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蒼空とリウ  作者: 流源太
11/13

帰還

しばらく二人並んで歩いているとリウの背中にゾクッと悪寒が走った。

 ――うっ、何だこれは。嫌な予感がする。

「でもあの阿波踊りは傑作だったよねー」

 蒼空は何も感じないのか、無心に話しかけてくる。

リウは蒼空に伝えようかと迷っていると、先の家の角から三つの黒い影がぬっと現れた。

 ――真ん中の一人は……。あれは、吉松だ!

 右手に(のみ)のようなものを持ち、左の手のひらにペタペタ当てながら、不気味な笑いを浮かべている。

 蒼空ははっとして立ち止まり、小さく身構えた。

「待ちな。おめぇ、一人で何を喋くってるんだ。まったく可笑(おか)しな奴だぜ。俺もこんな変なのにかかわっちまって、焼きが回ったもんだぜ。まあ、そんなこたぁどうでもいい」

「あなたこそこんなところで何してるの。そそくさと逃げたんじゃないの」

「ああ、逃げたとも。三十六系逃げるに()かずって言うだろうが。だがなぁ。幽霊屋敷といい、久三の長屋でもいいようにやられた。このまま逃げてばかりじゃあ、吉松さまの沽券(こけん)にかかわらぁな。そうだろうが」

 蒼空ひとりだから油断しているのだろうか、体をゆらゆらと左右に揺すり、脅しをかけてくる。

「あなたの沽券なんてどうでも良いけど、わたしをどうしようというの」

「どうしてくれよう。この鑿でひと思いにブスリと突き刺そうか、それともお甲もいなくなったことだし、俺の女にでもなるかぁ」

ヒッヒッヒッ、と肩を上下にゆすり下卑た笑いをした。

 蒼空はあまりの気持ちの悪さに身震いし、冷静にリウにテレパシーを送った。

 ――後ろに回って。隙を見て何とかして。

 ――わかりました。

リウは頷いたが、敵は三人いる。

――これは困ったぞ。さて、どうしたものか……。

リウも三人となると正直、どうすればいいのかわからない。何とかこのまま逃げる手立てはないものかと思案した。

 吉松は鑿で威嚇しながら蒼空にじわじわと近付いてくる。二人の子分は左右に開き、蒼空を遠巻きに囲んでくる。蒼空は逃げ場を探しながら後ずさりしたが、塀のところで逃げ場を失い行き詰まった。目の前に吉松が迫ってくる。

 吉松は左手をグイッと伸ばし、蒼空の右腕を掴み引き寄せ、そのまま腕を背中にまわし捻りあげた。

「イタタタタァ。やめて!」

「そうはいくかよ。俺の商売を滅茶苦茶にしやがって、こうしてやる」

――リウ! タスケテ! ハヤクゥ~……。

吉松が鑿を構え蒼空の胸に突きさそうと腕を振り上げたまさにその時、背後から、

「吉松! こっちを向け!」

と、大きなバリトンが響いた。

突然後ろから自分の名前を呼ばれ、吉松は反射的に振り向いた。それを待っていたかのように正面から重いストレートパンチが飛んできた。

ゴツンと鈍い音がし、吉松の鼻がひん曲がり、鼻血が飛び散った。

吉松は声も出さずにその場にドサリと仰向けに倒れた。不意打ちだったから効果覿面(てきめん)だ。

「リウ、遅いじゃ……。エッ、あなたは誰ですか」

「それはあとだ。リウ、この人を連れて早く逃げるんだ」

 ――ああ、わかった。

 大きく頷いたリウだが、何故だかむっつりしている。

「何がわかったのよ」

 ――今はいいから、逃げるぞ!

