第九十九話 対案
「うぅむ、悩むな……」
勇者は徴税官と向かい合い、交わした言葉や態度などを思い返していた。
何か見落としはないか。一つも漏れがあってはならない。
徴税官が雰囲気を作るのもやめて冷ややかに見下したのは、真正面から睨み合った時だったか。
隙が見えなかった。
焦れたのか、引き際には少し声音に乱れもあったが、撤退を決めたときでさえ辺りに気を配っているだけの余裕は見えたのだ。
俺様の素晴らしい身のこなしに恐れをなしたとか、お城ちゃんを称える美しい旋律に感動したためではないだろうと勇者は結論を導き出していく。
「まかり間違っても、俺様の笑顔にほだされたことが主な理由ではないな」
周囲の視線は冷たく眇められる。
「そんな奴がどこにいるので」
「もしや、あの目潰し攻撃のことでしょうか」
「というかこの状況で、わけのけわからない妄想に逃げてないっすよね……」
残念ながら、勇者は思考に没頭していたので聞いていなかった。
いつもの通り、竃に撤収してきた勇者達だったが、今晩は他の面々も集っていた。
「あのぅ、勇者領主さんはなにをうんうんと唸ってるんだ」
「うやむやな話し合いだったしよ、首領の腹積もりを知りたいんだがな!」
ぼそぼそとだみ声を響かせたのは大畑さん、元気な声は小作隊長。町の代表だ。
「勇者様はこうして唸り思考法を編み出されたのです!」
「思いついたら突然飛び上がって怖いけどな」
よく分からない誇らしげな族長に、屈強班長が重ねる。
こちらは村の代表だった。
「あちこち目が付いてるような人並みはずれた勇者さんだ。俺たちに見えてないことが、ええと、色々あんだよきっと」
「ええ本当に。勇者さんは薬領主さんにも負けない不思議な知識と、とんちがありますからねえ」
続いてタダノフ領手下隊長と、ノロマ領助手裁縫さんが勇者によく分からないよいしょをする。
さすがに、いつも通りに過ごせといわれても、落ち着いて休むことなどできなかった。
勇者に着せられた罪とやらは、それだけ仰天ものだった。
実のところ、理由も根拠も、役人の口から聞かされれば成る程と思えなくもなかった。
しかし、その一つ一つの経緯を知っているのだから、頷くことはできない。
有り余る元気と行動力をじかに目にしてきた。
気分で進めてるとしか思えない計画を突然に知らされ苦労することもあったが、やってみれば、それは確かに必要なことだった。
照れながら自画自賛するさまは滑稽で、若さっていいなあと微笑まずにはいられないのだ。彼らも当初は、勇者はそこそこの歳だと考えていたが、タダノフやコリヌたちが、あんなおっさん臭いけど二十歳なんだよと憎々しげに吹聴したお陰で知りえたことだった。
それに何よりも、しがない雇われ傭兵ほども争いという言葉から程遠い人物だ。
力自慢の殴り合いもあるが、下町の日常風景だから、移民してきたような彼らには特に不思議なことではない。
結局は不安ながらも、誰もが抗う気持ちでいた。なんせ勇者を領主として認めたのは、自分達の意志だ。
落ち着かなくも、彼らは勇者から何かしらの答えが出るのを待った。
勇者は徹底して昼間の光景を再現し、あることに気が付いたところだった。
徴税官はあまりに冷静であろうとしすぎていた――逆にそれが勇者に道筋を見せた。
(ん、あれ、おや? もしかしてそこまで楽観はしていないのか)
隙を見せまいとし、こちらの出方を慎重に見極めようとしている。
それは、余裕がないということだ。
徴税官の話には意図があるはずだ。
侮っていた相手だが意外とやりおる、などといった焦りではないだろう。
ならば、勇者側とは無関係のところで、徴税官にある手は少ないということだろうと思えた。
勇者を追い詰めるための言葉の端々にも、振る舞いにも自信は伺えた。
あちらが中央の手先なのだから、先ほどに並べ立てられた理由だけでも十分な気はする。
それなのに、どこか余裕がなく感じられたし、実際に退いた。
一旦引いたのは、単に引き時だと考えたからではないか。恐らく、予定の内なのだ。
