第八十六話 呼応
「なにを言うか、このとーへんぼくが」
「わっ私が倒辺木ですとぉ!」
倒辺木――とうへんぼくとは、荒野のどこにでも見かける、その辺に倒れ朽ちた木片のように当たり前で価値がなく、何の変哲もない様を指す。
それが時を経て人へ向けられると侮蔑を含む言葉となったが、深刻な罵りではなく、やや滑稽な言い回しである。
「私が、取るに足りない人間とおっしゃるか……いくら勇者といえど、ちょっぴり失礼ですぞ!」
長いこと平穏な領地の領主として敬われてきたコリヌだ。
子供の悪口を良い歳になって投げかけられることに、悔しさを露にしていた。
「ふふははは! 嘆けよコリヌぅ、これが現実だとも。俺様、この勇者こそがっ、この地においては法と秩序そのものである!」
またしても訳の分からないやり取りをおっ始めたのは、これまたいつものごとく些細な切欠だった。
公式に、と言ってよいのか微妙なところだが、コリヌから領地を接収した勇者は、ちょっとした改編を伝えたのだ。
丘の上の領地の配分が不均衡に過ぎるので、タダノフ領に元コリヌ領を組み込もうという腹である。
なんせタダノフ領は、本人が管理しきれないからと、お金持ちが住む庭付き一戸建てといった敷地でしかない。
人生の相棒となる予定の二人なのだからと、タダノフとコリヌの領境を接しておいたのだ。
コリヌが心折るのを気長に待っている余裕は、今の勇者にはない。
ぶっちゃけ面倒だから、統合しておいてほしいのである。
とはいえ書面上のことであり、生活は今までの通りにしていれば良い。
だというのに、なにやらコリヌは泣きべそをかきながら小さなこだわりを懸命に勇者へと伝えているのだ。
「なんと小っさいのだコリヌよ。そんな男とは思わなかったぞ。俺様の買いかぶりであったか」
「小っさくなどないです! 私の平穏無事な暮らしがかかっているのっ!」
「だから、今までの暮らしと何の変わりもないと言っているではないかね」
勇者だけでなく、他の者にとっても小さなこだわりだが、コリヌにとっては大きな違いであった。
この領境の腺は、心の防波堤なのだと決めていたのだ。
「この腺越えたら死亡な。はいコリヌ死んだ! 今死んだよ!」
「うえぇん、いきなり押すなんてずるいよぉー」
そんな忌々しい少年時代の遊びを思い出していたのだ。
(今度こそ、死線を越えずにいてみせますぞ!)
そう思っていたことが、あっさりと覆りそうに追い詰められていたのだ。
「護衛君たちも、毎度のごときタダノフの襲撃に怯える生活は嫌だろうし」
「なんとありがたいお言葉! しかし良い鍛錬となっております!」
「なんだ、そんなことで喜ぶ趣味があったのかね……まあ構わないが」
「なんとっそこはかとなく侮辱された感じ!」
勇者と護衛君達のおかしな会話も、コリヌの耳には届いていなかった。
地面に伏せて、さめざめと嘆く姿を、誰も気にかけている様子はない。
そもそも嘆いているのは諦めたからだ。
そっとしておこうというわけで、それぞれ一目散に仕事場へと駆けていった。
勇者畑では激戦が繰り広げられていた。
「この勇者を追い詰めるとは……だが、それを力と呼ぶのはまだ早い。いいだろう。見せてやるよ、何が本当の力ってやつかをな!」
久しぶりにがっちがちの地面と巡り合い、勇者は喜びに興奮してしまったのだ。
そんな勇者と距離を取って、隅で作業を進める行き倒れ君は、なんでこんな端まで声が届くのかと頭が痛かった。
自称勇者といえど、勇者を名乗るからには平穏を望まなくてよいのだろうか。
常に己の暗黒面を景色に映し出しては、戦いを繰り広げているが、本当は戦闘狂ではないか。
そんな風に心でぼやく行き倒れ君の背後で、勇者は今日も戦い続けるのだ。
勇者の喜びを増したのは、今朝のコリヌの件もあった。
コリヌから領主証書を受け取り、確かに委譲の意志を確認したからだ。
勇者は、この地に宿った全ての領主能力使いの力を奪い取ったはずだった。
領地統一なんて言っていたのだ。
しかし、未だタダノフ領とノロマ領は健在である。
今のところは誰も突っ込んでこないのは、事実上の指揮者が勇者であることは明白だからだ。
タダノフは難しいことを考えられないし、ノロマは人に指示する側の責任を負うなど真っ平御免なのである。
領地と領主身分はそのままということにしているが、自治管理の権限は譲渡してもらっているのだ。
以前に勇者がマグラブ領で見たと語ったような、開発地域を治める権限を与えた、便宜上の管理者としての領主身分である。
