第九話 メルヒェン迷図
「城に夢中で、すっかり探索の報告を忘れていた。悪いなコリヌよ」
勇者はコリヌに、この辺の地形についてや言い伝えなどを報告した。
「ほう。天からズバーンと堕ちた星ですか……なんともロマンティックが止まりませんな。しかし完全には囲まれておらんのでしょう?」
勇者はそういえばと、慌てて書付帳を取り出す。
木炭も手にして、ばっちり書き取り態勢は整った。
なぜ、あの場でそれをしなかったのか、勇者にしてはうっかりさんだった。
(まさか完徹能力の後遺症が……いやまだ若い、だいじょうぶだいじょうぶ。誰にだって物忘れの十や二十くらい)
考えが逸れそうになるのを押し止め、勇者はおやつ用に隠しておいた、握りこぶしほどの木の実を取り出した。
「どうだタダノフ。詳細を思い出せ。ほら」
「餌! そうねぇんぐむぐ、すこし待って、これうまいね……ぶべっ」
「先に話せ」
「痛いじゃないか、それに噴き出しちゃったよもったいない」
「拾うなっ!」
「チッわかったよ。確かに輪っかのような地面の盛り上がりは、幾つかあったけど……」
「ふむふむ」
タダノフへの厳しい尋問によって、かなり詳細な情報を手に入れた勇者。
唇を尖らせ、鼻との間に木炭を挟んで、思考に没頭する。
南下していった者達もいたが、あやつらはどうしているだろうかと気になった。
今もまだ時折海を渡ってくる者達もいて、彼らはこの辺の占拠具合を見ると、やはり南下していった。
タダノフの話によるなら、外に行くほど険しい波打つような地面の起伏は、移住者の行く手を阻んでいるはずだ。
一つ一つの波は、迂回できそうに、端に行くほどなだらかになっていく。
しかしそれが、幾つも折り重なり合って、輪を描いているという。
さながら大輪の牡丹の花のようなものだろうか。あれボンタンだっけ、どっちでもいいかと思考は揺れる。
ともかく、通り抜けるのは容易ではあるまい。
ただ一人を除いて。
「これはあたしの餌だかんね。あげないよ」
ちらと見た一瞬以下の勇者の目の動き。
それを的確に捉えた、タダノフ。
こんな人間は、そうそうおるまいと勇者は深く頷いた。
「いらんがな。さて野良仕事に精を出すか。よっこいしょっと」
勇者は、護衛達が見繕った畑候補地に立っていた。
体を動かしながらも、先ほどの心配事が頭を離れない。
他人事ながら、まともな準備をしているようには見えなかった後続組を思い返す。
身一つといった体だった。
(愚かなと嘲笑うは、誰にもできる。しかし野垂れ死にを、自業自得で見過ごせるものでもない)
だからといって、何の準備もなく手を差し出せば、共倒れである。
(気にはなるが、今はしかと、この畑を育て上げなくては!)
ひとまず適当にそこらを掘り返した勇者は、畝作りに精を出していた。
急ぎ育てる用の場所であり、お試し区域でもある。
晴れやかな笑顔に、汗が光る。
頭を上げると、首にかけていた布で汗を拭った。
(なんと充実した日々だろうか)
勇者の心は、ぽかぽかしていた。
そんな平和を、断ち切る者が現れた。
「見ろ、人が胡麻粒のようではないか。ぬ、何事か」
休憩がてら岩場で平地を見下ろしていると、人だかりが出来ていた。
勇者一行も野次馬に飛び出す。
娯楽がないのだ、そんな情報を見落としはしない。
「言わんこっちゃない……」
南下した者の一人が、ふらつきながら戻ってきたらしかった。
「まるで、迷路なんだ……天然のダンジョンだよ」
息も絶え絶えの男は、そう言って気を失った。
タダノフを見ているとジョークのような環境が、極々普通のまともな人間には、こうも過酷なのか。
(俺様も類稀なる能力を持つからな。バランス感覚を養わなければいかん)
男の唇は、乾燥でひび割れている。
勇者は、なんと愚かで考えなしなのかと、その男を冷めた目で見下ろす。
「水すら十分に携帯してなかったようだな」
やれやれだぜと、両肩を竦めて首を振った。
男をなじる気はない。自身のお人好しさに呆れてだ。
勇者は、水筒へ水を補充する際に使用する、濾過用の布を取り出していた。
布を水で浸すと、水滴を少しずつ男の口元に垂らし入れる。
いきなり水を流し込むと、気管に入るかもしれないしと、慎重に続けた。
「ふはー生き返った生き返った」
水と飯を与えると、男は息を吹き返した。
勇者は、男を丘の上まで、タダノフに運ばせていた。
「それくらいで止めておくとよかろう。急に食いすぎるとお腹がびっくりしてしまうぞ」
男は三日程何も食べていないと言ったので、煮た芋をすり潰して湯で溶いた、でろでろの粥を食わせた。
「固形物は明日からにしておきなさい」
「チッ」
「何か不満でも……?」
「ないっすあざーっす……ぅひいっ!」
勇者は、満面の笑顔を男に近づけた。
「まさか、ただ飯が食えるなんて、思ってないだろう?」
一点の曇りもない笑顔。
しかし充血した目だけは、真剣に男を見据えている。
(こいつはどこかやべえ。逆らったら葬られる……!)
