第五十四話 領内一周。その頃ノスロンド王国では
勇者は晩飯時に、怖いもの聞きたさでタダノフへ問いかけていた。
「タダノフよ。聞き忘れていたが、山盛りの畑には何を刺していたのだ」
「あたしの畑のこと? そんなに山盛りかな。刺してるっていうか、生えてるんだよ」
「えっ……いったい何が」
その辺の土を雑草ごと丸めたのではないかと思える塊だ。
よもや生えていようとは、自然の生命力の強さに感動しそうだ。
「ほら、簡単に育つ芋の話したじゃん。おーじ様は刺せば生えるって言ってたからね。でも畑師匠から、それは土を整えてからの話だって怒られたんだ。戦闘だって身体あっためた方がいいし、下準備は大切だよね。もうおーじ様ったら舌ったらずなところもかわいいんだから」
勇者はもう十分だと、とりあえず褒めておくことにした。
「そ、そうだな。よく学んでいるではないか。感心したぞ」
「餌以外のことも、やってみりゃけっこー楽しいもんだね!」
(餌のことだと思うが……)
(餌の自給自足始めただけなのでは……)
仲間達の感想は一致していた。
翌朝、憐れなタダノフの畑を見たことで、領内の進捗状況も、時には気にして見てまわらねばならんだろうかと勇者は考えた。
あまり時間をかけることはできないが、早い段階で何か問題点やらご希望の点などが見つかれば良いと思ったのだ。
タダノフ畑を思い出して身震いする。
どうやったらあんなことになるのか。
ふとノロマの方も心配になってきた。
(さすがにああはならんと思うが……念のため見ておこうか)
時には余計面倒なことになることもあるが、なるべくなら、気になったら即実行が一番いい。
「ちょっと出てくる行き」
「畑っすね」
勇者は走り出してから、これはいい案だと閃いた。
良い鍛錬にもなるではないかと、ついでとばかりに視察と称して走り回ることに決めたのだ。
「おーい、ノロマはご在宅かね」
静かだ。
そういえば、ノロマの場合は薬になりそうな植物採取から始めると言っていた。
一人では限界があっただろうが、助手が増えたのだ。
本格的に探索に出かけているのかもしれない。
ノロマ城もタダノフ城も、勇者の清楚で控えめなお城ちゃんと違って、頭を下げずとも通り抜けられる扉を持つ。
狭さは変わらないが、屋根まで普通の家と同じ高さがあるということだ。
(お城ちゃんのお友達にしては、ちょっとばかり尊大で鼻持ちならない気がするな。しかし俺様のお城ちゃんは君達のことも余裕で受け入れる。慈愛に満ちた懐の深さに感謝するがいい)
少し覗いてみたが、軒下には縄で連なった様々な植物が陰干ししてあった。
(ほうほう、なかなか本格的に進んでいるようではないか)
勇者は目を細めてうんうん頷いた。
(しかしこの鼻の奥に刺さるような臭い。裁縫さんにも悪いことをした。次回にそれとなくご意見を聞いてみよう)
色々と混ざった妙な臭いに耐えられずに、今日のところは勘弁してやると勇者は退散した。
思いのほか早くノロマ領の視察は済んでしまった。
次に村人達の様子を見に走った。
既に彼らは、道延長工事を進めているのだ。
「勇者さんおかえ……」
「すまぬ行き倒れあちこち見て回ってくる!」
「……ってらっしゃーっす」
伝言がてら勇者は己の畑を横切った。
丘東側の麓から、南側斜面の麓へと回り込む道を作る、木々を切り倒す音がばさばさと響いていた。
この辺は低木が多く、幹の太いものはあまり見かけない。
南に行くにつれて、やや背は高くなっていくが、結構な勢いで通り道が出来ていた。
地面を整えるのは後回しで、まずはどんどん切り開いている。
この分なら、作業場用の資材確保は容易そうだった。
「素晴らしい働きだ族長よ!」
「勇者様にお褒めいただくとは喜ばしい限りですな」
「では平地の……ごほん、町の様子を見に行ってくるのでまた次回お会いしましょう!」
(町の名前、忘れたのでしょうか)
(長いから面倒になったのかのう)
町と呼べるだけでも嬉しい変化だ。
