第七十九話 変身
日が傾き、夕日が赤々とお城ちゃんの全身を染め上げていく。
(なんたる癒し。恥じらうようなお城ちゃんの艶やかな姿が胸に沁みる)
勇者は両腕を組んでふんぞり返り、その姿をにこにこと眺めていた。
「心配させたかね? ふふ、案ずるな、お城ちゃん。今朝は皆を、あのように欺きはしたが、俺様はお城ちゃんを諦めたわけではないのだ」
そう言って勇者は、手にしていたそこらで千切りとってきた草花を、表札と壁の隙間に差し込んだ。
その花は、厚みのある指先ほどの大きさの白い花弁が三枚ならんでいるが、それを覆い隠すように中心から飛び出た数本の柱は茶色がかった黄色で、粒々とした表面から粉を吹いている。
その粒々の合間から、ほつれた繊維のような毛がもっさりと伸び、遠目には毛虫が這っているようであった。
うっとりする勇者の背後で、竃を囲んでいたコリヌ達は呟いていた。
「なんとも気持ちの悪い花ですな……」
勇者にとって、花はなんでも花だった。
本当に城がおなごであれば、叩き付けられていたことだろう。
「それより……聞き捨てならないことが聞こえたっす」
行き倒れ君たちは、欺かれてたのかよとも呟いていた。
しかし勇者は、お城ちゃんのご機嫌取りをしているだけだった。
長引いた朝食会議にて、多くのことが語られすぎた。
勇者から聞いたことを受け止め、作業しながらも、それぞれが自身に出来ることなどについて思い巡らせていた。
頭が餌に寄生されているとしか思えない考え事が苦手なタダノフでさえ、餌御殿の未来を守るために、知恵を絞っていたのである。
しかしながら、勇者が考えすぎても手をこまねいているしかないのと同じく、考え事の材料である情報が乏しいのだ。
その中でも、勇者は定期便を利用して情報が得られないかと思いついたのだが、結局はそれ以上に出来ることはない。
コリヌだけは、勇者の代わりに外へ出て、一度マグラブ領に戻ってみようかと考えてはいた。
各々が何かしら考えに沈んいるようで、その晩は日が暮れきる前に解散となった。
日は暮れたが、月が明るかった。
勇者は竃側に木台を移動し寝転がる。
闇の褥に浮かび上がる妖艶なお城ちゃんを眺めつつ、今もある感覚の変化について思いめぐらせた。
(ここのところ特に、頭が冴え、体の切れも良い)
元より潜在的な能力に恵まれていたのだから、さらに成長したならば当然なのかもしれない。
しかしこうも、全身の隅々までの感覚を把握できるようになるものなのか。
時に、風と共に髪を撫でる、羽虫の感覚すらつかめてしまう。
髪自体に触覚などあるまい。
ごく僅かな羽虫がつかまった毛にかけられた重量を、毛根から感じ取っているのだ!
あまりに鋭く磨かれた感覚だった。
「ふっ、俺様に触れれば切れるのぜ」
勇者の身体能力の高さは、才能だけではない。
種族特性なのか、故郷の者は体が麓の者より大きめで頑丈なようではあるのだが、厳しい山に住む環境から得られたものが多い。
人が横ばいになってようやく通り抜けられる山道で、雪に足を取られて滑り落ちそうになること数知れず。
さらに鍛えた後は、面倒とばかりに崖を上り下りしてきた。
まさに、瀕死になりながら身に付けてきたものだ。
無論、そんなことをするのは勇者だけだし、他の者は近道だからといってそんな危ない道は通らない。
そこに加えて、完徹能力や小心者能力と呼んではいるが、ただのど根性による並外れた集中力に目覚めた。
そして、その集中力があったからこそ、タダノフ式訓練を乗り越えた。
タダノフの手下君達は基礎の体作りまでだが、勇者は渦流れ流を正しく自分のものとしたのだ。
それにより、体内に巡る力の入れ具合というか流れを捉え、効率よく放出できるようになった。
お陰で、適当な石コロを棒に括りつけた鍬もどきを使おうと、開墾作業が捗るのだ。
そうやって長いこと地道に体を鍛えてきたが、近頃は何かが違うとは気が付いていた。
あれやこれやと妄想したり被害妄想に陥ったり妄執の念に駆られたりして穿った推論を重ねる勇者だが、なぜか己のことには疎い。
例えば歯が異様な光の屈折を誇ることを、笑顔が眩しいだけと信じていることだとかだ。
歯が光る理由は大したことではない。山で遭難していた商人を助けたら、お礼に商品の中から最も高価な品だという、謎の白く粉っぽい液体を渡されたのだ。
それは南方の国から仕入れたもので、歯を丈夫にする金属の液体だと商人は話した。
「使い心地はどうかね?」
「ふぇっ? いえ、しょ商売の種ですから、自分ではとても試す勇気な……ごほん。客の間では評判の品でして、はい!」
なんとも怪しかったが、医術師などいない村だ。
他の者は遠慮したが、大変魅惑的であり勇者はそれを塗ってしまった。
その後一週間ほどは口の中が腫れて食事に苦労したが、文句を言おうにも商人を送り出した後だった。
しかし腫れが引いた後には、不自然に白くつやつやに、コーティングされてしまった歯が残されていたのだった。
ともかく、そこまで鈍感であっても、気が付かないではいられないほどに違和感は大きくなっていった。
その歯の輝きにしろ、今までよりも増していっているように思えるのだ。
視力も悪くはなかったが、来たばかりのときよりも、やけにすっきりと平地を見渡せる。
出来なかったことが、突然に出来るようになったというようなことはないが、身についたものが洗練され、威力を高められている。
そう言い切れるほどに、自覚がある。
普段から、大地を割って地底から黒々とした体躯の魔の軍勢が溶岩と共になだれこむだとか、天を割き「我こそは正義」などと抜かす神聖傲慢帝国の使者が山のような雷をもって地表に張り付く醜悪な人の子という穢れた蛆虫を薙ぎ払うだとかの仮想敵と、人類最強の勇者が一騎当無限大な戦いを繰り広げて人知れず世界を救うだとかの妄想をしていたとしても。
そんな勇者でも、現実に不可思議な現象が身に起これば、何かの病気だろうかと不安に思い、怖いから深く考えないでおこうと思う程度には、残念だった。
「そうだとも、皆がそれぞれに死力を尽くしているのだ。色々と俺様にお得な感じなのも、頑張りが実っているのだよ。不可思議な、呪いのようなことなど何もな……のろい」
勇者は雷に打たれたように、固まっていた。
そして、木台から飛び起きると足元を見た。
「いやまさか……地面の落書きも、もうさっぱりないし」
己の足元から、ゆっくりと周囲へと視線を移す。
「そういえば、夜目も利くようになっている、気がする。気のせいだろうが、目の筋肉も鍛えられたのかもしれん……鍛えられるかね、目の筋肉」
支離滅裂な言葉を呟きながら、勇者はゆっくりと岩場へと歩いた。
日中とは違い、冷えた空気が吹き降ろす風を作り、背を押す。
だが、岩場を踏みしめる足元に危な気はない。
そこで腰に両腕を添え、暗くて見えるはずのない海を見つめる。
当たり前だが、何も見えない。
しかし、海がある辺り――恐らく海の道海岸沿いから向こうは、ことさらに真っ暗だった。
逆に言えば、暗くはあれど平地の境目を認識できているということである。
「ぬぅ……海とは、月明かりを飲み込むものだったのか……」
どうしてそんな認識になるのか。
勇者はそう言って、顎をさすりながら、しばらく頭を捻るのだった。




