第四話 後顧の憂い
勇者は朝飯の準備をする。
穀物を練り固めた保存食を火で炙った。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
こうすると、食感がさくさくとして良くなるのだ。
されど日持ち重視の保存食。
味が伴ってないのが難点の、がっかり飯だった。
それを片手に、ぱりぽりと齧りながら、勇者は己の残した杭を見て回る。
杭の側面に刻まれているのは、姓である「ノンビエゼ」とか、名である「ソレホスィ」とか、魂に刻まれているはずの「勇者」などとまちまちであった。
眠かったから仕方がないことだ。
いちゃもんつけられないように統一しておこうと、心にメモした。
「一番杭、勇者印確認、よし! 二番杭……」
几帳面に指差しながら、確かめて歩いた。
抜き去られたり、姑息な罠を仕掛けられた形跡はない。
タダノフが、ちゃんと警備を成し遂げたことに満足する。
警備において、ノロマのことはあまり信用していない。
すぐに怪しげな呪術で、楽しようとするからだ。
しかし、気が付いたらしれっと追いついてはいたし、そのポテンシャルは買っている。
(さっきの仲間はずれの件は無しにしてやろう。今回だけだからな!)
さっさと許して、仲間に入れて欲しかった。
勇者も一応、十代の感性を持っていたようだ。
勇者は、丘の上の迫り出した岩場へ、悠々と立つ。
わいわいと、活気溢れる景色を見下ろした。
眼下に広がる平地は、杭まみれで、空き地は見当たらない。
既に、毟った草の山が幾つも出来ていた。
乾燥させて様々なものに使う予定だろう。
海の道は丁度、潮が引いているようで、後追い組みがぞろぞろと渡ってくるのがちょびっとだけ見えた。
はなから、この辺の土地に期待はしていなかったのだろう。
彼らは平地と森の間を通り過ぎ、もっと南の方へと移動していった。
「壮観だなあ」
丘から見渡す限りの場所を、一壷領主が陣取っている。
領主様の大安売りだ。
一壷なんちゃら――この慣用句は、財産が一つの壷に収まるほどしかないという意味で、ひいては小っちゃいとかみみっちい状態を指して使われていた。
どうでもいい薀蓄を語ってみたが、一つの不安がよぎったせいだ。
(こいつらどうやって食べてく気だろう)
勇者の目には、遭難者友の会にしか見えなかった。
ふとそこへ、勇者の視界に異物が反応する。
「どこだ、どこにいる。俺様の頭よ、覚醒せよ!」
後追い組みの中から、方向を変えてこちらへ向かってくる者達がいたのだ。
馬車と数人の護衛らしき者が見える。
大仰に探さずとも、丘へ登る道はタダノフがなぎ倒して作られた一つしかない。
(ぬ。俺様と死闘を交えたいのであれば、かかってくるがよい)
勇者は威嚇したが、まだ距離があるため相手は気が付かなかった。
(くっ遠いな……ならば今の内よ!)
勇者は慌てて、朝飯を腹に詰め終えた。
硬い穀物の欠片が口の中を切って痛かったが我慢して貪り、腰に括りつけてある竹の水筒を手に取ると水で口をすすいだ。
口元を腕で拭ったところへ、巨悪が迫る!
勇者は急いで敵襲の前へと躍り出た。
が、見覚えのある顔ぶれがそこにあり、拍子抜けした。
上等な革鎧を着た護衛を数人引き連れている、壮年の男。
四角張った顔や体を、ちょっとばかり上質そうな、足元まで丈のある濃緑のローブで覆っている。
肩口まで伸ばした焦げ茶の髪は天使の輪を描き、口髭など蓄えて偉そうだ。
何よりも、顔周りを包むように膨らんだ、ゆるふわカールが癪に障る。
なんとなく上品な感じがするのだ。
(これが育ちの良さというやつか……!)
男は、ローブの裾を親指と人差し指で摘み上げ、くるっとその場でターンした。
「おお、勇者よ! 貴殿ならば求むる地を得ると確信しておりましたぞ!」
このむず痒い挨拶。
「なんだ領主さんか。どこの厚顔無恥な魔王かと思ったぞ。追いつくのが速いな」
勇者の目は曇りがちだが、決して節穴ではない。
目の前にいるのだから、誰かくらいとっくに気が付いていた。
だが、このご挨拶を見てからでないと、そこはかとなく機嫌が悪くなるのが面倒臭い男だった。
そして勇者が呼んだとおり、この男は領主だった。
この場に居座る者達との違いは、本物の領主ということである。
僻地ではあるが、連合国内一角の管理を任されていた。
何を隠そう、彼こそが勇者の最も有力なコネなのだ。
あ、もちろん、勇者も含めてこの場の者達も、本物の領主となるはずである。
登録を受け付ける役人が、近日中に送り込まれるらしいと小耳に挟んでいた。
「新天地では貴殿も領主。私はコリヌ・マグラブです。お好きにお呼びください。今後ともよろしく……」
確かに領主だらけでは呼びづらいし、混乱の元だ。
勇者はその提案に乗ることにした。
(好きに呼べとは豪胆な男よ。い、いきなりファーストネーム呼びとか馴れ馴れしいかな?)