勇者は斜面を駆けのぼり、そして駆け下りた。
枝葉を落とした丸太が積み上げられている。
こちらは倉庫と作業場をそれぞれ並べて建て、内側で行き来できるような扉も作りつける予定だ。
さっそく骨組みが出来ていた。
「なんとも手馴れているではないか小作隊の皆さん」
「えっ俺っち? おお勇者領主さんですか」
「掘っ立て小屋くらいなら、以前から建ててたもんでね。臨時でええんじゃろ?」
臨時でと言う言葉に勇者は頷く。
「ありものの建材で都合つけてもらうしかないからな。雨風さえ凌げればよかろう」
「もうちっとましなもんを作りますよ!」
「ほほう頼もしいではないか」
「必要なもんは他に幾らでもありますからなあ。少しでも急ぎませんと」
どうやら勇者だけでなく、皆にも焦燥感が伝わっているようだ。
「だからこそ、焦らずにな」
勇者は、含めるように伝えた。
無用な焦りは、怪我などが増える原因にもなる。
「楽しんだもん勝ちですなあがはは!」
「素晴らしい心意気だ。それでこそ新天地の民だぞはっはっは!」
彼らにも勇者の意図は伝わったようだ。
次は畑の方へと走った。
勇者は作物の詳しいことなどの知識はない。
当然口出しはできないし、する気もない。
ただ少しだけ、わずかな希望を胸に質問した。
以前より聞いてみたかったことがあったのだ。
「大畑さん、麦なんかは育ちそうかね」
「そりゃ育ちますよ。特にこういった、人の手の入っていない環境に向いた種もあるんでね。種籾は持ってきてますよ」
「ほ、ほう。そうかね」
好物の麦が食いたい。
そう、勇者は欲望に抗えなかったのだ。
だが大畑さんの返事は、残念なものだった。
「まだ他に手がかかっとるからね。今は少量だけですが、もうちっと安定してきたら本格的に植えようかと思ってますよ」
「おお……素晴らしい! 素晴らしいが、そうだな。規模が必要だし、人手も足りないのか」
現状は、多様な芋類などに加え、日々の糧用に葉物野菜も育てている。
暮らす者も多いから、それらの収穫量を減らすわけにはいかない。
育て易いからと麦畑を一気に用意したところで、収穫時が大変そうである。
畑仕事だけに専念しているならばまだしも、勇者自身が倉庫などの建築を推し進めてしまった。
もちろん、収穫したら貯蔵場所も必要なのだから無駄なことは何もないのだが、口惜しさに口をゆがめる。
勇者の残念そうな顔を見て、カブ畑さんが笑っていた。
「お気持ちは分かりますよ! 麦粉をこねて焼いたものは美味いですし、何にでも合いますからねえ」
勇者は渋い顔をした。
「そうだね。それも美味い」
(くっ……焼くか! なんでも焼けば満足かね!)
そんな小洒落たものでなくとも、そのまま煮込んだ麦粥が一番好きなのだ。
故郷ではご馳走だったことが、勇者の中で絶対の価値観となっていた。
(誰もが麦粥に関心を示さない……なぜだ!)
どうやら不人気メニューであることに、うっすらとは気づいていたようである。
(くそっくそっこうなったら一大産地にしてやるうっ!)
勇者の野望の火に油が注がれた。
勢いのまま他にも慌しく領内を走り回りはしたが、昼には自分の畑に戻っていた。
「ふぅ、なかなかの鍛錬だった」
「視察じゃなかったんすか」
「視察だとも。ついでの体力作りだ! またいずれやる。行き倒れも備えておけ」
「ええー」
足並みが揃い切っていない当初は、勇者達があれこれ考えて、タダノフに力仕事を押し付けていた。
なんでも一箇所に集中するのは良いことではない。
領主さん方と土地の再配置を始めてから、ようやく全体がまとまって動き出したように感じていた。
一通り大きな予定が決まり、各々が作業を進めている。
物事が正しく動き始めたと感じられた。
そこで得た自信は明日を生きる力となる。
勇者は腕に気合を込める。
「きはああああっ!」
素早く的確な動きで、草を毟り取っていった。
(負けんぞ役人よ。俺様は、いや俺様達の悔恨なき開墾人生は始まったばかりなのだ!)