予定の内だとして、それはこちらの疲弊を待つためしか思いつかない。
あの手勢でも、よく鍛えられた本気装備の兵達なのだ。身柄を抑えようとすればできたように思えた。
被害を抑えるために、領民達の心が折れるのを待つのだろうかとも思ったが、それならば、あそこまで畳み掛けてきたのはなぜだ。
手勢――そこに違和感があった。
様子見でつついてくるにしては、わずかな弱みも見せないようにと、やたらと構えていた。
それは余裕がないからとすると、その理由は余力がないためではないか。
「そうか、いやそうだ……本隊がくれば、などと人頼みな事を言った。やたら自惚れたやつが、そんなことを言うかね。脅しにしては、負け犬の遠吠えのようではないか」
本隊などは来ない、とすれば納得がいく。
目論見もいつまで居座る気かも分からないが、本来なら今日明日に勇者を拘束するつもりではなかったのだろう。
(そういえば、あのお爺さんを無視はしたが、その存在にも懸念したのかもしれんな)
ようやく勇者は顔を上げ、竃の面々を見た。相手の気を変えた原因と思われる顔の上で視線を止める。
「ほっほ。わしらのことは気遣い無用!」
本当に現状を理解しているのか、期待に輝く目でお爺さんが言い放つのを見て、勇者は困惑する。
拳を固めて身を乗り出し、思いっきりわくわくとしてみせているのだ。
(やはり見世物を楽しんでいる風に見えるな)
他の要因といえば、ふとコリヌンの存在を思い出した。
要請された側の方が、数は多いのだとコリヌから聞いていたのに、応援にしてはあまりに少数ではないかと考えていた。
そう考えると、やはり援護は来るのか。考えるほどにぶれる。
(本隊、本隊ね……)
そもそも本隊という言い方が引っかかっていた。
あれでは中央が直々に出てくるように思えたから、実は来ないのではと考えたのだが、単純なこと気付いた。
(来るのは、ノスロンドからか)
取り決め通りに、徴税官らの一隊に、問題がある地点付近の自治領から派兵され合流する。
そうしてノスロンドから送られてきたマグラブ領領主コリヌンは、監視すると言っていたが、実際に今日も動かなかった。隊の背後を守るためかどうかは分からないが、あからさまに徴税官に非協力的なのではいかと思える。それは本隊とやらを待っているせいなのかもしれない。
話し方からしても、本隊は大所帯。移動には時間がかかる。
到着を待つ間は、他に助けがないのだから、武力で一方的に押す手は使えない。
恐らく、本隊とやらが到着するまでは睨み合いが続く。
相手だって早く片が付くに越した事はないだろう。今日のことは、こちらの出方を見るにしろ、一気に押してみたといったところか。
勇者の心に、そんな総評が浮かんでいた。
駒も場も揃った局面だ。出来る対策もあるのではと考えは移る。
しかし、問題は、どうやってこの現状を畳むかだ。
徴税官の心を挫けば済むのだろうか。
そればかりは、計りかねた。
徴税官が計画し実行しているとはいえ、背後の中央がどこまでを望んでいるのか分からないからだ。
回りくどい、腰が重いの代名詞のような中央だ。
たとえ徴税官が正直者だったとしても、真意を知ることは出来まい。
安全に策を講じるならば、勇者だって本意は伝えないだろう。
◇◇◇
「不便な場所だ。無理を押すことはない。予定通りにこなす」
徴税官は、護衛兵達にそう声をかけた。兵らの表情になぜ引いたのかといった疑問を感じ取ったためだ。
なにも怖れて逃げ出したのではない。
どうしても行動は海の道が開いている時間に左右されてしまう。
影響は大きいが、それなりの恩恵もある。
こうして距離を持って時間を取れるということだ。
海の道を挟むように、距離を取って天幕が張られている場所に目を向けた。
物資と見張りを残して海を渡ったが、今朝までの様子と変わりはなかった。
報告によれば、近くの町まで馬を走らせているとのことだから、向こうも到着予定の報告を待っているのだろう。