 リウは蒼空の手を掴み、強い力で前に引っ張った。蒼空は足が追いついて行かないが、リウはお構いなしに走り続けた。

「痛い、いたい」

蒼空は叫んだが、振りほどこうとはしなかった。

 あっという間に吉松たちは見えなくなり、追ってくる様子もない。あの見知らぬ人が助けてくれたのだ。でも、どうして……。

 そんなことを考えていると、後方でピカッと小さく光った。一瞬のことでなんだろうと振り向こうとしたとき、蒼空の足がもつれ引きずられるようにして転んだ。

 ――早く立って。時間が……。

 リウが急かせる。

 蒼空も立とうとしたが右ひざを擦りむき、左足首は少し捻ったようだ。

「あっ、痛たたたぁ……。ダメ、これ以上はムリ」

蒼空は喘ぎ、四つん這いになっている。

 仕方がないと言って、リウは蒼空をおんぶしようとしゃがんだ。

そのとき、リウの腕時計から声がした。

「タイムスリップまで残り一〇分!」

――あっ、あー、じっ、時間がありません。蒼空さん、とにかく急ぎましょう。早く背中に乗って。

 蒼空を背負い、リウは一目散に走りだした。

 蒼空はその速さに驚いた。周りの景色が次から次へと後ろに流れて行く。耳に風切り音がヒューヒュー聞こえる。未来人ってこんなに早く走れるんだ……。蒼空は謎の男のことも忘れ、リウのスピードに酔った。

 蒼空は両目を軽く瞑り、左の頬をリウの背中に付けた。リウのはっ、はっ、はっ、と規則正しい息づかいが直接鼓膜に伝わってくる。

 左に曲がった。蒼空の顔が右に大きく揺れる。蒼空は思わずリウの首にしがみついた。

――グホッ、グホッ。くるしい~。

 蒼空の左腕がリウの首を絞めつけていた。

「ごめんなさい……。大丈夫……」

首に回していた腕を急いではなす。

「タイムスリップまで残り五分!」

 無情にも時間は進んでいく。

「もう少しスピードアップしますからしっかりつかまっていて下さい」

リウはさらにスピードアップし、江戸の町を駆け抜けた。

 まるで空を飛んでいるようだ。

事実、周りの人から見れば蒼空は地上を飛んでいたのである。

帰還するためのタイムリミットは三分を切った。

視線の先に源内屋敷が見えてきた。リウは歯を食いしばった。

――もう一息だ。その先に源内屋敷が見える。

と思った瞬間、道の小さな窪みに足を取られつんのめるようにして転んだ。蒼空も勢いあまって前方に投げ出された。リウの立ち上がる気配がしない。

「リウ、大丈夫! 走れる?」

声を掛けたが返事がない。手さぐりしながらリウの顔を見つけ、左のほっぺたをバシッとひっぱたいた。

 リウは薄目を開けたが、焦点が定まっていない。

「しっかりして!」

まだ返事がない。

蒼空はリウを肩でかつぎあげ、よたよたしながら源内屋敷に駆けこんだ。

「道場はこっちだったよね」

蒼空は左を指差した。リウは薄目を開け、

 ――そっ、そっちは違う。こっちだ。

蒼空の肩に寄りかかったリウは右を指差し、切れ切れにいう。

「いったいどっちなの」

 ――間違いない。右に行こう。

 ここで間違ったら元の時代に戻れない……。

蒼空はリウを信じることにした。リウをかつぎ、足を引きずりながら右に進んだ。

離れの道場が見えた。

「リウ! 道場。あったわ」

――早く行きましょう。時間がありません!

残り時間は一分を切っていた。

「わかった。しっかり掴まっててね。走るから」

とは言ったものの十八〇センチあるリウをかついで走るのは並大抵ではない。リウと二人三脚のような格好で走り、道場へ向かう。

二人はなんとか道場にたどり着いた。

「帰還時間まで、残り一五秒!」

タイムマシンの時代往還設定ダイヤルから警告音が出ている。

「一〇秒前からカウントダウンを始めます」

「時間よ止まれ!」

思わず蒼空は声を張り上げた。

 ――そんなことは通用しません。タイムマシンは機械です。

「テン、ナイン」

乾いた音でカウントダウンが始まった。

タイムマシンまであと八メートル位か。リウを支え、蒼空は足を引きずり歩いた。

「エイト、セブン」

無情にもカウントダウンは続いている。

「リウ! 頑張って!」

やっとのことでタイムマシンにたどり着いた。

――これじゃ、ダメだ!