◆◆◆
少しばかり時は遡る、ノスロンド城砦、謁見の間。
ごつごつとした石の壁に囲まれた四角い部屋の奥、壁には紋章を刺繍した布飾りが掲げられ、その前に黒く艶々とした木製の玉座が据えてある。
簡素な作りだ。
そこには今、玉座にもたれたままのノスロンド王と、その腹心の侍従だけがいた。
先ほどまで、マグラブ領からの報告を直接聞いていた。
通常ならばただの伝令を出迎えることなどしないが、それが領主当人だったのだ。
それでも急なことで、やはり出迎えることはない。
だが王は、暇であった。
たまたま暇だったのだ。
暇を貪ってなどいないはずだ。
しかし、王の瞳は好奇に輝いていた。
それにわずかな懸念を感じ、老いた侍従は疲れたような声を喉から押し出した。
「マグラブ領を通じた、新大陸からの書状ですか。一体どのよう目論見があるのでしょうか。ならず者どもを追い出すという、中央の拙策。それが、かような元領主の立場の者までが渡っている。しかもその跡継ぎが、こんな手紙をそのままよこすとは……」
侍従の男は、困惑を隠しきれなかった。
その言葉を聞いた王は、笑みを漏らした。
手元の書簡から目を上げずに、呟くように言葉を拾いながら読み上げた。
「ご慧眼にあらせられる故、既にご存知やもしれませぬが……このような問題が持ち上がって……しかしながら、御手を煩わせるほどのことではございません。我らも元はノスロンドの民。云々かんぬん……心配かけないように念のため知らせた次第」
王はさらに口元を緩めた。
「要は、手出し無用と。面白い」
侍従は溜息をこぼす。
「楽しんでおられるところ、僭越ながら御忠言を」
「よい。分かっておる。このまま衝突するならば、巻き込まれる可能性がある」
王は、何をどう読み取るべきかと考える。
差出人は、いち早く懸念を知らせてきた。
不利になりそうなものだが、こちらの民には手を出さないと言い添えてだ。
それが出来うると本気で考えているのかは分からない。
「本来ならば、助けをよこせと書くところだ。それを自ら決着をつけるから手を出すなという」
「どう考えても企みでしょう」
侍従の言葉に、王はやや苛立ちを見せる。
「当たり前だ。気が付かぬのか、これは好機ぞ」
「なんと、いかがなさるおつもりですか。どうかくれぐれも早まったことは」
「長らく静寂に浸かっていたせいで、頭が錆び付いたのではないか。口実ができたのだ。動くとしようではないか」
侍従は目と口を大きく開いた。
静寂を保つことのみに心を砕いてきた王の口から、あまりに久しい能動的な言葉が発せられたからだ。
「おお……! 玉座に根が生えたのかと心配していたのです」
「皮肉は叩けるようだな」
「失礼しました。それでは、いかようなお考えで」
王は怜悧な目で侍従を見る。
指で膝に乗せた書簡を叩いた。
「いい囮だろう。これを利用せぬ理由はあるまい」
そう言って口の端を上げた。
間の悪いことに、聞かれてはまずい者の耳にその言葉は届いた。
(なっなんとぉ! 民を食い物にしようというのか、なんという不心得者ぞ。こうしてはおれん……)
玉座の裏手にある控えの間から謁見の間へ入ろうとしていた者は、王の言葉に戦慄し、そのまま踵を返した。
「なぁんてな! どうだ侍従よ。今のは悪そうだったじゃろ? ん? 格好良かったかそうか。かっはっは!」
「やはり、根が生えておりましたか……」
「なんとでも申せ。王国の安泰が一番、平和は二番じゃ! さて、三番はおやつとしよう」
王は玉座から重い腰を上げた。
(はて来客の予定があった気がしたが。まあ良いか、忘れるくらいならば些細なことよ)
本日の菓子は、練った小麦で皿のような土台を作り竃でこんがり焼き上げ、中に甘い樹液と果実酒に漬け込んだ木の実を盛った手の込んだものだ。
味の宝物の前に、ど忘れした記憶などは瞬時に流されていった。