勇者の打算が、友達面せよと弾き出した。
起き抜けに、仲間に受けた心の傷はまだ、少しばかり痛むのだ。
「ふん。その名の通り懲りぬ男よ。では……コリヌ、まずは立地をご覧下さい!」
上半身を直角に折り曲げ、手の平を天へ向けると、丘の上へと促した。
対等でない交渉をするほど愚かではないが、腰を低くする相手を見定めることくらいは、造作もない勇者であった。
誇らしげに、杭で囲ってある周辺を案内する。
「でっ」
「あだっ」
まだ辺りは藪だらけだ。
掻き分けて進むたびに、枝が反動でしなり、ちくちくする葉が顔を鞭打った。
「見晴らしの良い岩場についたぞ。ここから眺めるといい!」
運動は苦手らしいコリヌは、押し上げる護衛達の顔に尻を押し付けつつも、どうにかよじ登った。
「あふぅ……おおこれは、かなりの広さを確保されましたな。さすがは物欲の勇者です」
「完徹の勇者ダ!」
「はっは。本当に勇者は楽しいお方だ」
こいつは何か俺様を勘違いしている、との不満はあったものの、ご機嫌を取っておいて損はない相手である。
勇者はそれ以上突っ込まずに、合流を称えることにした。
「約束通り、コリヌの場所も確保済みだ。ほれ杭が見えるだろう。その辺だ」
眼下の平地や、渡ってきた道までをも見渡せる丘の中心は、決して手放す気はない。
コリヌのために確保したのは、勇者達一行の隣ではあるが、中心から外れて半分は下り斜面にかかっている場所だった。
不満が出たらどうしようかと心配していた。
「なんと! 素晴らしく日当たりの良いオーシャンビューを、この夏一緒に楽しみませんか? って感じにイカしてるではないですか!」
「はっはっは、興奮するのは後にしたまえ。まずは……見返りだが」
どうやら気に入って貰えたようで、勇者は心でガッツポーズを取る。
オーシャンビューと言い張るには、海は遠く霞んでいるが、本人が気にしないなら問題はあるまい。撤回されないうちにと、交渉へと誘導する。
「おっと失礼しました。もちろん、ご用意いたしましたとも。さあさ、こちらをお受け取りください! おっとっと、また戻らねばなりませぬな」
岩場からずり落ちるようにして、コリヌは護衛の顔に尻餅をついた。
(護衛の顔に尻を乗せる趣味でもあるのか? いや、それ以上は知るべきではないな。まずは取引だ)
勇者は生活基盤についても、しっかり計画を立てていた。
それがコリヌとの密約である。
場所取りを引き受け、代わりに生活に必要な物を運ばせるための手筈を整えていたのだ。
ぬかりのない男である。
「ぶへっ」
「痛痒っ」
藪を掻き分け、勇者一行は来た道を戻る。
(忌々しいイライラ草め。後でゆっくり成敗してくれる)
ようやく、コリヌが乗ってきた幌馬車の側まで辿りつくと、護衛達は鎧を脱ぎ捨て始めた。
「なんと、破廉恥な」
しかし勇者は、他人の趣味をとやかく言わない。
(俺様は公平な男だからな)
姑息な手で土地を手に入れておいて、どの口が言おうとも、勇者はそう言い張る剛毅な男だった。
護衛達は、とちくるって裸踊りを開催したのではない。
脱ぎ捨てた革鎧から、とげとげした草の実を投げ捨てていた。
「おいコリヌ何を見て……いやなんでもない」
コリヌが、その光景をじっとり見つめているような気がして薄ら寒かった。
「に、荷を確かめるぞ!」
「ハッ私は何を! こほん、失礼しました。確かめましょう確かめましょう」
二人は積荷の前で、共に検分する。
が、なんとなく勇者は、コリヌから一歩距離を空けた。
勇者は懐から家計簿と木炭を取り出して、確認項目と積荷を見比べ始めた。
「好物の乾燥豆一袋――チェック。足元を冷やさない、もこもこ靴下……」
「随分と……念入りですな」
勇者の家計簿を覗き込んで、コリヌは怯んだ。
「ふふん気が付いたか。ここが村人Aと、勇者の違いよ」
「そ、そうですな。まったくもっておっしゃる通りです」
だが勇者は勘違いしていた。
コリヌが慄いたのは、丸っこく可愛らしく書かれた字面によるものだった。
その書き口も巧妙である。
『一日目わぁ勇者の大好きな麦汁だょ♪』
コリヌは困惑した。
やたらと空恐ろしい爽やかな笑顔が様になるとはいえ、所詮はむさ苦しい剣士である。
(噂には聞いたことがある。これがギャップ萌へ、というやつであろうか。くわばらくわばら……)
コリヌはそこまで考えて、己の過ちに気付いた。
(勇者ほどの男が、不用意に重要機密を衆目にさらそうはずもない。これは、暗号だ!)
