第八十四話 人的資本
勇者は住宅事情を憂慮していた。
これまでの数ヶ月の気候に未だ変動はない。
しかし寒がりの南方出身の者に言わせれば、徐々に肌寒くなっているそうだ。
冷気耐性を持たぬ種族には、辛いことだろう。
かといって、あまり防寒にこだわっても、この周辺の気候がこうなのだから多少は慣れてもらわねばなるまい。
そういった寒暖についてもだが、雨量の少なさも気になり始めていた。
小雨は降ることはあるのだが、どしゃ降りの日は体験していない。
布を張った簡易住居に、上から板やら枝葉で覆った程度で防げている。
嵐もなく現在は非常に助かっているが、畑はこれで大丈夫なのかと思わないでもない。
雨アラレなど急に訪れるものだが、全体が乾いたような景色だったのを思えば、もともとこういった気候なのだろう。
そんな心配を頭の隅に置いたまま、勇者はセントラル畑二号地へとやってきた。
小脇に抱えていた鍬もどきを両手で掴みなおし、地面の一点を睨んだ。
一日の作業の終わりに、ここまでという目印で小枝を刺しているのだ。
目標を定めると、鍬へと力を送り込む。
「ひらけ――精霊門」
勇者が呟いた途端、背後の遥か頭上に、重厚な門が現れた。
門は勇者を見下ろすように傾いで、扉を開く。
降り注ぐのは、夥しい金色の光の洪水。
その、どばしゃあぁっと落ちてくる力の源を全身で受け止める。
「はははははっなんとも素敵な妄想ではないかね。本当に力が沸いたようだ」
もちろん勇者が仕事前に行なう妄想の儀式だ。
力は気からである。楽しい妄想で気分を盛り上げで、作業効率を上げる狙いだ。
一つ、今までと違った点がある。
これは、いつも小心者能力を使用する際に行なう、集中する切欠作りと同じことだ。力みなぎる妄想をすると、実際にあのやたら冴え渡る感覚が体に満ちていた。
ずっと気のせいと思いこんできたが、ノロマにとはいえ他人に話してしまったのでは、受け入れるしかないと覚悟を決めたのだ。
そこで、たった今、仕事に活かしてみようと思い立ったというわけだった。
しかしそれも、一人で作業をするときだけがいいだろうと思っている。
早く耕してしまいたいのは本当なのだ。
勇者畑二号地は、完全に独力で進めるつもりはなかった。
一人で耕し続けてはいるが、その圧倒的な馬力に手伝おうとした誰もが口を出せなかったのだ。
耕した場所から畑用に土を改善すべく、お野菜召喚者を配していた。
土の力場へ体の内に蓄えた育成力を注ぎ、作物と契約し実体化する者達だ。
勇者がそう呼ぶと戸惑いのさざなみが湧き起こったが、「たぶん役職名だんべ?」という発言のもとに場は治まった。
彼らは今も隅の畑から、猛烈な勢いで土と汗を振りまいている勇者を遠目に見ていた。
「あいかわらず、勇者領主さんの鍬捌きはすごいもんだのう」
「みろ、今日は残像しか見えんぞ。あれにゃついていけんわな」
そんな会話をしつつ、お野菜召喚者達は仕事に励むのだ。
そんな勇者は、頭の隅で住宅事情について考えかけていたが、あえなく中断し、ノロマ池のことへとあっさり移行した。
なんとなくで、水場から溝を掘り、ため池まで繋げようなどと考えていた。
やめたのは排水が大問題だと考えたからだ。
せっかく掘ったから水を湛えてみたが、そう大きくはなく、あれくらいなら蒸発もするだろうし問題ないだろう。
ただ、毎回水を運ぶなら結局は何も変わらないし、地盤が緩むのではとか、汚泥から悪臭や虫が涌いたりするのではといった心配はあるままだ。
そこで、ぼんやりと水路を掘ろうとしていたのだが、水源周辺のように岩盤だけではない。土を固めた程度の溝など、すぐに崩れるだろう。
水場の排水には、石の破片を幾層かに重ねて固めただけだが、あれは丘の上に広がらずに平地側の滝壺まで流せれば、後は自然が作った流れだ。
(石を切り出して溝を補強するか。うぅむ大仕事だ。堰を設ける必要もあるだろうし。そういえば町に採掘さんや鍛冶さんがいたな。水門を作るに良さそうな鉱物があるか聞いてみるか……いやいやまだまだそんな事を手がける段階ではないな!)
小さな取っ掛かりから、次々と思考が逸れてしまう。
勇者はノロマ池だけでなく、丘の上をぐるっと、各城砦を囲むような水路を作ると便利かと考えたのだ。普段は門を閉じておき、時折循環させれば、ノロマ池が腐る心配もないだろうと思ったからだ。
ただ、新たな滝もそこまで水量はないし、うまく流れるかと言った問題もある。
お城ちゃんの背後と勇者畑の狭間を通せれば、それこそ畑の管理は効率がよくなるだろう。
食事も洗濯にも、便所穴の側に置いてある手洗い用の水樽を満たすのも楽になる。
(俺様はいいが、お婆ちゃんには大変だろうな。いつになるかは分からないが、地質くらいは調べておいてもらおうではないか!)
