平賀源内
蒼空は冷静になろうと思った。
うす暗い部屋をゆっくり見廻した。そこは二十畳ほどの広さのフローリングの部屋だった。家具一つなく、ガランとしている。
――ここはいったい何処だろう。確か、ガレージのような倉庫だったはずだけど……。
部屋の片側のすべてが障子で、薄明りが射していた。その向こうは庭だろうか。反対側は板壁で、壁には小さな棚が付けられ、何本もの棒が置かれている。何だろうと思い近づいてみるとそれは木刀だった。薄く埃がたまり常に使われているようには見えない。
――そっちは床の間か。ここは、どこかの剣道場だろうか? ……まさかねぇ。
姿の見えないリウにこわごわ訊いてみた。
「ここはどこなの?」
――平賀源内さんの屋敷内のどこかだと思いますが……。
リウも自信なさそうに答えた。
――冗談じゃないわ。誰がそんなこと信じるのよ。
蒼空は心の中で毒ついた。
――しかし、ここは明らかにガレージでも倉庫でもない。リウはひょっとしてマジシャンかも知れない。でも何のためのマジックなの? 見知らぬわたしにマジックをかけてどうするの。まさか、わたしを誘拐する気? そんなバカな……。
考えれば考えるほど訳がわからない。
リウが言った。
――わたしはマジシャンじゃありません。ましてや誘拐犯なんてとんでもないです。
「えっ、どうしてわたしの考えていることがわかったの」
――テレパシーです。これからわたしと会話をするときは、頭の中で話してもらえれば通じます。
――あー、あー、聞こえますか。感度はいかがですか。
――ははは。上手いです。その調子でいいです。
――テレパシー……ねぇ。
蒼空は小さく頭を振った。
――とにかくここを出ましょう。
リウは促すように静かに言った。
一方、こちらは源内屋敷の玄関から少し入った応接間。
源内と源内の無二の親友の杉田玄白、そして戯作の弟子の森嶋中良の三人が丸いテーブルを囲み、何やら重苦しい雰囲気で顔を突き合わせている。
源内がしきりに困った、困ったと言いつつ、眉間に皺をよせ玄白と中良に相談に乗ってほしいと切り出したところだった。
「今から二年前の安永三年(一七七四年)に三度目の長崎遊学をしたときのことなのだが、阿蘭陀語大通詞の西善三郎殿の倉庫で二本の金属製の角が出た四角い箱を発見したんだ。この箱は何だろうと不思議に思ったのが最初でね。眺め考えている内にピンと閃くものがあった。ひょっとして、これは……『ゑれきてりせいりてい?』、じゃないかとね」
「ゑれきてりせいりてい……」
玄白が訊き返した。
源内は頷き、
「しかし、これは完全に壊れていた。西殿に、これを譲り受けたいと申し出ると、何をするものかわからないし、壊れているからいらないと言ったんだ」
「げんないせんせいは~、これをもらいうけ~、なんとかしゅうふくしようと~、躍起になったのでありました」
と、中良が謡曲風に茶化す。
源内は中良のことなどおかまいなしに続ける。しかも徐々に熱を帯びてきた。
「箱の中を開けると、壊れたガラス瓶だの、歯車や金属の板や線などがばらばらになっていた。なんとか修理しようと思い、ガラス瓶は平戸のビードロ屋に、歯車は長崎の建具職人に、金属の部品は鋳掛屋職人に頼んだ。その他の足りないものは勘を頼りに『ゑれきてるせいりてい』の部品を復元した。そして、ついに設計図を仕上げることができたのだ」
「源内先生は~、悪戦苦闘の末に~、眠ずの職人達に~、活を入れえ~、み月で~修復した~、のでした~」
またもや中良が浮かれたような合いの手を入れる。
「最後の歯車の組み立ては自分でやった。箱の外側に阿蘭陀唐草模様を油絵具で描き込み完成させた。そりゃあ、嬉しかったぞ」
「それでそのエレキテルを江戸に持ち帰り、玄白先生の診療所でエレキテル治療を開設し、今に至っているという訳ですね」
と、中良が後を引き継いだ。
玄白はエレキテルの完成秘話を初めて源内の口から訊き、そういうことだったのかと納得した。
「源内さんのエレキテルはすごい評判ですよ。痛みが取れる、気分が爽快になる、と患者さんは喜んで、あっと言う間に待合室はいっぱいになり、エレキテル診療所も順調に儲かっていました。ところが、先月頃から悪い噂が聞かれるようになりました。どうやら偽のエレキテル診療所ができ、そこでも治療をやっているとか」
「そうらしいですなあ、玄白殿。それに、わたしの方も偽エレキテルが出回り、大いに迷惑をしておる」
源内は頬を赤く染め、興奮し始めた。
玄白がさらに状況を説明した。
「源内殿、嫌な噂が広がり、エレキテル診療所にめっきり人が来なくなりました」
「そうですか。わたしが作ったエレキテルも売れなくなりました。これからどうしたものかと……。中良なんとかしろ!」