コリヌは羞恥に身悶えた。
「体調に……問題でも?」
勇者は怪訝な顔で、身をうねらせて踊るコリヌを見る。
その視線がまた、コリヌをより一層、辱めた。
(ふぅ危なかった。得たいの知れない「さぶかるちゃあ」なる蜜に惑わされるところであったわい)
勇者は、幾つかあるコネの内、こいつに取引を持ちかけたのは失敗だったかなと思い始めていた。
「し、失礼をば。背中が痒いものの、体が硬くて手が届きませなんだ」
「あぁ、あるよねー」
勇者は合点がいくと、あっさり納得した。
「酸っぱい木の実……おけっと。うむ、確かに受け取ったぞコリヌ!」
二人はがっちりと握手をした。
表情は晴れやかだが、二人の腹の内は黒かった。
先ほどの不気味なコリヌの視線を思い出し、勇者は密かに手をズボンで拭う。
「では、早速だが住処をあつらえようではないか」
拠点が必要だし、人手も欲しい。
コリヌの護衛達を活用すれば、勇者達も楽できるのだ。
「移動するぞー」
コリヌの掛け声に護衛達は、物凄く嫌な顔をした。
鎧に入り込んだつぶつぶを取り払って、ちょうど着込んだところだったのだ。
「ははは。今度は馬車もあるからな。俺様が伐りながら進むとしよう」
護衛達の顔がぱあっと綻ぶ。
勇者は、心でほくそ笑んだ。
小さな親切を溜めに溜めて、ここぞという時に搾り取るのだ。
勇者とコリヌ一行は、しばらく設営に精を出した。
その辺の木々を伐り倒し、それを柱に、大きな布を被せて三角錐の家を作る。
「懐かしい。故郷を思い出す」
雪に埋もれた故郷だ。
洞穴にこんな家を作って、住み着いていた。
そんな話をしたら、コリヌは笑い出した。
「はははは。またまた勇者さんったらうふふ。こんな原始的な暮らしをする人間なぞ、祖父の代には絶えておりましたぞ」
「は、ははは……だよねー」
勇者の目は泳いだ。
(くそう。ちょっとばかり庭園付きで石積みのお屋敷に住んでいたからって、調子に乗りおって)
勇者は真面目に手を貸しつつも、わずかに哀愁を漂わせて、コリヌへと語りかけた。
「コリヌ……本当に、故郷を出て来て良かったのか」
素晴らしい環境にあった男だ。
言葉巧みに持ちかけたことなど根に持たれては、勇者は困ってしまう。
「ご心配、痛み入ります。ですが、とっくに息子へと継がせていても、おかしくはなかったのですよ。私と違って真面目ですからな。立派に王から預かった軍を率いて、国境を守ってくれるでしょう」
「おぅ軍!」
「勇者よ。いきなり畏まられて、いかがなされた?」
「いや、くしゃみが出そうになっただけである。っすよ」
「はっは。やはり勇者は面白いお方だ」
勇者は意外と気が小さかった。
こんなゆるふわ男が指揮官だったなどとは、気軽に遊びに行っていた頃は、微塵も気が付けないでいた。
(やはり完徹能力とは、因果な力よ――)
注意力は散漫になるし、記憶力をも低下させるのだ。
(まさか歳よりも老けがちに見えるのは、もしかして……考えたら駄目駄目!)
よもや、こんなところで勇者の個性の危機に陥るとは思いも寄らなかった。
コリヌがなかなかの策士であることにも頷ける。
そう思うと勇者の心に、暗雲が垂れ込む。
(まさか、俺様を陥れる気か)
お手伝いを一段落し、水を飲みつつコリヌの様子を窺う。
「どうですか勇者よ、この立派なもこもこ!」
今し方、草を刈り取り、土を均した場所へ、小さめの絨毯が敷かれていた。
そこに立つコリヌの顔は、純粋な喜びに輝いている。
人の頭ほどもある贅沢なもこもこスリッパを履き、足を交互に高々と上げては、楽しげに勇者へと見せびらかしている。
(疑ってすまぬ、コリヌよ。もこもこ好きに悪はない! それになんか馬鹿っぽいし)
「うむ。素晴らしい宝玉ぞ」
はしゃぐ大きなお子様を、勇者は目を細めて、微笑ましく見守るのだった。