声の海
「この前図書館で調べたらさ、ヒノキって、"霊の木"と書いてヒノキとも読むらしいらしいぜ」
「"霊"って、幽霊の"霊"?」
「うん、"霊"には、周りに影響を及ぼす不思議な力って意味があってさ、ヒノキにはそれが宿ってるから、そう呼ぶらしいぜ」
「そうなんだ…」
「日向、大丈夫か?」
優斗が不安げに葵の顔を覗き込む。葵のいつものリンゴのような頬は白く、目は遠くを見ていた。
あれからもずっとヒノキとの交流は続いていた。ヒノキは心配したが、葵は元気に振る舞った。
しかし、日増しに聞き取れる植物達の声の範囲が拡がっているのか、葵の頭の中は音の海に埋もれそうだった。
その為、日常での音は聞こえにくく、周囲の人の声を聞くのがやっとだった。
「う、うん」
葵は無理に笑った。その時、何処からか電動ノコギリが鳴り響く音が聞こえた。恐らく校外からだろう。
「うわあああっ!切らないでぇ!」
「きゃああっ!」
葵が悲鳴をあげる。優斗が駆け寄る。
「ど、どうしたんだ?」
「お、音が…ノコギリが木を…」
「は?ノコギリの音なんてしないぞ?」
距離感は掴めないが、確かに聞こえる。近くではない。山か林か隣の町、もしくは遥か遠くの国か。
「摘み取らないで」
「痛いよ」
「焼かないで」
動けぬ生き物たちのうめきが洪水のように頭の中に流れ込んでくる。ひどい耳鳴りで頭が破裂しそうだ。視界が大きく回転する。
「葵っ!」
ヒノキと、優斗の声が重なる。
葵の意識は深い闇の中へと落ちていった。