男は震え上がった。
「では詳細な情報を聞こうか。タダノフ、何か座れるようなものを」
「あいよー」
腰掛けるに丁度良い岩を、タダノフが軽々と持ち運び、男の側へ放り投げた。
ドズンと心地よい振動と、男の悲鳴。
「ひいいっ! お、お命を頂戴したばかりで断ち切られるなど酷です。あまりにもおおお」
「はっはっは。人として当たり前のことをしたまでよ。感謝など照れくさいではないか。そう恐縮するな。俺様は話を聞きたいだけなのだよ」
男はこくこくと頷くと、震えながら岩を背にへたりこんだ。
「ぬむ。地べたが良いなら、それでも構わん。さあ吐いてもらおうか……」
真顔になった勇者に、従順になった男はぺらぺらと話し出した。
どうやら、この辺の地形は、うねうねと迂回するだけではなかったらしい。
柔らかい土の丘らしく、崩れ易くて歩き辛い。
狭い道のため、吹き込む風が強くなる。
そのせいで、柔らかく湿り気のある土の塊が、ごろごろと落ちてくる。
「そいつらを、よっ! はっ! どふぁ! っと、飛んだり跳ねたり避けて進まねばならんで、苦労したんっすよ!」
「あっそう」
勇者は、男の情報を元に熟考する。
北から東側に連なる巨大な岩棚は、硬くがっちりしていた。
恐らく、タダノフが百人で殴りつけても壊れないだろうと思えた。
それだけの年月が経っているはずなら、全体がそうでなくてはおかしいのだが。
そこで改めてタダノフの情報を思い出す。
外に行くほど、起伏差は激しく、高くなる。
ならば、この辺の柔らかい土は全て流れ込んできただけで、その下には硬い岩盤が広がっているのではなかろうか。
ぽくぽくぽく、てぃーん。
結果は出た。
(タダノフで掘削し、調べてみる必要がある……その為に、餌の消費管理表を更新せねばなるまい)
タダノフをフルパワーで使用するには、綿密な餌消費量の計算が不可欠だ。
作業量に見合った最低限の消費量でタダノフのやる気ゲージをチャージしなくては、あっという間に干上がってしまうからだ。
恐ろしく精密な作業であった。
(俺様も、しばらくは完徹能力を封印して、足し算能力へと割り振らねばなるまい。数えるのに便利な指は、手足を合わせても二十本しかないからな)
徹夜中に頭を使うと、結構腹が減って困るのだ。
勇者は、数多の失敗でそれらを学んでいた。
(ようやく誰に憚ることなく、領地を主張できそうだと、安心したらこれだ)
勇者の不安は、さらなる後続組の存在である。
お役人さん達が領地受付にやってくるのは、まだまだ先となるだろう。
なんといっても腰が重い奴らだし、危険な目に遭いたくないから、情勢が安定するまで待っているはずだ。
それまでは、受付期間として開放されたままとなる。
そこに、住みよい土地だとの情報が届けば、二の足を踏んでいた輩が続々と訪れるに違いなかった。
(なのに、行き止りと知れたら……やべえ、勇者領に訪れた最大の危機だ)
押しかけた輩は、平地を分けろと暴れだすだろう。
そして、次には、この丘へも迫る。
幾らタダノフが人間離れしていようと、もし徒党を組まれては、蹂躙されるのは目に見えている。
「あわあわわ……はわわわわ」
勇者は恐ろしい未来を、すげーリアルに想像しすぎて、混沌へと意識を弄ばれていた。
「そ、ソレス殿がパニくってますよ……あの男の話は、そんなに問題だったので?」
