中の歌舞伎の女形で、源内も菊乃丞の売り出しに一役かっていたのである。
江戸の仲間内では、源内と菊乃丞の仲を知らない者はいない。手紙には、いま舞台に上がっている『百千鳥娘道成寺』が当たっていること、源内さんに晴れ姿を見に来て欲しいことなどが面々と綴られていた。最後に早くお逢いしたい。さみしい、と細い筆でしたためられていた。
源内はこれを読み、心が震え、もう居ても立っても居られなくなった。江戸に帰りたい。菊乃丞に逢いたいという気持ちが溢れ出てきた。
源内は一晩中考え悩んだ。
そして翌日、清次郎に告げた。
「江戸に帰ることにした」
「えっ、どうして。そんな急に……。あの手紙のせいなのね。『きくの』ってだれなの」
清次郎は源内をキッと睨んだ。
源内は清次郎の視線に、うっ、と言葉に詰まり、
「いや、それだけではない。江戸に居る杉田玄白が、玄白は蘭法医で親友なんだが、エレキテルを見せてくれというのだ」
「だから帰るというの」
清次郎は顔を真っ赤にしてむくれ、黙り込んだ。
「玄白がな、そう、玄白がエレキテルで治療を手伝ってくれというのだ。親友の願いを無碍に断るわけにはいかんだろう」
源内はしどろもどろになりながらその場を取り繕うように嘘をついた。
清次郎は、行かないでと懇願し、泣き崩れた。そして、嗚咽にむせびながらやっとの思いで自分の気持ちを吐露した。
「どうして江戸に帰るなんて言うのよ。エレキテル診療所も儲かっているし、源内さんだって今は好き勝手にしてるじゃない」
「まあ、そうなんだが……」
源内は言葉に窮した。
源内はいろんなことに天才的な冴えを見せる一方で、飽き性なのだ。興味の対象が次から次へ移ろうという悪癖も同時に持っていた。
早い話が、源内は長崎の街にもエレキテル診療所にも飽きていた。江戸の喧騒と、玄白や中良にも会いたくなった。もちろん菊之丞には一番に逢いたかったが、さすがに清次郎の前では菊乃丞の名前を口に出すわけにはいかない。
長崎を離れる前日の夜、清次郎は源内の前でめそめそと泣き続けた。
「わたしが嫌いになったの。嫌いになったら正直にそう言って」
「いや、嫌いになったわけじゃない」
「それならどうして帰るというの……」
「だから、すぐに帰ってくる、と言ってるじゃないか」
「すぐって、いつ」
「いや……、それは……」
清次郎は我を忘れ源内にすがった。だが、すでに気持ちが江戸に向いた源内を引き留めるすべは、もはや清次郎にはなかった。
源内は心残りだった清次郎とのなれ染めを一気に喋り終えた。
「翌朝早く、わたしは長崎を旅立った。その後、清次郎がどうなったかはわからないが、清庵と言うのはあいつに違いない」
源内は長崎でのすべてを打ち明け、心が軽くなったのか、はぁーっと吐息をもらした。