第八十八話 来いよ嵐
「ゆひっゆしゃ、りょふしゅさん!」
勇者達が作業場から戻り、竃周りで晩飯の仕度中、息せき切って駆け込んできたのは釣りさんだった。
いつも海辺をのんびりとぶらついて見えるのだが、こんなに走れるのかと驚く。
しかし息切れの酷さが鍛錬不足を物語っている。
勇者は翻訳するように答えた。
「うむ、確かに俺様が勇者領主さんだが、なにかね」
昼間なら、叫べば畑で作業中の者が伝言をつなげ、麓辺りの者が丘まで走るのだが、あいにくと日が暮れかけて撤収していた。
「ふぅ、こりゃすまなんだ。いや、たいしたことにならんかもしれないが、嵐が来そうだと思ってな」
「台風だって!」
「たっ竜巻ですと!」
「ゆっ雪が降るの?」
告げられたことに驚愕の声が重なる。
釣りさんは大したことにならないかもと思いつつも、念のために焦って走ってきてしまったのだ。
この地では初めて訪れるかもしれない悪天候である。
さらに見立てでは、早くとも明朝には来そうに思えたからだ。
「いやタダノフよ、雪なんか降っても積もっても吹雪いても害はなかろう」
「えっさすがに積もったら害はありそうですが……」
「俺様の故郷は、ほぼ年中雪で埋まっているが畑も普通にあったぞ。芋や麦に、ええと……別の芋とか」
「あの、雪についてはよく分かりました。んで、雪でも竜巻でもなく天気が激しく崩れそうだなぁと、報せに来たんですが」
「おぅすまん。さすがは海の目利きだ。助かるぞ」
海というよりは遠くの空が分厚くどんよりとしていたのだがと、釣りさんが言おうとする前に勇者は動き出していた。
「問題は、強風に大雨か……苗を植え替えたばかりではないか!」
「それに家の方も飛ばされないように対処しませんとな」
さっそく全域に対策をするようにと報せを出した。
「護衛君たち、それぞれ町と村に知らせてくれ。畑の対策に慣れている者がいるだろう。指示は彼らに任せる」
「はっ、すぐに!」
護衛君二人は同時に同じ方向へ行きかけて、ぶつかりながら二手に分かれると走っていった。
それから勇者は、眉間に険しい溝を作った。
海とはなんの御縁もない山奥暮らしが長かったのだ。
ノスロンドには海沿いの町もなかった。
「釣りさんよ、嵐が来るとしたら、海からの被害はどんなことが予想されるかね。あいにくと山育ちで知らんのだ」
「そうですね、大したことはできんと思いますが……」
大波にさらわれる危険があるから近付くなというくらいのものらしい。
「さすがは、図体ばかりでっかく懐の深い海の精霊よ。普段から大人しいせいで、荒ぶりかたすら忘れたか……否、大地の精霊が喰らいつく千本波を食い止めているのか! 普段は我ら人間に立ちはだかる大地の精霊軍との共闘……っうおお燃える! ここは人族最高の武器で立ち向かうしかあるまい!」
よくわからない納得の仕方をした勇者は、困惑している周囲の中にいる、タダノフを指差して叫んだ。
「今こそお前の筋式内燃機関の制限解除の時! 立てよ超軌道戦士タダノフ!」
「また変な文字を人の名前につけてる!」
海の道海岸は、平地の標を立てた辺りが丘のようになっていて、そこから下る段差がそれなりにある。
平地もまったいらというわけではなく、ほんのわずかながら海側へと傾斜があった。
少しくらい荒れても、波の被害はそうないのではないかと思える。
勇者の心配は、海岸の平地側地面が崩れるのではということだった。
「タダノフ用の緊急燃料を使うぞ」
「餌っすね」
行き倒れ君は大量の餌確保のため倉庫へ飛び込んだ。
タダノフには、制限解除といったように人外の働きをしてもらうためだ。
それには通常の倍以上の餌が必要だと学んでいた。
今回は時間もない。これは必要な持ち出しである。
波がまだ穏やかな内に、崩れやすそうな土の段差部分に岩を並べてもらいたいと伝えた。ちょうど日暮れ時だから、潮は引きかけている。
釣りさんには周囲を警戒してもらい、タダノフに撤退の指示をお願いした。
なんせ完全に日が暮れるまで、そう猶予はない。
夢中になったタダノフが、暗くなったことに気付かずに足を滑らせて流され人知れず無人島にたどり着き、実はそこが古代に隠された祠かなんかで、伝説の宝筋を身に付けて大海を素泳ぎで踏破といってよいのかわからないが成し遂げて国に富をもたらし、勇者の仲間とはいえぬ遠い存在に成り果ててしまうかもしれないのだ。
(おや、ならば祝福して流しだしてやるべきか?)