リウは叫んだ。

「シックス、ファイブ」

「どうしたの」

――ダイヤルが滅茶苦茶になっている。

源内先生がいじったのかも知れない。そんなことはどうでもいい。

「早く! ダイヤル、調整してよ」

――やってます!

カチカチと設定し直した。

「フォー、スリー、ツー」

――できた!!

チャリン、チャリン、チャリン! 

蒼空は清次郎から預かった百両を剣道場に放り投げた。

「ワン」

「源内さん、うまく見つけてねっ!」

「ゼロ」

蒼空とリウはタンデムに跨ろうとした瞬間、剣道場が真っ白に輝き、そして、スーッと暗くなった。

蒼空とリウは(そら)(あし)を踏むようにして、その場に転がり落ちた。

蒼空は瞑っていた目を恐る恐る開けた。

足元にキラキラ光る小判が散らばっている。周りを見回すと剣道場のような……。

「まさか、ここは……」

 二人は重い体を起こした。

――源内さんの剣道場ですね。帰還に失敗しました。

「えっ、えー。それじゃあ、わたしたちどうなるの」

 蒼空はガックリ肩を落とした。

――さあ、どうしたらいいのか、わたしにもわかりません。

「ギリギリ間に合ったと思ったのに……」

再び剣道場が真っ白な光に覆われた。そして、光が去るとタイトなスーツを着た謎の男が目の前に立っていた。

 ――リウ。この人、誰なの。あなたの知ってる人?

 ――ああ、……。俺の親父だ。

「えー。お父さん……。どうしてここに……」

「蒼空さんといいましたよね。わたしはリウの父親で、ケイといいます。息子の身勝手で蒼空さんをとんでもないことに巻き込んでしまい申し訳ありません」

「いえ、そんな……」、と言うのがせいいっぱいで、吉松の暴行から助けてもらったことも忘れ、この状況に戸惑っていた。

「リウの様子が変なのは気がついていました。リウとはいつか話をしなければと思っていたのですが、こんなことになり……、もっと早くに話し合っておけば、あなたに迷惑をかけることもなかった……」

 なんとなく現状を理解した蒼空は、ケイの言葉をさえぎるように尋ねた。

「でも、ここがよくわかりましたね」

「君たちがタイムスリップした後の時空間を調べました。そしたら君たちの通過した痕跡が点々と残っていたので、それをたどってきました」

 ――父さん、僕を止めようとしても無駄だから。

「今はその話はやめておこう。先ずは蒼空さんを元の時代に戻してあげることが先じゃないのか」

 どうやらケイはリウの姿が見えているようだ。

「ええ、そうでした。わたし、重要な会議を控えているのです。だから、帰らなければなりません」

 言葉にした途端、高須の胴間声が耳の奥に蘇り、一気に現実に引き戻された。

本当は……、このままリウと江戸の町に……。いや、ダメ。帰らなければ……。

 ――蒼空さん、すいません。僕があのとき、(つまづ)かなければ間にあっていたのに……。

「わたしをおぶっていたから……。わたしがもっと早く走れていたら……」

 蒼空とリウは口々に悔やんでいると、

「それなら、時間を君たちが転ぶ少し前に戻そう。そうすればやり直せるだろう」

 と、ケイは告げた。

 蒼空はリウの頷く姿が見えるような気がした。

「お父さんのタイムマシンは……」

「あれだ」

 ケイは後ろを振り向き、円筒形のカプセルを指差した。

「リウの自転車とは全然違いますね」

「これが最新式の試作機だ。軽量でコンパクトだし、三人ならゆったり乗れる。性能もはるかに改善されている。君たちが乗った自転車型はもう何年も前にわたしが最初に作った未完成の試作品だ。安全性にも問題がある。倉庫に放っておいたのをリウがいつの間にか勝手に持ち出し、改良していたのだろう」

