第八十九話 三つの約束
嵐が来た後日から、冷え込んだ空気が漂っているようだった。
以前から朝方にはわずかばかり冷えるのだが、それが長引いてきているように感じるのだ。
そんな朝露も冷たい朝の竃にて、勇者は空を見上げて呟いた。
「気のせいだろう」
「きき、気のせいじゃないよ! 息も白いし、ほらっ」
ぶほぁと、タダノフが息を吐くと確かに白い。
しかしタダノフからは、大抵の場合に蒸気が立ち昇っているのだ。
恐らくそれと違いはないのだと、勇者は片付けた。
「寒いなら、腕とか覆えばどうっすか」
いつもながら行き倒れ君が現実的な提案をした。
タダノフは冷えると言いながらも、両腕と両腿は丸出しである。
勇者から見れば、分厚い筋肉の鎧を纏っているのだから十二分に役目を果たしているように見えた。
「んーでも動くのに邪魔だし」
そうかよと、他の面々は心で呟いた。
タダノフの返事により、もう誰もその件に触れないことにしたのだ。
そこで勇者は嵐に関する別のことを思い出し、その話題を振った。
「そういえばタダノフ、あの海沿いの岩はどこから運んできたんだ」
「どこって、その辺に幾らでもごろごろしてるじゃん」
勇者は、タダノフの言葉に動きを止めると、錆びた蝶番の如き趣で首を巡らせた。
「その、辺……?」
「そこの岩山の上」
「貴様ぁっ、勝手に登らないと約束したのをよもや忘れたか!」
「みっ水が出るところには寄ってないよぉ!」
タダノフは、勇者から変な餌期間という制裁が来るのかと怯えだした。
しかし実際には、水源から離れた平地側の山の上といった詳細を聞き出すと、勇者の背後に渦巻く吹雪効果ぽい威圧感は消えた。
「ああ、確かにでかく刺々しい岩が大量に生えているな。あれをぽっきりと持ち運んだのか」
「山自体を抉るようなことはしてないよ。なんなら連れて行っ」
「いや結構だ! 俺様はタダノフの弁明を信じるとも!」
いくら不安でも、勇者だって二度とタダノフ号で打ち上げられたくはないのだ。
それにしても、棘といったってぽっきりと折れるような大きさではない。
巨体のタダノフよりでかいものが多く、重量もあるだろう。
幾ら妙な装備品のお陰で力が増幅されるといったって、限度がありそうなものだ。
「おや、その餌袋はどうした」
嵐の日に持たせた大きな餌袋だ。それがなぜかタダノフの腰に、道具袋の一つとして括りつけられていた。
道具袋の一つにしては、人が入りそうな巨大さは不自然である。
初見で気が付くべきだったが、無意識に面倒事かと排除していたようだ。
膨らみ方を見るに、まだ半分は残っている。
タダノフは明らかに動揺を見せた。
「その、中身は」
再び勇者の背後に威圧感が漂い始めるのを見て、タダノフは袋を抱きしめながら謝りだした。
「違うよ盗んだとかじゃないんだ。思ったほど腹が減らなかったんだよ。でも全力用にって貰ったもんだし、好きな時食べてもいいよねって!」
「余ったなら、返さんか馬鹿者が」
「ああっあたしの餌!」
「まあまあ、タダノフよ。お座りなさい」
タダノフは跳び上がって椅子に座りなおした。
(ふむ、何か不自然だ。どこかおかしいと感が告げる)
格好つけてみたが、勘などではなく実体験からきたものだ。
勇者がタダノフ装備で全力を出した後の、異様な腹の減り具合。
あれは耐え難いほどの飢餓感を伴っていたのだ。
勇者ですらそうなのに、タダノフが全力を出して、餌を我慢できるなどありえないことだった。
確かに全力を出したのだろうことは、海岸に聳え立っていた岩の大きさや量を見ても間違いない。
通常起動時タダノフならば、胴ほどの岩を持ち上げて移動できるくらいなのだ。
どう考えても、喰らい尽くさずにいられるのは異常なことである。
「なんで、あまり腹が減らなかったか、思い当たることはないかね」
タダノフは言い訳になるのならと、必死に思い出そうとしていた。
「ええとうーんと、山に飛んで丁度良い感じの探して折って降りて……」
タダノフは考え事が苦手である。何かを思い出すのに、その時の行動を洗いざらい追跡しないと思い至れないのだ。
(なぜなら筋肉が全てを覚えているからだ。筋力こそタダノフの本体である)
勇者は暇でそんなことを考えていた。
しかし突如、聞き流していたタダノフの言葉の中に、引っかかるものが現れた。
「そこだ!」
勇者が袋から干し芋を投げると、タダノフはすかさず喰らいついた。
頭を使って腹が減ったのだろう。芋は瞬く間に消滅した。
「んぎゅ。そこって、ええと……体調が悪いかなって思ってたってところ?」
「もうちょい後だろう。なんで体調が悪いと思ったんだ」
「いや、なんでだっけ……いや思い出したって! そうだよ。なんか痒いなーって思ったんだ。急いでたから、すぐに忘れちゃってたんだけど。多分それで、あまり腹が減った気がしないんだろうなと思ったんだよ」
勇者は聞き間違いかと思いはじめたが、もう一度掘り下げてもらうことにした。
「違う、その痒かったのはどこだ」
「ええっ……乙女の柔肌について聞いちゃう?」
「もういい。鎖骨下の落書きが痒かった。そうだろう」
「なんで分かったの!」
勇者の中にあった、疑問の答えが形になり始めていた。
(特に知りたくも、確信もしたくなかったことだが、仕方あるまい)
