第八話 築城
「戻ったぞコリヌ。そちらの守備はどうだ」
一日ぶりに戻った勇者の丘は、変わらず藪がわっさわっさしているだけで、ごく平和であった。
「おお勇者よ、よくぞご無事で」
まだ昼間だというのに、コリヌは欠伸しながら答えた。
「これは失礼。護衛達と夜更かしして、ちょっとばかりフィーバーしすぎましてな」
何の暗喩かは分からないが、コリヌはそんなことを言って荷物をがさごそやりはじめた。
どっこいしょと道具袋を取り出して、あれこれ並べている。
「どうされました、勇者よ。そんなにじっと見つめて」
「いや、何か取り出しているから、俺様に見せるものでもあるのかと」
「おお、これは紛らわしい行動をしてしまいましたな。次に必要なものの確認をしていただけですよ。はっはっ」
護衛達が、藪を切り払って活動場所を広げ、その辺の低木を伐採して積み上げていた。
コリヌ砦は、着々と人の住む土地らしい体裁を整えている。
勇者は物欲しげに指を咥えた。
(いかん、妬み嫉みなどで、心を曇らせては駄目だ!)
勇者は振り向くと、気合を込めて叫んだ。
「タダノフ、ノロマ! 次は我らの寝床の確保だぞ!」
打てば響くような返答が、二人の口をついてでる。
「餌にしようよお」
「ソレス殿、少しは休みませんので?」
気合十分だ。
勇者は保存食をタダノフへ投げると、懐から書付帳を取り出した。
念入りに歩数を数えて地図を作っておいたのだ。
「今から場所を精査するのでな、ノロマは座って休んでおれ」
「わーい」
「わーい」
諸手を上げて喜ぶ二人を背に、勇者は黙考する。
(やはり海まで遠く見渡せる、あの岩場辺りが良かろう。あ、滑落したら嫌だし、ちょっと内側かな?)
希望に胸と鼻をふくらませ、辺りをギョロつく勇者は、完全な不審者だ。
だが幸いにも、不安に陥らせてしまうような、不幸な通りすがりの人間などいない。
勇者は心置きなく妄想に身を委ねた。
しばらく勇者は、鼻息も荒く徘徊していた。
やがて軽い足取りを突然止めると、満面の笑顔だけで、ぐるんと振り返る。
(怖いから)
(せめて人らしくできないので?)
ぼけっと気が緩んでいたタダノフとノロマには不意打ちだった。
彼らの心情を他所に、勇者は鼻高々で宣言する。
「うむ。なんか海もそれとなく見えるし、この辺の盛った場所にしようか!」
入念に調べていた割に、その物言いは曖昧なものであった。
ついついノロマは余計な言葉を交えてしまう。
「また適当なことを。ですが、今回ばかりは賛同できます、かな。まあ、悪くない場所だと、いやどちらかというと最高の場所ではありますが……」
「お前さ、毎回今回ばかりとか言ってるよね。素直に賛同してあげりゃいいのに」
タダノフはノロマに突っ込みを入れた。
「キッ! ひと睨みに値する」
「一々きもいんだよてめえは」
勇者は、また苦い想いがこみ上げてくるのを感じていた。
二人はいつも楽しそうにじゃれあっているように見える。
ぼっち感が、むくむくと膨れ上がり、勇者の善性を蝕み始めた。
(はっ、この闇に呑まれてはいけないいぃ! 俺様は、勇者なのだ!)