「そうだったんですか。でも、なぜリウが……」

――それは、特許を取るためにどうしても必要だったんだよ。

リウは横を向きつっけんどんに言った。

蒼空は二人の間には何か重要な秘密があると思ったが、今それを訊いている時間はない。

「わかったけれど、それよりわたしを早く元の時代に戻してください」

「そうだったな。リウ、蒼空さん。カプセルに乗りなさい」

 三人を乗せたカプセルはふわりと浮上し、ピカッと光ると時空間に漂った。

「あれを見てごらん」

 ケイが指す方を見ると、リウが蒼空を背負い、顔をゆがめ走っている。

「走っているあの二人にそれぞれうまくのり移るんだ。わかったな、リウ」

リウは頷き、再び蒼空を背負った。

「今だ!」

 の声に、蒼空をおぶったリウは、走っている自分たちに一瞬にして合体した。


帰還するためのタイムリミットは三分を切った。

視線の先に源内屋敷が見えてきた。リウは歯を食いしばった。

――もう一息だ。

蒼空をおぶったリウは道の先に小さな窪みを見つけ、注意深くそれを飛び越える。

――うまく行きました。

スピードを落とすことなく、その勢いのまま源内屋敷の門に突っ込んだ。スピードが付きすぎ、うまく曲がり切れず、今度は門扉にバタンとぶつかった。二人はひっくり返り、リウは眼を回している。声を掛けたが返事がない。バシッとリウの左のほっぺたをひっぱたいた。

 リウは薄目を開けたが、焦点が定まっていない。蒼空はリウを抱き上げた。

「道場はこっちだったよね」

蒼空は右を示した。薄目を開けたリウは、

 ――そう。それでいいです。

蒼空はリウを肩に担ぎ足を引きずりながら右に進んだ。離れの道場が見えた。

「リウ! 道場。あったわ」

――早く、行きましょう。時間がありません!

残り時間は二分を切った。

「わかった。しっかり掴まっててね」

十八〇センチあるリウを抱き上げ、二人三脚のようにして道場へ向う。

二人とも四つん這いになりながら道場へなだれ込んだ。

「帰還時間まで、残り二〇秒!」

タイムマシンの時代往還設定ダイヤルから警告音が出ている。

「一〇秒前からカウントダウンを始めます」

「それはさっきも聞いたわよ」

蒼空は声を張り上げた。

 ――そんなこと機械に言ってもしかたないでしょう。

 リウは蒼空に抱えられたまま呆れている。

タイムマシンまであと八メートル位か。リウを支え、蒼空は足を引きずり歩いた。

「テン、ナイン」

カウントダウンが始まった。

「エイト、セブン」

「リウ! 頑張って!」

タイムマシンにたどり着いた。

――これじゃ、ダメだ!

リウが叫んだ。ダイヤルが滅茶苦茶になっている。

「なんでそこまで一緒なの。リウ、早くダイヤル直して」

――やってますよ。

カチカチと設定し直した。

「シックス、ファイブ、フォー」

――できた!!

チャリン、チャリン、チャリン! 