徴税官は天幕に入ると、不審な客のことを思い返していた。そのせいでわずかに判断が遅れたことに歯軋りする。
半ば布で覆い隠していたが、手足に覗く上等な装備に見間違いはない。
革部分は濃く滑らかな茶色で、金属部分は鈍い銀色だ。
一般兵は艶のない黒味がかった皮鎧が一般的だから、その違いは歴然としている。
ノスロンドの近衛兵。
それが、こんなところで何をしているのか。
これでは、不審な先遣隊の行動の意味も変わってくるだろう。
この件についてコリヌンをつつくべきかどうか、徴税官はしばし悩んだ。
追い詰められたと思い込み、暴れられては困る。
白髪男の件が片付いてからであればともかく、今は他に手を回している場合でもない。
結論としては、本隊の到着まで動くつもりはないというならば、触れるべきではないと判断を下した。
◇◇◇
「俺様は独立する――」
勇者の呟きに、竃周囲の空気は氷りついた。
(そうか、それが徴税官が出した結論。どうあっても、俺様を排除するという意志。いやあ、しまったな……あのでっち上げ話を聞いてしまった以上、俺様が素晴らしい演技でずびばぜえぇんと泣きついても、もはや覆せまい)
しくじったと心で冷や汗をかいた勇者の顔は強張った。
その深刻な変化を、周囲は覚悟を決めたのだと受け取っていた。
「ひゃっはぁ! 独立だああああっ!」
手下隊長や屈強班長が吠えた。
そう言葉にされると、周囲にも興奮が立ち昇る。
間近に叫ばれ、集中して雑音を遮断していた勇者もさすがに驚いて飛びのいていた。
「へっなに、なんだね?」
「えっええええっ、そんなっ嘘っすよね勇者さん!」
行き倒れ君の焦り声は、野太い叫びにかき消される。
「まっまさか小屋……ごほん、城と呼んでるのは、しがない親父連中がマイホームを俺の城と自虐的に呼んでるあれとは違ったというのか。王様なんて書いてるのが、本気だったとは……!」
族長が目をむいて感激に打ち震えた。
「おおっわしも腕が鳴るわい! 貴様らもとうとう実践デビューじゃな!」
「気楽に言わないで下さいよ……ま、戦闘となればそうそうやられませんがね」
なぜかお爺さんと近衛兵もやる気を見せている。
そしてコリヌ勢は猛りだした。
「ぬおおっ勇者よ、私も血がっ滾ってっまいりました! 砂漠の民と争った日々が甦る、なあ護衛達よ!」
「勇壮の矢羽と呼ばれた身のこなしを解禁するときが来たか!」
「連撃の石球が唸るぜ!」
「猛攻の刃が敵を微塵斬りにしますよ!」
勇者達は暑苦しい空気に当てられる。
「むわっこれが戦場を知る男達の気迫というものか……っ!」
「ええっ……護衛さんたちも戦場にいたんすか……」
行き倒れ君の意外そうな声に、勇者も同意だった。普段の能天気さからは欠片も垣間見えない意気込みがある。
勇者はいかに己の尻が青いかを思い知ったが、感心している場合ではない。
「ちがああああうっ!」
やる気になってくれた気持ちには感謝するし、嬉しいものだが、本気で殺しにいかれても困ってしまう。
全身を不穏なやる気で漲らせているコリヌたちは、睨むように勇者を見た。
「あ、いや違わん」
すぐに続いた言葉に、周囲の身構えていた体勢が崩れた。
「おお勇者よ、無駄に士気を上げ下げするのはお控えくだされ。迸る先が迷子になって暴走の危機ですぞ」
「言い方が悪かった。あくまでも俺様が首謀者だ。そうあやつらがぬかしたのだからな。俺様に無理に働かせられているという設定。ならば、それを逆手に取ろうではないかと思ったまでよ」
「なんという自己犠牲の精神……改めて感服しました勇者様!」
族長は苦節ん十年といった感動に瞳を潤ませる。
「領民達の抵抗も、俺様に脅されているせいらしいではないか。その通り、抵抗を試みてもらおうではないか、ということだ。形だけな! 本気で組み合うのは控えてくれたまへ」
「えぇー……」
「ええーではない、残念そうな顔をするな」
多勢がぶつかり合えば、人死にも当たり前。そんな割りきりが、コリヌらには見えた。相変わらず、しれっと混ざってわくわくと盛り上がっているお爺さんもそうだ。