そのうちと言いつつ、準備には即行動の勇者である。
考えがいったんまとまると、つい手が止まりかけ、もう一度気合を入れなおす。
次の妄想は何にしようかと思いかけて、畑という現実が迫り来るのを避けることはできなかった。
役人が二度目に提示したものは無視して、農地の五割の作物を納める予定で動いているわけだが、その他の部分について考えていた。
例えば山羊さんからは毛や乳などを、畑持ちの作物と交換した上で払えと言っていた。
(薬を売り物にしようとは思ったが、あの薬草園も課税されるのだろうな)
正しくは、薬草園に確保した広さ分の作物でだ。
出来た商品や売り上げから何割を渡せと言われることはない。
それは通常、領主が徴収するものらしかった。
大した知識のなかった勇者だが、国の制度などについて少しずつコリヌから習ったりしていたのだ。
中央に納める名目は、敵が攻めてきた場合に兵を出して領地の防衛に当たってもらうというものだ。だから、領地の維持に見合った生活必需品を納める取り決めなのだとか。
連合国は国といっても、元々が弱小部族同士の互助組織だ。
あらたに開発した地域を組み込んで作り上げた、ノスロンド王国のような形の方が珍しい。
そして、この新大陸は、彼らのどの国とも直接に関係はしない。
完全に一から始まる自治領は、初のことだった。
(もし中央が牽制したいのだとしたら、理由はその辺りかね)
船で渡ることすらできない海で隔てられた場所だ。
どこかが襲ってくるといったって、原住民は見かけない。もし襲われたとしても、中央が合議を経て、こんな離れた場所まで出兵にこぎつけるのは、争いが収束してからとなりそうだ。
ずばり言うなれば、移住者には税を納める理由がない。
中央も、こんな場所を守るなど利益に見合わないはずだ。
陸続きで国境を接す砂漠側とは、条件が違いすぎるのだ。
初めは制裁されるだろうかと頭を過ぎっていたが、小さな町ほどの住人もいないのに、圧倒するための兵を送り込むなど無駄に思える。
とはいえ、役人はこちらの正確な規模を把握している。
制圧部隊程度ならば、送りはするだろう。
従来の決まりごとを守るための体裁もある。
それにあの役人は、実際に護衛団を率いていたのだ。
しかしその体裁も、完全に連合国の庇護から抜けると宣言すれば別だ。
(もし本当に独立したところで、中央が全力で阻止することはないだろうと思えるのだが……)
過去に、連合してからの内部での争いは噂程度でも聞いたことがない。
軋轢がないということはないだろうが、うまいこと外敵へと逸らしているのかもしれなかった。
中央は普段から、各国とは密に連携している。
商売人ばかりで運営されている国々だから、販路を守るためという、都合がよくもまた重要な理由がある。
勇者は地面に鍬をめりこませたまま、しゃがみこんだ。
柄を両腕で掴み、柄の先端には顎を乗せる。
つい考え込んでしまったのだ。
休憩がてらだから、怠けているのではないと自身に言い訳してから、この地の先行きや幾つかの選択肢について改めて考えた。
中央がこんなところまで、兵を出すかもしれない理由と、そうしないだろうと思う理由だ。
一から始まるとはいえ、領民という資源は連合国内から生じたものだ。
それぞれを育んだのは各国の自治体である。
そこから自分自身を持ち出したわけだ。
すんなりと移住の行動が進められたのも、中央主催だったからに他ならない。
そういった後ろ盾がなく、果たして現在の住人達は、国外どころか未知の新大陸への移住を試みただろうか。
確実に人跡未踏かどうかも分からなかった場所だ。
もし原住民がいたならば、移住に押し寄せる人間と争うことになっていたかもしれなかった。
砂漠側との争いに中央は頭を痛めているという噂が本当ならば、それこそ海の道を封鎖する兵が派遣されていてもおかしくはなかったのだ。
「まさか人がいないのを知っていたとか……いやそれはないな。道がなかったし、船でも渡れないのだ……」
知りようもないことを考えても無駄だと毎度思いつつも、考え事の流れは必ず中央へと行き着く。
勇者は、はっとして体を起こした。
今し方に己が考えていたことは、敬意を欠いているように思えたのだ。
(おおぅ俺様ったら大きく出たな。どっ独立だって恥ずかしいことを! ふっ……合理性を突き詰めすぎるせいで、現実に即した考えから飛び越えすぎてしまったようだ)
顔を顰めてしまったのは、顎に丸くへこみができて痛かったからだ。
勇者は顎をさすりつつ、思考休憩を終えると再び鍬を振り上げた。