蒼空は清次郎から預かった百両を剣道場に放り投げた。

「スリー、ツー」

「源内さん、うまく見つけてねっ!」

蒼空とリウはタンデムに跨り、勢いよくペダルを踏み込んだ。

 蒼空の目の前がうす暗くなり、幾つもの星が頭の上や足の下で煌めき、星々が糸を引くように流れた。眼が回る。真っ暗になり、正面から突風が吹きあげ、カールストレートボブヘアが逆立った。今度は、強烈なフラッシュライトを全身に受け、目を開けていられない。頭の中が真っ白になり、意識がぼやけていく。リウのお父さんが作ったタイムカプセルの乗り心地の良さとは大違いだ……。そして、気を失った。

「蒼空さん、そらさん」

身体をゆすられ眼を開けた。かすれた視界に薄汚れた床と壁が眼に入る。

頭の中は、まだぼんやりしている。

ハッとして、眼を見開いた。目の前ににっこり微笑むリウの顔が見える。

「二〇X七年七月七日午後六時三九分。無事、帰還しました」

リウは小さく囁いた。

――わたしは眠っていたのだろうか、いや、リウと一緒にタイムマシンに乗って、江戸にタイムスリップしたんだわ。

「無事に帰って来れたのね」

蒼空はリウに支えられゆっくり自転車から降りる。

 右ひざと左足首が痛む。振り向くとリウがにこやかに笑っている。よく見ると鼻の頭とおでこに擦り傷がある。でもこんなに優しい顔してたっけ、とても懐かしく、そして不思議な気持ちがする。

「タイムトラベルはいかがでしたか」

「本当に江戸時代に行ったのね。まだ信じられないけど、足が痛いし……、現実なのね」

 リウは大きく頷いている。

「これで特許を書いていただけますよね」

「現実にタイムマシンがあることはわかりました。でも、理屈がさっぱりわかりません。これでは特許の書きようがありません」

「このタイムマシンは……」

 早速、リウは説明しようとしたが、

「ちょっと待って。帰ってきてほっとしたらお腹がすきました。駅前にちょっとおしゃれなイタリアンのお店があるの。そこでどうかしら。それと無事に帰還したお祝いをしなくっちゃね、リウのおごりで」

 蒼空はふふふっと、悪戯っぽく微笑んだ。

「えっ、わたしが、ですか?」

「当たり前でしょう。あんなひどい目にあわせておいて、お礼もしないなんてありえないわよ」

 蒼空は頬を膨らませリウを見つめた。

「それは自業自……、わかりました。そのお店に案内してください」

「それと、きりりと冷やしたシャルドネのワインもね」

「はい、はい。わかりました」

蒼空は左足を少し引きずりながら倉庫のようなビルを出ると、東京に夜の(とばり)が下り始めていた。江戸のすっきりとした空気とは違う大都会の濃密な空気が体にまとわりつく。二人はタイムトラベルした余韻の中、無言のまま神田駅に向かった。

蒼空は歩きながら街の風景を見やる。確かに現実の世界に戻ったのだ。街灯や店のイルミネーションが輝き始めている。つい何分か前にリウの背中におぶさっていたのが嘘のようだ。左の頬にまだリウのぬくもりを感じる。そぉーっと手を当ててみた。

「蒼空さん、ほっぺたがどうかしましたか」

リウが心配げに蒼空の横顔を覗き見る。

「いや何でも……。ところでリウはなぜこの時代に来て特許を取ろうと思ったの。それに、お父さんのことも聞きたいわ」

 蒼空はぎこちなく問いかけた。

 リウはちょっと言い淀み、

「それは……、その……」

「言いたくなければ言わなくてもいいわよ。わたしは弁理士だから……」

自分でも訳の分からないことを言っていた。

蒼空は質問を変えてみた。

「リウって、やっぱり未来から来たのよね」

「はあ。まあ、そうですね……」

「特許のことは表向きで、本当は未来の警察官で、何か特別の密命を受けてるとか」

「いや、いや、そんなことは決してないです」

大げさに手を振って否定した。

「じゃあ、あなたはいったい何者なの」

「それは……」

 と、言いかけて黙ってしまった。

 蒼空は何も答えず、正体を明かそうとしないリウにイライラした。一緒に江戸時代まで行ったのに、わたしを信用できないのかしら。

 気まずい雰囲気のまま二人は黙って歩き続けた。駅が見え始めた少し手前で左の路地に入る。きょろきょろ辺りを見回すと、イタリアの国旗を掲げたお店が目に入った。カウンターとテーブル席が四つある小さなお店。

