第二十一話 役人の到来
ノロマが走り去り、勇者城前で竈を囲んでお茶を啜っていた勇者達の周囲に異変が現れた。
「なんだか地面が揺れてませんかね」
「というよりも、地面が蠢いてますな」
行き倒れ君とコリヌに言われて地表を見た勇者も、微細に震える土を目にした。
僅かとはいえ、特に城の周りを巡るように振動している。
「はれ、お城ちゃん?」
勇者は呼びかけると同時に城へと飛びついていた。
微細な振動は、ノロマの落書きに沿って起こっていた。
じっと見ていると、地面が液化して城ごと沈み込むような錯覚に陥る。
「ぬおおお気持ち悪い!」
勇者は膝から力が抜け、城の柱に縋りついていた。
(お城ちゃん気弱な俺様を許してくれ!)
長く感じたが、短い時間の出来事だったようだ。
勇者の啜っていた茶は、まだ湯気を漂わせていた。
「うえっ終わったみたいね」
タダノフが気味悪げに足元を見た。
皆が石の椅子の上に丸まるように足を上げていた。
そこへ、ノロマが杭を抜き終え戻ってきた。
「ふぅ終わりましたよー。無事に防御魔術を用いた呪いは定着したようですな」
告げられずとも、今のがそうなのだろうと勇者達は思った。
「地面の落書きが消えてしまったぞ」
勇者が消えたと言ったのは、黒い液体の描いたもので、杭で引っかいた跡は未だ残っている。
「定着したということですよ。無事土地と馴染んだのです」
「それならいいけどさ、なんだか体も前より軽くなった……わけじゃないな。なんだろ、感覚が研ぎ澄まされた?」
タダノフがうまく言えずに頭を抱えた。
しかし、勇者とノロマもその感じが理解できた。
微妙ながら感覚の変化があったようだ。
「概念防御の効能の内、見極める力の発現でしょうなぁ。なんとなく視界がはっきりしたような、気のせいなような感じですし」
「なんでてめぇはいつもはっきりしないんだよ」
「そう言われましても、まじないとは本来そういったものですからして……ここまで色々と目に見える形で現れるというのは、珍しいのですよ?」
「嬉しそうに言われると殺意が湧くんだけど?」
「良いではないかタダノフ。一時はどうなることかと思ったが、すっかり不安な感じが消え去ったぞ。呪術というのも不思議なもんだな!」
「まじないっですぅ!」
「はっはっは」
勇者は、本当に不思議なものだと感じ入っていた。
定着とやらをした途端、すっと悪いものが掻き消えていったような、軽い気持ちになったのだ。
その微妙な感じの結果は、今までのノロマの呪い――ほんのちょっとだけ結果を変えるようなものと、なんら変わりはなく思えた。
「で、何かやんなきゃいけないことがあるんじゃないの? 念じたりとか毎朝何かを拝むとかさ」
「ふむ。後はそうですな……放置で!」
「ほぉう?」
「ふぅん?」
「い、意味はある!」
タダノフの問いは勇者も気になるところだった。
何か儀式めいたことを日課にしなければならないとか、開墾作業の邪魔となる。
「この防御魔術は概念防御というくらいですから。自律して作用するからして、徐々にこの辺りの質を分析し、勝手に最適化するはずなのです」
勇者とタダノフは、無表情になりノロマを見つめた。
「何か気に触ることでもありましたか」
不安な表情のノロマに、二人は答えた。
「人語でおけ」
さっぱり分からないので、思考が遮断されたようだ。
「分からんから、寝るか。はー今日はよく働いたよ」
「聞いておいてひどい!」
タダノフは逃げ出した。
だが勇者はいつでも答えを出せる男である。適当であろうともだ。
ノロマは期待に満ちた視線を、勇者へ送る。
「ああなんだね、ええと要は、何もせずとも勝手に守ってくれるのだな?」
「ええ、ええ、そうですとも!」
ノロマは、勇者の頭から後光が射したかのように目を細めた。
(感謝しますよ。ソレス殿は期待を裏切らない。たとえいい加減であろうとも!)