諦観に似た気持ちで、空を少しばかり仰ぎ見た。
そしてまたタダノフを見る。
「初めからそう答えていたら、褒美としてこの餌を袋ごと与えるつもりだった。こんな結果になるとはな……本当に、残念だよタダノフ」
「そっそんな! あたしの……えさ」
タダノフは愕然とし、うなだれた。
勇者は全てに興味を失くしたように、嘆く巨体に背を向けると、倉庫へと歩き出していた。
「いつまでぐすぐずしているのだ。これからは妙な見栄をはらないことだ」
「わ、分かったよぅ」
餌をしまって勇者はすぐに戻ってきたわけだが、微妙な顔付きの仲間達も、どうしたもんかと座ったままだった。
それに気付いた勇者が不思議そうな顔を見せ、コリヌが答えた。
「なんと言いますか、なにやら重要そうなお話をしていたような雰囲気があったので、まだ残っているべきかどうかと判断が難しく」
「重要といえば重要なのだが。臨時の増加分として渡した餌も、余ったら返すようにと言い聞かせていたのだよ。他の者には関係ない話だったな。引き止めたようですまなかった」
「そうでしたか。それでは、私達はこれで」
コリヌ達が背を見せると、勇者は既に歩き始めていたノロマを呼び止めた。
「ええっ俺にもなにかお小言なので?」
「聞きたいなら、そうしてやるが」
「間に合ってるでござる!」
怪訝に見ていた行き倒れ君には畑に行くようにと指示し、勇者はタダノフとノロマに向かい合って座りなおした。
「ノロマよ、正直に言え。最近、胸にある落書きに変化はないか」
一瞬、きょとんとしたノロマだが、自慢の呪いについてと分かるや目を輝かせ始めた。
タダノフと違い、ノロマから聞き出すのは楽だろう。余計な説明さえなければだがと、勇者は口の中で呟いた。
「さっきの話を聞いていただろう。タダノフは、餌消費の激しい全力の行動時に、省餌能力が身についたようではないか」
「なるほどっ先程の話はそういうことでしたので! ちなみに落書きではなく、魔術陣円ですからして」
「それでノロマの方はないのかと聞いているのだっ」
「あぁそうですね。それが知りたいですな。特に、そうとは思わなかったのですが、言われてみれば違和感のようなものが」
やはり、はっきりしない。
ノロマはいつもこうだが、そういうことではなく、勇者にも身に覚えのある感覚だったからだ。
「この前は、特に何もないと言っていたと思ったが」
勇者が睨むと、ノロマは首を竦めた。
「だってそうはっきりとは聞かれませんでしたからして。まじないのことについて誤魔化そうなどと、俺が思うはずないですし!」
「ぐぬぅ、小賢しい。それもそうだな」
ノロマの場合は思い出すのが大変なのではないようだが、関連する話に事あるごとに呪いの注釈がつくので、やはり話は長い。
「俺の渾身のまじないの書の鎖を解き放ち、新たに入手した情報をまとめなおしたりしていたのです。普段ならば、検証したりと思考実験を繰り返す内に一晩はかかり、寝落ちして翌晩にやり直しということもままあることなのですよ。それが、その過程が一息に縮められたような感覚がありましたなー」
どうにか聞き終えると、どうやら勇者と同じような感覚を得ていたのだと確かめられた。
「ノロマよ。俺様が貴様のお宅に相談に伺ったのは、まさにそのことだったのだ!」
「ほへぇ、これのことですか。しかし、あの後に起こったのですからして」
ノロマは悦びに、ぎとついた笑みを浮かべているが、勇者は吐き気を催していた。
ノロマの顔にではない。
三人ともが不思議能力を手に入れている。それは、呪いを受けた三人だということがはっきりとしたからだ。
「そんな不可思議なことが、現実に起こりうるとは……」
(くそっ、本当に妙なことが起こるかもしれないなら、不穏な妄想など怖くてできないではないか!)
勇者の不安は、妄想の中で勇者が人知れず世界を救うごっこができなくなることにあった。
「い、いや、違うな。守るのだろう。防御の呪いなのだ。防御の呪いってなんだ……それはさておき、防御に関することならば現実化するのかもしれないが、脅かすものが顕現することはない、うむ!」
「なにやら、自分に言い聞かせている口ぶりですなー」
「……ほうっておいてくれたまへ」
ふぅと息を吐き、勇者は額の冷や汗を拭うふりをした。
「現状の把握はできたな。それでは俺様は畑に行く。解散!」
勇者は走り出した。
まだ畑だけでなく、領内の片づけを兼ねた確認作業もあるのだ。
嵐の影響を調べるためだった。
あちこちに飛ばされていたものを拾い集める嵐の後片付けは、数日に渡った。
飛ばされていた旗も見つけられ、海の道側の標には、今度は飛ばないようにと背後の岩に縄で括り付けなおされていた。
一通り見て周り、勇者は記録として残していく。
翌年にも到来するなら、そういった場所だということだ。
海の道を渡った先辺りの情報があれば早いのだろうが、あいにくと人の住む集落はない。
地道に積み上げていくしかないのだが、そういったことが大好きな勇者は、順調に書類箱を満たしていくのだった。
紙の消費を心配していたことも思い出し、忙しい中だが、紙作りを始めるか、それとももう一度だけは仕入れるかと選択に迫られていた。




