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完徹の勇者  作者: きりま
領地防衛編

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第五十七話 勇者の溜息

「こんな時でも、そのけったいな本は置いていかないのか」


 勇者はノロマが小脇に抱えた、黒く巨大な本を指差した。


「これは最重要で、決して外すべからずな携帯品ですからして」

「それもそうか。ノロマの武器だったな」

「武器などでは……」


 話が長くなりそうだと思い、勇者は何かを言い連ねているノロマを無視することにした。


 ノロマと裁縫さんが、薬用になりそうな植物を調査するために南の道方面へと旅立つのだ。

 あれこれと背負ったり、体中に括りつけたノロマと裁縫さんを交互に見て、勇者は声をかける。


「では、十分に気をつけてくれたまえよ」

「お任せください。役立つものを持ち帰るよう働きかけますよ!」

「俺は素で十二分に役立つので心配無用です。いってきまーす」


 二人を見送ると、勇者は己の畑へと向かった。





 勇者は己の畑仕事に精を出した。

 ここのところ領内を走り回っていたために、ものすごく久々な気がしていた。

 しかし手伝いを頼んだ者へは畑さんらが指示を出してくれるし、行き倒れ君が勇者の基本方針は把握していてくれる。

 何の問題もなく、勇者畑もすっかり日常的な光景となりつつあった。



 勇者は試作畑プロトタイプ畝一号の前に立った。


「セントラル畑が運用された暁には、お役御免で用済みとでも思っていたのだろう?」


 両腕を腰に当て、自信満々で不敵に笑って見下ろす。


「甘すぎるわ! まだまだ貴様らには働いてもらうぞふはは……」


 せっかく作った試作用の畑だ。

 別に試作だけに用いなくとも良い。

 引き続き、ここは短期収穫作物用にし、日々の糧を得るために利用していた。

 主に出来たてである畑さん達監修の畝八号から十号は、日常的に大事に使うつもりでいる。


 だからこそ、不慣れながら自力でこさえた記念すべき畝一号こそ、再び何かを試すに相応しい。


 勇者は道具箱へ大切にしまってある袋の中身へ、ちらっと思いを馳せた。

 大畑さんを言葉巧みにそそのかして、種籾を頂戴してきたのだ。


 そう――麦の種籾だ。


(麦汁麦粥麦飯……)


