第七話 極北の星
「さあて、腹も心も満たされたことだし、何から手をつけようかなあ」
綺麗に大鍋を濯ぎ終えると、ご満悦の勇者は立ち上がって一同を見た。
その場の者は、大蛇に睨まれた小動物の如く、身動きできないでいた。
(どうか無茶振りされませんように)
(無茶振りされるのが私ではありませぬように)
(もっとましな餌がたべたい)
(動いたら負けだ)
(俺達はいつ眠れるんだろう)
(漏れそう)
各々の思惑が交錯する、緊張の瞬間。
「水場は確保できた。次は食い物だな。コリヌらよ、畑に良さそうな場所を見繕ってはくれまいか。その為に、様々な種苗を持ち寄るよう頼んだのだからな」
コリヌらは、そんなことで良いならと胸を撫で下ろした。
元々護衛達は、農事に携わっていた者ばかりだ。
コリヌ領は辺境であり、土地開発にも関わっていたため、そういった人材には困らなかった。
中でも特に、この護衛達は農家の三男四男坊であり、コリヌから持ちかけられた移住話に大喜びした。
コリヌその他の話はともかくとして、いずれは誰にも訪れる問題である。
毎度、海を渡って物資の調達をするわけにもいかない。
しかも出かけたいときに、潮の満ち引き具合では、通れるとも限らないのだ。
小心者能力を発揮する勇者は、あの道がもしも一時的なものだったらと懸念していた。
「では早速……と思ったものの、すっかり日が暮れており、途方に暮れる勇者だった。仕方がないので、木材でも調達しておいてくれ。水を運ぶのが面倒だ。手桶を作りたい」
「幾つかご用意しましたが、用途別にも数は必要ですな。了承しました」
手提げ行灯に火を灯し、その辺に刺した棒に吊るしてまわるコリヌ。
勇者も行灯の一つを手に取ったが、それを短い棒二本の先で、挟むように固定した。
さらにその反対側を、自身の頭へと括り付けだした。
「どうだ。便利だろう」
勇者は自信満々に仲間へ見せ付ける。
頭の斜め上前方に、行灯は吊るされていた。
木枠の真ん中に、植物油を注いだ小皿を固定してあり、そこに浸した太い糸の先に小さな火が揺れている。
目の粗い紙を通して、その火は辺りをぼんやりと照らした。
特に、勇者の笑顔だけが、闇に浮きあがって見える。
大層不気味な光景であった。
「ええと、どこかへ、お出かけですか?」
コリヌは反応に困り、そう尋ねた。
「さすがコリヌは鋭い。まずは己の位置を正確に掴まねば、戦略も立てられまい」
なんのだよとは問わなかった。
「わくわく勇者探検隊だ。付いて参れ、タダノフにノロマよ!」
「えー」
「えー」
勇者は、二人のために用意しておいた水筒とお弁当を押し付けた。
「タダノフぅお弁当とは、旅先で食べるものだ! 後で腹が減ってももうないからな」
さっそく空けようとしていたタダノフの手をはらって、勇者は言い含めた。
「腹は一杯なんだけど、どうも食べた気がしないっていうか……」
タダノフは麦粥のえぐい味を思い出して、身震いした。
「この大喰らいめ。もお、勇者の朝飯を分けてあげるから、これで我慢しなさい」
「餌! じゃあ行こう。さあ行こう」
勇者が保存食の一つを投げると、タダノフは口で受け取めた。
ノロマは、まだ胃がもたれているように感じ、タダノフの旺盛な食欲を見て気分が悪くなった。
(仲間への気遣いも、勇者には大切なお仕事だ)
勇者は、まずは海とは真反対側を調べようと、下る斜面へと向かった。
途中で川を見つけて引き返したから、その先へと進みたかった。
あの時は、領地予定地の探索である。
今回は、領外を調べたかったのだ。
改めて、しっかり探索を開始した勇者一行。
行灯を先頭に、タダノフ、ノロマと続く。
「本当に、誰も住んでないね」
「獣がいるのだからして、人が住むに適さないとは思えませんが。どれここは俺の呪いで、ガサゴソっと」
「置いて行くぞ、ノロマ」
「お待ちをおおっ」
勇者達が暮らしていた連合国は、国境を接した砂漠の国々と折り合いが悪かった。
戦争とまではいかないが、顔を合わせる度にいがみ合っていたのである。
その血生臭いような、そうでもないような情勢に辟易した勇者達貧民は、殊更に新天地を求めたのかもしれない。流行りものに群がっただけの者が大半のようだが、多分そうなのだ。
何も考えずに、新たな大地へと猛ダッシュしたが、一つ不安の種があった。
現地民はいるのか?