「そんなこと、あたしには分かんないよ。口髭のおっさん、どうにかして!」
「コリヌですよ、お嬢さん。はて、瀕死の男が訴えたのは、道なき道があるようでないということ……はっ! そうか、これはさすがの勇者も慌てる大問題でしょうとも!」
コリヌはさすが本物領主だけのことはあった。
勇者と同じ結論に至ったのである。
「えっお、おじょうさんですと……?」
「え、お、おじょうさん……それ、あ、あたしのことかね」
「これは、暢気に日向ぼっこして尻を扇いでいる場合ではない。お二方、勇者の目を覚ますのです、はよ! 護衛達よ、我らも厳戒態勢に移る。馬をもて!」
「あれが、おーじさま、ってやつかい?」
タダノフの瞳が、餌以外のものに眩んでいた。
それは、タダノフ生まれて初めてのことだった。
(うっわー、コリヌ殿、災難ですなー……)
ノロマはドン引きだった。
「いかんいかん……タダノフ殿、今はソレス殿をお」
「そうだったね、餌!」
タダノフの中で、勇者は餌の出る蛇口であった。
一方その頃、勇者の心は汚染されていた。
(あああ屋根のある家、俺様の居城が、穢されていくううう!)
以下、勇者の妄想。
「ヘッヘ、素晴らしい屋根じゃねえか」
「くっ離せ、やめろ。そいつにだけは手を出すな!」
「俺達の剣を刺したら、どんな風に家鳴りってくれるのかな?」
「おい見ろよ悪人A。こいつ、名前なんか彫ってやがるぜ」
「俺様のものだってことか。独占欲丸出しじゃないか……ニヤリ、これ、書き換えちゃおっかなあ?」
「お、俺様の城に、汚い手で触るなあああ!」
「うるさいんだよ。芋でも食ってろ」
「グウ……もげぐごご」
「『悪人Aワンダーランド』っとな! ふひーはっはっは!」
「こっちの壁もがら空きだぜ。ほらよ『パレス悪人B』だあ! 悪戯書きし放題だぜえ!」
(うう、ゆ、許してくれ城よ……俺様に力が無かったばかりに、城だかパレスだかワンダーな感じで分からんことに……)
「ぎゃあーなんか泣いてますよ勝手に挫けて泣いてますよ!」
「あんたまで慌てないでよノロマ!」
タダノフは勇者を小脇に抱えると、城の中へと疾走する。
小屋の中で、何か策はないかとおろおろするタダノフとノロマ。
「こういうときはショック療法ですよ!」
「なんでもいいから早くして、腹減ったよ!」
ノロマは、先ほどの強烈なショックを思い出していた。
「ソレス殿おお、コリヌ殿がタダノフ殿を『お嬢さん』なんて呼んでたんですよおお! 荒ぶる筋肉お嬢さんですよ! しかも真に受けてやんのですよ!」
カッと勇者の目が見開かれる!
「そんなお嬢さんがいてたまるか! あら、俺様はいつの間にお城に?」
きょろきょろと辺りを見回すと、微妙な笑顔のタダノフと、地面にへばりついたノロマが目に入った。
「なん、だ。夢か。悪い夢を、見たの」
「正気に戻ってよかったよ。腹が減ってるんだ、このノロマみたいになりたくなければ……」
勇者はとっさに、持ち歩いていた保存食全部を差し出していた。
(俺様、何かしたっけか?)
勇者の朝飯を頬張って、気分が良くなったらしいタダノフから、我を失った後のことを聞いた。
お嬢さんのくだりは、省く。
「そうか、コリヌは対策を始めたか。俺様たちも手を打たねばならんな」
この地に順番を無視して留まろうとする、不貞な輩から、この地この城を守るため、今勇者の戦いは始まる!