 勇者の心は欲望に塗りつぶされていた。

 だが逸って失敗などできない。


 一つ注意されたことがあった。

 荒地でも育て易いという種だからこそ、比較的に侵食率が高いとのことで、他の作物とは離した方がいいだろうということだ。

 それで、農地用の最も端にある畝一号の前にいるのである。


 さらに勇者は、畝一号の周囲をやや深く掘り、石を詰めておこうと考えた。

 どのみちもう一度掘り返し、畝側と混ぜて土の状態を柔らかくしなおすつもりだった。


「大地の精霊よ、よもや再び相まみえようとはな。宿命というやつからは逃れられんようだ。ふっ、観念するがいい!」


 勇者は鍬もどきを振りかざし、行動を開始した。





 その晩の竃周りは静かだった。

 今朝は、ノロマ達を送り出した。


 この場にはノロマ一人が居ないだけなのだが、タダノフとノロマの掛け合いがないだけでこうも静かなものかと勇者は思っていた。


 もっちゃもっちゃと晩飯を齧る音だけが響く。

 喉につかえないよう、慎重にごくりと飲み下した勇者は口を開いた。


「珍しい食感だな」


 同じく、どうにか飲み込み終えた護衛その三君が答える。


「申し訳ありません。芋の分量と火加減を失敗したようです!」

「いや、これはこれで面白いぞ」


 芋の中でも特に粘り気のある種類のものを磨り潰し、水を少々足してこねると、でろっとする。

 それを焼くと、むちっとしたパンのような出来上がりになるのだ。

 当然、小麦などの風味はないので食感だけだが、大変お得感にあふれた貧民御用達の料理である。


 だが水を入れすぎたため固まりきらず、というよりも煮た状態となって妙な粘度を増しており、椀からすくいながら食べるはめになっていた。

 皆が口元まで持ち上げた椀から、白っぽい塊が口へと伸びている。

 嫌でも静かになるというものだ。




「ふむぐ……これは食べていくのに余裕が出来たならば、糊を作ってもよさそうではないか」

「ほほう、糊ですか」


 族長が反応を見せた。

 ついでコリヌが指摘する。


「保存が利きませんからな。使う都度に作った方が良いのではないかと思いますが。ああ、何か必要な物ができたのですか?」

「紙を作れれば企画立案に役立つのだよ」

「なるほど、紙。紙ね」


 もっと突拍子もない物が出てくるかと思ったコリヌは、なんとはなしにがっかりした声が出た。

 幾ら妄想力に秀でた勇者でも、ひっきりなしに真新しいものを提供するのは難しいことだろう。

 勇者は意に介さず、有用な面を話して聞かせる。


「少ないながらも、紙に適していそうな作物があれこれと育っているだろう。ほとんどは食べてしまったり、飼料や肥料にしたりと残らないから、無理は言えないが」


 把握しなければならない規模が増えてしまったのだ。

 毎度地面などに書いていては、会議前に時間が取られすぎるし、うっかり忘れも今の比ではなく起こるだろう。

 一々書いていてすらそうなのだから。


 今や、勇者の寝床側の壁には、あれこれと書きなぐった案や予定表が貼られて埋まっていた。

 ついでに行き倒れ君の寝床側にも、予定を貼ってある。

 寝起きで横になった際に、目を開けば視界に入る低い位置だ。

 行き倒れ君にとっては嫌がらせにしか思えない、ささやかな親切は忘れない勇者だ。


「いやしかし、そういった材料は応用が利きますからな。あるに越した事はないでしょう」

「そうですね。もう少し落ち着いて、いえせめて道作りでも終えた頃なら手伝えますよ」


 勇者は自身のみの便利さを追求した案であったが、反応は悪くない。


「質の良さは望めないだろうが、節約にはなるからな」


 それには一同が頷いていた。

 頻繁に海を渡るわけにはいかないし、金銭の蓄えなどないも同じ。

 売り買いするための作物も、今は全てが収穫前から予約済みのようなものだ。

 手間だろうと自作できるものはするしかない。


 紙や糊の用途についてしばらく話したが、それが落ち着くと早々と解散した。





 勇者も城へ戻ったが、行き倒れ君は洗濯に出て行った。


「くふぅお城ちゃんと俺様だけの素敵っ空っ間!」


 人の目がないのをいいことに、勇者は転げまわって遊んだ。


(はっいかん、未だ床はむき出しの地面だった)


 乾いているとはいえ、服が汚れる。

 外に出て土埃を払うとまた戻った。


「精神集中だ。煩雑な欲望やら懊悩を抑え、仕事に向かうのだ勇者よ」


 勇者は、寝床側の机代わりの木箱の前へ正座し、新たな紙を取り出した。

 先ほど話した事をまとめるためだ。

 紙のかさついた音だけの、静かな一時だ。




 静かだと、余計なことに考えが及ぶ。


(役人達の対処か。特に何がどう来るかも分からないというのに、抵抗するに足る道具や環境を用意するべきだろうかね)


 危険という方向全般に考えを向ける。

 何も生活を脅かす危険は、役人とのことだけではない。


 移住を推し進めるために、大々的に報じられた。

 国の目の届かぬ場所に人がいるとなれば、良からぬ考えを持つ者が来ないとも限らない。


 今ここには、向こう見ずな荒くれ者は集まったかもしれないが、町をふらつく下働きなど腕っ節が強くなければやっていけないからで、心根まで腐っているわけではない。

 だからいわゆる大畑さんら一般の町村の住民達は、集団で移住してきたわけだ。




 物見櫓でも立てるかと考える。

 以前マグラブ領の開拓地に働きに行った時に、兵達が使っていたものを思い出していた。


 人の背ほどしかなく、二人が詰めて立てればよい程度で、屋根もない高い土台でしかなかった。

 木製の簡素な櫓だったが、兵達の顔付きにしろ、ここが国境なのだという現実感をもたらしていた。


 それを目を輝かせながら見上げていたものだった。


(あのときめきを今一度……いや、ならんっ!)


 その欲求は押し止める。

 ただでさえ木材が足りない。

 人手もだ。


 ほとんどの時間を海という天然の要塞が遮っている。

 それに、どうしても偵察したいというなら岩礁がある。

 安定しない足場だからお勧めはできないが、今は贅沢も言っていられない。


 そもそも嵐も経験していないし海の変化もよく分かっていない。

 海沿いに櫓を立てても、流される可能性はある。

 元から荒い海流だ。

 天気とも関係なく、いつ高波が襲うかもしれない。


 領地を統一してからは、海の近くへ住まないように指示してあった。

 勇者などに言われなくとも慣れているだろうが、釣りさんにも天候には十分注意するようにと心配を伝えてある。


 釣り自体を止めないのは、なにもお魚目当てというだけではない。

 海や辺りを観察してくれる、またその目を持つ貴重な人材である。

 何事かあれば知らせてくれることに、期待しているのだった。



「今晩はこのくらいにしておいてやろう」


 勇者は、紙と糊について以外にも、沿岸についても書きつけていた。

 別に貼っておくほどの時点ではなかったから、箱にしまった。

 もう少し考えを進める必要があると思ったからだ。


(なかなか故郷のことまで手が回らんな……そういえば、手紙はいつごろ着くだろうか)


 手紙を出したときは、届くのに二、三ヶ月はかかるだろうし、その頃にはこちらの状況ももう少しはっきりしているのではないかと考えていた。

 その時に改めて送ろうと思っていたが、まだまだ先は見えそうにない。


 勇者は溜息をついたが、重い気持ちを振り払うように、新たに紙を取り出した。


「前略、お婆ちゃん……」


 本来ならこう知らせたいという手紙を、書いておくことに決めたのだ。

 少しでも早くこの手紙を出せるようにと、誓うようでもあった。



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