勇者は複雑な気持ちだった。
こんな状況となれば、避けようがないのかもしれない。
それでも、簡単に人が殺められるような場を、勇者は体験したことがないし、そんな経験をしたくもなかった。
常に妄想戦闘で経験値を稼いでいる者が矛盾するようだが、故郷では事故などによる人の死をよく目にしていたのだ。
自然の中で生きているだけでも大変だというのに、わざわざ争いに行くということがどうにも理解できないのだった。
そうはいっても眼前の問題となってしまった。
この地や領民を守るというならば、頭に入れておくべきことだ。
(覚悟だけは、決めねばならないようだな……抑えろといっても、にらみ合いが長引けば、無理なときはくるだろう。相手が業を煮やしてということもありうる。せめて、被害を抑えられる手を打たなければ)
勇者は眉間に皺を寄せて唸った。
その皺を指でぐにぐにと押す。
何かが、引っかかったのだ。
「確か、あったぞ。人体に危害を加えずに、動きをはばむ……ノロマあっ!」
「ひゃいっ! まだなにもっ勝手にまじないなどしてませんので!」
「なんだとそんなことしてたのか!」
「だからしてないんですうぅ!」
「どぅどぅ落ち着いてよー」
タダノフに引き剥がされて、勇者は思いついた案を伝えた。
争い少なく大規模に影響を与えたい。
そんな期待に応える一品が、ここにはある。
「ノロマよ。急ぎ揃えて欲しい物がある」
「ほい、なんですので?」
勇者はノロマや族長に作戦を聞かせた。
「ふぅむ、なるほど。こちらに危険も及びそうではありますが、戦闘訓練など受けていないわしらが勝つためには、それくらいは飲む必要がありますな」
「薬の知識を悪用するなど心は痛むが、領民を守るため……いや、口に優しい言葉など無意味。そうさ俺様が嫌な気持ちになりくないから、そして生き延びるためにやるのだ」
「勇者様……」
勇者の眼差しが和らいだ。
「なによりも、お城ちゃんのためになっ!」
「そこなの!」
己の首よりも城が大事なのかと呆れるが、それが場の緊迫感を緩めた。
一部、元より緊迫感の欠片もないタダノフやノロマは、まさに勇者の仲間に相応しいのだろう。
「わしは足腰の特に強い村人を集めましょう」
「頼んだぞ族長。大畑さんよ、彼らに持たせる水と食料の準備を頼む」
「すぐに」
「ではあたしは道具袋を揃えますね」
「助かるぞ裁縫さん」
訳が分からない状況を、あれこれと話す必要がなくなり大畑さんらはほっとしていた。
さっそく小作隊長らと共に走り去っていく。
「道を拓き、植生調査にも出かけていて正解でしたなー。ソレス殿、これなら三日、いえ二日もあれば戻ってこれると思いますからして」
「うむ、慧眼であった。さすが俺様」
「俺じゃないので!」
「はっはっはノロマよ、いつも頼りにしているではないか。慣れた道といえど気は抜くなよ」
「はいですともー。では俺も準備に行ってくるので」
集っていた半数が減り、竃の周囲は静けさを取り戻した。
「ほっほぉ、ベニゲラゲラ茸、毒キノコとは思いつかなんだ」
「偶然、生えていたのだ。しかしお爺さんよ、面白いものではないぞ。あの毒にかかれば、温厚な人間も歩く死人のように恐ろしい状態となる。近付かないように」
「なんとそれは珍妙な、楽しみじゃのう!」
ご機嫌なシュペールの言葉に、近衛兵らは頭を抱えたくなっていた。
(実際に毒キノコを使うかはともかくとして……うまく均衡を保てば、譲歩せざるを得んだろう。あの高慢ちきな男は、諦めて任務失敗と報告するくらいならば、どんな形でもいいから結果を出そうとあがくはず、くく、かかかっ!)
少しくらい真剣に抗って手間をかけさせてやれば、逆に片は早く着くかもしれないと、肩を震わせながら悪い笑い声をあげる勇者だった。
『ノンビエゼ王様の城』
勇者はそう彫られた板を見、決意を胸にお城ちゃんを見上げた。
(そうだ。俺様はお城ちゃんと共に歩むべく、出来る限りの手を打つ!)