なぜ、この新天地でそんなややこしいことをしているのかといえば、勇者にとって二人は、旅の仲間だったからである。
子分のような扱いをしているようだが、勇者と同等の能力を有する者達であると、完全に認めているのだ。
そんな気分で決めている。
コリヌに細かいこだわりというならば、これこそがそうではないかと思える。
一応、理由はそれだけではない。
勇者は、孤独を怖れたのだ。
(優れた指導者とは、人に敬われ囲まれようとも、遠巻きの彼らとは仲間になどなれないものなのだよ……ふふっ辛いことだな)
そんな心配は未来永劫の先にあるのではないかなどと、勇者は考えていない。
「勇者とは自ずと輝き光を作る者! 闇を作る側であり、闇そのものにはなれないのだ、よっ!」
掛け声と共に跳躍し、空中で仰け反るように振り上げた鍬のようなものを、全体重と勢いを乗せて地面へと振り下ろした。
(そうさ俺様は勇者だ。闇落ちは許されざるよ……ぐぬ、腕が、しびれる)
念のために、ただ寂しがりやなだけではないと、さらなる言い訳めいたことを心で紡ぐ。
勇者は、自分がいない場合に何かがおきても、他にも領主がいれば領民たちは安心できるのではないかと考えた。去ることになるかもしれないと思い始めてからは、より一層だ。
タダノフは、力仕事でいざというときに頼りになると知らしめているし、多くを考えるのは苦手でも、訓練をつけることに限れば指導もできるのだ。
ノロマは、病や怪我の心配があったときに、ここには医術師さんがいるという安心となっている。ノロマ本人は嫌がるだろうが。
そこに、今は領主代理の任を預かったコリヌがいれば、運営にも心配はない。
(俺様の考え出した、安全対策機構は完璧ではないかね)
大領主である勇者が解任となれば、代理が繰り上がるのではと思うが、これは中央から代わりが送られてきた場合を考えたのだ。
実際に何が起こるかは、そのときにならなければ分からない。
だが、コリヌが領民の代表として新たな領主と話すことになるのだから、まずは民の動揺を落ち着かせるように指示を受けるだろう。
タダノフとノロマの領主証明も返還させるだろうが、コリヌら三人を中心に、自然と領民はまとまるのではないかと思うのだ。
領主証明の返還。
それが、二人を領主として残す大きな理由である。
友達いないと寂しいからというほうが個人的には大きな理由だが、対外的にはこちらの理由を言うほうがよかろうと姑息思考が導き出したのだ。
それは、中央主催の「領主になろう」企画であった景品を、どう扱うつもりか、その動きを見るためであった。
実際の指揮者である勇者を犯罪者に仕立て上げ、せっかくの企画なのにこんな結果になって残念ですと、さも仕方なく追い出すつもりではないかと考えている。
単純に一味だったのだろうと罰するとしても、勇者は首謀者だから最も重い罪を着せられるが、他の二人をどうするだろうか。
単に領主身分を剥奪すればよいならば、一領民として暮らせるだろう。
しかし理由があろうとも、領主が全ていなくなるのなら、企画としては失敗の評が立つことは避けられない。現在の領民からの信頼度も低下することになる。
遠い土地のことだし、理由もあるならとそんな評判は無視するかもしれない。
だが、少しでも姑息さがあるならば、代理のコリヌを繰り上げて領主にするのではとも思えた。それで多少は、不信を緩和できるはずだ。
勇者一味だと見られることは仕方がないが、そのために勇者はコリヌから領主身分を取り上げたのだ。
代理を任せられたのは、あくまで元領主の経験を買われたからであり、一味の中では身分が低かったのだから強要されていただけとでも理由はつけられる。
少なくとも、領民を増やして先住者との割合が変化するまでは有効な手だろう。
勇者としては、あくまでも希望だが、最悪の状況が訪れたならば、そうなることを望んでいた。
口車に乗っただけではないだろうが、勇者がコリヌの移住の切欠を作ったのは確かだ。
こんな罠が張りめぐらされている状況を考えもしなかったからだが、そこは気になっていたのだ。
「はぅっ! もっもちろん、お城ちゃんと生涯を共にすることが第一だとも。今のは念のための策なのだ。勇者うそつかない。信じてくれお城ちゃんんっ!」
勇者は城がある方を向いて叫んでいた。
そんな気持ちが通じたのかは分からないが、勇者のうなじの模様に、応えるような脈動が起こった。
だが、必死に言い訳を叫んでいた勇者は気が付かなかった。