小柄でキツネ顔をした中良は師匠の源内とはお互い口汚く罵りあう仲なのだが、なぜだか妙に馬があっている。その中良は戯作のネタを町中で探すうちに情報通となり、ある噂を聞き付けていた。
「その偽エレキテル診療所ですが、清庵と名のる医者がお甲という女を助手にして開業し、それなりに評判になっているようです。ところが先ごろ、その清庵という医者が急に居なくなったというのです」
それを訊いた源内の顔がすっと青ざめた。
「源内さん。何か心あたりでも……」
玄白は心配げに声をかけた。
――清庵! 清庵がいなくなった。まさかと思うが……。
源内は、嫌な予感がした。
「それでその清庵という男の風貌はどうなんだ」
「色白で小柄の優男だそうですが……」
中良は語尾を弱め、源内の顔色を窺った。
「やはり、そうか……。その清庵という男は長崎でエレキテル診療所をしていたとき、わたしの助手をしていた清次郎かもしれない」
源内はそう言うと誰の目にもわかるほどガックリと肩を落とした。
玄白と中良はうなだれた源内にかける言葉もなく、じっと見つめていた。
しばらくの沈黙の後、中良は言うべきかどうか迷ったあげく、呟くように言った。
「そのー……、清次郎らしい男は、捕らわれているようです」
それを聞いた源内は殴られ傷だらけになっている清次郎の姿が目に浮かび、血の気がサァーッと引いた。
「それで、清次郎はどこに居るのだ」
思わず源内は立ち上がった。
「先生、落ち着いてください」
「これが落ち着いてなどいられるか」
源内は震える声で言った。
「まだ清次郎さんと決まったわけじゃありませんよ。それにその清庵という男はどうやら橋本町の幽霊屋敷に捕らわれているらしいのですが……。確かかどうかは……」
「幽霊屋敷……」
源内は気が抜けたように椅子にバタンと腰を落とし、しばらく考え込んだ。そして、再び立ち上がると、
「清次郎を助けなければ……。真相を問い質さねばならん」
と、叫ぶようにして言った。
「先生! 先生一人では無理ですよ」
中良は源内の袖を掴んで引き止めた。玄白も源内を見上げ、首を大きく左右に振っている。
二人に止められた源内は意気消沈し、再び椅子に寄りかかるようにしてうなだれた。
近ごろの源内は喜怒哀楽が激しく、弟子の中良とて手に負えないほど興奮したり、落ち込んだりすることがあった。今でいう躁うつ病の初期症状で、玄白も源内の気うつを大そう心配しているところであった。
源内は清次郎の消息を心配するあまり持病の偏頭痛が出たのか、こめかみを揉み始めた。
玄白も中良もどうしたものかと思案に暮れた。
そのとき、源内の前の襖がすぅーっと開き、源内と蒼空の視線がパチンとぶつかった。
「おまえは誰だ」
と、源内が誰何した。
「わっ、わたしは、弁理士の夏姫蒼空です」
「べんりしってなんだ。それにお前は誰の許しを得てこの屋敷内に入って来たのだ」
「弁理士と言うのは、発明の特許を書いたり、権利を取ったりする人のことです」
「とっ、とっきょ、って何だ」
源内は怒りを忘れて蒼空に尋ねた。右隣に座っていた玄白も左の中良も突然のことに唖然として蒼空を凝視した。
「特許っていうのはですね……」
皆の視線が集中するのを感じ、蒼空は言葉に詰まった。そして、唾をごくりと飲み込み、
「特許っていうのは、発明したものに一定の期間、独占的に製造や販売をすることが許される権利のことです」
「それをお主がしているというのか」
源内は怪訝な顔をした。
蒼空は緊張しながら、「はい。そうです」と答えた。
今度は蒼空が恐るおそる尋ねた。
「ところでここはどこなのでしょうか。時代劇の撮影所か何かですか」
中良が眼をパチパチさせた。
「はぁ、あなたは何を訳のわからないことを言っているのですか。ここは平賀源内先生のお屋敷です」
「平賀源内先生……って、江戸時代の。そんなバカな」
「なにがバカですか。バカを言っているのはあなたでしょ」
中良は真面目な顔をして怒った。
蒼空は真っすぐ正面を見て、本当にそちらが源内さん、ですか、と尋ねた。
「そうだ」
源内は鷹揚に頷いた。
源内は、色白で鼻筋の通った面長な顔立ち。当時としては背が高く、美男子であった。
――蒼空さん。源内さんは本草学から鉱石学、蘭学や医術に詳しく、戯作者でもあり、浮世絵から油絵まで習得した日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ的天才ですよ。
リウが源内について耳打ちした。
「そして、こちらが蘭学医の杉田玄白先生。わたしは戯作者の森島中良。おわかりですか、不審者殿」
