第七十三話 勇者農法
勇者は海近くの町の町長あてに手紙を書いていた。
竃の側に木台を寄せ、その上に置いた紙を手を止めて眺めていたが、ふいに顔を上げた。
肝心な情報が抜け落ちていたためだ。
「コリヌよ、海近くの町が持つ、秘した真なる名称を知っているか。言霊による魅了作戦を展開中なのだよ」
ただ海近くの町と言えば、この場所だってそうなる。
というよりも、実際に海に接しているこちらの方がより実態に近いだろう。
勇者の呼ぶ連合国側の「海近くの町」は、事実は海の道から南へと徒歩で三日程の距離があり、それも内陸に向かってである。
勇者は、正式な名称があるのではないかと今さらながら思い至ったのだ。
しばしば、どこかしら肝心なことが抜けていた。
「おお勇者よ……言葉の意味は分かりかねますが、町の名前ということでしたらコルディリーだったかと思いますぞ」
「はい、その通りです。我らが地図を見ておりましたので、間違いありません!」
コリヌが心許ない返事なのは、勇者のこじらせた言い方のせいだったが、護衛君らが間違いないと保証した。
「ほぅコルディリーかね。助かったぞ」
勇者は、手紙にその名称を書き入れると、さっと文章を見返した。
その内容は、もちろん定期便の詳細についてである。
今までのように、ぶらりと寄ったついでではなく、定期的に伺いたいのでよろしくお頼み申すという挨拶だ。
多額の金銭授受が発生する売買があるわけでなし、何か便宜を図って欲しいわけではなかった。
取引開始といっても、勇者がそう呼ぶだけである。
しかし宿泊や食事に買い付けと、なにかと金銭を落とす機会は増えるのだ。
今のところは手下隊には野宿で我慢してもらう予定だが、食事くらいは確実である。
ご挨拶をすることによって、それらを確約すると知らしめるのだ。
また、新大陸勇者領を印象付け、居所のはっきりした民であり客であると保証するためでもあった。
少しでも心証を良くし、早く馴染んでもらえたらとの目論見だ。
幾度か繰り返せば定着するだろう。
それからならば、何かを売ることの許可を得るのも楽になるのではないかと考えていた。
便宜を図ってもらいたいとしたら、その時になってからである。
未だ売り物の案があるわけでもないが、将来的に露天で市でも開きたいとなれば、許可が取り易くなるのではないかと思うのだ。
住人に嫌な顔をされないように、良い客であるようにと、手下君らには意向を伝えてある。
翌朝の丘の上、竃前広場に並ぶ手下君四人に、勇者は向かい合っている。
十人いるタダノフの手下隊の中から、定期便のために選抜した四人である。
二人組みで番を交代できる、最小の構成だ。
海の道近辺は寒く、山や谷もない荒野で隠れられるような場所もなく、定期的な国の巡回もあって、盗賊団が潜んでいるようなことはない。
少人数で悪巧みをする者がいた場合に対応するだけだ。
何が起こるかは知りようもないし、これで十分と思わなければならない。
幾人も送り出すほどの余裕や蓄えはないのだ。
だからこそ、タダノフ式訓練を施した。
その技術が確かなことは、勇者自身が感じている。
したがって手下君らも大丈夫だろうと信じてはいる。
それでも、新たな試みに、落ち着かない気持ちになるのは仕方がないことだろう。
「栄誉ある定期便第一号だ。どうか無事に戻ってくれよ」
勇者は、つい心配を口にしていた。
「実戦となれば、どうなるかわかんねぇが、ただでは負けやしませんぜ」
「まぁ何事もないのが一番だけどな」
勇者は手下君らを見据え、力強く頷いた。
これがうまく行けば、南の開拓村と約束した取引も、開始可能ということになる。
「頼むぞ。お魚の干物のために!」
「えっ干物?」
定期便一行を見送った勇者は、己の広々とした畑を横目に、また土地を耕していた。
「くっ……もっと力が、欲しい」
主要畑は稼動したが、極々初期の予定通りに過ぎない。