「ほらぁまた、ソレスがものすごーく面倒臭い顔してるじゃないか。そこんところ考えてよ」
「そうですね。後でどんな嫌がらせを喰らうことか……」
「フ、フフ……いいのだよ。タダノフ、ノロマ。勇者とは孤独なものなんだ。自力救済の鉄の意志がなければ務まらない大役を背負った身の上なのだ……」
「ああほら、言ってるそばから! ノロマっなんとか誤魔化せ!」
「わ、わかりました」
ノロマは常に持ち歩いている、巨大な黒い本の鎖を解き放つ。ぱらぱらと捲り、ある頁で指を止めた。
「それ、本当に本だったんだな」
勇者は正気を取り戻した。
ノロマが脇に抱えた本が開かれたのを、未だかって勇者は目にしたことがなかった。
ずっと鈍器だと思っていたのだ。
「もちろんですとも。そうそうソレス殿の為に、幸運が舞い込む呪いを見つけましたよ」
「ええっほんと?」
勇者は嬉しそうに顔を輝かせた。
暗雲は去った。
ノロマは疲れていたが、口には出さない。
「しかし、呪いには興味がないのかと思ってました」
「はっはっは。興味はあるが、とんと訳が分からないだけだ。奥深いものだと、耳タコで聞かされたではないか」
「それもそうでした。なんにせよ時間がかかるものゆえ、まずは雨露をしのげる寝床を確保しましょう」
「ようやく働く気になってくれて、勇者嬉しいぞ」
そんな風に、闇落ちしかけた勇者をノロマが身を挺して食い止めたりとの壮大なアクシデントもあったが、繊細な問題である場所決めにも終止符が打たれた。
「おぉいノロマ、手を貸せ。こいつを運ぶぞ。タダノフ、その辺の木ばっさり伐採頼む」
「あいよー」
「コリヌその他君らが、簡単な大工仕事もこなせるそうだからな。遠慮なく手を借りるぞ」
「大したことは出来ませんが、お任せください」
コリヌ砦の整地作業を邪魔する勇者。
決して先を越されるのが悔しいとか、抜け駆けは許さんとか、そんな理由ではないのだと自身に言い聞かせ、疚しい気持ちに胸をいためる勇者だった。
家があった方が良いのは本当だし、せめて早く建ててしまおうと精を出した。
「急場しのぎだ、粗雑で構わん。仮住まいだからな。あっ支柱だけは太めの四本を深めに刺してね!」
(なんせ、どんな気候の地帯か分からぬからな)
ぎこぎこぎこ、ががががが、ぎゃりるりりりっ、きゅぃーん、かんかんかん。
そんな音は、日が沈みきるまで続いた。
「で、で、できたあああっ!」
一同が並び、汗にまみれた顔をほころばせた。
適当に作った、べこぼこに歪な小屋が、目前にそそり立っていた。
というほどの大きさはない。
それどころか、屋根まで勇者の背ほどしかない。
「ぅがぐう!」
「いだっ」
「せまああっ」
扉は背をかがめてくぐらなければならないが、目測を誤り、誰もが頭を打った。
「まあ、とりあえず雨風凌ぐのに急いで建てましたから。これでお許しを。追々整えていけば良いでしょう!」
コリヌは冷や汗を垂らして、慰めるようにそう言ったのだが、振り向くと勇者は泣いていた。
「や、屋根が、ある……家」
勇者は目から滝のように涙を流していた。男泣きだ。
ずっ友に裏切られたとか、そんな女々しい涙ではないから特に隠さない。
「いや普通は屋根くらいあるじゃん……」
「俺様の家は洞穴だった。屋根はない。屋根とは呼べない。普通、一般、当たり前に屋根があると思うなよ!」
「わ、分かったから唾飛ばすな!」
野垂れ死にかけていたタダノフに、お家の普通を語られる言われはないと憤慨する勇者だった。
(洞穴住まいって、本当だったのか……)
笑ってしまったことを思い出し、またも冷や汗を垂らすコリヌだった。
勇者はそっと、外へ出ると、余った木材を手に取った。
正座して、その平たい板切れを膝の上に乗せると、懐から木炭を取り出す。
そして徐に、板の上で手を動かした。
「ここは、『ノンビエゼ王様の城』……っと」
いつの間にか、固唾を呑んで背後から覗き込む、垣根が出来ていた。
勇者は、彫刻刀を手に、名前を刻み始める。
「あああーなんかずるくねえ?」
「ふむ。タダノフ殿の言う通りですよ。皆それぞれ城を持てばいかがで? べ、別に羨ましいとかじゃないですよ? ソレス殿よりよっぽど年上で城を持つに相応しいのは、俺ですし?」
勇者は板切れを大事そうに胸に抱えて、微笑んだ。
「ははっ笑かすなノロマ」
「ノオおぉぉぉ!」
試しに言ってみたノロマの野望は、一瞬で打ち砕かれた――かに思えた。
「作ればいいじゃんいいじゃん」
タダノフの語尾が乗り移った勇者は、お気楽に答えていた。
勇者は物欲しがりだが、独り占めしたい欲はあまりない。
自分が手に入れられたら、それだけで満足なのだ。
しかも今は正に、勇者人生の最高潮だ。
大抵の我侭でも許せる気分でいた。
(俺様が幸せで、命拾いしたな、ノロマよ)
「よっしゃ! じゃ、あたしも!」
「やあ、どんな城にするか楽しみですなあタダノフ殿!」
「五重の餌置き場作るよ!」
「耐荷重に問題が起こりそうですな……」
「あんたは一々水を差すな!」
「はっはっは」
楽しげに夜が更けていく、勇者城であった。