と、中良は澄ました顔で紹介した。
――本当に江戸時代にいる……。まさか。これは、きっとなにかの間違いよ。
蒼空は自分のほっぺたを両手でパンパンと叩き、もう一度尋ねた。
「そちらが杉田玄白さん? あの解体新書を書いた、杉田さん?」
「そうだ。わたしが玄白だ」
「それであなたが中良さん……??」
「そうだ」
中良は源内や玄白を真似るように鷹揚に頷き返す。
蒼空は、ほ~っと嘆息した。
――本当にタイムスリップしたのね。
蒼空は頭の中でリウに尋ねた。
――やっとわかってくれたようですね。
リウがテレパシーを返してくる。
今度は中良が蒼空に問いかけた。
「それでお前はどこから来たのだ」
「実は、わたしは……」
蒼空はちょっと迷ったが、正直に答えた。
「未来から来たの」
一瞬、部屋の中が静寂に包まれ、次の瞬間、中良の、ワッ、ハッハッハー、の大声がこだました。
「われらをからかいに来たのか。この世は過去も未来もないの、今のこのときだけ。それとも何か、お前……、エレキテルを盗みに来たのか」
「違いますよ」
蒼空は顔の前で大げさに手を振り否定したが、エレキテルと訊いて興味が湧いてきた。
源内は立ち上がり、蒼空に近づき、蒼空の周りをぐるりと回りながら上から下までまじまじと眺めまわした。
「確かに怪しい。妙な服と変な頭をしておる。そちは女子か。それともキツネが化けておるのか」
色白で丸顔、長身の持ち主の玄白も興味津々で近づいてきて蒼空を眺めた。
「源内さんが言うように日の本のものではないようですね。阿蘭陀や葡萄牙の男子が着るような服を着ていますよ」
「この服は、ピンストライプのパンツスーツ。ブランド品だから高いのよ。それにこのヘアスタイルは、カールストレートボブヘアっていうの。二百年後の日本で流行っているわよ」
阿蘭陀語に通じている玄白も蒼空の言った、パンツスーツだのヘアスタイルだのカールス……などの言葉は全く理解できなかった。外国語が苦手の源内にはちんぷんかんぷんだった。
「あなたは欧羅巴、いや待てよ、英吉利の人ですか」
玄白が問いかけた。
蒼空は歴史のことはよく知らない。日本史は選択科目で履修していない。もう少し勉強しておけばよかったと悔やんだが、そんなこと今さら思ってみたところで間に合わない。
平賀源内の『エレキテル』とか、杉田玄白の『解体新書』ぐらいは耳にしたことがある程度だ。さっき中良さんから、エレキテルを盗みに来たのかと言われ、何かあるなと直感した。一か八かで言ってみた。
「わたしは、二百年後の未来から貴方がたを助けるためにやって来た弁理士です」
源内は蒼空の言葉に驚いたが、
「なるほど、そういうことか、合点したぞ」
と大きく頷き、手のひらで膝をポーンと叩いた。
「二百年後の女子は、そのようなボサボサの頭と男のような衣装をまとっているのだな」
蒼空は、このヘアスタイルはボサボサじゃないわよ、と言いたかったが、「まあ、そうですね」と苦笑いした。
リウのくすくす笑う声が頭に響く。
源内はにやりとして蒼空に尋ねた。
「蒼空殿は私を助けるために未来から来たと申したな」
蒼空は言った手前仕方なく、こくりと頷く。
「実は、わたしの知り合いの清次郎らしい男が悪い奴らに捕まっているようなのだ。力を貸してもらえないだろうか。その男を助け出したいのだ」
「えっ、悪い人に捕まっている。助け出すって。弁理士にはちょっと……」
――大丈夫。わたしが付いています。引き受けましょう。
リウのテレパシーが届いた。
「わかりました。清次郎さんを救出しましょう」
と、蒼空は思わず口走った。そして、そんなことを言った大胆な自分に驚いた。
「そうか。そうしてくれるか。中良、蒼空殿をその幽霊屋敷に案内してくれぬか」
源内は半信半疑だったが、未来から来たというオトコ女のような娘が何とかしてくれるかもしれない、と藁にもすがる思いだった。
言われた方の中良は、
「いやですよ。こんな夜分に。幽霊にとり憑かれたらどうするんですか。ご免です」と言いつつ尻込みした。
「頼む。中良」
源内は目に涙を溜め、中良の手を握り、頭を下げた。
「先生。そんな芝居がかったことやめてください。手を離してください。わかりましたよ。行けばいいんでしょう、行けば。その代わり、わたしの書いた戯作を市村座にかけてくださいよ」
「わかった、わかった。約束する」
すでに源内は相好を崩し、けろりとしている。
中良はいやいやながらも引き受けることになった。
「ところで、清次郎さんはどうして幽霊屋敷に捕まっているのですか。いったい、何があったのですか」
蒼空は尋ねた。
玄白も中良も頷いた。もちろんリウも、うん、うんと首を縦に振っていた。