途中から、劇的に状況が変化してしまったのだ。
故郷の村のために計画した畑だったが、現在は全領民の食事と税を賄うためとなっている。
当然、それでも足りないので、新たに畑作りを始めたのだった。
一度引き受けてしまったからには、厳しくとも無理をすると決めていた。
だが、それは一度目の条件に対してだ。
二度目に吊り上げられた税率は、誰がどう聞いても無理難題なのだ。
第三者の立場の者が調停に来たとしても、そこが問題にはならないだろう。
勇者は、ここへ中央から調査係が派遣された場合を考えていた。
無茶な要求だからといって、初めから放棄する態度でいるのはまずい。
納める気はあるのだと見せることは、第三者の目から見た場合を考えれば大事なことである。
とはいえ登録係の徴税官だって、自身の成果に難癖つけられるのは嫌だろうから、中央へと滅多なことを報告するとは思えなかった。
中央にとってはまだ、特に利益のある場所でもないのに、手間ばかりかかると思われれば放棄される可能性もある。
そうなれば、徴税官の評価はそれこそ落ちそうだから尚更だろう。
だからこそ、与えられた権限と兵を利用して、圧力をかけにくるだろうと思ったのだ。
しかし勇者は手紙を出した。
どういった結論を出すか、そもそも届いたのかも分からない。
ただ、護衛その二君の動きを見れば、マグラブ領で悶着があったのだろうことは予想できる。
ならば、ノスロンド王国には届いているだろうと思えた。
さすがに中央宛は、差し止めされている可能性は高いが、何かしらの報告はあっても可笑しくはない。
今のところは、なんの情報を得ることもできないことが歯痒くもある。
しかし、定期便として手下隊を町に送ったことにより、なにかしらの動向が耳に入るのではといった期待もあった。
そういった情報収集についても、手下隊に伝えてある。
あとは、己のできる仕事に全力で打ち込むしかできないのだ。
他にもやりたいこと、やれること、やるべきことは幾らでもある。
そのほとんどは、人力に頼るものだ。
そこで勇者は、もっと力があればと考えていたのだ。
朝晩働ける完徹能力は、継続できるものではないから、日常に組み込むわけにはいかない。
どのみち、一人だけ倍働けても意味がない。
勇者は朝からずっと、空転する思考に苛まれながら、鍬をふるっていた。
(なにかないのか。夜を犠牲にせずとも時を駆ける手立てが。くそっ、なにかあるはずだ!)
大きな石が埋まっていたので、周囲を丁寧に掘ると、鍬を置いて取り出した。
「はっ、そうか……こっ、これだ。これなら、いける!」
勇者は両手で持ち上げた石を、愕然と見下ろし呻くように叫んでいた。
(こんな単純なことが分からなかったというのか……見ろ、俺様は両手で邪悪な石コロを持ち上げている!)
ゆらりと立ち上がる。
その手にある石を、ひとまずの土砂置き場にそっと置いて、側にある予備の鍬を取り元の位置へと戻った。
真剣な勇者の視線の先には、常に困難を供給し続ける大地の精霊王――その妄想が立ち塞がっている。
勇者は両腕を左右に突き出した。
不敵に微笑む。
「我が右手に宿れ、鍬もどき! 力よ、左手に形作れ、鍬のようなもの! そうさ、俺様は気づいたのだ。一本で駄目なら、二本使えばいいのだと!」
暑苦しい気合いが汗を呼ぶ。
幾ら力んだところで、手から何かが生えてくることなどない。
掛け声に合わせて、地面から鍬を掴んだ。
「喰らえっ! 擬似鍬交差乱舞!」
大地に向けて、右腕左腕と回転させるように、大振りな動作で鍬は交互に振り下ろされていく。
上半身のみを捻るような動きだ。
高速で振り下ろしながらも、下半身の軸がぶれることはなく、地面を抉り飛ばしながら、じりじりと後退していった。
新たな耕地の隅で、雑草を毟り続けていた行き倒れ君は、無駄だと分かっていても呟かずにはいられなかった。
「静かにしてほしいっす……」