勇者達は、奥地まで行かずに領地をゲッツしたので見かけなかった。
いくら山奥だろうと、人が住めば獣道のようなものくらいはあるし、なにかしらの標があるだろう。
しかしそのようなものの形跡は、一切ないようだった。
またいたとしても、そこは国から追い出されるような面の皮の厚い面倒な輩達。
まるで初めからそこへ住んでいたかのように、ごくごくナチュラルに入り込むはずだ。
血の気は多いかもしれないが、怠け……暢気に暮らしたい者達ばかりだ。不毛な争いごとに体力を使うなんてとんでもないことだった。
しかし勇者は几帳面な男である。
他の存在があるならば、ご挨拶へと伺いたかった。
粗末なお土産を手に、道なき道を進む。
どうしても通りづらいところは、タダノフを走らせれば万事問題なかった。
「あーこの度、海の近くの一際小高い丘に越してきました、完徹の勇者で――え、あ、完全徹夜の完と徹です。はい、完徹の勇者ソレホスィ・ノンビエゼと申します。これ、ほんのご挨拶ですが。そう恐縮なさらずに、どうぞどうぞ。お口に合えば良いのですが。これからよろしくお願いします。そこで境界線について、ちょっとばかりご相談なのですが……」
勇者はぶつぶつと呟き続けていた。
「なあソレス。もう何回も練習してるじゃん。聞き飽きたよ」
「まことに言いづらいのですが、ソレス殿、もし相手が違う反応をされたらどうされるので?」
先頭を歩いていた勇者は、ぴたりと足を止めて振り返った。
「タダノフ、ご挨拶や初印象を良くすることは、とても大切なことなのだ。何度でも練習しなくては気が休まらないものだぞ」
勇者はタダノフを咎めると、ノロマを見て顔を顰めた。
「ノロマの癖に、なんで不安になるようなこと言うんだよ馬鹿ーっ!」
「こ、これは失言でした。作戦は、幾つかプランを用意すべきかと、言いたかったのです」
「まあ、確かに、そうかな……プランBか。考えてみよう」
また勇者は前方へ向けて、足を進めた。
しかし間もなく、そんな心配はなさそうだと気が付くことになる。
もう半日も歩いたころだろうか、空が明るみ始めている。
そこで、行き止まりへと突き当たった。
「なるほど、これが原因か」
一面に、ごつごつとした岩棚が連なっていた。
「迂回はできそうですぞ」
明るむ白い空の下、姿を見せ始めた頂上の連なりが浮かぶ。
ノロマが言うように、岩棚の端は徐々に低くなっているように見えた。
(そういえば渓流沿いにも、岩肌の山があった。肌質が良く似ている。あれも連なっているのだろうな)
勇者はそう気が付くと、偵察を命じることにした。
「登れ、タダノフ!」
「あいよ!」
掛け声が早いか、タダノフは瞬く間に岩棚を駆け上っていった。
「ブほっぶはっ」
「げふっぼほっ」
土煙に巻き込まれたが、タダノフ対策を怠った罰だ。
ついうっかりしてしまうが、あの俊敏さに反応が追いつかないだけともいえた。
「あいつは崖の狭間を跳ねながら移動するという角の生えた四足の獣か何かか!」
「や、やたら詳細な例えですな。しかしてまったくもって同意です」
「では、休んで待つとする、」
「でりやあああああああっ! ただいまー」
「はやっ!」
タダノフの持ち帰った情報は驚くものだった。
「まるでこの辺一体が抉れたようだと?」
そんな遠くまで見渡せるなどと、こいつの眼はどうなっているのかと、勇者は考えた。
「うん、あたし達の丘の向こうから……そうねえ、もしかしたら海の道あたりを中心に、衝撃波がどーんと広がってる感じかな。輪を描くように地面に起伏があって、外側に行くほど徐々に高さを増して、この岩棚の輪が最も高いって感じ。あたし達の丘も、たぶん押し上げられた一つだね」
人の居ない理由もこれが要因なのだろうと、勇者達は判断した。
「ふむ。遠い昔に、極北の天から星が墜ちてきた。そんな言い伝えを、何かの本で読んだことがあります。それが事実ならば、この辺りの可能性は高いでしょうな。北端ですし」
勇者は腕を組んで、考え込む。
ノロマの情報は馬鹿にならない。
ありとあらゆる、得体の知れない内容の本ばかりを掻い摘んで、深さのみに特化した知識だ。
そうだ、大抵は役に立たない。
しかし伝承に関するものは、過去の歴史を物語仕立てで綴ったものが多いというし、恐らくこれくらいは関係ありそうだ。
(それに、この険しく巨大な岩棚を、苦も無く駆け上れるなど、人間の中にはおるまい。ならば先住者がおらず、堂々と所有者を名乗れるというもの)
そう、タダノフを見つつ納得する勇者であった。
「何か疑わしい目で、あたしを見てる気がするんだけど……見たままを伝えたし、嘘じゃないからね!」
「分かっている。そこを疑いはせん」
「そうかい、ならよか……ってじゃあ何を疑ってんだよ!」
「ぐ、ぐるじいはなぜっ!」
「まあまあタダノフ殿、それよりこの後の予定を如何しなければ」
先住者の有無は、とりあえず確認できた。
「もっと探索した方が良かろう。しかし、今は生活拠点を安泰にせねばなるまい。一度戻ろうではないか」
来た道を戻りながら、勇者は考えた。
人が居ないからといって、どこかに属していない土地とは限らない。
連合国内にも、そういった地は多かった。
とはいえ、こんな風に全く人の手が入ってないというのは、滅多にないことだ。
縄を張ってもないし、立て札すらない。
厳しい立地ならともかく、火山のようなものは見えないし、有毒ガスが吹き出るでも、水が妙な色をしているでもない。やばい動植物も、今のところは見ていなかった。
不思議なものだが、ノロマの話とタダノフの情報から察するに、岩山で阻まれ隔離された地なのだろう。
それは良い情報でもある。
人がいたとして、あえてこんな山を越えてくるほどには生活は切羽詰っていない、恵まれた大地のようだということだった。
小心者能力を発揮して考え過ぎても、そこまで深刻な懸念材料がないことに、勇者は安堵した。
「ようし、戻ったら手桶作り、はコリヌに任せたか……俺様の拠点作りから始めるぞお! はっはっは」
勇者は心置きなく、やることリストの充実に努め始めた。
「急に元気になったね」
「ソレス殿は、そうでなくては! 我らが提案のため考え疲れたり、作戦を指示して責任を負うなど真っ平御免ですからな。あっはっは」
「あたしは餌さえ用意してくれるなら、なんでもいいよ。あっはっは」
勇者達の高笑いが、森の中を木霊するのだった。