勇者その他は感激するノロマに怯えつつ、寝床へ戻った。
はたして、その怯えは正しいのである。
どんな怪しげで訳の分からん呪いだろうと勇者は聞いてくれると、ノロマは味をしめたのだ。
今後もあれこれ収集しては披露すると、心に決めたノロマであった。
翌朝、呪いの不安に苛まれることなく、しばらくぶりに安眠できた勇者はご機嫌だった。
日課の、岩場から平地を見下ろす目にも力がこもる。
「気持ちの良い朝だな、行き倒れよ!」
「うう……そうっすね。眠いっす」
行き倒れ君は朝に弱いようだ。
活気のある朝だと思ったが、どうやらいつもより早く人が起きだしていた。
「ぬ。平地民らが騒がしい」
朝靄に霞む海の方を見やると、人だかりはそちらへと移動しているようだ。
そして、霞の中からも人だかりが垣間見えた。
「なんだか大勢やってきたようだぞ」
次々と人は起きだし、丘の裾からも声が届いた。
「お役人さんだあ! 領地登録受付係がやってきたぞお!」
海側の人だかりから次々と伝えられ、風に乗って届いた叫びに勇者の心も躍った。
「おお、ようやく来たか! 気を揉ませおって!」
勇者は興奮の余り、岩場から斜面に飛び降りた。
「とうっ! ついて参れ行き倒ぶるべられりろるぶ……」
着地に失敗した勇者は転がり落ちていった。
「ゆっ勇者さん?」
行き倒れ君も眠い目をこすると、仕方なく後を追って走り出した。
どのみち領地まで来てもらわねばならないのだから、駆けつけても意味はない。
物珍しい登録していく様子を見たかっただけだ。
他の者達も同じだろう。
「ええい下がれ下がらぬか!」
楽しげな平地民らに、連合国の護衛担当国の制服を着た兵士達が囲まれていた。
勇者がぴょんぴょん跳ねながら覗いたところ、壁となった兵達の中心には、いかにも役人といった風体の男達がいた。
明るい色合いの小奇麗なローブを身にまとっている登録係と、その補佐らしき男達は、困惑顔で縮こまっている。
「期待されてるところ悪いが我々も疲れている。少し休ませてくれ!」
早速もまれているようだなと目を細めて眺める勇者だった。
「行き倒れよ! 今の内に皆に知らせようではないかっ!」
「戻るんすかって、走らなくてもいいじゃないっすか……」
戻ればすでに、タダノフとコリヌ一行は朝食を食べ始めていた。
「おお勇者よ、いかがなさ、」
「ついに来たぞ!」
その言葉で十分だった。
「ふおおおおおっ!」
なぜか護衛君達まで跳び上がって喜びを示した。
「ようやく、手紙に住所がかけますね」
護衛トリオの一人が嬉しそうに呟いた。
そういえば農家の余り者とはいえ、家族がいるのだったなと勇者も思い至る。
「領主の身を守るなど鼻が高いだ……あ、いや、そうだな手紙を書いてあげればご家族もさぞお喜びになるでしょぅ」
勇者は言いかけて、言葉を変えた。
もともとコリヌは領主で、護衛君達はその地位なのだ。
ともかく、賑やかな朝食となった。
勇者は、平地から登録を進め始めた役人を見に行ったが、思ったよりしっかり計測などしていた。
勇者達の領地は、この辺の東端である。
さすがに、今日明日では無理だろうと、高鳴る鼓動を抑えて仕事に専念した。
数日後、いよいよ迎えた登録日。
勇者達全員が勇者城の前で、緊張した面持ちで役人達を待ち受けていた。
「んはああ? この小屋が」
「ぷひぃくっくっくお、お城だってよ」
「きしぃしっしっしし・か・も、おうさまだって!」
兵達は隠しもせず、げはげはと笑い出した。
登録係だけはそれなりの地位にあるし、様々な民に接してきたのだろう経験が感情を出すのを抑えさせているようだった。
口元をひくつかせているのは一目瞭然であったが、どうにか耐えているようだ。
「ぴひっごほん、では早速だが質問させていただく」
少しばかり耐え切れなかったようだが、勇者は耐えようとしてくれた心意気に免じてカウントしないことにした。
補佐係達は早速縄を取り出すと、一定の範囲ずつ測り始めた。
「しかしかなり確保したもんだねえ。それで、どのような土地にするつもりかね」
係は問いながらも、地面の妙な落書きに目ざとく気付いて眉をひそめた。
「これは?」
一応聞かれることは予想していた。
勇者だって知らずに通りかかれば気になるだろう。
そういったところには気が回るのだ。
「区画の目印だ。畑だけでなく、この辺に柵を作ろうとか倉庫を建て増そうとかあれこれ印をつけていたらば、訳が分からなくなってしまったのだ!」