 扉を開け中に入るとカウンター席とテーブル席の三つがふさがり、この店で一番いい、窓に面した丸いテーブルだけが二人の指定席のように空いていた。

蒼空とリウは二人並ぶようにして座り、気まずい空気を振り払うかのように白のロンバルディーア産のシャルドネで乾杯した。

リウがグラスを掲げて言った。

「無事の帰還に乾杯」

「かんぱーい」

「本当に帰ってこれてよかった」

リウはワインを一口飲むと、フーッと息をつき、

「こんなにドキドキしたのは初めてです」

と、しみじみ言った。

「帰れなかったらどうなっていたの」

「蒼空さんの多くの子孫が途絶えます。最悪の場合、将来の日本人の三割の人が生まれてきません。ひょっとしたら僕だって消えてなくなっていたかもしれません」

「そんなのあり得ないわよ。わたし一人で、大げさよ」

蒼空はワインを片手に、手のひらをリウの鼻先でひらひらさせた。

「でも、それは本当です……」

暗い顔をしたリウの言葉は真実と思わせるほどに重く響いた。

「ねえ、リウ」

「はい、何でしょう」

「タイムマシンなんだけど」

と口にしたとき、リウは蒼空の口に人差し指を当てた。

「シッ。声が大きいです」

 蒼空は周りを見回し、リウの鼻にくっ付きそうなくらいに近づき尋ねた。

「あの自転車がタイムマシンになる原理は何なの」

リウは蒼空の顔が目の前に迫り、ドギマギした。そして、再び周囲をうかがい、囁くように説明し始めた。

「アインシュタインの特殊相対性理論に重力場方程式。シュレーディンガーの波動方程式にハイゼンベルグの不確定性原理を加え、ホーキング輻射とブラックホールのトンネル効果を利用します。それと……」

 蒼空はリウから離れ、椅子に深く座りなおし、首を振りつつ溜息を漏らした。

「チンプンカンプンよ。もっとわかりやすく説明してくれなきゃ特許なんて書けないから」

「そうですか。かなり簡潔かつ明瞭に説明しているつもりなんですが……」

「ウム……」

「それではこれでどうでしょうか。特殊相対性理論と、強い力、弱い力、電磁力、重力の四つの力を統合し、これに超ひも理論をミックスし……」

 蒼空はリウの説明を手で制した。

「その話はもういいです」

「でも説明しないと特許を書いてもらえないんでしょう」

「それはあとで伺います」

「そうですか……」

 リウは意気込んでいた分、ガックリと肩を落とした。

 蒼空はタイムマシンの特許を申請することよりも、リウを目の前にしてどうしても気になることがあった。それを知り、解決しないと前へ進めないと思った。

「リウ」と畏まって呼んだ。

「隠していることがあるでしょう。少しでも力になりたいから話してもらえないかしら」

「う~む……」

 リウは蒼空から視線をはずし、左手を顎にやり考え込んでしまった。

「なぜ黙っているの」

「いろいろあって、簡単には説明できないんです」

「そう。わたしに話せない秘密がいっぱいあるってことね」

「いや、そういうことでは……」

と呟いたが、その後の言葉はなく、再び重苦しい沈黙が訪れた。

リウは話題を元の特許の話に戻そうと思った。

「それではこうしましょう。もう一度タイムマシンのところに戻って、実物を見ながら説明します。その方がわかりやすいと思います」

 蒼空は話をそらされ納得したわけではなかったが、リウの気持ちが変わるのを待とうと思い直した。

「わかったわ。じゃあ、特許出願に向けてもう一度乾杯しましょう」

 蒼空とリウはワイングラスを合わせ、しばしの間、美酒に酔いしれた。


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