つい妄想に本気で対応しかけたが、勇者は己の野望を思いだした。
人への被害はないとしても、あまり無残に海岸が削られても困るのだ。
勇者は早くも、将来の観光地政策に危機が迫っていると怯えたのだった。
餌袋をタダノフ本人に持たせると、釣りさんと共に海岸へと向かわせた。
「ノロマは、」
「こっちはなんとかしますので、人の多い方を先に対処してくださいな」
珍しくノロマがまともなことを言っていると思ったが、勇者はただ頷いた。
だがノロマは薬の畑などよりも、飯の畑とそれを育てる人々の心配をしただけだった。
「ではコリヌに行き倒れよ、まずは町側の簡易住居の方に向かうぞ」
勇者はでかい籠に腕ほどの太さがある丸太をつめると、それを背負い、二人にも背負わせた。補強用の資材だ。
そして剣を取って走り出した。
村側は、丘の影でもあるし森も囲んでいる。
暴風の影響があるなら開けている平地側だろう。
(さすがは俺様よ。配置変更の際に、できるだけ丘側に住居を移動するよう手配しておいて良かった! しかし、やはり頭に置いておくべきだったな……)
気候がわからないからと、対処が不十分だったことも同時に思いだしていた。
追々に、防風林など植えていこうと決めた。
住民の大半が、家畜を囲っている方や畑の方に出払ってしまっていた。
そのために知らせたのだ。
手が足りない分を補うために、さっそく勇者は住居の対策を始めた。
「杭作りなら任せろぉ!」
勇者は、ものすごい勢いで丸太から杭を剣で器用に削りだしていった。
それを住人達が、簡易住居が吹き飛ばされないようにと、布の端を押さえるのにそれまで使用していた細い杭を抜いて刺しなおし、円錐に組んだ柱のほうには添えて補強していった。
それから森に分け入って、ばさばさと葉の生い茂った枝を伐り出し、雨避けにと縛っていく。
「地面から湧き出した、藻みたいだな……」
「はは、どんだけ降るか分かりませんが、どうにか凌げるでしょう。お陰で日が暮れる前に終えられて助かりました」
勇者は、初めて領主らしい仕事をした気持ちで鼻を高くした。
実際の仕事は嵐の後ではないかと思うのだが、ともかく、次は念のために村へと走った。
はたして、嵐は明け方に訪れていた。
釣りさんの読みは当っていたのだ。
轟々と鳴る風と木板が軋む音に、目覚めた勇者は飛び起きて寝床に正座した。
いつも目が覚めるころに、日は昇りきっておらず暗いままだが、今は分厚い雲が覆っているのだろう。深夜と変わらぬ真っ暗さである。
砂粒を巨大な桶から投げつけられたように、雨が叩きつける音は激しさを増す。
そんな城の中、薄暗い天井を見上げながら、勇者は一心に祈っていた。
(屋根が飛びませんように。屋根がはがれませんように。屋根が穴だらけになりませんように。屋根が……)
火は灯していないし真っ暗のはずなのだが、薄暗いということは光があるのだ。
光源は、勇者のうなじだった。
しかし超集中していた勇者は、やはり気が付いていなかった。
最も酷い雨に風は昼頃までで、それから徐々に威力は弱まった。
小雨となった午後から、流れた畝を整えなおしたり、畑の片付けなどに追われた。
種を蒔いたばかりで良かったのかもしれない。
植え替えたばかりの苗はどうしようもないが、覆いをしようにも今は布も足りなかったのだ。
「すまぬお城ちゃん、また植え直しかもしれんな……出来れば持ち直してくれますように」
倒れたりしたものもあったが、幸いなことに、飛ばされていったりはしていない。
こういったことの繰り返しなのだなと、開拓事業の厳しさを、初めて目の当たりにし気持ちを引き締めなおす勇者だった。
念のために嵐が去った翌朝に、海岸を見た勇者は吠えた。
「タダノフぅ! 誰がこんな山盛りでうずたかく聳える岩城塞を作れと言ったのだ!」
「叫ばなくても聞こえるよぅ。だって丈夫にっていうからさ……」
素敵な景色に和やかな気持ちとなる前に、恐怖を撒き散らすところだ。
タダノフの文句の声に力がないのも、晴れ晴れとした中で見ると異様な存在感を放っていたのが分かったからだ。
潮が引いてから、改めて道側から見る。
(ぬ、ちょっとばかり格好良くはないかね。少年心をくすぐるというか……はっいかん、観光客を限定するような趣向は別の場所で行なうべきなのだ。こんな表玄関には相応しくない!)
「し、しかしだね、きちんとした防波堤があるというのは、安心にも繋がるかもしれないというかだね」
「はっきり言ってよ。どうすりゃいいのさ」
「今後も考えれば、残しておいてもよかろう。しかしこんな風にゴツゴツと聳え立つのではなく、上の飛び出た部分は削るなりして高さを下げてくれるかね。上を歩けるようにな。じょ城壁っぽくとか」
「城壁って壁? よく分かんないけど真っ直ぐ平にすればいいの。よっしゃ」
そうして海岸沿いの補強は終了した。
だが、海の見通しが悪いのもなということで、結局は平地側と大した段差はなく、腰掛けられる程度の高さに留めた。
「釣りさんは喜んで座って、さっそく釣ってるし、これで良かったのだ……」
城へ戻りながら、妄想が迸る。
(そうさ、城壁といえば、やはり砦の周囲にあるのが格好いいものだろう。そのうち、壮大なやつをお城ちゃんの装備品に加えたいものだ)
今回の嵐について、ご意見でも調査して回ろうかと紙束を取り出した勇者は、はっとして立ち止まった。
雪深い故郷で育つ作物に、芋と麦しかないようなことを言ってしまったことだ。
豆もあったと思い出したのだ。
しまったと己の額をぺちんと叩くのだが、どうでもいい問題点だった。