普段ならどんな状況だろうと隠し事などしない勇者だが、さすがに呪いなんて言って悪い噂されると恥ずかしいし黙っていることにした。
というかぶっちゃけ理屈の分からないものの説明なんてくそ面倒だし、杭の跡は実際に柵を作る目印にしてある。
その証拠に、空いた時間を縫ってはちょうど良さげな木材をまとめて置いてあった。
(そうだ、だから嘘ではない! 勇者うそつかない)
なによりお城ちゃんを嘲笑った兵達に腹を立てていた。
係も木材を見て納得したようだ。
興味を手元の書類と、領内へと視線を戻した。
さらに先へと案内する。
「見たところ畑を広げているようだね」
「その通り。何が向いているかはまだ分からんのでな。今は色々と試しているのだ」
「そうだろうね」
ふんふんと頷きながら、係は土地を見ながら何かを書き付けていく。
「農耕地か、何か日持ちする作物を育てられるかね」
「そりゃあ、そういったものを育てなければ食うに困るだろう」
「まあそうだよね」
まるで無害な笑顔を浮かべながらも、その視線は冷静に何かを振り分けていっているのが見えるように鋭い。
勇者は、ちょっとばかり尻が浮くような気分だ。
こういった種類の人間に会った事がなかったのだ。
勝手の違いが、落ち着きをなくさせた。
係はようやく顔を上げ、後に続く勇者達を流し見た。
「住人はこれで全員? 八人か。たった八人でこんな広い土地を遣り繰りするの? 頑張るねえ」
「計測終わりました!」
そこへ肩で息を吐く補佐達が戻ってきて、結果を書いた書類を係に手渡した。
「なるほどなるほど。土地は広いが住人は少ないのか」
次の言葉に勇者は固まった。
「それでは、半年毎の納税をお願いするよ。ああ、税金を国に納めてもらうんだよ。心配しなくとも、お金でなくて作物で大丈夫だからね」
固まったのが聞きなれない言葉のせいだと思ったのか、係は説明をしてくれた。
よくあることなのだろう。
「普通は四半期ごとなんだけど、距離があるから半年を一期としようか。そうだね、この区画でいいかな。根菜の収穫量の半分を納めてもらいたい。あー大丈夫だよ、もちろんすぐには無理なのは分かるから。今期は免除するし、来期は規定量の半数を目指してくれればいい。だから、実際に開始するのは再来期からだね。こっちも急なことで人手が足りないから、のんびり試行錯誤するといいよ」
係は子供に噛み砕いて教えるように話すと微笑んだ。
優しげではあるが、交渉において百戦錬磨であろう油断のない笑顔である。
勇者は心底びっくりしていた。
実は係は、かなりの譲歩をしたのだ。
登録人数が多いため、次々と滞りなく仕事を終える必要があるためだった。
勇者にもそれが伝わってきた。
だが勇者は、それを信じきっているこの男の価値観に、心底びっくりしていた。
ここは連合国内の国々とは全く違う土地なのだ。
何が向いて向かないかも分からない。
運が良いことに、そう鬱蒼としてもなく、推測だが隕石とやらのお陰で結構平坦である。
開墾するにも楽な部類に入る土地だろうとはいえ、人の手が入ってない場所なのだ。
住みつくだけなら、野宿と変わりない今のような暮らしもできる。
しかし人らしい社会が形成されるまでには、何年もかかるだろう。
現状は、何もないどころかマイナスである。
(俺様は何が向いているかすら分からんと言ったのだぞ。これから試行錯誤するのに、どうやって人に分けられるほど収穫できると思うのか。気候の変化もまだわからない。土だってこれから改善しなければならないのだ)
この男は、住む場所を整えるより先に、税用の作物を育てろと言っているに等しい――その事実に愕然とした。
勇者の思考は、故郷の村はどうだったのかということに及んだ。
満足に食べるものがあったためしがない。
雪ばかりだし獲物だってそういない、木も迂闊に伐れない。
当然産業なんかなかった。
悪所であることを勘案されていたとして、それでもなけなしの食料から納めていたのだろうか。
この場についてはどうか。
必要なのは分かるが、あまりに距離があり、国の加護を受ける意味は薄い。
それどころか、国が勝手に対立して起こした争いへと一方的に食料をむしりとられるだけの存在となる。
勇者は、心の底から気が抜けていくような気持ちだった。
失望というものだ。
それは登録係に対してではない。
国に対してでもなかった。
まだ、勇者の中では形を持たないものだった。




